前回投稿に続いて、啄木のふるさとを再現してみました。啄木が故郷の渋民村で代用教員として勤務していた
渋民小学校の図です。彩色は古い写真の放映ために読み取ることが困難で、推測で描きました。
啄木の友人である金田一京助の啄木詩集の解説によりますと「農家に間借暮りして細々と暮らしを立てたが、
8円の俸給では、米櫃が始終空で一家はほとんど餓死線上を彷徨った。
21歳の5月、一家離散して函館に、ここでは大火に焼け出されて札幌へ。ついで小樽へ。
22歳の1月、ついに釧路へ、雪の中央山脈を越えて放浪する」と解説されています。
そのかみの神童の名の、かなしさよ、ふるさとに来て泣くはそのこと
渋民小学校の図です。彩色は古い写真の放映ために読み取ることが困難で、推測で描きました。
啄木の友人である金田一京助の啄木詩集の解説によりますと「農家に間借暮りして細々と暮らしを立てたが、
8円の俸給では、米櫃が始終空で一家はほとんど餓死線上を彷徨った。
21歳の5月、一家離散して函館に、ここでは大火に焼け出されて札幌へ。ついで小樽へ。
22歳の1月、ついに釧路へ、雪の中央山脈を越えて放浪する」と解説されています。
そのかみの神童の名の、かなしさよ、ふるさとに来て泣くはそのこと