士師バラク(デボラが中心だったが)の平安が過ぎた。
イスラエルは再び自身の神から逸れた歩みを行なった。
神はイスラエルの民を遊牧の民であったミディアン人の手に渡された。ミディアン人は、アブラハムがそばめのケトラによってもうけた子たちの一人、ミディアンの子孫であり、時にはイシュマエル人と呼ばれた。かなり裕福で、何万頭にも上るろばや羊や牛を所有し、男性も女性も鼻輪や耳輪を含め、金の装身具で身を飾っていた。ミディアンの王たちは「赤紫に染めた羊毛の衣」で着飾っていた。また、そのらくだでさえ首飾りを付けており、その首飾りには月形の飾りが付いていた。シナイ半島の西側、アカバ湾の真東にあるアラビア北西部に定住していた。
そのミディアンが北上し、イスラエルの地を席巻した。得意の奇襲攻撃を仕掛け、略奪を行なったのだ。そのためイスラエルの民は、食物を山の中の地下の貯蔵所に置き、逃れ場として洞くつや近寄り難い所を自分たちのために作った。
しかし、席巻したのはミディアンだけではなかった。アマレク人と東の者たちも共になって陣営を敷いた。天幕ごと上って来て、無数のいなごのように数多かった。
彼らはイスラエルの地を荒らし回った。
彼らは地の産出物をガザに至るまでも損ない、食糧や羊や牛やろばをイスラエルに少しも残さなかった。
それが七年も続いた。イスラエルの民は疲弊した。民は真の神に助けを求めた。
その声に応えるように、神は一人の預言者を遣わした。人々は期待し、その声に耳を傾けた。
「イスラエルの神はこう言われました。『わたしがあなた方をエジプトから携え上り、あなた方を奴隷の家から携え出した。こうしてわたしはあなた方をエジプトの手から、あなた方を虐げるすべての者の手から救い出し、これをあなた方の前から打ち払って、その地をあなた方に与えた。そうしてわたしは言った、「わたしはあなた方の神である。あなた方はいま住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない」。それなのにあなた方はわたしの声に聴き従わなかった』」
これを聞いて、民は神がお見捨てになったのだと気が付き、己れの身を打ち叩き、嘆きの声を上げた。
オフラはタボル山から南西に約十五キロメートルほど行ったところにある、マナセ族の都市だ。
そこの大木のそばに酒ぶねがあった。
酒ぶねは、自然の石灰岩をくりぬいた二つの流しのようなくぼみが段差を作って並んでいて、その60センチ程度下がった段差が小さな溝で繋がれている。上側のくぼみはぶどうなどを踏んで搾る場所で、2.4メートル四方で深さは38センチ程あった。そこから搾られた果汁が溝を流れ、1.2メートル四方で深さは90センチ程の下側のくぼみに溜まるようになっていた。
しかし、からからに乾き、ぶどうの香りもすっかり消え失せた上部の搾り場で、アビ・エゼル人ヨアシュの子ギデオンが、地に積んである麦を、少しずづ束にして手に持ち、ぼろ布を敷いた酒ぶねの底に叩きつけながら脱穀をしていた。
略奪されて僅かに残った麦を、しかもミディアン人に見つからないようにするため、麦打ちには不便なこの場所で作業をするしかなかった。
本来は、家の者が総出で戸外で竿などで打ち、風の力を借りて、もみ殻をあおり分ける勇壮な作業で、収穫の喜びにあふれたものだった。
今はギデオン一人で、黙々と、それも休みなく、作業を続けていた。汗が滴る。腕も腰も痛い。しかし、ミディアン人に見つかったら奪われてしまう。手を休めるわけにはいかなかった。収穫は苦痛でしかなかった。
不意に視線を感じた。ギデオンは全身をびくんとさせて、動きを止めた。恐る恐る周りを見回す。すると、テレビンの大木の下に人が座って、ギデオンを見ていた。
「何だ、ミディアンじゃなかった……」
ほっとすると、再び作業にかかった。
