昼間のように明るくなった体育館だった。
さとみは立ち尽くしている百合恵に駈け寄る。アイと松原先生が、それに続く。朱音としのぶは、ようやく目から手を離した所だった。
「百合恵さん!」
さとみは百合恵の前に立つ。しかし、百合恵は顔を上げたままだ。
「……消えちゃったわね……」百合恵がぽつんと言う。「倒せたと思ったのに……」
「百合恵さん……」
さとみは心配そうに百合恵を見上げる。
「あの保母さんと子供たちも消えちゃった……」
百合恵は体育館を見回す。さとみもそれに倣った。みつたちは悔しそうにしている。
「歯が立たないわ」百合恵は言うと、力の無い笑みをさとみに向ける。「見てごらんなさい……」
百合恵はさとみに半紙を見せた。
「あの文字列が、消えている……」さとみは愕然とする。半紙は真っ白で何も書かれていない状態になっていたからだ。「これって……」
「そう、護符も効かなかった。いえ、護符の力を弾き飛ばしたのよ」百合恵はため息をついた。「こりゃ、勝ち目がないかもね……」
「そんなぁ……」
「そうは言うけど……」百合恵は真顔でさとみを見る。「さとみちゃんだって、危なかったじゃない?」
「そうだったですけど……」さとみは口籠ってしまう。「春美さんと子供たちを助けてあげたいんです」
「気持ちは分かるけど、今どこでどうしているのかさえ分からない状態なのよ? それに、あの影、完全にさとみちゃんをロックオンしているし」
さとみの顔が青くなる。先程の事を思い出す。霊体を生身に戻せなかった恐怖。そして、近づいて来る影の禍々しさ…… 護符に救われたが、その護符自体はあの影に敗れ去った。みつたち、霊体の強者をもってしても太刀打ちが出来ない。さとみは自分のおでこをぴしゃぴしゃし始めた。……何か方法はないかしら……
「……さとみちゃん」
百合恵の声で、さとみは我に返る。おでこに手を当てたまま、百合恵を見た。百合恵の隣に豆蔵が立っている。さとみは霊体を抜け出させようとしたが、百合恵に制された。
「ダメよ、さとみちゃん。長く霊体を抜け出させていたから、これ以上やると、疲れ果てちゃうわよ」百合恵は優しく笑む。「豆蔵がね、消えた保母さんと子供たちを探してみるって言っているわ」
百合恵の言葉に豆蔵はうなずいた。豆蔵は百合恵に話をしている。百合恵はうなずく。
「豆蔵は、あの影が皆を外に連れ出したに違いない。若い娘の子供連れなどそう居ないから、あちこちの伝手を尋ね渡れば、きっと見つかる、いや、見つけてみせる! って、気合が入っているわ」
「そうですか……」さとみは豆蔵に向かって、ぺこりと頭を下げた。「豆蔵、よろしくね。わたしは影を何とかできないか考えてみるわ」
「じゃあ、話はまとまったわね」百合恵がぱんぱんと手を叩く。「さあ、もう遅いわ。帰って寝なきゃね。……アイちゃんたちも帰らなきゃね」
「……はい」アイはちょっと不満そうだ。「でも、さっきまでの騒ぎ、気になるんですけど…… 会長もなんだか危険だったような……」
「アイちゃんって、さとみちゃんが大好きなのね。麗子ちゃんとは違う意味でだろうけどね」百合恵はにっこりと笑む。アイは真っ赤になって下を向く。「でも、もう大丈夫よ」
「さあ、百合恵『特別顧問』がおっしゃっているんだ、みんな、帰るぞ」松原先生が得意気な顔で言う。それから心配そうな顔で百合恵に訊く。「……百合恵さん、これ以上の事は起きないですよね?」
「そうですわねぇ……」百合恵は体育館を見回す。みつや冨美代、虎之助も見回している。そして、三人は百合恵にうなずいてみせた。影の持つ邪悪な気配は消えたようだ。「これ以上の事は起こらないようですわ…… 今日はね」
