「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

東京都知事選挙の候補者ポスターの掲示板

2024年07月01日 | 日記
 東京都知事選挙の、特に選挙ポスター掲示板の使用法で盛り上がっている。ある候補者たちは、様々な「ハック」?やその「合法的」な利用法を競っており、みんな民主主義の懐の深さで戯れるのが好きなんだな、と思う。公職選挙法の範囲内でなら、できることはやっても良いというのは確かで、今のようなハック?的な利用方法に嫌気がさした人が、掲示板の使用を法で規制するよう求める動きを見せているが、それは絶対にやめた方がいい。民主主義はこのようなバカ騒ぎや低俗化自体を「根拠」として打ち立てられているシステムなので、このバカ騒ぎが気に入らないからといって、掲示板の使用規制などを求めていくと、政治への参加や民主主義自体が壊れてしまう。民主主義下の選挙はこの低俗化を受け入れなければならないし、民主主義自体を否定する候補者も選挙では平等に公平に扱われなければならない。そういう意味では、「泡沫候補」というのは本来存在しないわけである。民主主義はこの低俗化という地盤沈下自体が、ひとつの「根拠」なのだ。それは、ヘーゲルが『大論理学』の中で、「没落こそが根拠である」と、近代市民社会を弁証法で定義づけたことからもわかる。

 そういう意味で、最近話題になっている、17年前の東京都知事選における外山恒一の「政見放送」や選挙活動への注目も、この民主主義における「没落こそが根拠である」という問題から見なければならないものだ。外山自身のSNSでの活動と、その「啓蒙」によって徐々に誤解している人も減っているのかもしれないが、外山の選挙活動や「政見放送」は何か特異なものや常軌を逸しているものではなく、あるいはおふざけでもない。外山はメディアの取材に対して、自分のせいで選挙制度自体がぐずぐずになってしまって、と皮肉に語っていたと思う。それは近代という時代、それも民主主義が「没落」それ自体を「根拠」にしているということを、外山自身が選挙を通じて行為遂行的に上演したという意味に捉えるべきだろう。そういう意味では、外山の選挙というのは、ヘーゲル的な意味で、「没落」こそが「根拠」であるということを示すための場なのであって、近代と歴史の弁証法的運動の問題と捉える必要がある。「スクラップ・アンド・スクラップ」の同語反復とは、弁証法の運動それ自体ともいえよう。

 このようにヘーゲルと、それを踏まえた外山の行為遂行的な「没落」を根拠化する弁証法を踏まえても、今の選挙の「低俗化」と「裸」にでもなって民主主義の懐の深さ(「根拠」)を探ろうとしている候補者たちは、その「没落」(裸)こそが「根拠」となる地点を探している、といえるのかもしれない。実際のところは、この「没落」の「根拠」を有権者こそが認識しなければならないにもかかわらず、である。そういう意味では、裸になったりパントマイムをしながら民主主義の「没落」を「根拠」として探ろうとしている候補者たちは、現状、有権者よりもまっとうな行為をしているといってもいいのだろう。

 それよりも、大きな問題は、この選挙における民主主義のある意味での懐の深さ(「没落」という「根拠」)は、当選した知事や議員たちにこそむしろ適応されるのであって、当選した知事や議員たちはこの「没落」の「根拠」の中で、ある意味好き放題をし、権力を掌握して、現状の東京都及び日本を作ってきたわけである。もし、東京都知事選挙の「低俗化」やバカ騒ぎに対し危惧を覚えるなら、この「低俗化」とバカ騒ぎという「没落」の「根拠」の中で好き放題をしている現職の知事や議員たちに、その危惧を向けるべきではないだろうか。候補者たちを非難するのはお門違いだろう。民主主義が「没落」という「根拠」のもとに成り立っていることを都合よく解釈し、マジョリティのためのマジョリティによる選挙を無自覚におこなってきた有権者は、自らの「低俗化」をまずは自覚すべきだ。

 民主主義を構築する「没落」という「根拠」は、民主主義が民主主義であるための必須の要件である。それを規制したり、「泡沫候補」という名前で差別的待遇をしたり、注目されている候補者だけを報道したりするのは、そういう意味で反民主主義的といえる。それは政治を特権階級に独占させるきっかけを作ってしまうような危険にも繋がっていく。民主主義はそういう「没落」したクズのためのシステムであるはずなのだ。