大木の下の人は黙ってギデオンの作業を見ている。その視線が気になっていたが、ギデオンは手を休めなかった。
作業の途中で、ギデオンは腰を伸ばし、流れる汗を腕でぬぐった。大きく深呼吸をする。
「勇敢な力ある者よ……」
大木の下の人から声がかけられた。ギデオンはそれに答えず、作業に戻った。
オレには呑気に座っている暇人の相手をする時間はないんだ。何が「勇敢な力ある者よ」だ。マナセの小市民のオレをからかうにも程ってものがある。とにかく、麦打ちを早く終わらせて帰らなければ。
「神はあなたと共におられる……」
ギデオンの手が止まった。声の主へと振り返る。大木の下の人はギデオンから顔をそむけていた。ギデオンは顔を強張らせた。
「神が共にいて下さるだって? 言いたくはないけど、もし、神が共にいて下さるんなら、どうしてこんな事になっているんだ?」ギデオンは手にしていた麦の束を酒ぶねの底に叩きつけた。「『神はわたしたちをエジプトから導き出してくださった』と親父たちが話してくれていた、あの驚嘆すべきみ業はどこにあるってんだ? 今や神はオレたちを見捨ててしまわれた。ミディアンに渡されたんだ!」
言い終わるとギデオンはその人を睨み付けた。
何なんだ、この人は! 神が共にいないから、こんなにびくびくしながら麦打ちをしなけりゃならないんじゃないか!
その人はギデオンに振り向いた。
「あなたのこの力をもって出かけて行きなさい。あなたはイスラエルを必ずミディアンの掌中から救うことになる……」その人は少し間を開けて続けた。「わたしがあなたを遣わすのではないか」
オレの力? オレが救う? オレを遣わす?
「オレが何をもってイスラエルを救うって言うんだい?」ギデオンは呆れたように言う。「見てくれよ、オレの氏族はマナセの中で一番小さく、オレはその中で一番小さな者なんだぜ。こそこそと、びくびくしながら麦を打つのが精一杯なんだ」
「……わたしがあなたと共にいるからである」その人はギデオンに構わずに言う。そして、酒ぶねの麦の束を指さした。「そのゆえにあなたはあたかも一人を討つようにして、必ずミディアンを討ち倒すであろう」
平然としているその人を見て、ギデオンも冷静になった。考えが巡る。
この人が共にいてくれるだって? それで、ミディアンを打ち倒すって? おいおい、これって、まさか……
「もし今オレ……わたしがあなたの目に恵みを得ておりましたら……」ギデオンの態度が改まった。「わたしと話しておられるのがあなただというしるしを示してください。供え物を携えて来てあなたの前に置くまでは、どうかここから去らないでください」
「わたしは,あなたが戻って来るまでここに座っているであろう」
ギデオンは家に戻って、子やぎ一頭を調え、麦粉一エファを無酵母パンにしたものを作り、肉はかごに入れ、肉汁はつぼに入れ、大木の所に戻ってきた。その人は変わらず木の下にいた。それでギデオンは持って来たものを供えた。
「この肉と無酵母パンを取ってあそこの大岩の上に置き,肉汁を注ぎなさい」
その人は言った。ギデオンは言われた通りにした。その人は持っていた杖を突き出し、肉とパンとに触れた。すると、その岩から火が立ち上って肉とパンとを焼き尽くした。そして、その人は去って見えなくなった。そのためギデオンはそれが神のみ使いであったことを悟った。
「ああ、神よ! わたしはあなたのみ使いを面と向かって見てしまったのです!」
ギデオンは頭を抱え、うめいた。
「……あなたに平安があるように」声がした。神の声だ。「恐れなくてよい。あなたは死ぬことはない」
ギデオンは放心したようにその場に座り込んでしまった。しばらくして気を取り直したギデオンは、そこに神への祭壇を築いた。それは今日に至るまでエホバ・シャロム(主の平安)と呼ばれている。それはまだアビ・エゼル人のオフラにある。
(士師記 6章11節から24節をご参照ください)
イスラエルは再び自身の神から逸れた歩みを行なった。
