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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1259)下野ワンデイハイク 旧足尾町(10景目 愛宕下)

2012年03月14日 | 栃木彷徨
 1年前の3月14日、原発事故の影響により関東地方は電力不足が見込まれ、朝から多くの鉄道が終日運休を決定しましたが、運転される列車も運転区間や本数が大幅に制限されたため、夜の新宿駅には列車を待つ長蛇の列ができていました。減灯されたホームに並ぶ人々の列が改札前まで続いている様子に、この先の不安を感じずにいられなかったことを今でも覚えています。

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 旧足尾町巡りも10景目に入りました。中々北端の銅親水公園に着きませんが、別に勿体ぶっているわけではありません。歩くと車やバイクで見えない物が見えるのだなと思いながら、筆を進めています。

 今回ご覧いただくのは赤倉地区の北に位置する愛宕下地区です。その名の通り愛宕山の下に位置する集落で、前回ご覧いただいた龍蔵寺も同地区に建っています。

 江戸時代は坂詰と呼ばれる小集落でしたが1887(明治20)年の大火で消失後、明治40年代に入って「赤長屋」と呼ばれる精錬所勤務者の社宅が建てられ、時代とともにその規模が大きくなりました。愛宕下と呼ばれるようになったのは戦後のことで、新しい精錬所の出来た1956(昭和31)年には800人以上の人が住んでいました。

(1960年代の銅山社宅 -説明板より-)

 当時の銅山では1887(明治20)年の大火を始め、火災が多発していました。それによる延焼を防ぐため、銅精製時に発生する不純物(カラミ)を材料にした防火壁がいくつも造られました。愛宕下の銅山社宅は跡形もありませんが、防火壁だけは残っていました。

(カラミ煉瓦防火壁と呼ばれています -旧足尾町愛宕下 2012/02/26-)

 愛宕下の銅山社宅跡を過ぎると、道は渡良瀬川に注ぐ大畑沢を跨ぎます。この大畑沢も以前ご覧いただいた深沢以上にコンクリートで固められ、幾重にも砂防ダムが築かれています。

 大畑沢は急斜面を駆け下りているので、絵的には見応えがあります。しかしどの砂防ダムも恐らく既に土砂で埋まっているでしょうから、大雨時にどれだけの効果があるのでしょう?

(大畑沢と砂防ダム -旧足尾町愛宕下 2012/02/26-)




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