控えていた侍が脇差を抜いた。そして、テルキとコーイチを縛っている縄を切った。二人は大きく息をつく。
「ではな、コーイチは姫と共に行くのじゃ」殿様は言う。「良いな、くれぐれも、姫に嫌われぬ事じゃ」
「……あのう……」コーイチはテルキを見る。「テルキさんはどうなるんです?」
「そちが言っておったであろう? この者は知識も経験も豊富だとな。ならば、それを試してみようと思っておる」
「……と言うわけだ」テルキはコーイチを見てにやりと笑う。「ま、お互いに命があったら、また会おうぜ」
テルキは殿様と控えの侍それに小姓と共に部屋を出て行った。
コーイチは姫と二人、部屋に残された。殿様たちの足音が消え、しんとなった。何か言わなければとコーイチは思うが、話題が無い。元来聞き役になる事の多いコーイチなので、尚更だった。咳払いとか「あー、うー」とか言いながら話題を探すも、やはり見つからない。姫もあえて口を開かず、立ったまま、じっとコーイチを見おろしている。
「コーイチ……」姫が不意に口を開き、背を向ける。「ついて参れ」
姫は言うと、障子戸を開けて廊下に出た。ゆっくりと歩く姫だったが、やはり重いせいなのか、床が軋っている。コーイチは慌てて立ち上がると姫の後に従った。玄関口に腰元と思しき女性が二人控えていた。姫を見ると頭を下げ、姫の履物を整える。
「コーイチ、お前の履物は?」姫は玄関口を見回して言う。何も無い。それからコーイチの足元を見る。汚れた靴下を履いてる。それを姫は興味深そうに見つめる。「……それが履物か? 履物のまま座敷に上がったのか? お前の国ではそうなのか?」
「いえ、そうじゃないです。これは部屋で履くもので……」コーイチは答えると、姫に頭を下げた。「すみません、座敷を汚しちゃったですね」
コーイチは座り込むと靴下を脱いだ。
「これ……」姫は腰元の一人に向かって言う。「どこぞから男物の履物を持って参れ」
「かしこまりました」
腰元は言うと玄関を出て、すぐに戻って来た。手に男物の草履を持っている。……なんて優秀な人なんだろう。コーイチは感心する。
「うむ、良かろう」
姫が言うと、腰元は草履を姫の履物の隣に並べた。
「さ、それを履いてついて参れ」
姫は自分のを履くと、さっさと外に出た。
「……ありがとうございます」
コーイチは草履を持って来てくれた腰元に礼を言い、頭を下げた。腰元は驚いた顔でコーイチを見る。
「コーイチ、お前は誰にでも頭を下げるのか?」姫はコーイチの行動を見て不思議そうに言う。「それとも、お前の国では皆そうなのか?」
「ええ、まあ……」コーイチはぽりぽりと頭を掻いた。「みんなってわけじゃないですけど…… ボクだけって事も無いような……」
「何じゃ、はっきりせぬヤツじゃな」
姫は言うと笑った。腰元たちも笑う。何だか馬鹿にされているようでイヤな気がしたコーイチだったが、草履を履くと、その感触が妙に新鮮で、イヤだった気分がすかっと晴れた。
「こりゃ、良いや!」コーイチは左右の足を交互に踏みしめたり、軽く飛び跳ねたりした。「草履って良いですね!」
「……お前の居た国とは変わっておるようだな。身なりもそうだが、たかが草履で子供のように喜ぶとはな」
姫はそう言うと笑った。腰元もまた笑う。ご機嫌なコーイチは、もう笑いを気にしなくなっていた。
外を、姫、腰元、コーイチの順で立て並びで歩く。不意に姫の足が止まった。腰元とコーイチは何事と足を止める。
「コーイチ」姫は振り返って言う。「お前、腹は減っておらぬか?」
「え?」唐突な問いにコーイチは戸惑う。「いえ、大丈夫です……」
大丈夫なわけがない。良く考えてみると、ボクは夕食を食べ損ねていたんだ。急にチトセの出来立てで湯気の上がっている美味しい料理やら逸子のほっぺたが落ちそうなほどの手料理やらが脳裏に浮かぶ。途端に、ぐうううっとコーイチの腹の虫が鳴り響いた。自分でも驚くほどに大きな音だった。コーイチは、大丈夫などと言った手前、恥かしくなって顔を赤くする。腰元たちは驚いた顔をしたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「これ! 笑うでない!」姫は腰元たちを一喝した。「人にはな、如何ともしがたい事と言うものがあるのじゃ。腹の虫ぐらいで何じゃ、お前たちは! それにな、お前たちは、腹ならぬ、尻が音を立てるではないか! のう、コーイチ?」
腰元二人は真っ赤になって下を向いてしまった。コーイチは姫にどう返答すれば良いのか分からず、困った顔をしている。のう、コーイチなんて同意を求められてもなぁ…… こう言う時は御意って答えれば良いのかなぁ……
すると、姫のお尻からそこそこの音がした。そして、そこそこのかおりも漂ってきた。腰元を顔を上げ、どうか対応したら良いものかと言うように、互いを見合っている。コーイチもどうして良いのか分からない。とにかく気持ちを落ち着かせようと、深呼吸をした。
「ははははは!」姫が笑い出した。「如何ともしがたいものと言うものはあるものじゃ! ……それにしても、それを吸い込むとは、コーイチ、お前は面白いヤツよのう!」
姫はさらに笑った。腰元たちも笑う。コーイチも笑う。
つづく
