国会図書館「真理がわれらを自由にする」と日本図書館協会「図書館の自由に関する宣言」
Facebookでの鄭玹汀さんが紹介している、国会図書館に掲げられた「真理がわれらを自由にする」という言葉と理念に関して少し調べていたら、重大な問題を発見することになった。図書館関係者には周知の事実のようだが、なんと、1973年にあの安倍の地元の山口県立図書館が、ボクの『反戦自衛官』ほか50数冊を「禁書」にして、隠していたというのだ。しかも、県立図書館の管理職の課長が自ら、「好ましくない本」としてだ。
(Facebook掲載の鄭玹汀さんからの引用)
この経過は、『「自由宣言」と図書館活動』馬場俊明著に詳しく書かれているが、図書館の管理職ぐるみで「特定の政党や宗教などに偏った書籍を開架式に置くのは、好ましくないとかねがかね考えていた。移転開館を機会に、図書館の中立性を欠いたり、公序良俗に反することをモノサシに抜き出した(隠して保管)」という。
(同書77頁、https://books.google.co.jp/books?id=rj1xDgAAQBAJ&pg=PA77&lpg=PA77&dq=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&source=bl&ots=myM7cKoQGT&sig=CLjhHLzlwc8LTGvVvVpZ5yewg-0&hl=ja&sa=X#v=onepage&q=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&f=false )
ところで、「図書館の自由に関する宣言」(日本図書館協会)という文を、ボクは恥ずかしながら初めて読んだが、ここには素晴らしい、戦後の民主主義の全盛期とも言える内容が謳われている。
「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。
わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。」
「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館の民主的な運営と図書館員の連帯の強化を欠かすことができない。」http://www.jla.or.jp/Default.aspx?TabId=232
最近は、民営化や予算の節約などで、図書館自体が変質を余儀なくされている中で、この「宣言」を再確認することは重要ではないだろうか。
そして、冒頭に述べた国会図書館である。
1948年に起案された国立国会図書館法の「前文」には、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と記されている。
Facebookの鄭玹汀さんのタイムラインで話題になったのは、この国会図書館に高々と掲げられている「真理がわれらを自由にする」という理念の意義についてであった。
この国会図書館内に掲げられた理念は、国会図書館法の法案の起案に参画し、参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎氏が、ドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文をもとに、掲示されたという。
羽仁五郎といっても、もはや古い世代の人々しか知らないことになるが、歴史家であり、かつ実践者でもあった。戦前は戦争に反対し治安維持法で逮捕・投獄され、戦後は参議院議員として希代の悪法、破防法に反対し、1970年には、当時のマスメディアが矮小批判を繰り返す、全共闘・反戦青年委員会ー新左翼を全面支持し、ともに闘った戦後のホンモノの「識者」「知識人」のひとりである。
つまり、このような国会図書館の理念、全国の図書館の「図書館の自由に関する宣言」などは、戦後の民主主義―知る権利、表現の自由、出版の自由、検閲禁止などとともに、「平和に寄与する」という高い理念のもとに創られたということだ。
しかし、今や、安倍政権の改憲策動、自衛隊の南西シフト態勢を媒介とする、「島嶼戦争」=対中抑止戦略=新冷戦の始まり、という歴史的転換がおとずれており、これらの戦後民主主義の諸権利の剥奪が始まることは疑いないだろう。これにいかに対峙するのかが問われているのだ。
https://books.google.co.jp/books?id=rj1xDgAAQBAJ&pg=PA77&lpg=PA77&dq=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&source=bl&ots=myM7cKoQGT&sig=CLjhHLzlwc8LTGvVvVpZ5yewg-0&hl=ja&sa=X#v=onepage&q=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&f=false
*ボクと羽仁五郎さん
歴史家・羽仁さんの著書と言えば『都市の論理』『ミケルアンヂェロ』などが知られているが、ボクが感銘したのは羽仁さんの『現代とは何か』という著作だった。そこにはこう書かれていた。
「戦後日本が民主主義社会であるということなら、自衛隊隊内から自衛官が反戦を唱えて出てきてもおかしくない」
――このたった一言が、ボクの最後の背中を押すことになった。自衛隊法の様々な処罰が待ち構える中で、「決起」を躊躇していたボクは、羽仁さんのこの一つの言葉で、勇気をもらったのだ。以来、10年以上にわたるボクの刑事裁判、27年にわたる行政裁判(懲戒免職の取り消し)などの、いくつかの反戦自衛官裁判の、最大の支持者・支援者として羽仁さんには、とてもお世話になった。
しかも、1972年の、現職自衛官5人を含む決起については、その彼ら自衛官たちの「10項目要求」にご意見をいただいたのだ。羽仁さんは、その前にどこかで、西ドイツの将校団の「10項目要求」のことを書かれていたが、その原文を教えていただくために、お住まいの逗子市の「羽仁邸」に通った。こうして、羽仁さんは、亡くなるまで、私たち、反戦自衛官たちの同志であった!
