社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

ジョブズ氏の死亡で自分の仕事を見直す(2回目の転職)

2011-10-08 14:30:06 | 会社の仕事

アップルの前CEOスティーブ・ジョブス氏の死亡で自分を見つめかえすが、未だに自分は何をしたいかわからない。そして昔を思い出した。社会に出て最初の会社を退職して、転職した。転職先の会社は実は私のお客様でもあった。この会社で私はコンピュータの営業から技術へと職業も変わった。この二つ目の会社は実質社長のノウハウとコネで成立していた。社長が商業印刷における特殊な技術と持たれていた。当時かなり普及していたワープロ(専用機)を利用し、データ入力センターの業務を行っていた。オペレータは一般の主婦だった。会社に来てもらって会社のワープロを使ってデータ入力される方と自前でワープロを購入されて、自宅でインプットされる方もいた。使用したワープロはNEC、富士通、シャープ、東芝・・・。そうまだパソコンは普及しておらず、高価な時代だった。NECのPC9801が圧倒的シェアを占める時代だった。

私のこの会社の最初の仕事は、各メーカーの専用ワープロのデータフォーマットを解析する事だった。当時のワープロは記録媒体としてFD(フロッピーディスク)を使用していたが、ここに記憶される文書の構造は全てメーカー毎に異なっていた。そうFDの物理フォーマットどころか、そのディレクトリー構造、ファイル構造、文書構造、属性構造、文字コードなど、すべて互換性がなかった。

      ワープロ
(データインプット)
データ変換 電算写植機 備考

NEC文豪

富士通OASYS

シャープ書院

東芝RUPO等



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写研(SKコード)
モリサワ
当時電算写植と言えば、写研 - Wikipediaの機械をさした。

今思えば、かなり無茶な話だった。が自分で言うのもなんだが、やってしまった。

  1. FDの物理フォーマットの解析:シリンダー、トラックやセクターの解析とデータ容量等
  2. ディレクトリー・ファイル構造の解析:インデックスの解析
  3. 文書構造の解析:文書名、作成日、更新日、データ・・・。
  4. 属性構造の解析:要は文字修飾の構造、たとえば強調、アンダーライン、中央揃え等をどう表現しているか?
  5. 日本語文字コードの扱い:ASCII、JIS、EBCDIC、SK?等

既に当時何をやったか詳細は忘れているが、今振り返ってもすごいと思う。物理的なFDのフォーマットを調べる事から初めて半年で上記の解析をほぼ終えていた。そして各ワープロからのデータを直接写研のフォーマットへ変換するのではなく、中間フォーマットまで考案していた。そしてそのプログラムもC言語を作っていた。当時はまだほとんどC言語も普及していなかった。

この仕事が次の仕事を生んだ。あるメーカーが新規にワープロ市場に進出する為に、ソフトを開発して欲しいと相談にきた。つまり後発参入なので、先行しているワープロメーカーからの乗り換えを謳う為に、ワープロのコンバーターが欲しかったのだ。そしてこれを受けた。私一人でこれも半年ぐらいで完成させた。

更にこれらの仕事で得たノウハウがどんどん加速して広がっていった。他の専用ワープロの解析やパソコンの松や一太郎と言うワープロソフトの解析。日本入力(FEP今のIME)の解析、電算写植システムの解析と組版技術の取得。

コンピュータもNECのPC9801シリーズの必要な技術情報から当時普及しつつあったワークステーションの技術の取得等・・・。

補足的になんでも吸収した。その一つがコピープロテクト外しだった。当時パソコンソフトの一太郎にはコピープロテクトが施されていたが、FDのデータフォーマットを解析するのが仕事だったので、いとも簡単に外した。最もコピープロテクトを外すのが目的と言うよりどんな方法でプロテクトを掛けているのかを見つけるのが面白かっただけだ。従ってコピープロテクト外したからと言ってなにもする訳ではなかったが・・・。高度なプロテクト外しに、必要だったスピンコントローラーまで使っていたが・・・。

2つ目の会社に入って2年近く過ぎようとしていた。そしてまた次のスタートがやってきた。私が今やっている仕事を知っていた、前の会社の同期(親友)が、突然会いたいと言ってきた。彼は今の親会社に転職しており、そこで新しいシステムを開発しようとしていた。そしてその開発に私の力が欲しいので来ないか?と誘った。

そしてまた今度は違う意味で悩んだ。そう前の転職と違い、今度は今の社長に大変お世話になっている。恩をあだでかえすような事はしたくない。しかし私は今度は純粋に次のステップに行きたかった。そう大会社での仕事環境がどう変わるか?知りたかったからだ。親友もすごいと親会社を紹介してくれていたし。

そして私は正直に社長に話した。社長は怒った。そして社長は正直に話してくれた。自分の会社を私にやるつもりだったと。私は心から何回も誤った。そして社長は許してくれた。そして社員全員で送別会をしてくれた。今でも当時の社長には深く感謝している。おそらく私の技術の元をくれた方だ。取得・実現したのは私だが。

そして2回目の転職を果たし、親会社で新しい仕事が始まった・・・(続く)


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