げ ん て ん Young man be not forgetful of prayer .
3話 「1・17」
16年前のこの日、大きな地震が「阪神・淡路」を中心に関西全域を襲った。 僕の「原点」である。 当時僕は20代後半で、先に述べた思春期の頃の傷跡も薄らぎ、社会人としてもそれなりに成長してもいた。 先に記述した”情緒のバラバラさ”はそのままに。 恐ろしく長く感じる揺れが収まった後、すぐに気になったのは当時勤めていた会社と、当時付き合っていた彼女(前・嫁)だった。 大阪への影響は若干の停電や、京阪電車が途中で止まってしまった・・というくらいで、まさか、そんな”大惨事”となっているとは思いもよらなかったので、止まってしまった電車に代わって、自転車で通勤したのを覚えている。
TVや新聞を通じ、時々刻々に明らかとなる被災状況。 今とは違って、「自衛隊が入れない」だとか、「政府の対応がまったく間に合っていない」等のニュースが報道されていた。 「救援」そのものの全てが後手になってしまったのは、この「震災」が未だかつてない規模の都市直下型の地震であった事も含め、あらゆる場面において専門家の想定をはるかに超えた規模だったからだろう。 したがって「その時」のシュミレーションなど出来ているはずがない。 そんな中、「後ろ向き全開」からは幾分か”人としての成長”を遂げていた僕も、自分に何ができるのか・・と”いっちょまえ”に思案したりもしていた。 その感情と心の奥にあった人に対する不信感は、まさに名実共に”バラバラ”だった。 いてもたってもいられなくなった友人の何名かは、「ラジオと懐中電灯」、そして積めるだけの「救援物資」をバイクの荷台に積み込んで出発していた。 「自分に、何ができるのか?」・・・この自身に対しての問いかけは、”バラバラ”のままで、しかし、切迫していたのだ。
各本部単位で、”バイク隊”と”物資の搬入作業”に別れ、救援隊を「オール・関西」で組織し神戸に行く、との連絡を受けたのは1月18日、震災のその日の真夜中だった。 そして僕の参加はそれから一週間後ほどだったと記憶している。 すぐにでも向いたいメンバーもたくさんいたが参加人数を組織割の日割りにしての緊急の取り組みに、文句をいうメンバーはいなかった。 青年部のこの対応の速さと、細やかさは「参加メンバー以外は、個人で被災地へ向かわないように。 自衛隊を始め、その他のボランティアや、救援物資を積んだ車両が現地に入る妨げになってしまうからです。」という趣旨にも明らかだった。 この「バイク隊」について、現在ネット上ではさまざまに取りざたされている。 大多数が「批判」の数々で、「バイク隊そのものが被災者救助の妨げとなった」、「学会の会館を避難場所に提供した、というのは実は真っ赤なウソ」、「学会の会館に避難すると、”入会させられる”」、「どさくさに紛れてバイク隊の青年部が被災した女性をレイプした」等々。 そこにはおびただしい数の、見るもおぞましい「創価学会像」が描き出されている。 事の真偽については、実際その場にいた方々に聞いてみるのが一番だと思うので、ここで云々はしない。 ただ、僕は、僕が体験した事と、自身の心の中に起こった事のみを、そのままに記述するだけである。
「西宮」の朝は、大きな火災が沈下したあとの焼け焦げた様な臭気が残っている。 足でいくら蹴ってもびくともしない巨大なアスファルトの残骸は、間違いなく”ほんの数日前までは道路”だった事の悲しみと、自然の力の強大さを見せつけている様だ。 倒壊してしまった家屋。 街並みは、未だそこかしこに燻ぶる小さな炎(火事の後?)と立ち上る黒煙に満ちて、人の気配はまばらだ。 消火栓から疲れた様にしみ出す水は、もう吐くものも無くなった後の地面の嘔吐の様に苦しげで、所々に乗り捨てられた乗用車がひっくり返っていても、不自然ではない。 その光景を見て「映画のセットの様だ」と僕は感じて、すぐにそんな自分の軽率な想像力を恥じた。 4~5名一組みでの「物資の搬入」に、後ろの方で参加していた僕だったが、実際に、こうした被災地の光景を目の当たりにしたショックはあまりに大きく、どこにもぶつける事の出来ない深い怒りと大きな”無力感”は、誰もが同じだった。 ”無駄に繊細”な僕の「軽率な想像力」は、そこに広がる「大震災」の”現実”の、あまりの”生々しさ”を受け止めきれない為の反動だったのかも知れない。
