私の彷徨する事業場は本年度から毎週水曜日が「ノー残業デー」となっています。始まって数ヶ月、東京にある事業場の本丸からは毎水朝に定時退社を促すメールが届きますが、頭ごなしの下知ではなく与太話を交えており、心和む一文となっています。毎水に拝読する度、こういう配慮を見習わねばと思います。
第33回 東北38年戦争 20(奥州市水沢区 巣伏の戦いの跡)
前回に引き続き北上川西岸にある、巣伏の戦いにまつわる風景をご覧下さい。前回ご覧いただいた「大勝利の地」の看板が建つ交差点から国道4号線に沿う細道を南へ向かうと、左手(北上川)に広がる水田の奥に、櫓がひとつ見えます。
水田の縁を入って櫓の下にたどり着くと、櫓の前には「巣伏の戦いの跡」と刻まれた石碑が建っていました。対岸の石碑は「巣伏古戦場」、前回の看板は「巣伏の戦い大勝利の地」でしたから、表現はそれぞれ使い分けられているのですね。

(水田の奥に建つ石碑 -奥州市水沢区佐倉河 2008/06/29-)
石碑の脇には「蝦夷の群像」と記された別の石碑が建っています。一部を抜粋します。
「この胆沢の歴史は、国家支配の拡大という歴史の流れにのみこまれていく蝦夷社会をうつしだす歴史でもあった(中略)延暦8年には紀古佐美率いる朝廷軍を阿弖流為と母禮が『日上の湊』に破る『巣伏の戦い』が起こっている。」

(かつては戦場だった地に揺れる苗 -奥州市水沢区佐倉河 2008/06/29-)
この「蝦夷の群像」には続けて、巣伏の戦いの後に起こる「胆沢の戦い」について記されています。巣伏の戦いで大打撃を受けた朝廷軍ですが、エミシ征討を諦めるどころか更なる征討策を推し進めてくるのです。
「巣伏の戦いの跡」はこの辺りです

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第33回 東北38年戦争 20(奥州市水沢区 巣伏の戦いの跡)
前回に引き続き北上川西岸にある、巣伏の戦いにまつわる風景をご覧下さい。前回ご覧いただいた「大勝利の地」の看板が建つ交差点から国道4号線に沿う細道を南へ向かうと、左手(北上川)に広がる水田の奥に、櫓がひとつ見えます。
水田の縁を入って櫓の下にたどり着くと、櫓の前には「巣伏の戦いの跡」と刻まれた石碑が建っていました。対岸の石碑は「巣伏古戦場」、前回の看板は「巣伏の戦い大勝利の地」でしたから、表現はそれぞれ使い分けられているのですね。

(水田の奥に建つ石碑 -奥州市水沢区佐倉河 2008/06/29-)
石碑の脇には「蝦夷の群像」と記された別の石碑が建っています。一部を抜粋します。
「この胆沢の歴史は、国家支配の拡大という歴史の流れにのみこまれていく蝦夷社会をうつしだす歴史でもあった(中略)延暦8年には紀古佐美率いる朝廷軍を阿弖流為と母禮が『日上の湊』に破る『巣伏の戦い』が起こっている。」

(かつては戦場だった地に揺れる苗 -奥州市水沢区佐倉河 2008/06/29-)
この「蝦夷の群像」には続けて、巣伏の戦いの後に起こる「胆沢の戦い」について記されています。巣伏の戦いで大打撃を受けた朝廷軍ですが、エミシ征討を諦めるどころか更なる征討策を推し進めてくるのです。
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