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ものの十分も走らないうちに、バタンコ88号は第四十二番札所佛木寺(ぶつもくじ)に到着。
境内には、七福神の石像がそれぞれ一体ずつ祭られており、和やかな雰囲気を醸していた。
家畜堂なるお堂がり、仏木寺は牛馬家畜の守護仏として知られている。農耕にお世話になった、動物霊をも供養しているのだ。
森羅万象すべてに、神仏を観て取る、かっての日本人の心情の表われだろうか。最近ではペットの供養に来る人も多いらしい。
こちらのお寺にも、一風変わった宗教行事があった。
毎年、旧暦6月土用丑の日と、二の丑には、「瓜封じ」なる供養が行われている。
これは、瓜(キュウリ)を人間や牛馬の身代わりとして病気を封じ込め、川に流すというもの。
手順は、祈願の内容を口頭で伝えて、持参した瓜を渡すと、穴を1カ所開けて祈祷をしてくれる。その穴に札を詰めて、大豆でふたをしたものを頂く。
家に持ち帰って、床の間や仏壇に置き、体の悪い部分を撫でながら祈りを唱える。腐りそうになったら、木の根元に埋める。またお寺に持参して供養する事も出来る。不思議な事だが、ご利益は絶大らしい。
四国ならずとも、全国の寺社にはこうしたユニークな慣習が、いまだに数多く残っていると、あるベテランお遍路さんが教えてくれた。
合理的でアメリカナイズされた戦後教育を受けた者としては、迷信としか判断できない。しかし、このような風習は、一体、誰が、何時、どういう状況で何を思い、始めたのだろか、などと思ってしまう。こんな事を、探求するのは、どの分野の学問だろうか。
山門を出てバタンコ88号に乗り込む。くねくね県道をゆっくりと下る。また小雨が降り始める。
しっとりとした木々の緑に、たまに陽がさし、落ちあぐねる水玉が、虹色に乱反射する。苔むした岩肌から、清水がアスファルトの道に流れ出ては、平たく姿を眩ます。しなやかな竹が、風に身を任せている。
ここはひとつ山頭火さんにお出まし頂きたい。
空へ若竹のなやみなし
やがて県道は、国道56号へと合流し、だれかれとなく腹が減ってくる。すぐさま、左手前方にスーパーが現れた。こういう現象をシンクロと言うのだろうか。
ともあれ、駐車場にバタンコ88号を乗り入れ、家族4人、目を吊り上げ、肩を怒らせ、自動ドアのセンサーに手をかざし、すばやく入場する。
スーパーにけんか腰で入るのは、いつの頃からか、我が家の習慣になっていた。
信じられない事に、すでに半額シールの張られた惣菜があるではないか。やる気のないアルバイトが付けたのうだろうか、シールの端がチョコンと、パックのフィルムに引っ掛かっているだけ、子供でもすぐにはがせそうだ。
如何わしい昼食をしたか、しないかは別にして、第43番札所明石寺(めいせきじ)は目と鼻の先であった。雨は止む気配なく、初めての、傘を差しての参拝である。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まか ぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」
鬼嫁がしきりに光明真言を唱えている。=光明五鈷杵=を、本気で信じている様子。夫婦でも、お互いに謎は多い。
「家族」とか「家庭」「親子」などの言葉からは何か温かいものを連想する。「恋人」となればなにやら甘ったるい。
そこで「夫婦」であるが、喧嘩、茶碗、煎餅、別姓、離婚など、こわれ物のイメージが強い。世の中に、これほど奇妙な人間関係はないのではあるまいか。
新聞の人生相談に、「夫婦とは、神様が人間に修行をさせる為、最悪の組合せを仕組むのだ。これを拒み、離縁すれば、また、来世に縁を結ぶ」とあった。こんな、苦痛は出来れば、今生で清算したい。
鬼嫁の半径1メートルに入れば、そこだけ酸素が薄いのではあるまいか、と思うほど息苦しくなる事がある。
しかし、子供は2人ほどいる。しょせん、私はそういう人間なのだ。
私の情けなさはともかく、雨がひどくなってきた。早めに納経をすませ車に避難する。次の札所までは百キロ近くの道のりだ。
とりあえず、大洲を目指す。大洲は伊予の小京都と称される情緒あふれる城下町だ。
映画「男はつらいよ」シリーズ第十九作「寅次郎と殿様」のロケ地にもなった。さらに言えば、NHKの朝の連続ドラマ「お花はん」の舞台でもあった。まだ、モノクロ画面だったように記憶しているが・・・
国道56号線、旧称「宇和島街道」を北上すること一時間少々。大きく曲がる急流肱川の河岸平野に、大洲の町は展開している。地形と地名がドンピシャリだ。この町には何としても行ってみたい場所がある。
先ほどの、寅さん映画のワンシーンである。大洲城址のわき道で、ジリジリと蝉の啼く夏の盛り。寅さんが、風に吹き飛ばされた500円札を、拾ってもらったお礼に、大洲領主の末裔で殿様役の嵐寛寿郎に、冷えたラムネをおごる。
生まれて初めてラムネを飲む高齢の殿様。いかにして飲んだものか?と思案した末、飲み口に吸いつく。
不器用に一口飲み「甘露ぢゃのう」と、ビンの中のビー玉をくゆらすのである。
映画のロケ地に行き、なんらかの仕草を真似てみる。
これも、旅の楽しみの一つだ。
たどり着けば、そこは撮影の時より、かなり観光地風に、小奇麗に整備されていた。
ラムネを買うのももったいないので、バタンコ88号に常備してあるペットボトルに入れたお大師さんの水で、真似てみたが、あいにくの雨でいまひとつの乗りだ。
「バカな事やってないで、先を急げ」
と鬼嫁、子供らは眠るともなく、ぼんやりしている。低気圧のもたらす鬱陶しい雰囲気が車内を漂い始めている。
風も少し出てきた。台風が速度を速めたのだろうか、しばらくラジオをかけっ放しにしておく。
どうやら今夜半に、九州上陸の模様だ。風が強くならないうちに、第四十四番札所大寶寺のある久万町まで直行することにした。
カーナビで確かめると、ずいぶんと山奥である。目的地をセットすると、到着予定時刻も表示される。なんでそんな事まで分かるのだろう?まったく不思議な箱ではある。
いつ日が暮れたのかさえわからない大雨の中、久万町に到着。さして汗もかいてないのでお風呂はパス。夕食もコンビ二でアッサリとおにぎりで済ます。
さて、台風が接近中のこの大雨の中、何処で車野宿をするかである。
この町は、国道33号線バイパスと旧道が長く平行している。何回となく往来するが、めぼしい場所は見当たらない。
ならばいっそうの事、大寶寺の駐車場ではどうかと訪ねてみれば、あまりにも幽玄すぎて、落ち着いて寝むれそうにない。
最終手段、カーナビで道の駅を検索。国道を十キロほど高知方面に「みかわ」が在った。
先客万来といったところか、あちこちの地名のナンバープレートの旅車だらけ、キャンピングカーもけっこういる。
また、自転車やバイクの旅野郎も、雨宿りしていた。歩き遍路の人もちらほら、トイレなどは、さながら無法地帯である。
夜中、叩き付けるような雨音に子供らが目を覚まし、
「お家にかえりたいよぅ」
と、泣き出したのには参った。ずいぶんと親勝手な旅につき合わしているのかもしれない。
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