 ただ、最初にいったように、候補者たちは公職選挙法の範囲内で、民主主義の懐の深さを確かめるように選挙戦を戦っており、そのような意味では、例外なく候補者たちは民主主義を好きになってしまっているようにも見える。はたしてそれでよいのだろうか。また、僕の家は繁華街に近い場所にあるが、すぐ近くのポスター掲示板は、様々なポスターや「枠を買った」という同一のポスターが無造作に張られ、「低俗化」した民主主義の「根拠」がむき出しになっている。しかし、職場は皇居に近い位置にあるのだが、職場附近の掲示板はきれいなもので、全く乱れていない。管見の範囲ではあるがやはり、皇室の御威光と大御心のおかげであろうか。

まだ『ゲバルトの杜』は観ていないが

2024年06月09日 | 日記
 映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)はまだ見ていないが、『映画芸術』の絓秀実+亀田博+花咲政之輔による「映画批判」の座談会は読み、そしてこの映画の原作?となっている樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文芸春秋)は発売当初に読んでおり、ツイッターでは、何故か以前から「『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』公式」にフォローされて、不思議に思っていたが、ツイッターで花咲さんさんにフォローされているからかもしれない。ともかくも、映画は観ていないが、『映画芸術』の座談会を読み、そして樋田の本を読んだ時の感想は、その座談会が「批判」していたことと重なる部分があった。映画は近々見ておきたい。

 まだ映画は観ておらず、座談会と、原作?の樋田の著書を読んでの感想とはなるが、僕も一番違和感を覚えたのは、座談会の批判の一つの的となっている、映画と樋田の著書にある早稲田大学の「奥島総長」への「評価」だろう。僕自身は「奥島総長」が任期のど真ん中に学生であり、「革マル」の排除と大学の「浄化」、そして早稲田祭の中止を経験していた。僕の記憶では(記憶違いの可能性はある)、それまで大学は24時間、一日中出入り自由だったが、僕の入学前にどうやら、22時が閉門の時間になったようで、それへの学生の不満がくすぶる形で伝わっていたように思う。その頃、学生会館の革マルによる支配の排除が大学から宣言されており、早朝に大学に行くと、公安や機動隊が来ていて、学生会館に突入というのが何度もあった。マスクとサングラスで顔を覆い、帽子をかぶった公安が写真機片手に正門で写真を撮りまくっていたのは、「日常」といっても差し支えなかったと思う。

 それはともかく、大学に入ったばかりの僕は、教室中がビラで埋め尽くされ、講義開始前は必ず革マルの活動家が演説し、時には「当局」側の教員とつかみ合いの喧嘩になっているのは、これも「日常」であったが、怖いとかそういう違和感は持たなかった。大学というのはそういう所なのだろう、と漠然と思っていた。ただ、教室内にビラが散乱し、壁にはビラが重ね張りしてあるのが普通の環境だと、ビラを自分で作って撒くということに、全く抵抗感がなかったのは、良かったのかもしれない。僕自身は政治的にも学問的にも鋭敏な存在ではなかったが、革マルと大学の対立の中にいると、自然と政治的な話題が多くなり、その革マルと大学の対立問題について話の合う友人と、今思うと稚拙な自己主張の枠を出ないビラを作って、何度か撒いていた。政治的にも学問的にも鋭敏ではなかったが、ビラが教室中に撒き散らしてあって、壁にも張りまくられていると、ビラでも撒いてみるか、という気持ちには自然になって、僕と友人はビラを作って、革マルのビラ配りと鉢合わせになると厄介かもしれないと思って、校門が開くと一目散に校舎に入って、講義が始まる前の教室の机の上に無造作に置いていった。ビラの内容は原稿が残してあるが、「好意的に見れば」、資本主義批判にはなっていた、とは思う。

