社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

部門長は部下を上げる(出世させる)事も大きな実績だ

2011-08-06 07:17:00 | 会社の仕事

先日、お世話になった元上司が会社を退職された辞令をふと見つけた。気になって、この元上司を良く知る昔の同僚に電話をした。

この元上司(昔の部署の部門長)にお世話になったと言う意味だが、簡単に言うと、私の階級(資格)を上げてくれた方だ。それ以降は、私は上がっていないため、この方が最後の尊敬すべき上司となる。上司と認める事ができる上司だった。つまり、私の力と実績を認め、私を上げる力を持っていた方だ。しかも私の形にならない実績を評価し、私の年齢(高齢)と上げる難しさがあってもそれを実現したすごい方だ。

一方で、自分の部下を何人上げられるかが、実績であり、力だと認識されていたように思う。これは私はある意味すばらしい事だと思うし、この方にあった事で、この辺の人事と言うか上司(部門長)の実績と言う事が初めて理解できたと思った。

その上司とは実は仕事で毎回衝突した。毎回喧嘩しそうになった。それでもお互いにやりあった。お互いに罵倒する事は無かったが、あきらめずに・・・。私は途中であきれたが・・・。それでも上司として今でも感謝している。健康が悪かったが、それでもすさまじい執念で仕事をされた。今でも感謝している。そして仕事への執念と言う意味でも。まさしく病気で寝ていなければならないのに、家でも資料を届けさせて仕事をされていた。そして必死で会社にもこられた。気の毒なくらい気も使ったが。それでも仕事をされた。その後この方に匹敵する方にはお会いしていない。

その後、私は部門を変わり、多くの仕事で貢献した(と私的には思う。もちろん実績と言う意味では事実だけが残っているので、私は何も言う必要はない。)。しかし、元上司と同じように尊敬すべき方には恵まれなかった。特に仕事に復帰した後は、その酷さを見続けるのがつらく、それでも一歩ひいて、冷静に見ながら、時を過ごした。が、流石に4年も実績がでない部門とそのトップを見ると、怒りは通り越して、あきらめと失望にさいなまれそうだ。それでもまだ一縷の望みをかけて、できるだけ静かに見ているつもりだ。もう尊敬すべき上司などと言うレベルではない。いつ見捨てようかと言うレベルまできている。

さて、その元上司がどうされるのか心配だった、。が昔の同僚曰く、「うん、あと一年アルバイトされるようだ。まだ会社にきていらっしゃるから・・・」と言う事でホッとした。流石に65歳を過ぎてもすごい。65歳を過ぎても、今度はマイペースで働かれていることを望んでいる。

と言う事で、今回は、部門長や上司の実績として、人事的に見れば、何人部下を上げれたかと言う事も非常に大切であり、その部門の意識高揚になると言う事を言いたかった。特にこれは、事業部門ではなく、直接成果を現すことができないスタッフ部門などでは重要だと思う。


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