「棚田は景観なのか」 宇多喜代子さんの「里山歳時記」
「景観」でなく「生活の場」
写真が趣味になった友達に 「何が写したい?」と聞くと「未だ分らない」
私は 古い家が好き。手を入れて大切に住んでいる家が写したい。
かってに写すわけにはいかないけど いいなあと思うとどうしても撮りたくて
差しさわりないように写す。
あまり見なくなった竹垣の家があって 稲穂が実った頃写しに行ったら
垣はアルミになって庭の木は切られていた。 ため息が出たけど 写真を写すために
残してあるのでは無いので しかたない。
北海道のオホーツク海に沿って車で走っている時 石造りの家が点々とあった
開拓時代の名残りかとおもったら 人が住んでいた びっくりした。
1996年の事なので 今は無いかも知れないけど
「洗濯物が干してある風景」が好きで 写真を撮りたかったなと残念に思う。
でも そこに住んでいる人にとっては 迷惑な話だろう。
「写真は記録の意味がある」 それなら撮ってもいいのだろうか。
切られたポプラのニュースをみていてそんなことを思いました。
このあたりの農家の造りは 驚くほど似ています。