「ではな、コーイチは姫と共に行くのじゃ」殿様は言う。「良いな、くれぐれも、姫に嫌われぬ事じゃ」
「……あのう……」コーイチはテルキを見る。「テルキさんはどうなるんです?」
「そちが言っておったであろう? この者は知識も経験も豊富だとな。ならば、それを試してみようと思っておる」
「……と言うわけだ」テルキはコーイチを見てにやりと笑う。「ま、お互いに命があったら、また会おうぜ」
テルキは殿様と控えの侍それに小姓と共に部屋を出て行った。
コーイチは姫と二人、部屋に残された。殿様たちの足音が消え、しんとなった。何か言わなければとコーイチは思うが、話題が無い。元来聞き役になる事の多いコーイチなので、尚更だった。咳払いとか「あー、うー」とか言いながら話題を探すも、やはり見つからない。姫もあえて口を開かず、立ったまま、じっとコーイチを見おろしている。
「コーイチ……」姫が不意に口を開き、背を向ける。「ついて参れ」
姫は言うと、障子戸を開けて廊下に出た。ゆっくりと歩く姫だったが、やはり重いせいなのか、床が軋っている。コーイチは慌てて立ち上がると姫の後に従った。玄関口に腰元と思しき女性が二人控えていた。姫を見ると頭を下げ、姫の履物を整える。
「コーイチ、お前の履物は?」姫は玄関口を見回して言う。何も無い。それからコーイチの足元を見る。汚れた靴下を履いてる。それを姫は興味深そうに見つめる。「……それが履物か? 履物のまま座敷に上がったのか? お前の国ではそうなのか?」
「いえ、そうじゃないです。これは部屋で履くもので……」コーイチは答えると、姫に頭を下げた。「すみません、座敷を汚しちゃったですね」
コーイチは座り込むと靴下を脱いだ。
「これ……」姫は腰元の一人に向かって言う。「どこぞから男物の履物を持って参れ」
「かしこまりました」
腰元は言うと玄関を出て、すぐに戻って来た。手に男物の草履を持っている。……なんて優秀な人なんだろう。コーイチは感心する。
「うむ、良かろう」
姫が言うと、腰元は草履を姫の履物の隣に並べた。
「さ、それを履いてついて参れ」
姫は自分のを履くと、さっさと外に出た。
「……ありがとうございます」
コーイチは草履を持って来てくれた腰元に礼を言い、頭を下げた。腰元は驚いた顔でコーイチを見る。
「コーイチ、お前は誰にでも頭を下げるのか?」姫はコーイチの行動を見て不思議そうに言う。「それとも、お前の国では皆そうなのか?」
「ええ、まあ……」コーイチはぽりぽりと頭を掻いた。「みんなってわけじゃないですけど…… ボクだけって事も無いような……」
「何じゃ、はっきりせぬヤツじゃな」
姫は言うと笑った。腰元たちも笑う。何だか馬鹿にされているようでイヤな気がしたコーイチだったが、草履を履くと、その感触が妙に新鮮で、イヤだった気分がすかっと晴れた。
「こりゃ、良いや!」コーイチは左右の足を交互に踏みしめたり、軽く飛び跳ねたりした。「草履って良いですね!」
「……お前の居た国とは変わっておるようだな。身なりもそうだが、たかが草履で子供のように喜ぶとはな」
姫はそう言うと笑った。腰元もまた笑う。ご機嫌なコーイチは、もう笑いを気にしなくなっていた。
外を、姫、腰元、コーイチの順で立て並びで歩く。不意に姫の足が止まった。腰元とコーイチは何事と足を止める。
「コーイチ」姫は振り返って言う。「お前、腹は減っておらぬか?」
「え?」唐突な問いにコーイチは戸惑う。「いえ、大丈夫です……」
大丈夫なわけがない。良く考えてみると、ボクは夕食を食べ損ねていたんだ。急にチトセの出来立てで湯気の上がっている美味しい料理やら逸子のほっぺたが落ちそうなほどの手料理やらが脳裏に浮かぶ。途端に、ぐうううっとコーイチの腹の虫が鳴り響いた。自分でも驚くほどに大きな音だった。コーイチは、大丈夫などと言った手前、恥かしくなって顔を赤くする。腰元たちは驚いた顔をしたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「これ! 笑うでない!」姫は腰元たちを一喝した。「人にはな、如何ともしがたい事と言うものがあるのじゃ。腹の虫ぐらいで何じゃ、お前たちは! それにな、お前たちは、腹ならぬ、尻が音を立てるではないか! のう、コーイチ?」
腰元二人は真っ赤になって下を向いてしまった。コーイチは姫にどう返答すれば良いのか分からず、困った顔をしている。のう、コーイチなんて同意を求められてもなぁ…… こう言う時は御意って答えれば良いのかなぁ……
すると、姫のお尻からそこそこの音がした。そして、そこそこのかおりも漂ってきた。腰元を顔を上げ、どうか対応したら良いものかと言うように、互いを見合っている。コーイチもどうして良いのか分からない。とにかく気持ちを落ち着かせようと、深呼吸をした。
「ははははは!」姫が笑い出した。「如何ともしがたいものと言うものはあるものじゃ! ……それにしても、それを吸い込むとは、コーイチ、お前は面白いヤツよのう!」
姫はさらに笑った。腰元たちも笑う。コーイチも笑う。
つづく
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