#🏡#いい家の日#今日は11月18日#134.
・『いい家』って何だろう?
世帯により、家族により、その価値観は違うかも知れない。
かつての日本の多くは3代、4代と同居していた。
テレビも無ければ、炬燵(こたつも)も無い。
はだか電気1つ。
洗濯機も、乾燥機もない、扇風機もエアコンも無い。
冷蔵庫も無い。
無い物づくしの家庭でした。
それでも、その替わりに存在していた良いものも沢山ありました。
はだか電気1つだと電気代も何円から何十円の世界。
ラジオがありました。
それでも、何とか生活を過ごしていたのです。
『昔話』の世界で出てくるようなイメージの家庭でした。
・それでも良い点が数々ありました。
一家の団欒。
お爺さん、お婆さん、お父さん、お母さんなどの話を聴いて子供は育ちました。
犯罪もありませんでした。
いじめも、家庭内暴力もありませんでした。
子供たちは子供たちの集団の中から物事を学びました。
元気な子供は広い野原を駆け回り、山でターザンごっこをして、そこから痛みも怖さも楽しさも全て自然から学べたのです。
いじめっこは、今の陰湿なものとは違い、それが始まっても、それを解決するお兄さん、お姉さん役の人がいて止めたりしてルールを教えてくれたのです。
学校から帰ると、お爺さん、お婆さんが『お帰り!』と迎えてくれたので、淋しい思いをする今の時代の『鍵っ子』と言うことは無かったのです。
勿論、その時代には幼稚園も保育園もありませんでした。
スーパーもコンビニも無いので、多くは自給自足の生活でした。
茄子やきゅうりなどの夏野菜を植えれば、次から次へと実り、家庭内で消費出来て家計は助かるのです。
様々な野菜も、トウモロコシも、トマトも新鮮野菜ができたのです。
人々の交換経済もありました。
鶏を飼っていれば、卵を産みます。
ヤギを飼っていれば草を食んでくれて除草し、ヤギの乳まで出してくれます。
池があれば鯉がいます。
水は山から引いてくれば、水道代は要りません。
鯉は虫を食べてもくれます。
山水は煮沸して飲むことを教えて貰えば大丈夫でした。
雪も氷柱も食べることが出来、空気中の今で言う有害物質(ケムトレール)などありませんでした。
全て必要なモノは自給自足生活で賄われました。
子供も大人も、そうした自然に囲まれた家庭から精神的な満足と心の安定を得ていたのです。
・文化生活への転換。
やがて、川へ洗濯と言うことから洗濯機が必要になりそれに変わり、電化製品が増える度に電気代も跳ね上がります。
冷蔵庫とテレビ、掃除機、扇風機と電化製品がどこの家庭でも増えていくに連れ、人々は現金収入を稼ぎ必要な支払いのためにそれを稼ぐ為に労働力を提供し、いろんな工場や作業場へ出掛けて行きました。
・便利さと快適さを手に入れる為に様々なものを売り渡すこと。
・戦争で得たものと失ったもの。
そうして日本はここ70年くらいの内に、復興を成し遂げると共に、その間に無くしたモノとに気づいたのです。
産業革命により、得たモノと失ったモノ。
・戦後の日本が身につけた『貧乏であることへのアレルギー』。
それは、貧富の格差、プライドと差別意識、人間性の喪失、アイデンティティを迷路へ置き去りにし、様々なものを不対価交換してしまったかのようです。
・過去にない病気の罹患と闘い
ある学者の人は言います。
体内のぎょう虫がいる間は、今のようなガンなども発生しなかった。
・新たに生じた社会問題との取り組み
・都市型犯罪と都市型自然災害
そうしたことは今でも続いて未解決なのです。
それらには現代型災害と言える都市型の災害も含まれています。
これからは、そうした災害が短い時期の間に連続して発生する『複合災害』が発生した時に、災害救助、災害対策、災害支援など、それを人的・経済的・国家的に保全することは困難だと叫ぶ学者もおられます。
加えて、『複合災害』には段階的ではなく同時多発的にあちこちに発生した場合は、如何ばかりでしょう。
国内だけで充足が事足りる事象と言えるでしょうか?