 友人とそのような何の目的かわからない内容のビラを作り、何度かビラまきをしていたある日、 警備員に止められて、「君たちの気持ちはわかるが、これからは撒けなくなるよ」と言われ、恐らく革マルに間違われたのかもしれないが、まだその時点では強い制止ではなかったが、ビラが撒けなくなりつつあるのを感じる状況が成立し始めたのである。それが「奥島総長」の革マル排除に伴う、大学の「浄化」であったのだ。勿論、大学というものは常に「浄化」されてきたものであるので、奥島以前が自由であったとは思わないが、ビラすら撒けなくなる大学の端緒は、このくらいの頃にあったのだろうと思う。友人と僕もその制止以来、気持ちが萎えたのか撒かなくなったと記憶する。それからビラの数が減り、構内のタテカンが減っていったように思う。しかし、それに対して僕らとは違って長く抵抗していた人たちは、勿論存在した。

 そのビラまきを一緒にした友人は、その後も大学当局による早稲田祭中止に抗議して活動をしていた。僕は直接それには関わっていなかったが、その友人とは議論をしていて、友人の立場が「つらい状態」になっていたことを知った。これは入学以来複数の教員が言っていたことだが、「革マルと大学当局」は裏では結託しており、大学の治安維持を共に図っていた、というのは公然の秘密だった。それは「当局」側の教員も発言していた。そしてその頃いわゆる68年世代の人に聞いても、当然の事実だということになっており、では何のために革マルを排除するのか学生の頃はよくわからなくなったが、その「排除」に「戦略」があったことは、大学における生権力や生政治の問題を考えれば理解でき、それは座談会でも語られているし、『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)を見てもわかる。つまり友人は大学祭の継続と学生の自治による学祭の成立を主張したため、大学側からも恨まれ、そして革マル側からも追われるようになっていたのだった。要は大学は大学の自治というよりは、学祭を大学によってコントロールし、新自由主義的広報活動としてプロモートするつもりで、大学の学生による自治などは考えておらず、友人はそこで大学側とも対立し、革マル側から見れば、「味方」になるならばいいが、所謂革マルとは違う学生自治を唱える友人は、取り込むか排除するかのどちらかで対処しようとされていたのだろう。そして、大学による早稲田祭の中止は、早稲田祭からの革マルの排除(当時学祭は「パンフレットを購入する」という事実上の入場料制で、それが政治資金になっていた)ということになっていたが、所謂一般学生にとっても「ショック・ドクトリン」になっており、大学による「学生自治」(それが幻想であっても)の破壊と、その後の「更地」を新自由主義化するきっかけとなったのだといえる。

 友人とは学祭について議論はしていたが、徐々に会う機会が減り、友人は学生自治による学祭復活の立場として大学当局からも敵視され、革マルからも追われ、検証できるという意味での事実かどうかはともかく、電話の「盗聴」を疑っており、僕との電話も警戒していたのを覚えている。友人は次第に大学に来なくなり、最後に会ったのは、議論後に友人が大学はやめたといって去って行った時であった。その後学祭は「大学の学祭」となり広報活動の一環になったのではないかと思う。「奥島総長」はこのような僕のような、政治的にも学問的にも鋭敏でなかった個人的な学生生活の中でも、「ショック・ドクトリン」と新自由主義的大学経営と管理コントロールの生権力と結びつく。だから「奥島総長」による大学からの革マルの排除を樋田の本のように喜べないし、友人が学祭に関しては当局と革マルの「共闘」によって苦しんだのを見ると、絓秀実のいう大学の生政治と革マルの生政治が重なり合って大学を支配し続けているという主張の方が、リアリティがあるわけである。とにかく『ゲバルトの杜』を見て見ないことには。

 さて、読書記録をしておこう。『失われた時を求めて』は第6巻に突入。「ソドムとゴモラ」である。デリダの『ジャック・デリダ講義録 時を与えるⅡ』(藤本一勇訳、白水社)と『フィヒテ全集4』(隈元忠敬+阿部典子+藤沢賢一郎訳、晢書房 )の「初期知識学」を読んでいる。特にフィヒテ、これがヘーゲルの精神現象学の、ある意味での元ネタか、と思って読んでいる。