もう一つ、ショックを受けた事。 それは、(駅の名前を忘れてしまったのだが・・・)現地付近まで電車で向う途中で、「これより先は地震の為運行できなくなっております。●●駅以降へお越しの方につきましては・・・」とのアナウンス。 TVで報道されていた”ねじ曲がってめくれ上がってしまった線路”の恐ろしい光景がよぎる。 そして、自分が今乗っているこの車両でも、多くの命が亡くなったのでは・・・。 そうした災害の現実的なリアリティーは、ここにイソイソとやって来た僕たちの「応援」など、「何の役にも立ちません、何を遊びに来たのですか?」と、嘲笑うかの様に、強烈に迫るばかりだ。
そしてまだ驚いた事がある。 倒壊してはいなかった、僕たちが降り立った「●●駅」は健在で、背中にリュックを背負った多くのボランティア(大多数)の方々が行き来していた。 「お疲れ!!」。 「お早う!!どこ?長田??ちょっと遠いで~!!」。 「今から? ”××は水がないらしいで”!!」。 「気ぃ~つけてな~!!」等々の、全くあかの他人どうしが普通に会話する光景。 僕たちにもボランティアの方の誰かがこう言ってきた。 「おはよ~!!」。 「おはよ~ッス!!」。 「兄ちゃんら、アレか? ”学会さん”か?」。 「はい!そうです!」。 「西宮の会館に行くんか?」。 「はい!そうです!」。 「お疲れやな!!今、めっちゃ並んどったで~!救援物資のトラック!!早よ行って”捌(さば)いたって”や(笑)~!!」。 「あっ!わかりました!急いで行きます!!」。 「兄ちゃんら、がんばれよ~!!」。 「はい!!ありがとうございます~!」。
こんな感じで、まったくの”あかの他人”が他人で無くなってしまう。 「大震災」による衝撃は誰もが受け止め得る限界を超えていたが、しかしそんな時人間は、誰に言われるともなく、本能的に”心を共にする。 宗教や思想、立場や身分の違いは、ここでは関係無くなってしまうのだ。 「復興」という一点において、全ての人が仲間であり、同志であり、ある意味「人間という家族」のような、あたたかな「共有感」を分け持つ。 僕の気持ちの中で「普通の挨拶」が、これほど熱く、そして尊く感じられた事は今までにない。 そこに広がる現実も衝撃だったが、それ以上に自分の内に唐突に湧きおこる「人間という家族感」の方が衝撃だった。 西宮の会館に着くまで、かなりの距離を徒歩で進んだが、僕は終始、黙り込んでしまっていた。 目頭の奥に、心の中心に、今まで体験した事のない、自分では整理のつかない”熱いもの”が湧きだしていたから。 そう、本当に「整理」などできない。
4話 「作業」
会館についてすぐに役員の幹部より「現在の会館の使用状況」の説明がなされた。 会館入り口のゲートでは、会館に避難してこられた方の名前を書いて頂く事。 学会の関係で無い方の入館も多いので、もし、”人を探している”という方が来られた時にそれが誰なのか、館内で避難生活をされている人々にすぐに館内放送で名前を呼んで確認できるから。 便所はなるべく数名ひと固まりに。 流す「水」が不足しているからだ。 婦人部の方がバケツで流してくれるので、声をかける事。 救援物資は全て駐輪場&駐車場に、「男性衣類・女性衣類・子ども衣類・薬品関係・寝具・生理用品・簡易食料・「水」・電化物関係(ほとんどがラジオ)・燃料関係」に大別して置く。 被災された方が「物資」を受け取りに来た時、ゲートの役員がそれを確認し、大声でそれを伝え、「物資」の中にいる役員がそれを探しだして大急ぎで持っていく。 特に学会員は平気で中に入って来るが、一般の方は抵抗がある為、なかなか館内には入りにくいし、「何が欲しいのか」も言い出せない方も多い。 だから役員の方から「何が必要なのか?」を話しかけて聞く事。 怪我をしている方や、病気の方については青年部で下手な処置はせず、ドクター部(医師のグループ)に速やかに来てもらう。 「救援物資の搬入トラックの動線は・・」等々・・・。
