10月9日かねてより、案内をいただいていた、故南幸男画伯の絵画展に出かけた。
南画伯は、志摩市在住の日展連続8回?入選の温厚で皆から慕われた人である。
若かりし頃より、教鞭を取りながら、苦労されて絵を学ばれ、難関の日展に入選
され、地元波切小学校の校長を最後に退職後、各方面で絵を指導されていたそうだ。
私との関わりは、絵は全く関係なく、病院仲間とでも言う関係である。
51才になって、長らく患っていた蓄のう症をとうとう手術するときがきて、入院したら、
相部屋の相棒が南画伯であった。
気さくな方で、すぐに意気投合し、約1週間毎日絵の話から、人生観など、二人で飽きる
ことなく、会話し、私の退職後の生き方の参考になることをうかがった。
家内が、市の絵画の会で画伯の指導を受けていた関係で、画伯の絵画展を訪れると
おくさんともども丁寧にごあいさつしてくれた。
数年後に病で亡くなられたとのことで、残念だったが、今回の絵画展の会場入口に
立ててあった画伯のにこやかなポスターが今にでも【やあ、久しぶり】と声をかけてくれそうな気がした。
南画伯は、志摩市在住の日展連続8回?入選の温厚で皆から慕われた人である。
若かりし頃より、教鞭を取りながら、苦労されて絵を学ばれ、難関の日展に入選
され、地元波切小学校の校長を最後に退職後、各方面で絵を指導されていたそうだ。
私との関わりは、絵は全く関係なく、病院仲間とでも言う関係である。
51才になって、長らく患っていた蓄のう症をとうとう手術するときがきて、入院したら、
相部屋の相棒が南画伯であった。
気さくな方で、すぐに意気投合し、約1週間毎日絵の話から、人生観など、二人で飽きる
ことなく、会話し、私の退職後の生き方の参考になることをうかがった。
家内が、市の絵画の会で画伯の指導を受けていた関係で、画伯の絵画展を訪れると
おくさんともども丁寧にごあいさつしてくれた。
数年後に病で亡くなられたとのことで、残念だったが、今回の絵画展の会場入口に
立ててあった画伯のにこやかなポスターが今にでも【やあ、久しぶり】と声をかけてくれそうな気がした。
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