「文フリ」なのか「文学フリマ」なのか

2024年05月23日 | 日記
 「文学フリマ東京38」に同人仲間と参加してきた。出店者としては8回目になる。前にも書いた気がするが、文フリには第一回目に立ち寄っており、第二回目も行ったと記憶している。青山ブックセンターの文フリに行こうとしていたのか、たまたま青山ブックセンターを通りかかったのかは記憶が曖昧だが、佐藤友哉がいるところは人が集まっており、あとは文化祭の展示的な雰囲気で、作品が並べてあったと記憶する。ともかく、文化祭的な空間だと僕は思って周った。それから、人生山あり谷ありで、僕は文学などにかまっていられない生活が始まってからは、文フリには行く気にならず、「ゼロアカ」等はホームページで眺めている程度で知ってはいたが、文フリを秋葉原などの会場でやっていた頃は全く知らない。そこから考えると15年近く経過してから、出店者の一人となって、東京流通センターの会場を知ることになった。そういう意味では僕の中の文フリは、東京流通センターが象徴的な場所になっている。

 wikiで来場者数を眺めて見ると、僕が初めていった頃は1000人程度で、8年前に出店した時も3500人程度だったようだ。もう少しいた気がするが、そのくらいだったのだろう。そして今年の「文学フリマ東京38」は12000人以上が来場しているようで、8年前と比べると三倍以上の来場者となっている。東京以外の開催地を見ると、大阪や京都といった大都市圏では微増しているが、そうでないところは、増えているわけではない。東京に集中しているといっていいだろう。そして今年の東京での大きな変化は、これまで無料だった入場料を1000円にしたことと、2024年の秋の「文学フリマ東京」は東京ビッグサイトでおこなうようで、より大規模化していることだ。また「文学界」のブースが出たりと、個人的あるいは小規模の出版社だけではなく、大手の出版社も文フリに参入してきているのである。このような文フリの「市場化」に対して、市場から離れて文フリに作品を出品し、同人活動にプライドを持ってやってきた人は、違和感を感じている人が少なくなく、ツイッター上でも議論が交わされているのを見ることができる。

 文フリの、しかしながら東京や大都市圏に限定されるこの「盛況」さは、他のツイッターの呟きでもあったように、これ自体が文学や大手出版社の「衰退」の兆候である、というのは、僕もそのように理解する。特に大手出版社は、ある種の「市場化」から逃れようとした同人活動の「再領土(再市場)化」をおこなおうとしているのであり、コミケでの作家の青田買いのようなことを、以前からもやっていたのであろうが、文フリでもそれに本腰を入れてきたともいえるだろう。そういう意味では、「市場」の外部の内部化という、「再領土化」が文フリで起こり始めているということになる。しかもwikiで確認する範囲、新型コロナウィルス感染症の影響で中止になったり、来場者が減った後の、急激な来場者の増加と、この「再領土化」が軌を一にしていることからも、おそらく文学や出版に限らず「コロナ禍」は公共的なインフラの解体と、資本による「再領土化」の契機になっているはずで、文学も同様にある種のインフラが壊れ、それは出版社も書店も壊されてしまい、それを「再領土化」するために、文フリに集まる人々を新たな市場と見做し始めたということなのだろう。その証拠に、大都市圏以外の文フリは東京のようにはなっていない。むしろ大都市圏以外の「地方」は書店などの文化的な施設が、解体され続けているのが現状だろう。東京への一極集中が進んでいるのである。

 僕の場合、第一回、第二回の個人的に感じた「文化祭的」な文フリを称揚するほどの思い入れや、そのイメージを確証するような十分な同人活動経験を有しているともいえず、青山ブックセンター後は文フリにはほぼ関わらず、また8年前からの東京流通センターでの文フリしか知らないわけで、「市場化」を大局的に批判するような立ち位置を取ることができない。僕自身仲間と一緒に文フリに関わったのは、まだ10年もたっていないため、文フリの歴史を語るような、あるいは文学と資本主義の問題を語ることはできないし、現時点ではするつもりもないが、ただ今年は少し気になることがあった。それは、ツイッターでの「文学フリマ事務局」の公式アカウントの呟きである。去年もあったのかどうか検証はしていないが、「「文フリ」よりも「文学フリマ」表記のほうがわかりやすく、イベントの内容がイメージしやすくなります。」というように、ハッシュタグを「文フリ」ではなく、「文学フリマ」に誘導していたことである。僕は「文フリ」という略称は好きで、いい略称だと思うのだが、公式アカウントが「公式」を指定してきたわけである。これを読んだ時、真っ先に思い出したのは、新日本プロレスがツイッター上での「プロレス芸」という発言に抗議したことである。かいつまんで言うと、「プロレス(芸)」というのは、筋書きのある戦いであったり、真剣勝負ではない、という揶揄の意味でつかわれることもあり、その揶揄に対して、新日本プロレス側が、ファンや選手を代表して、その発言に抗議したものであった。僕自身は「プロレス」という言葉は、そういう「いかがわしさ」や「芸」を含んだ意味での「芸=art=技」でもあるので、むしろ誇りであるべきだと思うのだが、昨今の企業コンプライアンスや「イメージ」の問題で看過できなかったのだと予想される。

