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怪談 青井の井戸 29

2021年10月09日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 その日以降、わたくしは自分の部屋で食事をいたしておりました。これはわたくし自らが父母に言ったのでございます。青井の家の者でありながら、鬼となる覚悟の無き者たちと共になど過ごしたくはございませぬ。わたくしは、夕餉のみを持ってくるようにと、ばあやに言い付けました。最早ばあやは何も言いませぬ。父も母も同様でございました。
 わたくしはしんとした部屋で、時折鳴る雨戸を叩く音を聞いておりました。聞こえる度に下腹部に広がる甘い疼きに恍惚としておりました。
 そんな或る日でございます。
「……お嬢様……」
 障子戸の向こうからばあやの声が致しました。わたくしは返事を返しませぬ。
「今宵、亡き殿に殉ずる段と相成りましてございます…… こちらにお召しになる白装束をお持ちいたしました」
 ことりと廊下に衣装盆を置く音がし、ばあやが去って行く衣擦れの音が致しました。
 わたくしは障子戸を開け、白装束の乗った盆を部屋へ入れました。乱れなく畳まれて盆の上に置かれているそれを見て、わたくしは笑いが込み上げてまいりました。
「ほほほ…… 愚かな…… 鬼の血を絶やすとは、なんと愚かな……」
 わたくしは盆からそれを取り上げると、無造作に放り投げました。白装束は乱れて無様は形で畳の上に広がりました。わたくしは立ち上がり、それを幾度も踏み付けました。踏み付けながら、笑いを押さえる事が出来ませぬ。
 雨戸がまた叩かれます。骸の鬼どもが喜んでいるのでございましょうや。甘い疼きが湧きます。ではございましたが、それ以上の思いが湧いてまいりました。
「骸の鬼など、所詮は俄かの鬼。わたくしは連綿と続く青井の鬼の血を継いだ者。俄かの鬼などがわたくしに歓喜するなど笑止! 立場を弁えよ!」
 わたくしの叱責に雨戸の音が止みました。
 わたくしは白装束を左手で引き摺り、右手で障子戸を開け、閉じている雨戸を外に向かって押しました。雨戸はたやすく外れ、大きな音を立てて庭へと転がりました。手にしている白装束を転がった雨戸の上に抛りました。
 差し込む陽の明るさ温かさ、そして、何よりも、頓着なく咲き誇る花々を目にし、笑い出してしまいました。わたくしは素足のまま庭に降り立ちました。わたくしが花を育て、愛でていたのは、花自体の持つ鬼の情に、わたくしの鬼の血が応じていたのでございましょう。雨戸を叩く骸の鬼どもの姿は見えませぬ。本物の鬼に怖れを成したのでございましょうや。
 雨戸の立てた音を聞きつけたばあやが来ました。庭に転がる雨戸と白装束、そして、庭に立つわたくしとを見て、よろめいておりました。
「……お嬢様、一体何をなさって……」
 ばあやはやっとの事でそれだけ言いました。言いながら涙を流しています。その惨めな様が、さらにわたくしを笑わせました。
「ほほほ、ばあや。鬼が人並みのけじめをつけるが真の事と思うか?」
 わたくしは言いながら白装束を踏み付けました。土の付いた足で踏まれたそれにわたくしの足跡がくっきりと付きました。
「お嬢様! お気を確かにお持ちくだされませ! 今宵は大事が控えておりますれば……」
「大事とな? ほほほ…… それはばあやたちが勝手に行えば良い。鬼は死なぬ!」
 ばあやは血相を変えて廊下を駈け戻って行きました。父や母を呼びに行ったのでございましょう。わたくしは庭の古井戸に乗せられている大石を見ておりました。  


つづく


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