東京にある事業場の方が数名来盛されました。冷麺の昼食の後は、小岩井牧場~一本桜~ソフトクリーム~御所湖~志波城跡とご案内しましたが、緑深い牧場や岩手山といった風景が皆様の目に新鮮だったようで、自分が誉められたような気分でお見送りしました。最後の志波城跡はいささか個人的趣味だった気もしますが・・・。
第30回 東北38年戦争 17(奥州市水沢区 四丑橋)
前回までご覧いただいた、桓武天皇の檄を受けた紀古佐美率いる5万2千人の朝廷軍を阿弖流為・母礼らが率いるエミシ軍が追い払った789(延暦8)年の戦いは、「巣伏(すぶせ)の戦い」と呼ばれています。今回はこの戦いを今に伝える風景をご覧いただきます。
戦いの名となった「巣伏」ですが、現在この地名は残っていません。しかし、前回ご覧いただいた小谷木橋の約2キロ上流に架かる橋の名は「四丑(しうし)」橋といい、これは「巣伏」が転じたものだといわれています。韻は同じでないですが、音の感じは似ていますね。

(巣伏転じた四丑橋 -奥州市水沢区羽田町 2010/02/13-)
この四丑橋を挟む北上川両岸が、巣伏の戦いの激戦地だったといいます。次回は北上側左岸の戦跡をご覧いただこうと思います。
四丑橋はここです。

1年前の一品・・・「528)栃木散歩 鹿沼市(林道前日光線)」
2年前の一品・・・「306)八戸駅2景」
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第30回 東北38年戦争 17(奥州市水沢区 四丑橋)
前回までご覧いただいた、桓武天皇の檄を受けた紀古佐美率いる5万2千人の朝廷軍を阿弖流為・母礼らが率いるエミシ軍が追い払った789(延暦8)年の戦いは、「巣伏(すぶせ)の戦い」と呼ばれています。今回はこの戦いを今に伝える風景をご覧いただきます。
戦いの名となった「巣伏」ですが、現在この地名は残っていません。しかし、前回ご覧いただいた小谷木橋の約2キロ上流に架かる橋の名は「四丑(しうし)」橋といい、これは「巣伏」が転じたものだといわれています。韻は同じでないですが、音の感じは似ていますね。

(巣伏転じた四丑橋 -奥州市水沢区羽田町 2010/02/13-)
この四丑橋を挟む北上川両岸が、巣伏の戦いの激戦地だったといいます。次回は北上側左岸の戦跡をご覧いただこうと思います。
四丑橋はここです。

1年前の一品・・・「528)栃木散歩 鹿沼市(林道前日光線)」
2年前の一品・・・「306)八戸駅2景」

アテルイ・モレに触れて歴史観が大きく変わりました。もっとメジャーになってもいい存在ですね。
参考になります。
わたしも続日本紀を調べあげて見ました。
ブログ方にになりますが