朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

賛美の歌をささげるのですね。あの方に。私たちも。

2015-04-15 00:31:24 | 聖書から
もろもろの王よ、聞け、
君主らよ、耳を傾けよ。
私は主に向かって歌う。
イスラエルの神、主に向かって、私はさんびの歌をうたう。
士師記5:3


真夜中ごろ、
パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、
ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。使徒16:25

        (ローズンゲン日々の聖句4/15:水)


 賛美をささげることこそ一番のささげものなのでしょうか。

 御子である方も聖である霊と呼ばれる方も御父をほめたたえておられるのでしょうね。

 私たちは、神のようになろう、神の座の上に自らの座を設けようとする者、
神に対抗する者ですから、本性的に神をほめたたえることを嫌う者なのですね。

 そんな私たちが、御子である方の十字架の死に合わせていただいて
生まれた時からの私は死んだものとされ、
聖である霊と呼ばれる方に来ていただいて新しい思いが心に来るとき、
私たちも御子と御霊の御父への賛美に合わせられて
本心から賛美する者にしていただけるでしょうね。

 あの時も、
聖である霊と呼ばれる方が初めて弟子たちの中に来られたあのペンテコステの時も、
弟子たちは、聖である霊と呼ばれる方が話させて下さるとおりに、
いろいろな国ことばで神の大きなみわざを語っていたのだそうですから。

鞭打ちの刑を受け、牢獄に捕えられていたパウロとシラスも。

私たちも。
今日。
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弁護して下さるのだそうです。私たちの側に立って。あの方。

2015-04-13 23:43:31 | 聖書から
主よ、生死にかかわるこの争いを、私に代わって争い、
命を贖(あがな)ってください。哀歌3:58
私たちが持っているこの希望は、
魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、
また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。ヘブル書6:19
       (ローズンゲン日々の聖句4/14;火)
 預言者エレミヤは、天の神、主からの民に対するメッセージをそのとおりに伝えたために、捕えられ、殺されそうになったのだそうです。まさに生死にかかわるその争いの中で、自分に代わって神である主が争ってくれるように、命を買い戻してくれるようと願ったのだそうです。
 この世の争いでもそうですが、私たち人間には、天の神、主の御前での裁判において訴える者と争わなければならない時が来るのだそうです。
私たち、一人一人が自分の今までの生きて来た生き方について弁明しなければならないのですね。告訴する者、サタンは私たちを告訴して地獄行きを求刑し、私たちを道連れにしようとするのだそうです。けれども天の神、主は私たちに代わって争ってくれる、弁護してくれる方を用意して下さっているのだそうですね。
 その方は、ご自身で私たちの罪を負い、私たち人間に代わって死刑を受けて下さって地獄の底の底まで降って下さり、よみがえられた方なのだそうです。
 その方の弁護は、私たちの無罪、あるいは減刑を争うのではなく、私たちの有罪、死刑を認めたうえで、その死刑が、ご自身の十字架刑での処刑ですでに完了していること、処刑が終わっていることを主張して下さるのだそうです。
 自分は無罪だと、死刑にあたるようなものではないと自負し、自分で自分の言い開きをしたい者は、自分で争い、言い開きをすることになるのだそうですが、十字架に架かって死なれたイエスに弁護をお願いし、私に代わって争っていただくことも可能なのだそうですね。
 私たち人間には、このような希望が用意されているのだそうですが、この希望は、この世の流れの中を渡っていくうえで、世の流れに流されそうになるときの、あるいは力尽き、望みを失いそうになるときの錨のようであり、また、天の神、主の御前にはばかることなく出て行き、親しく「父よ」とお呼びすることの出来る身分保障でもあるのだそうです。
 日々の生活において、告訴する者、サタンは、「お前はだめだ。消え去れ」とささやいてくることがありますけれど、それが事実であるとしても、私たちは、イエスの弁護によって、あの方の招きに応じて、このままで御前に出、「父よ」とお呼びして親しく語っていただけるのだそうです。
今日も。
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私は私、あの人はあの人で、喜んで折れるようにして下さるのだそうです。あの方。

2015-04-13 07:24:50 | 聖書から
相手に損害を与えてはならない。
あなたの神主を畏れなさい。レビ記25:17







何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだって、
互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい。フィリピ2:3