僕は、「物資の中に埋もれる役」だった。 女性・男性衣類の所だ。 僕とペアーのメンバーはここ現地の青年で、被災した次の日からここでのボランティアを毎日続けているという。 「衣類コーナー」は、結構忙しい。 「水コーナー」の次によく”お呼び”がかかったのではないか? ペアーになった現地メンバーと、待ち時間にちょっとした会話をしようものなら、すぐにゲートのメンバーの大声、「お~~~い!!婦人服~!!それと、婦人もののこぉぉーーとぉぉぉ~!!!」。 休憩もそこそこに、次から次に押し寄せる救援物資を求めて来る被災された方に合わせて、探しまわったり走りまわったり、新たに到着する救援物資の置き場所の確保にと、1月だというのに汗ばむ程の忙しさだ。 半日も過ぎると僕もそのペアーのメンバーもヘトヘトだったが、お互い「しんどいな」とか「大変やな」などの言葉は無く、「まだまだやるで!!」といった”強気な笑顔”を交わした。 ゲートの方を見ると、もう次の救援物資を取りに来られた方の姿が見える。
そのメンバーと交わした会話らしい会話は二つ。 届けられた「衣類」の中に、幾つかの大きなポリ袋と、その中には男性、女性の衣類がぐしゃぐしゃに入っていて若干の生ゴミの様な「匂い」がしている。 どの地域のどんな方がこれを送って来たのか? もしこれを被災者の方に渡したとして、何を感じるだろう? 僕とそのメンバーはその幾つかのポリ袋をとっさに掴んでしまわない様に、置場の隅の方へ押しやった。 「届けられへん・・・」。 「そやな」。 そんな会話の後、彼が言った。 「でも・・でも、めっちゃ・・ありがたい・・」。
もう一つの彼との会話。 それは僕が不用意に聞いた事に対して彼が応えたもので、間断なく到着する救援物資の対応の為、尻切れトンボに終わってしまった。 「ご両親も会館の役員なん?」と僕。 「・・・・いや、あの下」と、会館のある位置の遥か向こうの遠くに威圧的な黒煙が立ち上っている地域を指差す彼。 「ええっ?」。ちょっとまずい事を聞いてしまったのか・・僕はそう思い、一方的に気まずくなった。 「おれも結構やられてるで」と彼は屈託のない笑顔で上着を少し上げて脇腹に荒々しく巻かれた包帯を見せてくれた。 「わっ!エぐっ!だ・・大丈夫なん?」と僕。 「全身火傷だらけの怪我だらけやな(笑)!取りあえず、おれは”生き残った”から、おとんの分もおかんの分も、ここでもっと困ってる人らの為に、がんばらんとな!!」。
「そっか・・・・」。
そうとしか言葉が見つからない。
彼は僕の気遣いを感じたのか黒く汚れた顔をくしゃくしゃにした”笑顔”で、「!!」。 彼の人懐っこい笑顔につられ僕もこわばり気味だが、笑った。
自分の「心」の中の事でいっぱいいっぱいの僕には、あまりに衝撃が強すぎた。
ここに到着してからのほんの半日の間、
自分の中で、ここ10年近く、絶対に変える事は叶わないと思っていた事が、
一気に変わり始めていた。 根本的な事。
僕はずっと長い間、人と「心」で交わる事を避けて生きてきた。
しかし、この時の彼の「」に、なぜか心は震えた。
自分の中で、今 起こっている事が、全く理解できない。なのに、
湧きあがる感情は、こらえ切れないのだ。
戦っていたのかも知れない。
”腐って行こうとする心”と、”立ちあがろうとする心”が。
つづく
3話と4話ですが、いったんUPしたのですが、若干の訂正箇所があったために再度のUPとなりました。
どこが訂正なのか? もうわからないでしょう?
