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寝不足である。私以外は早くから目を覚まし、なにやらかにやら、朝の定例行為をすませたようだが、私はといえば8時までは頑張って寝たものの、それ以降は急上昇する真夏の気温に邪魔され寝られない。
珍しく鬼嫁が気をきかせ、トイメンにあるコインランドリーで洗濯を済ませていた。夏場は洗濯物が少なく、薄手なので乾きやすいので助かる。
カーナビに5つ程、お寺を入力して、さあて、今日もいい天気、きばって寺廻りだぜよ。
まずは二十九番札所国分寺だ。国分寺とは日本全国、よくあちこちで聞くお寺の名前だ。
モノの本によると、そもそも国分寺とは、天平十三年(七四一年)聖武天皇が、国情不安を鎮撫するために、全国各地に国分尼寺と共に建立したものだそうだ。
ここでとても面白いのは、国分寺が正式名称を=金光明四天王護国之寺=であるのに対して、国分尼寺のほうは=法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)=だそうである。当時の女性観のユニークな一面を見る思いだ。
本堂は戦国時代に、土佐の豪族長宗我部国親&元親父子によって再建されたもの。杮葺きの風雅なたたずま。国の重要文化財に指定されている。
ちなみにこの長宗我部氏、阿波や讃岐に攻め入った折には、かなりの数のお遍路の寺を、焼き討ちしているらしい。いかに八十八ケ所のお寺といえども、時代の波に翻弄されない訳にはいかなかったようだ。
大師堂左手の小堂に「ひとこと地蔵」が祀ってある。一心に祈れば一つだけ願い事を叶えてくれるとうお地蔵様だ。
近年、アル中の夫に困り果てたある主婦が、酒をやめさせて欲しいと願ったところ。旦那は酒が飲めなくなったという。
これ以降、「酒断ち地蔵」として有名になった。いかにも「箸拳」で有名な酒豪のお土地柄らしいエピソードである。
境内には真剣な表情でお祈りする主婦にまじって、泣きだしそうな顔で手を合わす主夫もいると言う。
十五分も走れば三十番札所善楽寺、少しは模範的なお遍路さんたろうと、ここは皆で作法どおりの参拝に挑戦する。
1、山門に入る前に合掌一礼
2、水屋の手水鉢で口をすすぎ、手を洗う
3、鐘楼で鐘を突く(禁止のお寺もある)
4、本堂向拝で納札と写経を入れる(持ってる人のみ)
5、ロウソクに火をつけ灯明、線香を上げる
6、賽銭を箱に入れる(強制ではない)
7、本尊の真言を念じて、般若心経を唱える
8、大師堂に行き、般若心経を唱え、南無大師遍照金剛と念じる
9、納経所で納経帳・掛け軸・笈摺などに朱印を頂き、三百円支払う
10、山門を出る前に本堂に向かって合掌一礼
余計なことは一切せずに、ガイドブックのっままにやってみた。たまにはこういうのも良い、あくまでも、たまにはであるが・・・
鬼嫁はここでも光明真言をたびたび唱えていたようだが、=光明五鈷杵=はお出ましにならなかった様である。
次の第三十番札所竹林寺へは、せっかくだから、あの有名な「はりまや橋」をバタンコ88号で通過してからにしようという事になった。
高知の市街地を抜けるので、カーナビの案内を頼りに、「他県ナンバーなのです。ご無礼はお許し下さい」走行をする。
なにせ気を付けないとこのカーナビ、メーカーは言わないけれど、たまに案内が遅いと、一方通行に逆進入したりするのだ。
使い慣れてきて分ったのだが、ナビに全幅の信頼をおいては痛い目にあう。現時点でいえる事は、ナビと地図と地元の人の情報を、足し算して三で割るくらいが、妥当のようである。
ここ高知は道路に、チンチン電車も走っていて、線路の上をどのように、自動車が走行して良いのか悪いのか分らない。
ナビの案内どおりに、車線を変更すれば、背後からクラクション音波で攻撃される。
しばらく中心部をウロウロした挙句、どうやら、はりまや橋の近くには来ているらしい。ナビが「まもなく、経由地です」と何回もほざいてはいるのだが、さっぱり見当がつかない。
しまいには、腹が立って腹が立って、もうはりまや橋を渡るだとか、かんざしが坊主を買っただとかどうでもよくなり、ビルの立ち並ぶ都心部を抜け、一路竹林寺へと向かった。
ガイドブックではこの竹林寺、五台山の山頂にあるとの事だ。市内から大きな橋を渡り、五台山にくねくねとよじ登る。
後部座席では子供らが右へ、左へ、大はしゃぎである。山頂に近づくにつれ、高知市内がパノラミックに、眼下へさらに眼下へと広がってゆく。
これが夜景に変われば、どんな凡人アベックでもロミオとジュリエットに変身するやろな~。
そろそろ山頂近く、カーナビの指示のまま走ったのだが、公園仕立ての山頂付近を一周しても、お寺らしき建物は見当たらない。
道は細いし、一方通行なのかどうかもよく分からない。しかしナビは「次の交差点を右にお回り下さい」と言う。
同じところに帰り着いたのだが、聞きなれた若い女の声についほだされて、また右にハンドルを切る。
ギリギリにすれ違う、対向車の運転手の視線が険しい。やはり一方通行だったのか?もう、時速ミミズkmにおとし、油汗をにじませながら進む、またしても、一周してしまった。
この狭い道で停車は不可能だ、するとナビは「まもなく経由地です」ときた。今度は右に回るのをやめ、左の少し太い道に出て、脇のくぼみに停車した。
第三回緊急家族会議が開催され、鬼嫁の議長命令により、私が早足で歩いてもう一周し、竹林寺を探してくることになった。
もうこうなったら、草の根を掻き分けてでも竹林寺を探し出してやる。気分は「インディージョーンズ」のハリソン・フォードだ。
人間が早足で草の根を掻き分けて進むのは不可能である。そこでお大師さんにお願いして、下半身は韋駄天に、上半身は千手観音に改造してもらった。
約二十分かけて早足に、千の手を回転させながら、もう、ひと回りしたのだが、草の根に竹林寺は、こびりついていなかった。
元の場所に戻れば、バタンコ88号の姿が見当たらない。もう、タオルがしぼれるほど汗をかいているのに、車内でクーラーの吹き出し口に顔を、押し付けられないのだ。
こんな時にかぎってジュースを買う小銭もない。のどがサハラ砂漠と化している。たまらず、近くを歩いている人を見つけたずねた。
「じゅびばぜん、じぐりんじば、どごでしが?」
聞かれた若い女二人連れは、山で海坊主に遭遇したような顔になり無言で、山頂とは反対方向を指差して、二人で目を見合わせて、うなずいて、かけ去った。そういえばなにやら五重塔らしきものが見える・・・
徳島の阿波踊りの時と同じく、動力源を予備体力に切り替えて、エイトマンポーズのまま瞬時に、竹林寺へと移動した。
駐車場にはバタンコ88号がいた。よくも、置いてきぼりにしたもんだ。もうこの際だから、不動明王に変身して、鬼嫁を問い詰めてやらねば・・・
「しかたないでしょ、小春がウンチてゆうんじゃけぇ~」
韋駄天も千手観音も不動明王もエイトマンも、ガキのクソにはかなわなかった。
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