それらはついには、解決出来るものなのでしょうか?
・住宅構造の変化
過疎化と少子高齢化が産み出した家庭と住宅の変化。
二世帯、三世帯同居住宅構造。
昔は、1つの建物としての家にそれが存在していたが、今はそれよりむしろそれらが建物内に包含または隣接している。
車社会における駐車場スペース。
車は家族が『1人一台』の為に駐車場スペースを拡げる必要がある。
今までの庭などの草木が占める癒しの空間が無くなることを意味する。
『小さな庭』から『ささやかな憩い』と『緑の癒し』も共に消えることを意味する。
それら、車の駐車場確保が出来なければ、他の場所を確保し検討を余儀なくされている。
これは、社会の変化に応じて家庭も変化せざるを得ない現代的な変化要素と言える。
・少子高齢化に伴う、住宅と山林畑の維持保存問題。
生活形態が変われば、そうしたものを引き継いで維持管理していくことが困難になる。
日本全体で非現住住宅・建造物が多いと言われる。
まるで映画に出てくるような蔦に絡まるかつての住居の跡です。
空家対策と所有者不明住宅の扱いの問題が新たに発生したのです。
・気象変化に伴う自然不活用農地、所有山林の自然災害におけるライフラインの停止問題。
山火事があっても、そこまでの消化活動が出来ません。
車の通る道も無ければ、急傾斜で消化活動もままなりません。
ヘリコプターで消化の為の水を運ぶとは誰でもアイデアは簡単に思いつきますが、
何回往復すれば山火事は消えますか?
莫大なお金が掛かります。
それよりは、山火事スプリンクラー式消化設備を各所に設置し、雨水など山水貯水しておき人為的にも使えれば、との案もあります。
勿論、保守点検は所轄各官庁に法的義務付けとなりますけどね。
その時に、役立つのが既にアメリカでは検討されている『ドローン』の活用です。
リアルタイムで映像ライブが観られるのでアメリカは採用したとのこと。
山火事の上空はヘリコプターでは近くまでは無理だとのこと。
ヘリコプターも凄い費用が掛かるそうです。
その費用とドローンとの費用とを比較すると、さて、どちらが安いでしょうか。
それも検討されたみたいです。
カナダ、アマゾン、オーストラリアなど気象変化に伴い山火事は多発しています。
日本も湿潤温暖の気象から既に公式に認められている変化により、今の日本は『亜熱帯化』と評されています。
加えて、自然災害には、付き物の
何週間も電気供給源の停止、道路などのインフラの使用も不可の現状も存在している。
これらも現代型災害の1つと言えると思われる。
つまり、その認識は『今までは何にも起きなかった』と言う意識でした。
山に木を植えたら、さて、何年したらその木はどれ程の高さと太さになりますか?
日本の山林は見てみると、その間隔が凡そ1.5mくらいです。
庭木でも狭いところに、沢山小さい木を植える方が多いですが、
大きく成ったとき、木は成長を互いに競い、上へ上へと太陽を求めて伸びていきます。
モヤシ状態のその木が根が強く張れず、後は何かあればポキッポキッと折れて、将棋倒しになります。
それは、学者が分かっていた筈です。
植える人は只一重に将来の利益の為に1本でも多くそこへ植えたと言うよう埋けたと言う認識の話です。
誰も、何十年後の我が身の生命の体力は予測しようとはしなかったのが、今の結果です。
確かに法律に基づき、『植えよ、増えよ、地に蔓延れ!』では
何十年後の計画性が無く後で困りますよね。
それが今の時代です。
気象変化により大型台風竜巻豪雨による流出土砂のよる災害等が過去より大規模で発生するようです。
かつては『山林の木』について、山林工学では様々な利点と難点が勿論言われていました。
その難点の1つに、倒れた山林の木が豪雨の流水により、それをも流し去る土石流となる、と言われていました。
確かに、土石を止める為には横一列に綺麗に並べて置かねば成らぬのです。
しかし、そうではなく只の放置では難点となります。
しかし、今は、それに加えて、放置木もやがては腐り、栄養になり木の養分となるとのこと。
木の根の先が養分は吸えますが、土表にでは太い根では養分は吸えません。
それは根を土中で張り支えているだけのものです。
家庭園芸でも木に肥料をあげた!と喜んでいる方がおられます。
それは、立派にことです。
どこへ施肥したのですか?
