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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 206

2020年12月10日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「姫……」
 そう言ったのはテルキだった。綺羅姫はむっとした顔をテルキに向ける。
「何じゃ? お前は家老の犬であろうが!」
「ははは、こりゃ手厳しい……」テルキは苦笑する。「まあ、オレも生きて行かねばなりませんのでね。イヤイヤながらでも従っていたまでですよ」
「お前の事情など知らぬ!」姫は冷たく言い放つ。「そこに控えておれ!」
「一つ、聞きたいんですがね……」
 テルキは姫の下知を平然と無視する。周りの侍たちが不安そうに顔を見合わせている。姫の真似をして、握った右手を己が腹の帯の上を真横に擦る者もいる。
「何じゃ?」
「そんな面倒くさそうな顔をしないでくださいよ」テルキは笑む。「……聞きたいのは、どうしてコーイチ君なのかって事ですよ」
「ほう……」姫は言うと、コーイチを見る。テルキに向けた顔とは対照的で、優しい笑顔だ。「それはな、コーイチには邪心が無かったからじゃ」
「邪心……?」
「城に居るとな、皆が皆、何がしかの己れの利のために動いているのが分かるのじゃ」姫はテルキをにらむ。「初めてお前を見た時もそれを強く感じた」
「そうでしたか…… 見破られていましたか……」
「お前は自分自身をど真ん中に据えて、思うがままにしたいとの念が滲み出ておった」
「おやおや……」
「しかしな……」姫はコーイチに優しい眼差しを向ける。頬がやや赤らむ。「コーイチにはそれが微塵も無かったのじゃ。そこが気に入ったのじゃ」
「そうなんですか……」
「それだけでは無い」姫は腰を抜かしている家老をにらみ付けた。「塚本は口から出任せをぬかす下衆野郎だがな、コーイチは違っておった」
「どのように?」
「コーイチはな、離れに移ってから、日に一度は、多い時は幾度も平屋へと訪ねてくれた。わたくしも意地がある故、姿を見せなんだが、コーイチはわたくしの身を案じて声をかけ続けてくれたのじゃ」
 テルキはコーイチを見た。コーイチはぽりぽりと頭を掻いている。
「だって、ボクのせいで始めちゃったんですからね」コーイチは言う。「責任を痛感しましたよ。それで、何か出来ないかと思って……」
「最初は平屋に居た頃と同様に、わたくしの食断ちを止めさせようとしておった。しかし、それが叶わぬと分かると、励ましへと変わったのじゃ」姫は言うとにっこりと笑う。「わたくしは毎日のコーイチが待ち遠しくかった。たわいもない会話をするだけであったがな、一日も早う元の姿に戻ろうとの励みとなった」
「そうだったんですか……」コーイチは言う。「ちっとも姿を見せないし、返事も一言二言くらいだったから、本当に心配でしたよ」
「ははは、成就した際の姿を、いきなり見せてやろうと思うていたのでな」
「なかなか意地悪ですね」
「松や竹ほどでは無かろう?」
 部屋の中で松と竹の二人が聞き耳を立てているに違いない。変な返事をすると、後で何をされるやら…… コーイチは複雑な笑みを浮かべた。
 綺羅姫は廊下に立つコーイチの前まで進むと、ひょいと飛び上がり、コーイチの隣に立った。
「どうじゃ? からだが軽うなって、このような事も出来るようになった」
「はあ、凄いですね……」コーイチはまじまじと隣に立った綺羅姫を見る。「良く頑張りましたね……」
「分かったか? これがコーイチじゃ!」姫はテルキを見る。「お前のような己れの利などは微塵も考えてはいないのじゃ。わたくしの事だけを思ってくれている。こんな良い男、他には居るまい?」
 姫は言うと、突然、コーイチに勢い良く抱きついた。
「わっ! あの…… その……」 
 コーイチは両腕を下げたまま、しどろもどろになる。
「……何じゃ、まだ逸子とか申す女の事を思うておるのか?」姫は不満そうに口を尖らせる。「コーイチ。本当はそんな女など居らんのではないか? わたくしの婿がイヤで、そのような事を申しておるのではないか? わたくしの何が不満じゃ? 己れで言うのも何だが、この元の姿は、姉様方よりも数段別嬪じゃぞ」
「はあ…… そうなんでしょうけど……」コーイチは困った顔をテルキに向ける。「……テルキさん、逸子さんって居ますよね? テルキさんも会っていますもんね?」
「ほう……」姫はコーイチに抱きついたままで、むっとした顔をテルキに向ける。「お前、逸子と言う女を見知っておると言うのか?」
「まあ、そうですかねぇ……」
「はっきりしいや!」姫が一喝する。抱きつかれているコーイチがびくっとからだを震わせた。「良いか! これはわたくしとコーイチとに関わることぞ! あいまいな答え方をするでない!」
「……分かりました」さすがのテルキも真顔になった。「確かに逸子と言う女性は居ります。居りますが、もう二度と会う事は叶わないのです。コーイチ君はそれが分かっていながら、拘っているのです」
「コーイチ……」姫はコーイチを見る。笑顔は無い。「……真の話であるのか……?」
「……はい……」
 コーイチは小さく答える。
「そうであったのか…… 真であったのか……」
 姫は言いながらコーイチから離れた。
「そうか……」姫はつぶやきながらコーイチを見る。と、突然、先程以上の勢いでコーチに抱きついた。「コーイチ! 何と健気なのじゃ! 二度と会えぬ女子(おなご)を思い続けるとは! その哀しい心、わたくしが塞いでやろう。励まし続けてくれた礼も兼ねてじゃ!」
「いや、あの…… その……」
 姫の勢いを支え切れなくなったコーイチは倒れてしまった。コーイチが下になり、姫が上になった。
「きゃあああああっ!」
 いきなり悲鳴が起こった。
「コーイチさん! 何をやってんのよう!」
 悲鳴の主は逸子だった。城内を走り回ってここへ辿り着いたのだろう。呆然とした表情だった逸子は、次第に怖い顔になって行く。全身から赤いオーラが噴き上がった。


つづく



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