 プロレスから「いかがわしさ」や「ストーリー」をのぞいたら一体何が残るのかと思うが、企業イメージという資本が、それをクレンジングしようとするわけである。同じように「文フリ」を公式アカウントが「文学フリマ」に誘導するのもそういう企業的なイメージ戦略と資本や市場化によるクレンジングにはならないのだろうか。僕は個人的には「文フリ」という言葉は「学」が抜けており好きで、とってつけたようなものだが「フリ」は「振り」や「フリー」、「無料」のようないかがわしさや爽快さもあり、勿論それは「フリー」を「無料」や「自由」に読みかえてしまうといういかがわしさも含めて、「文フリ」という略称が好きである。しかし、「文フリ」ではイメージが湧きづらいので「文学フリマ」にするというこのイメージの浄化は、「公式」という企業コンプライアンスとガバナンスの強化ということなのだろうか。これは文フリが「企業」になるということの端緒なのではないか。

 文フリの市場化や大規模化は、資本主義社会では起こり得ることだし実際起こっているわけだが、そこでも特に僕は、「文フリ」を「文学フリマ」と言わせたい「公式」の欲望に、資本主義の市場によるイメージや表象の管理コントロールの問題を見てしまうのである。

愛知県の城を少々めぐる

2024年05月10日 | 日記
 GWは愛知の城を巡った。愛知の城は普段いかないし、僕がする城めぐりは主に山城なのだが、平城でも普段あまり行かない城に行ってみた。

 名古屋城の復元した「本丸」を見る。連休なので長蛇の列であった。小さいとき存命だった祖父から名古屋城の話はよく聞いていた。かつての名古屋城は旧陸軍第三師団の駐屯地で、焼夷弾の空襲で焼けるまでは、天守閣も本丸も創建当時のままだったと聞く。壁画や襖絵などはデジタル復元だが、奇麗だった。

西南隅櫓からの眺め

 火縄銃の実演。聞いたことがある人はわかると思いますが、想像の数倍耳に来ます。


 名古屋城から清州城へと移動する。清州城は初めての訪問。川の流れる中州にある城で、「地形」が良かった。鉄筋コンクリート造りの模擬天守で、所謂歴史的な雰囲気はあまりないのだが、天守最上階から五条川方面を見ると、中州にある城の防衛力を想像できたし、東海道新幹線が川のすぐそばを通っていて、天守閣から走る新幹線を眺めるのも、なかなか良かった。東海地方に住んでいる人はわかると思うが、「清州城信長、鬼殺し」っていう渋い声の酒のCMが有名で、清州城といえば「鬼殺し」という酒なのだが、実際の清州城には行ったことがなかったので、今回いけてよかった。近くに印刷会社や製本会社の工場があったのは意外だった。


 小牧山城に行ったのだが、山城なので行きたくないという意見が大勢を占めたので諦め、犬山城に行く。犬山城は国宝の現存天守閣がある城の一つで、デザインや雰囲気が、同じく現存天守のある彦根城に似ている。


 今回犬山城に行って驚いたのが、「本町」の「城下町」が「昭和横丁」という観光地になって賑わっていたことだ。十年以上前に犬山城に行った時の印象と全く変わって、本当に観光地化して人も多かった。犬山といえば、「明治村」と「モンキーセンター」だったのだが、城も整備されている。作られた「城下町」は、伊勢神宮前の「おかげ横丁」と雰囲気が似ていた。しかし、僕の思い出の中では、犬山の商店街は、そんな「横丁」ではなく、こういう感じの建物が建っている場所であった。


