
本日は朝から快晴なり。長距離フェリーに乗船するトラックが、あわただしく黒煙を巻き上げている。早めに退散し、コンビ二で朝食を済ます。
第五十二番札所太山寺は、太山寺町にある。名前がそのまま町名になるほど、存在感がある巨刹。
境内までの道は、照葉樹がアーチ状に枝をのばし、早朝の空気を、いっそう爽やかに演出してくれている。
納経所が開く時間まで、広い寺域を散策してみた。大師堂の近く、真上に穴の開いた変わった石がある。
何でも三重塔の礎石だった物らしく、この石を新しい亀の子たわしで洗うと、痔の痛みが和らぎ完治するらしい。
昔は、願掛け済みの数多くのたわしで、賑わったらしいが、今では、めっきり少なくなつたという。シャワートイレの普及がその背景にあると聞いた。
それは、貧困生活住宅にもかかわらず、我が家にも設置してある。友人から中古を譲ってもらったのだ。
初めて使うとき、どんな具合なものかと、座る前に、便器の水面に、顔が映るぐらい覗きこんで、スイッチを押し、作動を確認した。
すると細い管が出て来て、
「しまった!」
と、気づいた時には、時すでに遅く、鼻の穴に、もろに水鉄砲を喰らってしまい、涙が出るほど鼻の奥が痺れた。
しばらくの間、何を食っても、友人宅のカレーライスの味がしたものだ。
バカな事を思い出していると、気分が悪くなってきたので、鬼嫁に運転を変わってもらおう。
右手に包丁ではなく、なれないペンで、作文などしているものだから中指が痛い。
ここはひとつペンも、バトンタッチして、横になるとしよう。
どうして自分の妻を、「鬼嫁」などと書くのでしょうか。それに、何処でネタを仕入れているのでしょうか。よくもこんなに嘘八百が書けるものです。
腹が立つので、これ以後は「宿六さん」と呼ぶ事にさせてください。
私は普段、あまり人の悪口は言わない方なのですが、この男に関してはそうはいきません。少なからず、見苦くなる点はお許し下さい。
五十三番さんの円明寺は10分もしない内に到着しました。
なぜか、黄色い顔色をして、急に気分の悪くなった宿六さんを残し、子供らとお参りします。
蝉の鳴き声に、たまに小鳥のさえずりが交じり、暑さを和らげてくれます。気持ちの良い朝です。
街なかにあるこのお寺の中門は、屋根の広がりがすばらしく均整のとれた、美しい女性的なプロポーションをしています。
お接待に釣られて、般若心経を暗記してしまった小春を中心にお参りしました。本堂も大師堂も小ぶりなのですが、手入れが行き届いており、とても清潔です。
山門の左手に、「キリシタン灯篭」と説明書きのある小さな石像がありました。その形状は十字架のように見えます。また聖母マリアらしき女性の姿も刻まれています。
キリシタン禁制の江戸時代、寺では信者の礼拝を黙認していた。と書いてあります。
子供がカトリックの保育園に、お世話になっているので、みんなでお祈りして山門を出ました。
ここから次の札所までは、カーナビで見ると35kmほどあり、約1時間のドライブです。
JR予讃線と仲良く並行する、国道196号線。左手に大きく開けている、斎灘の向こうは広島県。
こんなに、長い旅行をするのは初めてなので、家の近くの海まで帰ってきていると思うと、少しほっとします。
大きな造船所が見えて、海をはなれ、山手に入り少し走った所に、第五十四番札所延命寺はありました。
このお寺の山門は、明治初期の廃藩置県の際に、今治城城門の一つを譲り受けたものだそうです。
江戸時代に活躍した、庶民の英雄のお墓があります。
庄屋・越智孫兵衛は、「七公三民」の厳しい年貢取立に憂いを感じ、池普請の際に、わざと、普段より粗末な麦粥を竹筒に詰めただけの弁当を、農民に持たせ、それとなく役人に見せたと、あります。
