私も、このブログで何回もダジャレを書いています。でも、文字だから、すっ飛ばしてもらえばいいんです、っと心の中で言い訳しています。
世間で、一番ダジャレを言うのは、あのデーブ・スベッターかもしれません。あれっ? デーブ・スペクターでしたかね。この人のは、結構面白い。
他にも、公共の電波を利用してダジャレを言う放送人は、実に多い。嘆かわしいことです。えっへん。(^-^)
街を歩いていると、こんな広告がありました、地下鉄・栄駅です。
これも、許容範囲だと思います。文字だから、気に食わない人は無視すればいいんです。(^-^)
別な名古屋の街に、こんな広告もありました。
これは、ダジャレというよりも、韻を踏んでいると言えばいいんでしょうか。(^-^)
ところが、中には、ダジャレを拾ってもらうことを強要しているマスコミ人が居ます。ラジオやテレビの会話の途中にですよ。
会話の中でのダジャレの罪は、話の流れを止めてしまうところです。そして、話の腰を折るダジャレを言った後に、拾ってもらうまで間を取って待っている人が居ること。嘆かわしい風潮です。あの、ニュース解説者ですね。(>_<)
ダジャレは、日陰の花なのでひっそりと咲くべきです。人から無視されて当然なのです。そこにこそ、ダジャレの美学があります。(^-^) 「そういうと思った」と、言われないように気を付けましょう。
そして、なによりも大きな罪は、ダジャレがはびこると、ユーモアやウィットが育たないということです。
この辺が原因で、日本語のスピーチから面白さを奪ってしまいます。さぁ、今こそ、ダジャレを撲滅する時です。
そのための活動の標語を 「ダジャレを言うのは、ダレじゃ」 とします。
おいおい、ミイラ取りがミイラに、なっとるで~!! (>_<) 本気じゃないからね。(^-^)