*『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反』(復刻増補版)の「試し読み」ができます。
http://hanmoto.tameshiyo.me/9784907127244
Facebookでの鄭玹汀さんが紹介している、国会図書館に掲げられた「真理がわれらを自由にする」という言葉と理念に関して少し調べていたら、重大な問題を発見することになった。図書館関係者には周知の事実のようだが、なんと、1973年にあの安倍の地元の山口県立図書館が、ボクの『反戦自衛官』ほか50数冊を「禁書」にして、隠していたというのだ。しかも、県立図書館の管理職の課長が自ら、「好ましくない本」としてだ。
(Facebook掲載の鄭玹汀さんからの引用)
この経過は、『「自由宣言」と図書館活動』馬場俊明著に詳しく書かれているが、図書館の管理職ぐるみで「特定の政党や宗教などに偏った書籍を開架式に置くのは、好ましくないとかねがかね考えていた。移転開館を機会に、図書館の中立性を欠いたり、公序良俗に反することをモノサシに抜き出した(隠して保管)」という。
(同書77頁、https://books.google.co.jp/books?id=rj1xDgAAQBAJ&pg=PA77&lpg=PA77&dq=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&source=bl&ots=myM7cKoQGT&sig=CLjhHLzlwc8LTGvVvVpZ5yewg-0&hl=ja&sa=X#v=onepage&q=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&f=false )
ところで、「図書館の自由に関する宣言」(日本図書館協会)という文を、ボクは恥ずかしながら初めて読んだが、ここには素晴らしい、戦後の民主主義の全盛期とも言える内容が謳われている。
「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。
わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。」
「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館の民主的な運営と図書館員の連帯の強化を欠かすことができない。」http://www.jla.or.jp/Default.aspx?TabId=232
最近は、民営化や予算の節約などで、図書館自体が変質を余儀なくされている中で、この「宣言」を再確認することは重要ではないだろうか。
そして、冒頭に述べた国会図書館である。
1948年に起案された国立国会図書館法の「前文」には、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と記されている。
Facebookの鄭玹汀さんのタイムラインで話題になったのは、この国会図書館に高々と掲げられている「真理がわれらを自由にする」という理念の意義についてであった。
この国会図書館内に掲げられた理念は、国会図書館法の法案の起案に参画し、参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎氏が、ドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文をもとに、掲示されたという。
羽仁五郎といっても、もはや古い世代の人々しか知らないことになるが、歴史家であり、かつ実践者でもあった。戦前は戦争に反対し治安維持法で逮捕・投獄され、戦後は参議院議員として希代の悪法、破防法に反対し、1970年には、当時のマスメディアが矮小批判を繰り返す、全共闘・反戦青年委員会ー新左翼を全面支持し、ともに闘った戦後のホンモノの「識者」「知識人」のひとりである。
つまり、このような国会図書館の理念、全国の図書館の「図書館の自由に関する宣言」などは、戦後の民主主義―知る権利、表現の自由、出版の自由、検閲禁止などとともに、「平和に寄与する」という高い理念のもとに創られたということだ。
しかし、今や、安倍政権の改憲策動、自衛隊の南西シフト態勢を媒介とする、「島嶼戦争」=対中抑止戦略=新冷戦の始まり、という歴史的転換がおとずれており、これらの戦後民主主義の諸権利の剥奪が始まることは疑いないだろう。これにいかに対峙するのかが問われているのだ。
https://books.google.co.jp/books?id=rj1xDgAAQBAJ&pg=PA77&lpg=PA77&dq=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&source=bl&ots=myM7cKoQGT&sig=CLjhHLzlwc8LTGvVvVpZ5yewg-0&hl=ja&sa=X#v=onepage&q=%E5%8F%8D%E6%88%A6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98&f=false
*ボクと羽仁五郎さん
歴史家・羽仁さんの著書と言えば『都市の論理』『ミケルアンヂェロ』などが知られているが、ボクが感銘したのは羽仁さんの『現代とは何か』という著作だった。そこにはこう書かれていた。
「戦後日本が民主主義社会であるということなら、自衛隊隊内から自衛官が反戦を唱えて出てきてもおかしくない」
――このたった一言が、ボクの最後の背中を押すことになった。自衛隊法の様々な処罰が待ち構える中で、「決起」を躊躇していたボクは、羽仁さんのこの一つの言葉で、勇気をもらったのだ。以来、10年以上にわたるボクの刑事裁判、27年にわたる行政裁判(懲戒免職の取り消し)などの、いくつかの反戦自衛官裁判の、最大の支持者・支援者として羽仁さんには、とてもお世話になった。
しかも、1972年の、現職自衛官5人を含む決起については、その彼ら自衛官たちの「10項目要求」にご意見をいただいたのだ。羽仁さんは、その前にどこかで、西ドイツの将校団の「10項目要求」のことを書かれていたが、その原文を教えていただくために、お住まいの逗子市の「羽仁邸」に通った。こうして、羽仁さんは、亡くなるまで、私たち、反戦自衛官たちの同志であった!
*『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反』(復刻増補版)の「試し読み」ができます。
http://hanmoto.tameshiyo.me/9784907127244