お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 205

2020年12月09日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「ひ、姫様……」
 家老の塚本は慌てて刀を鞘に戻し、その場に平伏した。綺羅姫はそんな家老に冷たい眼差しを向ける。
 それにしても、綺羅姫の変わり様には、コーイチも驚いていた。覚えている綺羅姫の面影を浮かべてみるが、全くの別人だ。敢えて言えば、相手を見つめる眼差しと厳しい口調が同じと言う所だろうか。
「塚本……」綺羅姫は平伏している家老の前につっと立つ。「刀まで抜いて、お前は何をしておったのじゃ?」
「いえ、これは…… その……」
「刀を抜いたわけを聞いておるのじゃ」姫はしどろもどろな家老に穏やかな口調で話しかけている。しかし、相変わらず眼差しは冷たい。「どうしたのじゃ? 答えぬか?」
「これ、綺羅!」殿様が怒鳴る。「家老に何をしておるのじゃ!」
「……父上」綺羅姫は殿様に顔を向ける。「父上までも刀を抜いて…… コーイチに何をしようと言うのです?」
「何をって…… お前の命を危うくした咎で成敗する所であったのじゃ」
「何ですと!」姫は険しい表情になる。「わたくしは、ここにこうして立っておるまするぞ! 何故にそんな話になったのですか!」
「それは、……その、あれだ……」
「それと、姉様方!」家老と同じくしどろもどろになった殿様を尻目に、綺羅姫は二人の姉姫に向く。「嫁いだからには、親の死に目にも会わぬとのお覚悟だったのではありませぬか? それなのに二人そろって何をしておいでじゃ?」
「いや、それは……」長女の紗弥姫が口ごもりながら懐剣をしまう。「綺羅が心配な故……」
「そうじゃ」次女の優羅姫も懐剣をしまう。「お前が死にそうだとの文が届いた故……」
「わたくしが、死にかけている……?」綺羅姫が言うと、姉姫たちはうなずく。「どこからそのような?」
「ここからじゃ」紗弥姫が言う。「内田の家より火急の知らせとして届いたのじゃ。すぐに来いとも書かれてあった」
「わたくしのところにも同様の文が届いた」優羅姫が言う。「内田の家の存亡にかかわる事故、是非に戻られたしの事であった」
「……父上、どう言うことにござります?」
「どうもこうもないわ!」殿様は開き直ったように言う。「コーイチがお前に無理な食断ちをさせ、死に追いやっておると聞いたのでな。そんな悪党を生かしてはおけぬと、成敗しようとしたまでじゃ!」
「ほう……」綺羅姫は冷たい眼差しを殿様に向ける。「父上は、直々にわたくしの様子を見に来られたのか?」
「え?」殿様は戸惑う。「いや、わしは色々と忙しいのでな。……それにお前はあの平屋にこもりっぱなしだったではないか」
「ほう……」綺羅姫はなおも殿様を見つめる。「では、わたくしの様子は伝聞と言う事でございますのか?」
「まあ、そんなところだ」
「誰から聞きましたのじゃ?」
「それは、ほら、そこの塚本じゃ」殿様はそう言うと、平伏している家老を指差す。「毎日のようにな、わしに、綺羅が食断ちをして日々弱って来ておると申してな……」
「ほう……」綺羅姫は家老に顔を向けた。家老は額を地面に付けている。「塚本、お前はいつわたくしの平屋に参ったのだ? お前の気配など全く無かったが?」
 家老は相変わらず地に額を付けたまま微動だにしない。その横で、テルキは腕組みをしたまま、じっと綺羅姫を見つめている。しかし綺羅姫はテルキに関心を示していない。
「どうなのじゃ、塚本?」綺羅姫の口調は優しいが、表情は厳しい。「お前の代わりに誰かが様子を見に来ておったのか?」
「姫様……」塚本が顔を上げた。意地の悪そうな顔をしている。「この横に立っておる者、テルキと申す者が、姫様のご様子を見ておりました。……な、そうであったな、テルキ?」
 家老はテルキを見上げる。テルキは心得たとばかりににやりと笑ってうなずいた。家老も良しなにと言うようにうなずき返す。