 GWに休んで体調は良くなったのだが、働き始めたら途端に顔に蕁麻疹らしきものができた。やはりストレスはいけない。

paypayと柿と梅

2024年04月29日 | 日記
 電子マネー決済が増えている気がする。この言葉を言っている時点で「ずれ」ているのかもしれない。が、喫茶店で読書をしようとするときに特に感じるようになってきたので、喫茶店での電子マネーでの会計が増えてきているのかもしれない。スーパーやコンビニ、喫茶店でもまだ、現金で支払ったほうが店員の対応が早いので、システム上、または対応上でも、日本国内は電子マネー決済に慣れていないのかもしれない。上海に旅行をしたという友人に話を聞くと、支払いはなんでも電子決済になっており、しかも対応も早く、お金を使っている感覚すら忘れてしまうという話を聞いて、この感覚は貨幣のフェティシズムが、現段階の科学技術においては、最高度に達している表現かもしれない、と思って聞いていた。貨幣が本当に透明になる瞬間なのであろう。それはジッドの『贋金使い』に登場するガラスでできた透明な「贋金」でもあるわけだ。

 だが、僕は電子マネーはSUICAとnanacoのほかには、アマゾンでクレジットカードを使うのみで、普段は現金で支払いをするようにしている。電子マネーやクレジットカードだと、支払いの期限などが心配になって、落ち着かないからである。いくら使ったかを記憶で把握しておくことが面倒だし、仮に払える金額であっても、支払日に現金が引き落とされる緊張感に、今もあまり耐えられない。かつて仕事での収入がままならないとき、食費も家賃も本もすべて滞納しながら、カードで先送り先送りで生きていたために、今でも支払期限でのトラウマが拭い去れない。お金が無くなる場合でも、目に見える形でなくなってほしいし、お金が不足している場合でも、財布の中にお金がないという実感(現前)を欲している。こういうとむしろ僕が一番貨幣のフェティシズムを無自覚に肯定しているといえるのかもしれない。実際一番窮乏しているときは、そのクレジット機能の「先送り」によって生きながらえ、そのころが一番電子マネー決済で生きていたわけで、むしろ現金で払っている今こそが、最も貨幣のフェティシズムに依存しているともいえるからである。

 カードや買い物に伴うポイントもためなくなった。貯金のように期限がなく貯められるなら使いたいのだが、たいていがポイントに期限がついており、期限内にポイントを使おうとすると、ためた以上のお金やポイントを使用するようにできていることに、嫌気がさしてきたからだ。ポイント自体が購買意欲をあおる目的で作られているということだろうが、それにしてもポイントをためましょうか、としつこく聞かれると、それ以上に使わせられるからなあという意識がわいてきて、妙に白けてくる。この気分を味わわないためにも、ポイントもためないようにしている。

 しかしながら、窮乏中は、他人からポイントやクーポン券や、社食代替のバウチャーをかき集めて保存食を買いあさって備蓄していたわけで、その時もむしろポイントで凌ぎ生きながらえていたわけである。そういう意味では、ポイントなど蓄積せず、純粋な「等価交換」の中で生きようとする現在のほうが、最も交換のフェティシズムに依存した、しかもそれに依存していないかのようにふるまう、醜悪なフェティシズムに陥っているといえる。「等価」という透明化にむしろ無自覚になっているともいえるだろう。

 5年ほど前に、とある人と食事をしていると、「これからはpaypayで生きていくしかないわけですよ」と、自嘲的に、また軽蔑的に、しかしながら資本の唯物弁証法的必然の意味においても、paypayで生きるしかない、という「運命」を感じさせる語調で話をされたことがあった。僕はこの言葉が忘れられず、paypayの当時のCMは非常にばかばかしく、また「頭の悪さ」が際立つもので、今でもそうかもしれないが、しかしその「頭の悪さ」の弁証法的唯物論の「運命」をどのように生きるかは、やはり考えねばならない問題だろうと思う。デリダの「忘却」の問題がここには関係しているといえそうだ。

 さて、ゴールデンウィークは飛び石も休日になったので実家の田舎に戻った。東京は夏を感じさせる蒸し暑さであったが、こちらは涼しく、朝夕明け方は寒いくらいである。やはり「土」の地面や林といった、気化熱によって温度を奪う装置や場所がないと、春といっても過ごしづらい感じになっている。ちょうど東京に行ってきていたという人と話になったが、やはり東京は暑いと言っていた。

庭の新緑(柿と梅)