「さかた」さん、大切なご指摘、本当にありがとうございました!!!めっちゃ助かりました
とても大切で微妙な個所だったので、これで僕の作文も大分とマシになったと思います
次回、5話と「まとめ」で、この話しは終了です。最後まで気を抜かずにがんばって行きますね
久しぶりに「文字」ばっかりで、目がちかちかしています(笑)
支援物資を持って来てくれた人、持って来た物に名前を書く指示…無視しろ!
名簿に持って来た人の名前・施設名・物資名記入票を作った。
無視されたよ…
一個づつ名前を書いてる
馬鹿だ…そんな無駄な時間が好きなのか?
支援って私的な事、誰からも強要されないし
感謝されなくて良い事じゃないかな?
今日は、ホントに疲れた。
寝る…
井川さん
私も、真実を知ってるよ
ゴミが送られてくる現実を…
阪神の時の教訓だって知ってるよ
だから、要らない物は送れない。
多分、ゴミではなかったと思います。 一応、「服」だったので。
僕がボランティアに参加したのは震災から一週間くらいで、
今ほど被災地の状況が「送る側」に伝わっていなかった中での「救援物資」でした。
僕とペアーだった子とも話したのですが、
多分、ホームレスの人が送ってくれたのでは・・しかも、何人もが、あわてて服を集めて・・という感じだったんじゃないかって・・。
ありがたいんだけど、なるべく清潔なものを渡したかったので、渡せなかった、という話しでした。
わかりにくくてすみません
ただ、人間って、何日もお風呂に入らないと「ケモノ」の様な「ゴミ」のような匂がしてきます。 もとより「ケモノ」ですので。
ちなみにその時の「彼」も、ずっと入浴できないまま、毎日汗だくになっていたので、
近くで話すとそんな「なかなかな匂い
それを「臭い」とは思いませんでした。
=一個づつ名前??=
支援物資を持って来てくれた人に名前と物資名を名簿に記入???
どこの話しだろう?
それは・・・ごっつい無駄です(苦笑)
書いてもらった「名前と物資名」を、何に使うんでしょう?
ひょっとして「作業」の冒頭部分の「名簿」を言っているのでしたら、名前を書いてもらうのは、救援物資を持ってきたドライバーに、ではなく、避難してきた人に・・でした。
家族がバラバラになっている人も多く、「この会館に避難しに来てないか?」って、自分の家族を探しに来る人も多かったんです。
だから、会館で避難生活をしている人の名簿があると、すぐに見つかるでしょ
その為の「名簿」を・・というエピソードでした
重ねがさね、分かりにくくってすみません
お疲れのところのコメント、ありがとね
解りやすい文章です。
私の方が伝えきれない事が多くて…ごめんなさいです。
支援物資…阪神の時に送られて来た物の中に、心のこもった不用品が多かったんだョ!
例えば、学校のバザーに出す感覚
箱入り高級タオル、箱入り高級調味料、素敵…でも使えないですよね!
古着も多く送られて来た事も知ってます。
性別・サイズ・ズボン等々…仕分け作業が大変だった割に貰い手が少なかった現実
会館内の名簿は
送り主の名前なんて必要なのですかね?
意味が解らんかったです。
今日も、仕分け作業をしてましたョ
「頑張ってます」顔してました。
仕分け箱を置いて、入れて貰わない不手際…
送料が…何て話しも出てて
明日休みなのが救いです。
その辺の事を、実は次の話しで書いてるんです。
昨日は休み・・・。ゆっくりできましたか(笑)??
僕の方は、昨日は仕事で、今日が休みです
これから、次の記事の仕上げにかかろうか・・・という時に・・・
またもや風邪
頭、ガンガンさせながら、がんばります
=心のこもった不用品=
!!!!!!!!この事については・・・
gaoちゃんに、先に言われた感じがしますが、
次の話しのとっかかりでもあるんで、
ノー・コメント・・にしておきます(笑)