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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 180

2020年11月10日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「え? は? へ?」じっと見つめてくる綺羅姫に対して、コーイチは妙な声を出す。「あの…… その……」
「うるさい!」姫は低い声で言うと、目を細める。「黙って、じっとしておれ!」
 姫の迫力に圧され、コーイチは口ごもる。姫はじっとコーイチの顔を覗き込む。……何なんだよう! この親子は人の顔を覗くのが趣味なのかよう! コーイチは心の中で文句を言う。口に出すと、また怒られると思ったからだ。
「目を閉じるでない! 顔をそむけるでない!」
 姫はコーイチにそう言った。その口調は命じる事に慣れているもののそれだ。コーイチは諦めた。目をしっかりと開け、顔をそむけなかった。むしろ姫をじっと見つめるかたちになった。姫は元々不機嫌そうな顔をさらに不機嫌そうにした。
「これ! そんなに見るでない!」
「じゃあ、どうしたら良いんです?」
「やかましいのう……」姫はつぶやくと、丸っこい手でコーイチの顎をつかんだ。「口を閉じよ」
 姫の顎をつかむ力が強いので、口を動かすことが出来ないコーイチだった。姫はぐいっと顔をコーイチに寄せる。鼻先がぶつかりそうだった。コーイチにしてみれば、こんなに女性と顔を近づけたのは逸子以外には居なかった。……ああ、逸子さん…… コーイチは笑顔で顔を近づけてくる逸子を思っていた。
 不意に姫は父である殿様へ振り返った。コーイチの顎をつかんだままだ。
「父上!」
「何じゃな? 綺羅姫?」
「気に入りました」姫は言うとにやりと笑い、つかんだコーイチの顎を上下に揺する。「この者を気に入りました」
「おお、そうか!」殿様は嬉しそうに、何度もうなずく。「何よりじゃ! 何よりじゃ!」
 何が気に入っただ? 何が何よりなんだ? コーイチは仲睦まじい親子のやり取りを見ながら不安でいっぱいになっている。
「……あふぉう……」
 コーイチは言う。顎をつかまれているので「あのう……」と言ったつもりがそうはならなかったようだ。姫は思い出したようにコーイチの顎から手を放した。
「あのう……」コーイチは自分の顎を何度も撫でさすりながら、改めて言う。「……何がなんだか、さっぱり分からないのですが……」
「何じゃ、お前は? 触れ書きを読んでおらんのか?」殿様は呆れたような顔をする。「珍しい格好をしておるが、字は読めんのか?」
「お触れ書きなんて知りませんよう」コーイチは言う。「ここへ来たと思ったら、いきなり捕まって、有無を言わさずにお城まで連れて来られたんです。だから、何にも知らないんです」
「ほぅ……」殿様は疑わしげだ。そして、テルキに向かって言う。「その方も知らんと申すか?」
「知りませんねぇ……」テルキはにやにやしながら答える。「コーイチの言うのは本当ですよ」
「お前はコーイチと言うのかえ?」姫がコーイチを見て言う。それから小馬鹿にしたように鼻で笑う。「ふん、変わった名前だな。お前なら、さしずめ、与一郎って言った所だがな」
「与一郎……?」コーイチはむっとした顔をする。「ボクの名前が変わっているって言うんなら、綺羅姫だって変わっているじゃないですか!」
 途端に綺羅姫は不機嫌極まりない表情になって、コーイチの顎をつかんだ。
「良いか、コーイチ!」姫はじっとコーイチの目を見つめながら言う。「名と言うものはな、自分では付けられぬのだ。それにな、名を悪く言う者は、名付けて下さった方への侮辱を口にしているも同然じゃぞ。わたくしの名は、先代の殿、わたくしの祖父の付けて下さったものじゃぞ! お前は祖父を愚弄するのかえ!」
 コーイチは姫につかまれた顔を左右に激しく振った。姫は思わず手を放した。コーイチはむっとした顔で姫を見る。
「そんな事を言うんだったら、ボクだって同じですよ!」コーイチも負けじと言い返した。「ボクの名前は、ボクが生まれた時に一族が一堂に集まってくじ引きで決めてくれたんだ。ボクの名前を馬鹿にしたって事は、ボクの一族を馬鹿にしたことになるんだ」
「ふん……」
 姫は鼻息荒くそう言い切ったコーイチの顔をじっと見つめて鼻を鳴らす。そして、目を閉じ、しばらく考え込む様子になった。それを見た殿様は、急におろおろとし始めた。
「良いか、姫。暴れてはいかんぞ…… 気に入らぬのならば、この者はわしの方で処罰するでな……」殿様は姫をなだめる。「これ以上ここを壊されては、もう建て直すのもままならぬのじゃ」
 気に入らぬ事があると姫は暴れるようだ。姫のこの様子がその前触れなのだろう。
 この建物も幾度も壊されているのだろう。粗末な作りなのも、破壊されては建て直すと言う事を前提としているのだ。しかし、それも限界なのだろう。
「良いな、姫? 落ち着くのじゃぞ?」
 姫は殿様の言葉が耳に入っていないようだ。じっと目を閉じて、微動だにしない。……まさに達磨の置物だ、コーイチは不謹慎ながらもそう思った。
 不意に姫の目が開いた。じろりとコーイチを見つめる。コーイチも負けるものかと、姫を見返す。
「……なるほど……」姫は言った。「確かに、それは言えるな。名には文句は言えぬな…… 申し訳なかった……」
 姫はそう言うと、コーイチに向かって頭を下げた。コーイチは急な姫の態度に戸惑いつつも、頭を下げた。しかし、からだを縛られているので上手く頭が下げられず、そのまま前のめりに倒れたコーイチは、姫の下げた頭に、自分の顔をぶつけてしまった。
「あれぇ!」
 姫はその勢いで額を畳に打ちつけた。
「うわっ!」
 コーイチは顔を姫の後頭部に乗せたままで、もがいている。
 殿様があわててコーイチを脇へと転がし、姫を抱き起こす。
「姫、大丈夫か?」姫が思っている以上に重いからなのか、はたまた興奮しているからなのか、殿様の腕がぷるぷると震えている。「おお、おでこが赤くなってしまって…… これ、コーイチとやら! この不始末、命で償ってもらうぞ!」
「そんなぁ!」畳に転がったコーイチが半泣きになる。「ボクも頭を下げただけですよう……」
「言い訳は通じぬ!」殿様は姫を畳の上に寝かせると、すっと立ち上がった。「そこに直れい!」
 身動きできないコーイチは困った顔で殿様を見上げる。すると、姫が殿様の袂をつかんだ。殿様は心配そうに姫の脇にしゃがみ込む。
「何じゃ?」優しい笑顔を姫に向ける。「やはり手打ちは姫がやりたいか?」
 姫は無言で起き上がった。じっとコーイチを見つめる。殿様は立ち上がると、部屋の外に控えている小姓から太刀を受け取り、姫に差し出す。
「いいえ、それは要りませぬ……」姫は差し出された太刀を見て首を左右に振る。そして、殿様を見上げる。「父上……」
「何じゃ?」
「わたくし……」姫は転がっているコーイチをじっと見つめる。「この者がますます気に入りました」


つづく


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