ほっとした松原先生は、百合恵の最後の一言で青褪める。
「やっぱり、あの影が関係しているんですね?」しのぶが割り込んでくる。『心霊モード』全開だ。その逆に、朱音は怖がっていて、ぎゅっと唇をきつく閉じている。「あの影がラスボスってわけですね」
「そう言えるわね」百合恵がしのぶを見て言う。しかし、笑ってはいなかった。むしろ、厳しい表情だった。「でもね、これはゲームじゃないわ。ラスボスって言っても、とっても凶悪で強い邪霊よ。興味本位的に近付くと、とっても危険なのよ」
「は、はい…… すみません……」
百合恵が見せる厳しい態度に、しのぶは自身の軽率な思いを戒めた。
「まあ、今日はここまでね」百合恵は言うと、しのぶの肩をぽんぽんと軽く叩いて、笑みを浮かべる。「それにしても、しのぶちゃんて冷静なのね。頼もしいわ」
「いえ、そんな……」
顔を寄せてきた百合恵に、しのぶは耳まで真っ赤になって下を向いてしまった。ただ、その様子は照れているだけではなさそうだ。
「さあ、みんな、撤収よ。寝不足は美容の敵よ」
百合恵は言うと、ぱんぱんと手を叩いて、皆を出入り口へと進ませる。
「百合恵姐さん……」豆蔵が百合恵に声をかける。「あっしはあの娘さんと子供たちを見つけてみせるとは言っておりやせんぜ。かえって、難しいと申し上げたんでやすが……」
「頑張っているさとみちゃんに、そんな事が言える?」百合恵はさとみの後ろ姿を見ながら豆蔵に訊く。「あの娘、みんなを助けたがっているわ。諦めていないのよ。だったら、わたしたちも、ね?」
「……へい、そうでやした。怖じ気てしまった自分が情けねぇです」
「わたしも、本当は怖じ気ちゃっているんだけどね……」
百合恵は白くなった半紙をを見つめる。
つづく
さとみは立ち尽くしている百合恵に駈け寄る。アイと松原先生が、それに続く。朱音としのぶは、ようやく目から手を離した所だった。
「百合恵さん!」
さとみは百合恵の前に立つ。しかし、百合恵は顔を上げたままだ。
「……消えちゃったわね……」百合恵がぽつんと言う。「倒せたと思ったのに……」
「百合恵さん……」
さとみは心配そうに百合恵を見上げる。
「あの保母さんと子供たちも消えちゃった……」
百合恵は体育館を見回す。さとみもそれに倣った。みつたちは悔しそうにしている。
「歯が立たないわ」百合恵は言うと、力の無い笑みをさとみに向ける。「見てごらんなさい……」
百合恵はさとみに半紙を見せた。
「あの文字列が、消えている……」さとみは愕然とする。半紙は真っ白で何も書かれていない状態になっていたからだ。「これって……」
「そう、護符も効かなかった。いえ、護符の力を弾き飛ばしたのよ」百合恵はため息をついた。「こりゃ、勝ち目がないかもね……」
「そんなぁ……」
「そうは言うけど……」百合恵は真顔でさとみを見る。「さとみちゃんだって、危なかったじゃない?」
「そうだったですけど……」さとみは口籠ってしまう。「春美さんと子供たちを助けてあげたいんです」
「気持ちは分かるけど、今どこでどうしているのかさえ分からない状態なのよ? それに、あの影、完全にさとみちゃんをロックオンしているし」
さとみの顔が青くなる。先程の事を思い出す。霊体を生身に戻せなかった恐怖。そして、近づいて来る影の禍々しさ…… 護符に救われたが、その護符自体はあの影に敗れ去った。みつたち、霊体の強者をもってしても太刀打ちが出来ない。さとみは自分のおでこをぴしゃぴしゃし始めた。……何か方法はないかしら……
「……さとみちゃん」