「姫様……」テルキが綺羅姫に言う。大仰に頭を下げて見せた。「御家老の言う事、とんと覚えがありませんねぇ……」
 いつの間にか集まって来ていた城勤めの侍たちも「なんと!」と驚きの声を漏らす。この侍たちも、綺羅姫の命がコーイチによって危険な状態だと吹き込まれていたのだろう。家老を無言で見つめている。
「これ! テルキ、何を申すか!」家老は慌てる。テルキは向こうを向いた。家老は周りの侍たちを見回す。しかし誰も目を合わさない。「これ! その方どもまで……」
「ほう……」綺羅姫は無様に慌てている家老をにらむ。「塚本、どちらの言い分が正しいのか?」
「姫様、わたしは家老ですぞ! この様なぽっと出の者を信じますのか!」
「おやおや」テルキは呆れた表情をする。「そのぽっと出を頼りとしているのは御家老様ではないですかぁ?」
「ええい! 黙れい!」
「塚本!」綺羅姫が語気鋭く家老を叱責する。「お前は口から出任せを父上や姉上たちに吹き込んだのだな?
それは婿は杉田家の弥三郎にせんがためか? あの家もこれから手を結んでおいて損はないと父上に申したそうだが、本当の所はお前の腹が肥えると言う事ではないのか? どうじゃ! しかと返答せい!」
「は、ははあっ!」家老は観念したようにその場に平伏した。「……畏れ入りましてございます……」
「ふん!」綺羅姫は鼻を鳴らす。「ならば、する事は一つじゃな……」
「……と仰せられますると……」
「これじゃ!」綺羅姫は右手を握り、己が腹の帯の上を真横に擦る。「腹を斬れい!」
「ひえええっ! ご勘弁を!」家老は腰を抜かしてしまった。「どうか、ご容赦を……」
「ならぬ! さっさと斬れい!」
 綺羅姫は譲らない。周りの侍たちもうなずく者が多い。
「これ、綺羅よ」殿様が割って入る。「塚本は隠居させる故、それで手を打て。この者は家老として内田を守り繁栄させた功労者だぞ」
「父上!」綺羅姫は今度は殿様をにらむ。「ご自分で確かめもなさらず、塚本の讒言に振り回されるとは何とも情けない! 塚本が隠居なら、父上も隠居なされい! 役立たずは二人とも隠居じゃ!」
「な…… な……」
 殿様はあまりの言われように呆然とし、口をぱくぱくさせている。
「綺羅!」紗弥姫が割って入る。「父上に対して言葉が過ぎますぞ!」
「何をおっしゃるのやら」綺羅姫は小馬鹿にしたような表情を姉姫たちに向ける。「嫁いだからには、もう内田の者ではないはず。それを、文一つでほいほいと帰ってくるなど言語道断! 幾ら帰っても良いと言われたからとて、するべきではございませんでした。今頃は嫁ぎ先の赤塚と青山では『やはり内田の家の者は嫁ぎ先より実家が大事。何かあればすぐに裏切るだろう、信用ならぬ』と言われておりましょうぞ! それとも『行きとうない、行きとうない』と嫁ぐ前の夜に泣いたのは本心でございましたのか? ここが懐かしゅうてたまりませんのか? とにかく、姉様方は嫁ぎ先の信を失いましたのじゃ!」
 綺羅姫の辛辣な言葉に、姉姫たちはがっくりと地に膝を付き、声を上げて泣き出した。
「ええい、うっとおしい姉様方じゃ! 泣いて済むものかどうか、分からなんだのか!」
「……あのう…… お取込み中でしょうけど……」そうおずおずと声をかけて来たのはコーイチだった。「姫、少し落ち着いて下さいよ。みんなどうして良いか、分からなくなっていますよ」
「おお、コーイチ!」綺羅姫は飛び切りの美しい笑顔をコーイチに向けた。今の出来事が無かったかのように嬉しそうだ。その場でくるりと一回りしてみせる。「どうじゃ? わたくしは元の姿に戻ったのじゃ。これで婿になってくれよう? 父上には隠居してもらう故、コーイチが次の殿じゃ!」
「……は、はあ…… いえ、あの……」
 コーイチは答えに窮している。


つづく
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コーイチ物語 3 「秘密の物... | トップ | コーイチ物語 3 「秘密の物... »

コメントを投稿

コーイチ物語 3(全222話完結)」カテゴリの最新記事