父は抜身の刀を持って庭へ通りました。切っ先をわたくしに向けております。
「ははは…… 自分の娘を怖れて刃を向けるとは、腰抜けの極みよ!」
わたしの口は言い放ちます。わたくしの言葉に父は震えています。怒りと恐怖が綯い交ぜ(ないまぜ)になっているのでございましょう。
「何が鬼だ! きくの! いい加減にいたさぬか!」
父は声を荒げ、刀を構え直しました。わたくしの眼にはその様は滑稽以外の何者とも映りませぬ。
「威勢だけは良いようじゃ。だが、鬼にもなれぬ腰抜けが娘を斬ることなど出来まいが!」
わたくしの口はそう言い、嘲りの笑い声を立てました。
と、古井戸の乗っている大石ががたがたと音を立て、左右に揺れ出しました。母とばあやはそれを見て悲鳴を上げました。
「ははは…… 今までに青井に手で骸になった者どもが、鬼となって出たがっておるのじゃ! 青井の血を求めてな!」
「ふざけた事を!」
父はわたくしに向かって刀を振り下ろしました。着物の胸元が裂かれました。血が流れました。着物が赤く染まります。痛みは全くありませぬ。むしろ、下腹部にあの甘い疼きが生じました。
「旦那様!」
そう叫んだのはばあやでした。ばあやは庭に飛び下り、わたくしの前に立つと、父に向かって両腕を広げました。こんな年寄りによくこんな芸当ができるものと、わたくしはぼんやりと思ったものでございます。
「どけ!」
父は切っ先を下げずに、立ちはだかるばあやに言います。
「なりませぬ、旦那様! しっかりなさりませ! お嬢様でございますよ!」
「ばあや、よく見ろ! これはきくのではない、妖かしに囚われた魔物じゃ!」
「いいえ! きくのお嬢様でございます!」ばあやはどきませぬ。「血をお流しでございますよ! お手当をいたしませぬと!」
「痴れた事を申すな! そやつは最早、人ではない!」
わたくしは二人のやり取りを見ておりました。不意に笑いが込み上げてまいりました。
「ははは…… もっと斬れ! 斬られ、血を流す度に、お前の娘は悦楽に酔いしれるのじゃ!」
わたくしの口が愉快そうに言います。ばあやはわたくしに振り返り、驚いているのか、目を丸く見開いておりました。そのおかしな顔と言ったら、わたくしはばあやの顔を指差して笑っておりました。
「聞いたか、ばあや! これはきくのでは無いのだ!」
「いいえ、いいえ! 旦那様!」ばあやは父の言葉に、父へと向き直りました。「何かの間違いでございますよ! きくのお嬢様は少しお疲れなだけでございますよ!」
「黙れ! ばあや、そこをどけ!」
「どきませぬ!」
「きさま、主人に縦を突くか!」
父の刀が振り上げられ、勢いよく振り下ろされました。
ばあやは仰向けで倒れました。わたくしのからだは汚いものを避けるように後ろへ下がりました。
庭に倒れたばあやの額から顎にかけて一本の筋が走り、そこから血が噴き出していました。それを見たわたくしは甘い疼きが強くなり、息が乱れてまいりました。
古井戸の大石がさらに激しく揺れます。
「ああああ! ばあや!」
母が庭に下りてきました。ではございましたが、絶命したばあやの周りをおろおろと回っているだけでございました。
つづく
「ははは…… 自分の娘を怖れて刃を向けるとは、腰抜けの極みよ!」
わたしの口は言い放ちます。わたくしの言葉に父は震えています。怒りと恐怖が綯い交ぜ(ないまぜ)になっているのでございましょう。
「何が鬼だ! きくの! いい加減にいたさぬか!」
父は声を荒げ、刀を構え直しました。わたくしの眼にはその様は滑稽以外の何者とも映りませぬ。
「威勢だけは良いようじゃ。だが、鬼にもなれぬ腰抜けが娘を斬ることなど出来まいが!」
わたくしの口はそう言い、嘲りの笑い声を立てました。
と、古井戸の乗っている大石ががたがたと音を立て、左右に揺れ出しました。母とばあやはそれを見て悲鳴を上げました。
「ははは…… 今までに青井に手で骸になった者どもが、鬼となって出たがっておるのじゃ! 青井の血を求めてな!」
「ふざけた事を!」
父はわたくしに向かって刀を振り下ろしました。着物の胸元が裂かれました。血が流れました。着物が赤く染まります。痛みは全くありませぬ。むしろ、下腹部にあの甘い疼きが生じました。
「旦那様!」
そう叫んだのはばあやでした。ばあやは庭に飛び下り、わたくしの前に立つと、父に向かって両腕を広げました。こんな年寄りによくこんな芸当ができるものと、わたくしはぼんやりと思ったものでございます。
「どけ!」
父は切っ先を下げずに、立ちはだかるばあやに言います。
「なりませぬ、旦那様! しっかりなさりませ! お嬢様でございますよ!」
「ばあや、よく見ろ! これはきくのではない、妖かしに囚われた魔物じゃ!」
「いいえ! きくのお嬢様でございます!」ばあやはどきませぬ。「血をお流しでございますよ! お手当をいたしませぬと!」
「痴れた事を申すな! そやつは最早、人ではない!」
わたくしは二人のやり取りを見ておりました。不意に笑いが込み上げてまいりました。
「ははは…… もっと斬れ! 斬られ、血を流す度に、お前の娘は悦楽に酔いしれるのじゃ!」
わたくしの口が愉快そうに言います。ばあやはわたくしに振り返り、驚いているのか、目を丸く見開いておりました。そのおかしな顔と言ったら、わたくしはばあやの顔を指差して笑っておりました。
「聞いたか、ばあや! これはきくのでは無いのだ!」
「いいえ、いいえ! 旦那様!」ばあやは父の言葉に、父へと向き直りました。「何かの間違いでございますよ! きくのお嬢様は少しお疲れなだけでございますよ!」
「黙れ! ばあや、そこをどけ!」
「どきませぬ!」
「きさま、主人に縦を突くか!」
父の刀が振り上げられ、勢いよく振り下ろされました。
ばあやは仰向けで倒れました。わたくしのからだは汚いものを避けるように後ろへ下がりました。
庭に倒れたばあやの額から顎にかけて一本の筋が走り、そこから血が噴き出していました。それを見たわたくしは甘い疼きが強くなり、息が乱れてまいりました。
古井戸の大石がさらに激しく揺れます。
「ああああ! ばあや!」
母が庭に下りてきました。ではございましたが、絶命したばあやの周りをおろおろと回っているだけでございました。
つづく
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