百合恵の声で、さとみは我に返る。おでこに手を当てたまま、百合恵を見た。百合恵の隣に豆蔵が立っている。さとみは霊体を抜け出させようとしたが、百合恵に制された。
「ダメよ、さとみちゃん。長く霊体を抜け出させていたから、これ以上やると、疲れ果てちゃうわよ」百合恵は優しく笑む。「豆蔵がね、消えた保母さんと子供たちを探してみるって言っているわ」
百合恵の言葉に豆蔵はうなずいた。豆蔵は百合恵に話をしている。百合恵はうなずく。
「豆蔵は、あの影が皆を外に連れ出したに違いない。若い娘の子供連れなどそう居ないから、あちこちの伝手を尋ね渡れば、きっと見つかる、いや、見つけてみせる! って、気合が入っているわ」
「そうですか……」さとみは豆蔵に向かって、ぺこりと頭を下げた。「豆蔵、よろしくね。わたしは影を何とかできないか考えてみるわ」
「じゃあ、話はまとまったわね」百合恵がぱんぱんと手を叩く。「さあ、もう遅いわ。帰って寝なきゃね。……アイちゃんたちも帰らなきゃね」
「……はい」アイはちょっと不満そうだ。「でも、さっきまでの騒ぎ、気になるんですけど…… 会長もなんだか危険だったような……」
「アイちゃんって、さとみちゃんが大好きなのね。麗子ちゃんとは違う意味でだろうけどね」百合恵はにっこりと笑む。アイは真っ赤になって下を向く。「でも、もう大丈夫よ」
「さあ、百合恵『特別顧問』がおっしゃっているんだ、みんな、帰るぞ」松原先生が得意気な顔で言う。それから心配そうな顔で百合恵に訊く。「……百合恵さん、これ以上の事は起きないですよね?」
「そうですわねぇ……」百合恵は体育館を見回す。みつや冨美代、虎之助も見回している。そして、三人は百合恵にうなずいてみせた。影の持つ邪悪な気配は消えたようだ。「これ以上の事は起こらないようですわ…… 今日はね」
ほっとした松原先生は、百合恵の最後の一言で青褪める。
「やっぱり、あの影が関係しているんですね?」しのぶが割り込んでくる。『心霊モード』全開だ。その逆に、朱音は怖がっていて、ぎゅっと唇をきつく閉じている。「あの影がラスボスってわけですね」
「そう言えるわね」百合恵がしのぶを見て言う。しかし、笑ってはいなかった。むしろ、厳しい表情だった。「でもね、これはゲームじゃないわ。ラスボスって言っても、とっても凶悪で強い邪霊よ。興味本位的に近付くと、とっても危険なのよ」
「は、はい…… すみません……」
百合恵が見せる厳しい態度に、しのぶは自身の軽率な思いを戒めた。
「まあ、今日はここまでね」百合恵は言うと、しのぶの肩をぽんぽんと軽く叩いて、笑みを浮かべる。「それにしても、しのぶちゃんて冷静なのね。頼もしいわ」
「いえ、そんな……」
顔を寄せてきた百合恵に、しのぶは耳まで真っ赤になって下を向いてしまった。ただ、その様子は照れているだけではなさそうだ。
「さあ、みんな、撤収よ。寝不足は美容の敵よ」
百合恵は言うと、ぱんぱんと手を叩いて、皆を出入り口へと進ませる。
「百合恵姐さん……」豆蔵が百合恵に声をかける。「あっしはあの娘さんと子供たちを見つけてみせるとは言っておりやせんぜ。かえって、難しいと申し上げたんでやすが……」
「頑張っているさとみちゃんに、そんな事が言える?」百合恵はさとみの後ろ姿を見ながら豆蔵に訊く。「あの娘、みんなを助けたがっているわ。諦めていないのよ。だったら、わたしたちも、ね?」
「……へい、そうでやした。怖じ気てしまった自分が情けねぇです」
「わたしも、本当は怖じ気ちゃっているんだけどね……」
百合恵は白くなった半紙をを見つめる。
つづく
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