魚屋夢遍路

流されているのか、導かれていのか、突き進んでいるのか、当事者には計り知れない。

かわいい子には遍路をさせよ

2012-11-18 09:08:39 | 旅行

 竹林寺から次のお寺、第三十二番札所禅師峯寺(せんしぶじ)までは、社会科の時間に習った「二期作」とか「二毛作」とかを思い出してしまう南国の亜熱帯田園風景だ。
高知は海に山に川、いずれもスケールのでかい豊かな自然環境だ。おそらく他のどの県よりも第一次産業の比率が高いのではあるまいか。
産業も2次3次と、順位がずれるにつれ胡散臭くなっていく。その点、農林水産業は金メダルやなぁ。
 ここのお寺も、小高い丘の上にあるのだが、南を向けば太平洋の海原を一望のもとに見渡す絶景である。遠くに桂浜も見えて、土佐湾が弓なりに湾曲しているのがよくわかる。
 私は瀬戸内海北岸に生まれ、住んできた。小高い山に上がれば、大小さまざまな形の島が、さざなみ穏やかな内海に浮かんでいる。島々を結ぶ連絡船が、か細い航跡を残しながら行き交う。
まさに箱庭を見ているようで、盆栽鑑賞的楽しみがある。また酒どころでもあり「酔心」という銘酒があり、まさに心でちびちび楽しむに、最高にやわらかいお酒だ。
 しかし、土佐はどうだ! 海にのぞみ立てば、水平線がかすかに丸味をおびた太平洋。見渡すかぎり海面。その上を覆う空のライトブルーは果てしない。超大型タンカーさえもプラモデルだ。浜に少々ゴミがあろうが、「波がさろうてアメリカで捨ててくれるきに」と高笑い。ここも酒どころ、「酔鯨」なる銘酒があり、クジラさえ酔わせてしまう豪快さだ。
 広島と高地では、直線距離にして100kmもない。それこそアメリカの荒野では隣町の感覚だ。
日本って、国土は狭いけど、土地とちに異なった自然と生活がり、世間はけっこう広いような・・・・・なかなかな国ではあるまいか。
 次の雪渓寺までは黒潮ラインと名づけられた海岸沿いの道路を、左手にキャンプ場を見ながら、浦戸湾の細い出入り口を、またいでいる大橋を渡り、桂浜に出る。
ここにあの坂本龍馬の大きな銅像があるらしいが、昨夜本人にあったのでパスする。五分も走れば第三十三番札所到着。
 雪渓寺には、境内に「お休み処」なる四方壁なしで屋根つきの、とても寛ぎやすいお堂らしきものがある。
ここで、思いがけない人と出会った。いつも魚を仕入れている問屋の奥さんである。中学生の娘さんと一緒に白装束のお遍路スタイルだ。
しばらく雑談をして事情を聞けば、半年ほど前から、この娘さんがいじめにあい、少し経ってから、不登校になったというのだ。
 私はこの社長夫婦が一人娘を、結婚後、かなり経ってから授かり、普段から愛情いっぱいに育てているのを知っているだけに、なぜこんな温かい家庭の素直な子が、いじめに遭うのか不思議で、厚かましいとは思ったが、後学の為にたずねてみた。
「どうしてまたこげな、いい子がいじめなんぞに?」
「そこなんじゃけど、この子がこがいになってから、うちも色々調べてみたんじゃ、どうも過保護な子ほどいじめに合いやすく、親があまりかまわん子は、いじめる側になりやすいんじゃと」
「そがいなもんかのぉ、あんたもわしとちごうて、たいがい忙しかろうに、何でお遍路さんに?」
「なんでもインターネットで、お遍路さんでいじめを乗り越えた話を見たらしゅうて、せがまれなぁ、市場のほうは義姉に出てもろうて、こがんして、電車に乗ったり歩いたりしてまわりょうるんよ。」
「なんぎなもんよのぉ、ほいで、なにかええ事はあったんかいのぉ?」
「毎日お寺の宿坊に、泊まりょんじゃけど、ここはいろんな事情の人がおってのぉ、あれやこれや話しかけて来てくれるんじゃ。中にゃ、うちと似たような親子もおってのぅ。うちもこの子も、話を聞いてもらう度に、だんだん気が軽うになって、今じゃぁ、2学期から学校に出てみようかゆうて、話をしょうるところよ。」
「そりゃぁ、えかったのう、まぁ、あんまりきばらんと、いける所まで行きゃええ、お遍路さんは、何回に分けて廻ってもええらしいけぇ。」
「そうらしいねぇ、ところで、あんたこそ店はどしたんね、・・・」
 話がやばい方向に振られてきたので、適当にお茶を濁して、そそくさと雪渓寺を後にした。とてもじゃないが、私が店に不登校になったなどとは言えなかった。
 高知競馬場は雪渓寺を出てすぐ右手にある。ぜひ立ち寄りたかった。私はギャンブルをしないが、ここにはハルウララなるサラブレットがいる。
デビュー以来、百連敗で全国的に有名になった馬だ。あまりの弱さに、いつ勝つかいつ勝つかと、話題になっている。
是非ともお目にかかり「同病相哀れむコミュニケーション」でシミジミとしたかったのだ。しかし、今日は開催日ではなかった。残念!
 競馬場から県道279号に入る。道沿いにずいぶんとお地蔵さんが並んでいる。ここに限らず、四国、いや日本中の道端にはいたるところにお地蔵さんが祭られている。
街道の守り仏として、あるいは事故のあった場所の慰霊碑として、人間に一番身近な菩薩様である。
その謙虚であどけないお姿には、心を癒される思いだ。山頭火さん、なにとぞ一句お願いします。

