ちゃぴこの突然の悲しいご報告に、たくさんの方を驚かせてしまい申し訳なく思っています。
同時に私のことを気遣って下さり、みなさんの優しい気持ちに救われています。
どうもありがとうございます😢
いまは、元気いっぱいだった頃のちゃぴの写真や動画に見入って、現実逃避しています。
受け入れなくてはいけないのに…
でも涙が堰を切ったように流れ出すと止まらなくなって号泣し、落ち着く…
ちゃぴが亡くなってから、そんないちにちを過ごしています。
ちゃぴは、「脳腫瘍」でした
(画像診断していないので推測です)
7月22日の通院時、近所の病院で、「ホルネル症候群」と診断され、突発的なもので、一過性で治るものであることをずっとずっと祈っていました。
ですが、7月27日には手足の麻痺でまったく立てなくなりました。
夜中は辛そうで、翌朝28日いちばんで、大巻先生にちゃぴの苦痛を出来るだけ取る処置をして頂き、ステロイド注射、抗痙攣薬を輸液と一緒に入れて頂きました。
処置のおかげで、帰りの車の中では寝息もとても穏やかで体が楽になっているのがよくわかりました。
苦痛をとる処置として、毎日の輸液と、内服としてのステロイド、抗痙攣薬の座薬を処方して頂きました。
ですが、ちゃぴはもうその日から嚥下障害が始まっていてステロイドも飲めない状態になっていたのです…
内服出来なければ注射になります。
そのときは悩みました。
病院に通い、ステロイドを注射すれば改善されるのか…?
でもステロイドで、いったいどこまで改善出来るのか…。
12歳になっても活発で遊ぶのが好きな子なのに、歩くことも走ることも食べることも出来ない…それがちゃぴの幸せになるはずがない…そう思いステロイド注射は諦めることにしました…
大巻先生から、抗痙攣薬の座薬の取り扱いを教えて頂いていて、座薬は6時間毎に切れるので、特に、夜寝る前、仕事に行く前に使ったらいいということを提案されていました。
『酷い痙攣ならば、倍の量使えば眠るように逝くでしょう』と、言われた時は泣くのを必死に堪えましたが…
座薬を切らすことなく入れたおかげで、今回ちゃぴはほとんど苦しむことなく旅立つことが出来たと思っています。
7月29日朝も穏やかに眠っていました。
仕事から帰ると、私の帰りを待っていたかのようにヒャアヒャアと鳴き始め、落ち着いて見えたので急いで着替えてから行き、膝に抱き上げて間もなく…13時40分頃、眠るように旅立ちました。
このことが、いまの私にとってどれだけ救いであることか…
病気になっても名前を呼ぶと鳴いて応えてくれたちゃぴ。
立てなくなってからは、手足が硬直した身体を収まりやすく膝に乗せてあげると、穏やかに寝てくれたちゃぴ。
病気になっても甘えん坊で可愛くて、ちゃぴのすべてが愛しくて堪らない存在でした。
12歳と言う年齢は決して若くはないものの、でもまだ先がある年齢ということが、とても残念で仕方ありません。
なぜ、ちゃぴが脳腫瘍になったのか…。
なぜ、ちゃぴだったのか…。
考えても仕方ないことをグルグルと考えます。
答えなんて見つからないのに。
でも、ちゃぴを抱き上げるたびに、私がどれだけちゃぴのことが大好きで愛しているかを伝えていたので、きっとちゃぴは愛されている自覚を持って旅立ってくれたはずです。
私もちゃぴにはたくさんの愛をもらいました。
さくらが旅立ち、お骨を前に泣いていた時は、寂しそうにこちらを見詰めていました。
病気になった時もまた寄り添ってくれました。
優しくてお茶目なちゃぴには感謝しかありません。
もっともっと側にいて欲しかったけれど…
きのう、みほりんとマイさんが来てくれました。


可愛くてきれいなお花をどうもありがとう。
ちゃぴこの旅立ちのための準備を一緒にしてくれました。

側面には四つ葉🍀
蓋には鶴とハート。
鶴は、我が家のみんなの数だけいるのです。
(デザイン&創作指導 マイ太郎)
亡くなった当日は、アンちゃんがお花と共に私に寄り添ってくれました。

アンちゃんは、東大の前田先生に意見を伺ってくれたり、亡くなってからは荼毘に付す予約をしてくれたり力になってくれて本当に心強かった。
アンちゃん、どうもありがとう。
ちゃぴは8月1日、12時にお空に向かいます。
ご都合合えば、みなさんも見上げて頑張ったちゃぴこを見送って頂けたら嬉しいです。