聖書納言の御言葉に恋して

聖書の御言葉から慰められ励まされたこと、教えられたこと。および聖書研究

御言葉を聞く2人

2025-01-05 17:25:00 | デボーション
ルカ 1章5〜38節

デボーション・テキスト『みことばの光』では、
1月4日(土)にルカ1:5〜25のザカリヤ物語を、
1月5日(日)にルカ1:26〜36の受胎告知物語をやることになっていますが、今日は2日分をまとめてやってしまいます。

なぜザカリヤ物語と受胎告知を一度に行うのかと言いますと、ザカリヤの信仰姿勢とマリアの信仰姿勢を比較してみたいからです。


1.ザカリヤ
 
ザカリヤは神殿で神様に仕える祭司であり、なおかつ
「"二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行って」いました。(6節)

一言で言えば、ザカリヤ夫妻は神様の一番近くにいて、いつも神様と共に歩んでいました。

しかし、それなのに、ザカリヤは神様からお言葉をいただいたとき、神様のことばを信じなかったのです。

御使いはザカリヤにこう言っています。

「見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。」(20節)


2,マリア

それに対して、マリアは主の御使いから男の子(イエス・キリスト)を産むという受胎告知を聞いたとき、
最初は逡巡していましたが、彼女は神様のことばを受け入れました。

「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」
 (38節)

一番神様の近くにいるはずの祭司ザカリヤは神様のことばを信じず、
名もなき一人の乙女マリアは神様のことばを信じて受け入れました。


これと同じことは、マタイ福音書の2章の東方の3賢者の物語にもあります。

東方(おそらくバビロン)からやって来た占星術の博士たちは「キリストはベツレヘムで生まれる」ということを聞いたとき、すぐにベツレヘムに向かって行きました。

しかし、一番神様の近くにいるはずの、そして毎日聖書を読んでいる律法学者たちは、イエスを拝むためにベツレヘムに行こうともしなかったのです。

律法学者たちは聖書の知識だけで、本気で信じる信仰がなかったのです。
それに対して、占星術の学者たちは聖書の知識はほとんどなかったのに、本気で信じて、すぐに行動に移しました。


私はどうだろうかと思わされます。
家族が救われるように祈りながらも、本気で信じているかどうか。

マリアが「神にとって不可能なことは何もありません。」(37節)という言葉をそのまま素直に信じて受け入れたように、
自分は神様に祈っていながらも、
「神にとって不可能なことはない」「神はどんなことでもおできになる(マルコ10:27)」
と本気で信じているだろうか、そのことを問われたように思います。










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