            (ローズンゲン日々の聖句4/13;月)







 完全な愛は、相手の思うことを尊重し、それが成ることを願っていくもののようですね。

 人間、生まれたときからの私という霊から出る愛は、自分を相手よりも優れた者とし、相手は自分の思いのとおりにするのが最善だとして、情に絡めて、なんとかして相手を自分の思ったとおりに従わせようとするものなのだそうです。




 天の神、主が、
イエスを十字架刑で処刑して、私たちに提供していて下さる、
生まれたときからの私という霊の死を受け取り、
生まれたときからの私という霊から来る思いを
死んでしまっている者から来る思いであると認め、
そのように計算(帳簿付け)して、
天に帰られ、 父と呼ばれている方の右の座に着かれたイエスが派遣してくださる、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えするとき、
その方が私たちの心に、
父である方の御思いを書き付けてくださるのだそうです。




 それで、私たちの心にも天の神、主の御思いが来て、
買い取ったものをある期間自分のものとして使った後は、
それを元の持ち主に返したり、解放することを喜びとする思いが来るようにもなるようです(レビ25章)。




 自分をなにか立派な、優れた者であるかのように背のびする思いに従うよりも、
ありのままの自分でいることのほうが嬉しくなり、
相手の自分よりも優れた点はそのまま認めて、
天の神、主がそれぞれに与えて下さっている個性を喜んでいける心になるようです。




 どんな思いが、聖である霊と呼ばれる方によって私の心に来るのか、
楽しみにしていきたいものですね。
今日も。


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祝福が溢れ、流れるのだそうです。豊かな源である方から。

2015-04-11 23:52:39 | 聖書から
神は豊かな憐れみにより、

私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えてくださいました。Ⅰペテロ1:3
        (今週の聖句)




主はアブラムに言われた。:
わたしはあなたを祝福し、
あなたは祝福の源となる。創世記12:2








あなたがたは地の塩である。マタイ5:13




          (ローズンゲン日々の聖句4/12;日)







 慈しみ深い眼差しで私たちを見ていて下さる方なのですね。
天の神、主と呼ばれる方は。




 孔子様は、昼寝をしていた弟子を見て、「腐った木に彫刻は出来ない」とおっしゃったのだそうですが、

天の神、主と呼ばれる方は、箸にも棒にもかからない私、地獄必定の私を憐れんで下さって、

なお、見捨てないで、御自身の側で、新しく生まれる道を拓いて下さっているのだそうです。




 新しく生まれた者は、生き生きと、ハツラツと生きるようになるのだそうです。
もう、生れたときからの私という霊から来る思いで生きるのではなく、

天に帰られたイエスによって派遣され、新しく、私たちの内に来て下さった

聖である霊と呼ばれる方が心に書き記してくださる思いについて行く者にしてくださるのだそうですから。




 そして、今度は、この新しい生き方、生き生きとした生き方をお一人お一人のところに運ぶようにと、

私たちも用いて下さるのだそうです。
最後のエルサレム入城の時、イエス様をお乗せした子ロバのように。
今週も。


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2015-04-10 23:41:16 | 聖書から
主に喜ばれる道を歩む人を、

主は敵と和解させてくださる。箴言16:7 







平和の源である神が

あなたがた一同と共におられるように。ロマ書15:33




             (ローズンゲン日々の聖句4/11;土)







 天の神、主の、私に関わる御思いを心に書き付けていただいて、
その思いを我が思いとして歩む者は、
敵とさえも和解させていただけるのだそうです。








 とかく、旧約聖書の神は厳しい神と思われがちですが、
平和の源である方なのだそうですね。




この方の御霊と呼ばれる方が私たち一人ひとりと一緒にいて下さり、
私たちの心の思いを導いて下さるなら、
平和は、その源から湧き出で、私たちの心に満ち、
私たちも平和をもたらす者としていただけるのでしょうね。







 ダビデの子孫として生まれ、
死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思わせて下さり、
彼と共に十字架刑で死んで、
彼と共に生きるようになっていることを認めさせて下さり(Ⅱテモテ2:811)、
聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さって、
心の思いを導いて下さるのだそうですから。
私たちを。今日も。


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