鹿児島県歴史資料センター黎明館「開館30周年記念」企画特別展として薩摩を変えた博物大名「島津重豪(しげひで)」展が9月27日~11月3日まで開催されますが、10月4日に見てきました。
第8代藩主・島津重豪(1745~1833)は藩の体制改革のため藩校造士館や明時館(天文館)などの事業を進めましたが、多くの財政負担を伴い晩年には財政改革主任に調所広郷を任命して財政改革を行い蓄財した結果が、島津斉彬の時代になって集成館事業などへ展開したといわれています。
第1章・・・重豪と竹姫・・・島津家がその力を強める契機は将軍家養女竹姫と重豪祖父継豊の婚礼で、竹姫が結んだ徳川家との絆を、その後重豪が活用したのは、重豪が幼少期に実見した宝暦治水(薩摩義士の犠牲)を見て、将軍家との関係が重要だと感じていたからだと思われます。
第2章・・・時代の先端をゆく・・・若くして藩主になった重豪は様々な新しい学術施設を城下に設置し、中国語やオランダ語と日本語の対訳の書物や百科辞典など大編纂事業を進めます。また、重豪が生きた時代に鹿児島を訪れた伊能忠敬の国宝の天文観測用具等やのコレクションの一部も展示されています。
第3章・・・華麗なる人脈・・・重豪は博物学や蘭学に興味を示した大名とも盛んに交際し、九州の博物大名には養子縁組もしています。また、婚姻を通して徳川将軍家や幕閣とも結びつきを持ったことが、諸大名との養子や結婚に有利に繋がったことが紹介されています。
第4章・・・財政改革・・・将軍の岳父となった重豪は、息子の斉宣に藩主を譲り、斉宣は改革を志向しますが、失敗し、重豪は調所広郷を登用し、調所広郷は黒糖の専売制や殖産興業などで財政改革を成功させます。また、琉球貿易も藩財政改革に一助になったことも紹介されています。
第5章(終章)・・・改革ののちに・・・重豪の死後も改革は孫の島津斉興によって継承され、斉興もオランダ人との交流を続け、斉彬まで、薩摩藩は一貫して海外の進んだ文化を学んでいる。
重豪は従来「浪費」「蘭癖」の面が強調されてきましたが、今回の展示会を通して感じたことは、重豪はあらゆる学問に興味を持ち、自らも学び、鹿児島の歴史や文化に大きな影響を与えた人物であったことを知り、見にいって良かったと思っています。
会場入り口(館内は撮影禁止)
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