昨朝の地元紙(岩手)朝刊一面に「宮蘭フェリー休止決定」の見出しが躍っていました。18年6月に宮古と室蘭を結ぶ定期航路として就航しましたが、目論んでいたトラックの利用台数が目標の2割程だったことが大きな要因のようです。就航は来年3月末まで、一度乗ってみたいと思っていたのですが、残り3ヶ月でその時間が作れるか・・・。
南部ワンデイハイク、花巻空港から歩いて花巻空港駅に着きましたが、盛岡へ行くのにちょうど列車が出てしまったので、駅周辺を歩きました。その中から本日は「枝垂栗稲荷神社」でございます。花巻空港駅から花巻方へ線路沿いの道を6~7分歩いた地に控えめに建っていました。以前御覧いただいた昭和10年頃の地図にも載っています。
(拝殿)
参道はビニルハウスの裏と家の間の細い道で、その先の拝殿もこじんまりしていましたが、鳥居脇に立っていた「由緒」は大きく、神社の詳細を綴っていました。
由緒によると、1051(永承6)年に源頼義と源義家が安倍頼時を攻めた際、この地に豊受比売命を勧請し祀りましたが、栗の大樹が垂れて茂っていたことから「枝垂栗稲荷神社」という名になりました。
由緒書きにはその後の紆余曲折も記されていました。今は小さな神社ですが、長い歴史を刻んできたことを感じました。
(堂々とした由緒書き)
ところで枝垂栗はどう読むのでしょう?単純に「しだれぐり」でいいのでしょうか?
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過去の12月22日・・・コチラ
南部ワンデイハイク、花巻空港から歩いて花巻空港駅に着きましたが、盛岡へ行くのにちょうど列車が出てしまったので、駅周辺を歩きました。その中から本日は「枝垂栗稲荷神社」でございます。花巻空港駅から花巻方へ線路沿いの道を6~7分歩いた地に控えめに建っていました。以前御覧いただいた昭和10年頃の地図にも載っています。
(拝殿)
参道はビニルハウスの裏と家の間の細い道で、その先の拝殿もこじんまりしていましたが、鳥居脇に立っていた「由緒」は大きく、神社の詳細を綴っていました。
由緒によると、1051(永承6)年に源頼義と源義家が安倍頼時を攻めた際、この地に豊受比売命を勧請し祀りましたが、栗の大樹が垂れて茂っていたことから「枝垂栗稲荷神社」という名になりました。
由緒書きにはその後の紆余曲折も記されていました。今は小さな神社ですが、長い歴史を刻んできたことを感じました。
(堂々とした由緒書き)
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