 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ

 県道の小野商店の手前を左に入れば、第三十四番札所種間寺。
 ご本尊は安産の薬師として信仰され、妊婦は柄杓を持参して祈願する。寺ではその柄杓の底を抜き、三日の間ご本尊に祈祷してお札とともにかえし、それを妊婦は床の間にまつり、安産すれば柄杓を寺へ納めるという。
ひしゃくの底を抜くのは「通りがよくなる」から、安産に通じるとのこと。観音像の回りには底の抜けたひしゃくが、所狭しと奉納されている。
 ここに限らず、安産祈願のお寺は数多い。妊婦や家族はお産への不安を、柄杓に託して、薬師如来さんにお任せするのだろう。
振り返ってみれば、今は怪我や病気なく順調に成長しているわが子らだが、出産の時は置き場のない、苛立つ気持ちを、寺社になだめてもらった。
大師堂の手前の子育観音さんに手を合わせ、見上げれば、左手に幼子を抱き、優しいお顔でお立ちになっている。自然と心が和んで行く、胸の奥に暖かい火が灯る。
無事、これが一番ありがたいこと、本当に有り難き事は、無事平凡ではあるまいか、などと思う。
事故や病気に遭ってからこれに気付くより、日々感謝の気持ちを忘れずに過ごすことが大切であろう。
などと、いっぱしな事を書いている自分に気付く、早くもお遍路のご利益が効き始めてきたのだろうか。真人間になれる日も意外に近いかも。
満更でもない私をよそに、ウロウロと=光明五鈷杵=を探す鬼嫁を急かして、山門をでる。
 四国山脈に降り落ちた雨水を、いくつもの支流に掻き集め、ここに一気に吐き出さんと、仁淀川が幅広い河口を誇っている。
長い橋を渡りもう少しで、まさに第三十五番札所清滝寺といったところの、左手に児童専用の関所がトウセンボをする。マクドナルドだ。小春と留吉のマックコールが始まる。誰が何と言おうと、ここで昼食となる。
更年期にさしかかった中年男の胃袋と面体に、ハンバーガーはつらい。先祖伝来の貧民御法度に「泣く子と地頭には逆らわない」とある。先祖を恨みつつ、マックフライポテトを口に放り込む。
 軽い胸やけにもだえつつも、清滝寺へのイロハ坂風ヘアーピンカーブを、何回も右往左往して、駐車場にバタンコ88号を止める。
小春が使用済みの買物袋にゲロを吐き、車を降りて皆で顔を見合すと、テニス観戦さながら目が右左している。すさまじいイロハ坂であった。
イロハついでにいえば、あるお遍路さんの話によると、イロハニホヘト(色は匂へと)を考案して、民衆に仏教と読み書きを教えたのも弘法大師であるという。
なんと、お大師さんは国語教師でもあったのだ。今更ながらとてつもないお方である。
僧侶で調理師、教師、建築士、彫刻師、書道家で、作家で、探検家で、マジシャンで、哲学者で、通訳翻訳者に、政治顧問。
我々の生活のすべての面に関係しているではないか。観音菩薩は三十三に変化すると言われているが、実在の人間ではない。弘法大師とは、いったいどのようなお方であられたのだろう。