神はイスラエルの民を遊牧の民であったミディアン人の手に渡された。ミディアン人は、アブラハムがそばめのケトラによってもうけた子たちの一人、ミディアンの子孫であり、時にはイシュマエル人と呼ばれた。かなり裕福で、何万頭にも上るろばや羊や牛を所有し、男性も女性も鼻輪や耳輪を含め、金の装身具で身を飾っていた。ミディアンの王たちは「赤紫に染めた羊毛の衣」で着飾っていた。また、そのらくだでさえ首飾りを付けており、その首飾りには月形の飾りが付いていた。シナイ半島の西側、アカバ湾の真東にあるアラビア北西部に定住していた。
そのミディアンが北上し、イスラエルの地を席巻した。得意の奇襲攻撃を仕掛け、略奪を行なったのだ。そのためイスラエルの民は、食物を山の中の地下の貯蔵所に置き、逃れ場として洞くつや近寄り難い所を自分たちのために作った。
しかし、席巻したのはミディアンだけではなかった。アマレク人と東の者たちも共になって陣営を敷いた。天幕ごと上って来て、無数のいなごのように数多かった。
彼らはイスラエルの地を荒らし回った。
彼らは地の産出物をガザに至るまでも損ない、食糧や羊や牛やろばをイスラエルに少しも残さなかった。
それが七年も続いた。イスラエルの民は疲弊した。民は真の神に助けを求めた。
その声に応えるように、神は一人の預言者を遣わした。人々は期待し、その声に耳を傾けた。
「イスラエルの神はこう言われました。『わたしがあなた方をエジプトから携え上り、あなた方を奴隷の家から携え出した。こうしてわたしはあなた方をエジプトの手から、あなた方を虐げるすべての者の手から救い出し、これをあなた方の前から打ち払って、その地をあなた方に与えた。そうしてわたしは言った、「わたしはあなた方の神である。あなた方はいま住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない」。それなのにあなた方はわたしの声に聴き従わなかった』」
これを聞いて、民は神がお見捨てになったのだと気が付き、己れの身を打ち叩き、嘆きの声を上げた。
オフラはタボル山から南西に約十五キロメートルほど行ったところにある、マナセ族の都市だ。
そこの大木のそばに酒ぶねがあった。
酒ぶねは、自然の石灰岩をくりぬいた二つの流しのようなくぼみが段差を作って並んでいて、その60センチ程度下がった段差が小さな溝で繋がれている。上側のくぼみはぶどうなどを踏んで搾る場所で、2.4メートル四方で深さは38センチ程あった。そこから搾られた果汁が溝を流れ、1.2メートル四方で深さは90センチ程の下側のくぼみに溜まるようになっていた。
しかし、からからに乾き、ぶどうの香りもすっかり消え失せた上部の搾り場で、アビ・エゼル人ヨアシュの子ギデオンが、地に積んである麦を、少しずづ束にして手に持ち、ぼろ布を敷いた酒ぶねの底に叩きつけながら脱穀をしていた。
略奪されて僅かに残った麦を、しかもミディアン人に見つからないようにするため、麦打ちには不便なこの場所で作業をするしかなかった。
本来は、家の者が総出で戸外で竿などで打ち、風の力を借りて、もみ殻をあおり分ける勇壮な作業で、収穫の喜びにあふれたものだった。
今はギデオン一人で、黙々と、それも休みなく、作業を続けていた。汗が滴る。腕も腰も痛い。しかし、ミディアン人に見つかったら奪われてしまう。手を休めるわけにはいかなかった。収穫は苦痛でしかなかった。
不意に視線を感じた。ギデオンは全身をびくんとさせて、動きを止めた。恐る恐る周りを見回す。すると、テレビンの大木の下に人が座って、ギデオンを見ていた。
「何だ、ミディアンじゃなかった……」
ほっとすると、再び作業にかかった。
大木の下の人は黙ってギデオンの作業を見ている。その視線が気になっていたが、ギデオンは手を休めなかった。
