大阪市営地下鉄3000系(30系)です。此れはドアの窓が上の方にしか無い正方形の小窓(関東で言う営団6000系みたいな奴)だったので、幼児だった私は景色が見えなくて嫌いでした。
其の点、北大阪急行2000形は普通に腰板の部分迄開いて居る長方形の窓だったので好きでした。
親戚や親に連れられて万博に向かう満員電車の3000系の中で、景色が見えなくて困って居た私を、直ぐ横に居た見知らぬ小父さんが肩車して呉れたのを鮮明に覚えて居ます。
北大阪急行の駅から万博会場迄は近かったですが(其れでも凄い人混みなので時間は掛かったと思いますが)
2回目に行った時は阪急で行ったので(「阪急で行った方が安いから」抔と親達はセコい事を言ってました)阪急の駅からはメッチャ遠かったのを覚えて居ます。
トンネル入口の字が恐い‼️‼️丸で戦前に開通した隧道の様な古臭い字‼️恐怖‼️
恐らく『春國萬里千』(右から読んで更に新字体にすると『千里万国春』)では無いかと思います。
日本万国博覧会は其れ以降のローカルな博覧会とは違って、国を挙げての大事業でしたよ。オリンピックにも引けを取りませんでした。幼児の私でも其れをひしひしと感じて居ました。
『キイハンター』の再放送なんか見てたら、70年の何年も前に、関東の商店街の沿道に、万博の桜のマークを付けた幟が立ち並んでましたよ。日本万国博覧会は其れ丈凄いイベントだったと言う事です。
だから、そんな大事なイベントを『大阪万博』抔と、ローカルなしょぼい呼び方で片付けては不可ない。略すなら『日本万博』と呼ぶ可きだ。
YTVニュース
《本文》(不本意乍ら原文の儘コピペします)
1970年の大阪万博当時に開催期間限定で運行していた北大阪急行の「会場線」が特別公開されました。
古瀬朱理 記者
「あちらには桃山台駅、反対側には千里中央駅があるのですが、その先には70年万博で使用されていた路線が続いています」
特別公開された北大阪急行の「会場線」は、1970年の大阪万博会場とを結ぶ臨時路線として、最寄り駅の「万国博中央口駅」 までの約3.6キロをつなぎ、閉幕翌日に廃止されるまで、期間中に約2000万人が利用しました。
北大阪急行は公開について、「55年の時を経て、再び大阪で万博が開催されるこのタイミングに公開することで、大阪・関西万博の機運を盛り上げたい」としています。
関係有りませんが、此のニュースを読んだ森若佐紀子アナウンサーは『万国博』を『万博博』、『閉幕』を『開幕』と、2回も間違えてます。