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平成29年度 姶良市歴史民俗資料館「ふるさと歴史講座」(8)「鹿児島と忠臣蔵」・・・姶良市姶良公民館

2017-12-16 19:51:45 | ふるさと歴史講座

11月16日 姶良市姶良公民館において平成29年度 姶良市歴史民俗資料館「ふるさと歴史講座」(8)「鹿児島と忠臣蔵」が開催され13時30分から受付が始まり、資料などをいただきました。

14時・・開会挨拶(姶良市歴史民俗資料館 館長)・・講師の紹介・・講師は鹿児島大学法文学部 教授 丹羽 謙治 氏、歴史と文学について研究されていると紹介されました。

講師が登場して、配布された資料及びパワーポイントを使って「鹿児島と忠臣蔵」について詳しく説明されたので、その一部を紹介します。

〇赤穂事件と忠臣蔵の史実・・①赤穂事件の概要・・毎年将軍家から天皇・上皇へ使者が上京・・その返礼として天皇・上皇からの使者が江戸へ・・元禄14年(1701)3月11日 江戸着・・3月14日 勅答の儀の直前に事件勃発(資料1-1,1-2)・・事件は元禄世間噺風聞集に詳しい内容が記載されている(資料2-1,2-2の〇印)・・吉良上野介への刃傷・・内匠頭の切腹・・赤穂藩の領地召し上げ・・元禄15年(1702)12月14日 大石内蔵助を初めとする赤穂浪人が吉良邸を襲撃・・元禄16年(1703)赤穂浪人46名、切腹を命じられる。(資料6-1、6-2)

〇薩摩藩と赤穂事件・・●薩摩藩三代藩主島津綱貴(1650~1704)・・吉良上野介の息女「鶴姫」(1660~1709)・・延宝3年(1675)結婚、同8年(1680)離婚・・赤穂事件が発生した時期は薩摩藩との姻戚関係はなくなっていた。(資料1-1、3-2)・・●赤穂浪人が吉良邸を襲撃時の薩摩藩邸での様子・・白尾国柱『倭文麻環』(資料5-1,5-2)

 〇流人鉄舟(都の錦)・・延宝3年(1675)大阪で生まれる・・元禄8年(1685)21歳、上京、元禄14年(1701)27歳鉄舟と改名以降2年6か月にわたり、浮世草子を執筆し、生計をたてる。元老15年(1702)28歳多くの書籍を執筆、元禄16年(1703)江戸に下るが無宿改施孫兵衛に見咎められ、寺社奉行に引き渡され、大隅国山ケ野金山に流罪、宝永2年(1705)薩摩国鹿籠金山に移される。宝永3年(1706)32歳『武家不断枕』序を書く。・・・宝永8年(1711)37歳・・都の錦『播磨椙原』新出本等を残す・・赤穂事件の様子が書かれている・・(資料6-1,6-2、~10-1,10-2)

〇閉会挨拶・・姶良市歴史民俗資料館 館長・・講師へのお礼の言葉の後に次回の講座の予告の説明等があり、散会しました。

今回8回目を受講して「鹿児島と忠臣蔵」について理解を深めることができたので、参加して良かったと思っています。

会場の様子を写真で紹介し、資料をスキャンして添付します。

開会前の会場全景

開会挨拶

講師挨拶・・講演開始

浅野家の菩提寺・・泉岳寺の門

泉岳寺

浅野家の墓

家臣の墓の一部

講演の終り

閉会挨拶

※写真をクリックすると拡大し左上の←をクリックすると戻ります

          

        

    

 

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1 コメント

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Unknown (藤井)
2017-12-19 11:00:47
私も、今回の講座は、先生の話し方も上手、資料も豊富で非常に面白く拝聴しました。忠臣蔵と薩摩藩の関係、事件に対する藩の対応も興味がありました。有難うございました。
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