 本堂の前に、高さ十五メートルの穏やかなご尊顔の薬師如来立像が、ひと際目を引く。
台座の部分が胎内巡りになっていて、この暗闇の戒壇を手探りでひと回りすると、厄除けにご利益があると言われている。
さっそく、子供らの手を引いて皆で突入。半分も行かない内に、留吉が恐がって泣き出す。お祈りもそこそこに子供らを小脇に、急ぎ出る。太陽が眩しい。
なるほど、胎内めぐりとは、再び誕生を経験することか、などど、納得するも、鬼嫁が出てこない。
「おお~、早くも厄除けのご利益利益か!」と喜んだのも束の間、鬼嫁が目を細めて光明真言を唱えながら出てきた。一体、=光明五鈷杵=に何をお願いするつもりなのやら?
 古い建物が多く残る土佐市。無機質なビルで景観を汚されていない、レトロな町並みを抜けて、ほのぼのと、第三十六番札所青龍寺にバタンコ88号を走らせる。
道は宇佐漁港で太平洋にぶつかり、再び黒潮ラインに入り、宇佐大橋を渡ればお寺はすぐそこだ。左手の砂浜は海水浴やマリンレジャーを、楽しむ人たちで賑わっている。
小春が泳ぎたいと言い出す、つられて留吉も泳ぎたいと。でも、カーナビは「まもなく目的地です」と到着を催促している。
このお寺を済ませておけば、次までは60kmもあり、距離が稼げるのだ。子供らと頬をつねりながらバトルしていると
「寺ばかりで、この子らも退屈なんじゃけぇ、泳がしちゃりぃゃ」
 鬼嫁の一声で、60kmの距離稼ぎは明日に持ち越された。
高校野球で有名な明徳義塾の分校手前の浜で、荷物のどこに紛れ込ませていたのか、水着を子供らを着せ、律儀にもラジオ体操第一をさせ、浮き輪で遊ばせ始めた。
防波堤で砕かれた柔らかい波に、楽しく戯れる子供ら見ていると、お寺廻りだけしか考えてない自分が恥ずかしくなった。私もしばし昼寝でもしよう。まもなく納経所のタイムリミットの五時をまわった。
 よくもまあ、子供らは日が傾くまで遊んでくれました。この付近にシャワー設備はない。そこで、ぐるりと、遠くを見渡せばサーファーらしきが、道路が岬にさしかかった「見晴らし駐車場」のような所でホースを使っているではないか。
子供らと一緒に私も混ぜてもらい、風呂代わりとした。気の毒に鬼嫁、今日は風呂なしだ。40才であの体型ではシャッを着てても、サーファーの前で水浴びは出来まい。
バツが悪げに足だけをすすいでいる姿に、タオルを手渡してやったものの、心で阿波踊りした。
 青龍寺は目と鼻の先で、街まで引き返す気力もなく、今日の夕食は、車内の有り合わせのパンやお菓子で済ます。
人家の見当たらない道路わきのくぼみで、環境に悪いと、卑屈になりつつも、エンジンをかけエアコンをつけて寝る。泳いだためか、子供らはすぐに寝入った。



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