朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

こういうことをなさる方なのですね。天の神、主と呼ばれる方。

2015-04-25 00:22:53 | 聖書から
私たちの主なる神のなさることはすべて正しい。ダニエル書9:14




主人の言葉:
友よ、あなたに不当なことはしていない。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
それともわたしの気前のよさをねたむのか。マタイ20:13、15

       (ローズンゲン日々の聖句4/25;土)




 自分の背きの故に打たれたことを知る者は、打たれたのは当然です、打ったあなたは正しいと言うのですね。

 イエスは、天の御国について、たとえで話しておられますが、これもその一つ。
 ある人が、自分のぶどう園で(取り入れのために)働く労務者を雇うために、朝早く市場に行ったのだそうです。そして、1日1デナリ(当時、労働者の1日分の給料)の約束で雇い、ぶどう園に送ったのだそうです。


 9時ごろ、市場に行ってみると、何もしないで立っている人がいるので、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから」とぶどう園に送ったのだそうです。12時ごろ、3時ごろにも出かけて行って同じようにしたのですね。

 5時頃、市場に行ってみると、別の人が立っていたので声をかけたのだそうです。
「なぜ、一日中仕事もしないでここに立っているのか」と。
すると、彼らは「だれも雇ってくれないからです」と答えたので、
「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」と送り出したのだそうです。

 夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言ったのですね。
「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい」と。
それで、5時頃来た者たちから順に1デナリずつもらったのですね。
最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったのですが、彼らもやはり一人1デナリずつだったのだそうです。
そこで、主人に文句を言ったのですね。
主人は答えました。
「友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と1デナリの約束をしたではありませんか。ただ、私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」と。

 自分よりも、もっともっと罪深いと思われる人が、イエスの十字架刑での処刑のゆえに赦されて天国に入れてもらえる。
それは、私たちの目から見ると不当に思えるのですが、でも、主人は言うのですね。「わたしは不当なことはしていない。この人にもあなたと同じようにしてあげたいのだ」と。
今日も。


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思いを一つにし合う関係に入れていただけるのだそうですね。私たちも。

2015-04-24 00:54:45 | 聖書から

主は世界中至るところを見渡され、
御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。歴代誌下16:9





キリストの言葉:
わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている。黙示録2:2




                (ローズンゲン日々の聖句4/24;金)






 御自分と心を一つにする者を探し求めておられるのですね。あの方は。世界中から。
御自身のほうでも、私たち人間と心を一つにしようと思っていて下さって、

私たちの全部を知っていて、解っていて下さるのですね。




 それで、すでに知っていることではあるのですが、

私たち人間の側から持って来て、知らせてくれることを喜ばれるのだそうです。




 イエスによれば、イエスが父と呼んでおられる方とイエスとの関係は、

「あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいる」、一つになっている関係なのだそうです(ヨハネ17:21)。

そして、私たち人間の一人ひとりがあの方々におり、

あの方々が私たち人間の一人ひとりの中にいるようになって下さるのだそうです(ヨハネ1722~26)。




  「初めからこれらのことを話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。

しかし今わたしは、わたしを遣わした方のもとに行こうとしている」ので話しておくのだとおっしゃらるのですね(ヨハネ16:4~5)






  「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)とおっしゃられ、

その御思いのとおりに造られた私たち人間が(創世記1:31)、

最初の人、アダムの離反によって的はずれのものになってしまったのだそうですが(創世記3:22)、

これからなされようとしているイエスの十字架刑での処刑と、

それによって実現する聖である霊と呼ばれる方が私たち人間の一人ひとりの内に来て下さって、

父である方の御思いを私たち一人ひとりの心に書き記して下さるという、そのことによって、

あの方々の中に私たち人間の一人ひとりがいるようになり、私たち人間の一人ひとりの中にあの方々がいて下さるようになるのだそうです。






 愛し合う者どうしは、

お互いが思いを見せ合い、知らせ合って、一つ心になっていくのだそうですね(ヨハネ17:26)。
今日も。












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死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない世が来るのだそうですね。

2015-04-22 23:40:17 | 聖書から
あなたの嘆きの日は終わる。イザヤ書60:20







神の愛によって自分を守り、
永遠の命に導いてくださる、
私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。ユダ書21





            (ローズンゲン日々の聖句4/23;木)







 あなたを苦しめた者たちの子らは、
身をかがめてあなたのところに来、
あなたを侮った者どもはみな、
あなたの足もとにひれ伏し、
あなたを主の町、
イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。
あなたは捨てられ、憎まれ、
通り過ぎる人もなかったが、
わたしはあなたを永遠の誇り、
代々の喜びの町に変える。
あなたは国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸う。
あなたは、わたしが、あなたを救う主、
あなたを贖(あがな)うヤコブの全能者であることを知る。




太陽がもうあなたの昼の光とはならず、
月の輝きもあなたを照らさず、
主があなたの永遠の光となり、
あなたの神があなたの光栄となる。
あなたの太陽はもう沈まず、
あなたの月はかげることがない。
主があなたの永遠の光となり、
あなたの嘆き悲しむ日が終るからである。




時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。(イザヤ60:14~22)