お陰で、哀れを感じた役人は、年貢を「六公四民」に免下げしまた。それ以後も、農民の生活向上に寄与し、享保の大飢饉の際には、1人の餓死者も出なかったそうです。
有名な武将のお墓より、有難いものに感じました。
カーナビの案内にしたがって、市街地を港へと出る手前あたりに、五十五番さん南光坊があります。
宿六さんは、まだ少し気分が優れないようでしたが、皆でそろってお参りしました。
石手寺で=光明五鈷杵=が出たときは、本当にびっくり、オブジェだったと分かり、がっかりしたのですが、中途半端に、探すのをやめるのもしゃくなので、光明真言を唱えてみるのですが、それらしい気配はありませんでした。
次は五十六番の泰山寺さんです。市街地を来た方向に引き返します。宿六さんが
「そこの角を曲がって車を停めろ」
と言います。前触れもなくこんな事を言われるのはしょっちゅうなので、訳も聞かずに商店街付近の路肩に停車しました。
宿六さんは、小さな魚屋さんをまじまじと見ています。看板に吉田鮮魚店とあり、奥さんらしき人が、店の前で接客してらっしゃいます。少し歌手の森昌子さんに似た、親しみやすい感じの方です。
奥まった調理場にいる、ご主人らしき人を見てびっくりしました。以前、私がお見合いをした横山さんに間違いありません。気になったので聞いてみました。
「あの魚屋さんが、どうかしたん」
「おお、ありゃのう、橋本の魚屋の、知り合いの店での、跡取りがおらんかったんじゃが、娘さんが、島の方から、婿をもろうたんじゃそうな。公務員じゃったらしが、何もわざわざ、商売で苦労せんでもえかろうに・・・瀬戸の花婿養子じゃ」
「そりゃ、よっぽど奥さんのことが好きなんじゃ、優しそうなひとじゃけぇ」
「こっから見ただけでなんで、そがあな事分かるんなら、あの淳子さんはな、はあ、ああ見えても、東京の大学出のインテリじゃ」
「淳子さん、ゆうん・・へー・・・なんであんたがそんな事まで知っとるん?」
「そがあな事はどうでもえかろうが、それよ
り、お前、あそこで蒲鉾買ってこい」
「いやよ、あんたが行きんさい」
「バカ言え、わしが行けるわけあるまーが」
「なんで行けんのん、すぐそこじゃが」
「行けんゆうたら、行けんのじゃ!」
なぜか怒り出してしまいました。まぁ、この癇癪にもなれたものなので、放っておいて車を出しました。
それにしても、仲良く、一所懸命に商売をしている様子は,羨ましくもありました。小競り合いばかりして、商売に実が入らず、うじうじと、仕事をしている私達とはかなり違います。
もし、彼と結婚していれば、生活の安定した公務員の妻で、今頃は、遍路ではなく、家族で海外旅行にでも行っているのでしょうか。
宿六さんは、学生服の第二ボタンがどうのこうのと、とりとめのないことをつぶやいて、気持ち悪くにやけて、森昌子の「先生」を口ずさんでいます。また自分の世界に入っているようです。
そのままにしておいて、私達だけで泰山寺にお参りをしました。ご朱印を頂き、お寺を出たところの交差点に、マクドナルドがり、丁度、お昼時なので入りました。
市内は車が多く、運転しづらいので、ここからは、ハンドルもペンも、返すことにします。
学生時代の思い出から覚めてみれば、なんの陰謀か知らないが、マクドナルドの駐車場の中にいた。「またかよ!」である。
私以外の方がたは店内で、シェイクにのストローに吸い付いている。食事はおわったみたいだ。子供らもだんだん鬼嫁に飼いならされて、私には冷たくなってきているのか・・
残り物のおにぎりを食べながら、なすの漬物をつまんだら、ホピョとつぶれた。
ゴキブリの死骸であった。
私は、こんな目に、よくあう。
夏は嫌いである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます