☆ 中三の春だったか、バスでの遠足。
千葉県の某所へ行ったと思う。
ちゃんと行き先を覚えていないのが不覚。
1972年だったので、千葉県でも蒸気機関車がまだ走っていたはず。
バスの窓から、踏切を越えた際に見えたシーンがこれ。
蒸気機関車らしいのが見えるが煙に隠れ、形式も判らず仕舞い。
当時の遠足バスの定番。
時間潰しのマイクを回しての唄い。
皆が何を唄ったか憶えていないが、
SDTMは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を唄った。
以後、十八番となる。
それ位の思い出しかない。
小学校時代には銚子へ列車で出かけたような断片的な記憶がある。
銚子駅に降り立った時、醤油の匂いが強烈だった。
そんなこんなで、銚子へ出かけたくなった。総武線経由で
出かけ見ることにした。次回より、銚子への訪問記を掲載します。
(長い導入でしたね。)
千葉県の某所へ行ったと思う。
ちゃんと行き先を覚えていないのが不覚。
1972年だったので、千葉県でも蒸気機関車がまだ走っていたはず。
バスの窓から、踏切を越えた際に見えたシーンがこれ。
蒸気機関車らしいのが見えるが煙に隠れ、形式も判らず仕舞い。
当時の遠足バスの定番。
時間潰しのマイクを回しての唄い。
皆が何を唄ったか憶えていないが、
SDTMは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を唄った。
以後、十八番となる。
それ位の思い出しかない。
小学校時代には銚子へ列車で出かけたような断片的な記憶がある。
銚子駅に降り立った時、醤油の匂いが強烈だった。
そんなこんなで、銚子へ出かけたくなった。総武線経由で
出かけ見ることにした。次回より、銚子への訪問記を掲載します。
(長い導入でしたね。)
他の路線区・貨車を引っ張っていたものは不確かです。