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ローマの信徒への手紙 6:23 新共同訳
[23] 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
ヨハネによる福音書 8:34 新共同訳
[34] イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
ヨハネによる福音書 8:36 新共同訳
[36] だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
ヘブライ人への手紙 2:14-15 新共同訳
[14] ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 [15] 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
何から解放されるのでしょう?
イエスは十字架上の血によって身代金を支払い、私たちを解放してくださいました。
罪からの解放
罪の意識があるかどうかに関わらず、思い、言葉、行いによって神の律法を、何度も破ってきた私たちは、誰しも神の御前(みまえ)において罪人です。誰かが罪を犯した時に罰金を支払わねばならないのと同じように、神の律法を破ったことへの罰則があります。「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ人への手紙第6章23節)
罪を犯すことによってもたらされる結果は霊的な死で、神から永遠に切り離されます。私たちは皆、その罰を受けるに値します。私たちが完全に赦され、罪悪が取り払われるよう、イエスは、十字架の上で私たちの身代わりとして罰を受けてくださいました。
依存症からの解放
イエスは「すべて罪を犯すものは罪の奴隷である」(ヨハネによる福音書第8章34節)と言われました。イエスは、私たちを罪の奴隷から解放するために死なれました。十字架の上で、罪への依存症の力は打ち砕かれました。なおも時々罪に陥ることがあるとしても、罪への依存症の力は、イエスが私たちを解放する時、打ち砕かれるのです。
恐れからの解放
イエスは「死の力を持つ者、すなわち悪魔を、御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つため」(へブル人への手紙第2章14節~15節)に来られました。私たちはもはや死を恐れなくてもよいのです。
イエスに解放された者たちにとって、死は終わりではありません。むしろ、死は私たちが罪の存在からさえも解放される天国への入り口です。イエスは、死の恐怖から私たちを解放された時、他のすべての恐れからも私たちを解き放ってくださったのです。
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