 その日が来るのだそうです。
受けられるはずのない私たちにも、
イエスによって、プレゼントとして差し出して下さっているのだそうです。
だから、待ち望みなさいと。
今日も。


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心の欲するところに従えども矩(のり)をこえずの生き方が私たちにも。

2015-04-22 01:24:59 | 聖書から
モーセが手を海に向かって差し伸べると、
主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返された。出エジプト14:21
自由を得されるために、
キリストは私たちを自由の身にしてくださったのです。ガラテヤ書5:1
           (ローズンゲン日々の聖句4/22;水)
 神の民がエジプトから解放されるためには、彼らを再び、奴隷にしようとして追いかけてくるエジプトの軍勢とはっきり切り離される必要があったようですね。
 あの時、天の神、主は、モーセに、手を海に向かって差し伸べさせ、夜もすがら激しい東風を吹かせて海を押し返されたので、イスラエルの民は乾いた地を行くように海の中を渡ったのだそうです。
 そして、エジプト軍の戦車隊が彼らを追いかけて海に入って来たとき、向こう岸に渡ったモーセに、再び、手を海の上に向けさせて海を元の状態に戻し、エジプト軍を海の中で全滅させられたのだそうです。
 私たちが、善悪を知るようになっている、旧い、生まれた時からの霊のままで、自分の努力で天の神、主の御思いのとおりに生き、神である主と一つ心になるという旧い契約から解放され、自由にされるためには、エジプトの戦車隊ではなく、天の神、主、独り子であられる方が、私たち、すべての人間の罪を背負って、自ら罪びと、反逆者として処刑され、父である方から呪われた者となるしか方法がなかったようですね。
 それで、永遠の昔から父である方と共におられ、この方と共にこの天と地、この人間の世界を創造された独り子であられる方が、人間として人間の世に生まれて下さり、およそ、33歳の頃、自ら進んで捕えられて下さり、十字架刑での処刑によって罪びと、反逆者として天と地の間に掲げられ、呪われた者となって下さったのだそうです。
 このことによって、私たち人間の、生まれた時からの霊は処刑された者として扱われ、私たちは、旧い契約から自由にされ、新しく生きる者とされているというのですね。
だから、二度と奴隷のくびきにつながれないようにと勧められているのだそうです。
 生まれた時からの霊が処刑済みの扱いになっているといっても、私たちのうちにこれしか居なければ、私たち、これで生きるしかないわけですけれど、天の神、主、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方が私たちのうちに来て下さって、この方が私たちの心に書きしるして下さる、天の神、主、御父から来る思いによって生きる者として下さるというのですね。
 それで、この方をお迎えしなさい(ヨハネ20:22、使徒2:4、39)、この方によって歩みなさい(ガラテヤ5:16)。この方に導かれて進もうではありませんか(ガラテヤ5:25)と勧められているのだそうです。
 私たち、なお、旧いとされた、生まれた時からの霊によって生きている者ですけれど、イスラエルの民が海によって出てきたエジプトからはっきり区別されたように、この旧い生き方から決別し、新しい生き方、聖である霊とお呼びしている方が心に書き記して下さる思い、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の思いにに導かれて進みたいものですね。
今日も。
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だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる、のだそうですね。

2015-04-21 07:03:53 | 聖書から
ヨブは主に答えて言った。
「私は軽々しくものをものを申しました。
どうしてあなたに反論などできましょう。
私はこの口に手を置きます。」ヨブ記40:3~4


主よ、私たちにも祈りを教えてください。ルカ11:1

      (ローズンゲン日々の聖句4/21;火)

 
 天の神、主を畏れ、敬い、正しい生活をしていたヨブ。
一日にして、全財産を失い、子どもたちを失い、
身体も打たれて、頭のてっぺんから足の裏まで悪性のできものが出来、
灰の中に座り、陶器の破片で身をかくヨブ。

 慰めに来た友人たちにまで、
「お前が罪を犯したからこういう目に合うのだ。悔い改めろ」と迫られ、
納得できず、なぜこんな目に合うのか、直接、神に聞きたいと言いつのったヨブ。
神である主は、そのようなヨブをよしとして、その願いに答え、
ヨブにご自身を現されたのだそうです。
そして、ヨブは、この方にお会いしたことで満足したのだそうですね(ヨブ42:1~6)。

イエスの弟子たちも、イエスが親しく天の父である方と話す様子を見て、
「私たちにも」と願ったようですね。
そして、イエスはそれを喜ばれ、祈り方を教えられたのだそうです。
「お前たちがもっとこれこれになったら」とか「まだ、お前たちには資格がない」などと言わないで。

 私たち、神なく、望みなく、神の民の約束とも関係のない者として生きて来た者ですが、イエスの十字架刑での処刑において、今は近い者としていただき、
復活し天の父である方の右の座に就かれたイエスが派遣して下さる、
聖である霊と呼ばれる方によって、
今の、このままで、「天の父よ」とはばかることなく呼びかけられる身分を与えていただけるのだそうです。

 天の父とお呼びしている方は、私たちがなにを思っているのか、なにをしたいのか、私たち一人ひとりの話しをもっともっと聞きたいと思って下さっているのだそうですね。
今日も。
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