丹波の村寺 浄土真宗 竹内山 真證寺

京都府亀岡市曽我部町にある真宗寺院。
アクセス 亀岡駅から学園大行きバス10分、南条局前下車、徒歩3分。

葬儀や告別式の形と意義

2017-01-16 22:17:04 | 日記
親鸞は、自らの肉体は「閉眼せば、賀茂川に入れて魚に与うべし」と仰られました。そして、真宗教団では各派各々の立派な差定を持っていて、それを執り行うことで、優れた儀式と言われます。人間の持つ煩悩や渇愛が苦の因でありますから、そのサンカーラ(苦の継続でいいのかな?)を断ち切れればいい訳です。儀式に意味があるのか?しない事に意味があるのか?親鸞の信仰のテーマは「無我の追求」であると考える私にとって、親鸞のように「死んだら、水葬か鳥葬にして」欲しいと言い遺したいですし、遺族となるもの達は、「立派なお葬式」を上げてやりたいと、望むでしょう。(「無自我という事実が存在する」ワールポラ・ラーフラ著「ブッダが説いたこと」より:) 多くの場合、葬儀や告別式は、基本的に残された者の”癒し”としての意味をもち、その方法や内容が遺族それぞれや亡き人の意思と合致したり、しない事に気付かされる時に、自我(我が身の煩悩)が見えてきて、その反省から”無為な欲望”に気づいていただければ、儀式を通じてダルマに触れていただけるのです。 今日も、大雪の中でのお通夜から帰ったばかりで、まとまってなくて、すみません。

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