作業の途中で、ギデオンは腰を伸ばし、流れる汗を腕でぬぐった。大きく深呼吸をする。
「勇敢な力ある者よ……」
大木の下の人から声がかけられた。ギデオンはそれに答えず、作業に戻った。
オレには呑気に座っている暇人の相手をする時間はないんだ。何が「勇敢な力ある者よ」だ。マナセの小市民のオレをからかうにも程ってものがある。とにかく、麦打ちを早く終わらせて帰らなければ。
「神はあなたと共におられる……」
ギデオンの手が止まった。声の主へと振り返る。大木の下の人はギデオンから顔をそむけていた。ギデオンは顔を強張らせた。
「神が共にいて下さるだって? 言いたくはないけど、もし、神が共にいて下さるんなら、どうしてこんな事になっているんだ?」ギデオンは手にしていた麦の束を酒ぶねの底に叩きつけた。「『神はわたしたちをエジプトから導き出してくださった』と親父たちが話してくれていた、あの驚嘆すべきみ業はどこにあるってんだ? 今や神はオレたちを見捨ててしまわれた。ミディアンに渡されたんだ!」
言い終わるとギデオンはその人を睨み付けた。
何なんだ、この人は! 神が共にいないから、こんなにびくびくしながら麦打ちをしなけりゃならないんじゃないか!
その人はギデオンに振り向いた。
「あなたのこの力をもって出かけて行きなさい。あなたはイスラエルを必ずミディアンの掌中から救うことになる……」その人は少し間を開けて続けた。「わたしがあなたを遣わすのではないか」
オレの力? オレが救う? オレを遣わす?
「オレが何をもってイスラエルを救うって言うんだい?」ギデオンは呆れたように言う。「見てくれよ、オレの氏族はマナセの中で一番小さく、オレはその中で一番小さな者なんだぜ。こそこそと、びくびくしながら麦を打つのが精一杯なんだ」
「……わたしがあなたと共にいるからである」その人はギデオンに構わずに言う。そして、酒ぶねの麦の束を指さした。「そのゆえにあなたはあたかも一人を討つようにして、必ずミディアンを討ち倒すであろう」
平然としているその人を見て、ギデオンも冷静になった。考えが巡る。
この人が共にいてくれるだって? それで、ミディアンを打ち倒すって? おいおい、これって、まさか……
「もし今オレ……わたしがあなたの目に恵みを得ておりましたら……」ギデオンの態度が改まった。「わたしと話しておられるのがあなただというしるしを示してください。供え物を携えて来てあなたの前に置くまでは、どうかここから去らないでください」
「わたしは,あなたが戻って来るまでここに座っているであろう」
ギデオンは家に戻って、子やぎ一頭を調え、麦粉一エファを無酵母パンにしたものを作り、肉はかごに入れ、肉汁はつぼに入れ、大木の所に戻ってきた。その人は変わらず木の下にいた。それでギデオンは持って来たものを供えた。
「この肉と無酵母パンを取ってあそこの大岩の上に置き,肉汁を注ぎなさい」
その人は言った。ギデオンは言われた通りにした。その人は持っていた杖を突き出し、肉とパンとに触れた。すると、その岩から火が立ち上って肉とパンとを焼き尽くした。そして、その人は去って見えなくなった。そのためギデオンはそれが神のみ使いであったことを悟った。
「ああ、神よ! わたしはあなたのみ使いを面と向かって見てしまったのです!」
ギデオンは頭を抱え、うめいた。
「……あなたに平安があるように」声がした。神の声だ。「恐れなくてよい。あなたは死ぬことはない」
ギデオンは放心したようにその場に座り込んでしまった。しばらくして気を取り直したギデオンは、そこに神への祭壇を築いた。それは今日に至るまでエホバ・シャロム(主の平安)と呼ばれている。それはまだアビ・エゼル人のオフラにある。
(士師記 6章11節から24節をご参照ください)
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