9月30日、加治木史談会主催による文之和尚394回法要と講演会が姶良市加治木町安国寺で開催され鹿児島県各地及び宮崎県日南市から多くの人が参加しました。
10時から文之和尚の墓前で読経・焼香が行われた後に、安国寺に移動して本堂御位牌の前で読経・焼香を行われ394回目の法要を終わりました。
●法話・・・南洲寺住職 焔恵和尚より・・安国寺で修行中の土岐陽平和尚(佐賀県武雄出身)の紹介があり、土岐陽平和尚の法話が始まりました。
法話の内容は「人生の三毒」・・・貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)について・・・貪(とん)・・・むさぼり(貪欲)。瞋(じん)・・・いかり。痴(ち)・・・しったかぶり、しらんふり(愚痴)。・・・三毒を克服する為の自身の体験を含めた分りやすい内容でした。
●講演会の前に・・・加治木史談会事務局長の司会で加治木史談会会長挨拶、姶良市長挨拶の後に、高山町(現在の肝付町)在住で道隆寺跡を昭和59年から発掘して遺跡を保存してきた福山氏による発掘に伴うエピソート等の紹介がありました。
●講演会・・・演題・・・「前建長(さきのけんちょう)文之玄昌の生涯」・・・南浦文之玄昌の生涯等の資料を配布。 講師・・・文之研究家 川崎永伯(ながのり)氏 (宮崎県串間市在住)
●講演の概要・・・「豊臣秀吉」・・・大友との不和の弁明。 「徳川家康」・・・宇喜田秀家の助命嘆願。 「文之点」の創始(漢字の訓読み、レ点、上、中、下、一、二、三 )。内容については省略しますが、講師は文之和尚について長年にわたり研究され、宮崎日日新聞にも7回掲載されており資料にも添付されています。
今回の講演を聴いて、文之和尚が優れた才能を見込まれて、「豊臣秀吉」の時代、「徳川家康」の時代に薩摩藩の使者としての役割を果たしたこと、漢字の「文之点」の創始者であること等を知り、参加して良かったと思っています。
文之和尚の墓前で読経・焼香
安国寺に移動して本堂御位牌の前で読経・焼香
土岐陽平和尚の法話
文之研究家 川崎永伯(ながのり)氏による講演会
鹿児島大学に保管されている「文之和尚直筆の文章」の写しについて語る講師
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