お訊きすると、木の幹の周りです。
そこには根はありません。
その肥料が吸える所は、幹のもっと外側の円周です。
雨で流れた肥料は植木鉢の外に流れて、地面の庭の他の植物の為には役立っていると思います。
それでは、肝心な鉢の中の木には役立ってはいません。
実際、山に行ったことのある方は地面も見たことがある筈です。
実際に、地面には土が見えない状態でそこには木の葉や枝、小石などがあり、更に下側から腐葉土となっています。
更に、下の下に養分の据える根があり、そこまでの行かないと根には何も届きません。
洪水が出たときには、下まで染みて行かず、上を浚って行きます。
喉も渇いていないときに、人はさあ、もっと水を飲みなさい!と言われても、困ります。
山の木も同じで、そんなに沢山の雨は下の方で飲めません。
洪水が出たとき、その雨水が土の中に染み入るまでには10日から2週間くらい掛かるそうですが、木々の貯水作用には時間が掛かります。
それを徐々に放水してくれているのです。
小さな細かい根が無ければそれさえも行えません。
人でも、口で水分補給はしますが、鼻でジュースを飲もうとする人はいないでしょう。
それこそ、『鼻から牛乳』になりますよ。
木の貯水作用が期待できなければ、後は、木の堆積作用で土石の流出を頼むしかありませんが、その頼りの木自体が無ければ、その期待は『絵にかいた餅』です。
・住宅構造の見直し。
竜巻、台風、地震、豪雨など災害に強い住宅と言える為に出来ることは何かと再考しなければならなくなりました。
鉄筋コンクリートでなく、材木を活用すると唱える方もおられますが、従来の余り余った日本材木の活用が重要なのか、台風や竜巻の際の強度が重要なのか、良く良く考えなければ、不良住宅の問題が新たに発生するかと思います。
外材の出現や輸入は、安価よりもっと重要な昆虫類の付着が懸念されて更なる生態系や人間被害にも関係があり、今後、それらも問題となると言える。
ガーデン用のウッドチップにさえ、昆虫の卵が付着しており、ガーデニングの庭から外来昆虫が発生している。
・住宅とは家庭における家族の生活の拠点である。
教育は家庭から始まる。
家族が生活していくための単なる箱などでなく、そこは子供や家族が『明日の為に今日を生きていくことを学ぶ場』である。
『家庭』は社会の単位であり、国家の基礎となる。
もし、家庭が問題や悩みを内在しているのであれば、社会全体の氷山の一角となり、やがて必ずや社会現象や社会問題として発症する。
人を満足させる家庭と家であれば、それは国家にとって経済と安定の創出に役立つ良い面があり、その価値は高い。
処が、逆に、家庭が満足出来なければ、多々、社会問題を産み出す温床を既に抱えており、内在するその水面下の問題はやがて現れた時に家庭にとっても社会にとっても国家にとっても、損失と成りうる。
『いい家』。
それを思うとき、そこが全ての満足と共にあらゆる問題の元であることを再考し、これからの『いい家』を産み出して行かねばならぬ日本の大きな課題であると言えます。
決して、『家』とは単なる箱としての建物だけでは無く、
そこに包まれた家族の満足の癒しの本であることを心に留めたいと思うのです。
今日は何の日?
11月18日に想う。
それは、現代が得たものと、失ったものとを差し引き勘定してみなければ『いい家』への変化だったと言えるものか、再考しなければならない緊急の課題です。
『家』を成す全ての国民の課題でもあると言っても過言ではないと言えるでしょう。
©️『今日は何の日?』↓↓↓
#🏡#いい家の日#今日は11月18日#134.
by Shanxi.All rights reserved.18 November 2019.