お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

怪談 青井の井戸 26

2021年10月05日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 わたくしは敢えて父のお姿を見つめておりました。父には既に威厳も貫録もございませぬ。一介の老人でございました。すべてを失のうた者の行く末とは斯くやとわたくしに思わせました。痛ましいと思うより、滑稽でございました。わたくしは内心から湧き出す父への侮蔑と、惨めな老人を目の前にしたとの愉快さとに、危うく口元が綻びかけるのを顔を伏せる事で隠しました。父はわたくしの前にお座りになられました。
「きくの……」
 悲痛なお声で父が話し掛けていらっしゃいました。
「……お父様、お話とは何でございましょうや?」
 わたくしは父の部屋を訪れなかった事を詫びも致しませんでした。
「うむ……」
 父はそう言ったきり口を閉ざされました。わたくしの非礼を咎めも致しませぬ。笑いを収めたわたくしは顔を上げ父を見ました。相変わらず悲痛な面持ちをなさっておいででございます。また、笑いが込み上げてまいりました。慌てて顔を伏せました。
「……何やら、お城からのお沙汰でもございましたのでしょうや?」
 わたくしは頭を下げたままで申しました。
「いや、それはまだだ。だが、いずれはこの屋敷を追われるであろう。松幸様はこの青井の家をひどく嫌っておいでなのでな。……ともすれば国元も追われるやもしれぬ」
「それはまた、大袈裟ではござりませぬか」
「松幸様は、青井の家を根絶やすおつもりのようじゃ」
「まだ、お沙汰も出ておりませぬならば……」
「いや、先代の殿が身罷られてからの流れを見れば、これは明白。青井はずっと蚊帳の外じゃ」
「信三郎様との婚儀も無くなりました……」
「婚儀の白紙は須田家からと言うより、松幸様によるものとの話じゃ」
「左様でございましたか」
「きくのには申し訳が立たぬの……」
「いえ、殿のお決めになった事なれば、従うが忠義でござりましょう」
「うむ……」
 父はそうおっしゃると腕組みをなさって、黙考をお始めになりました。わたくしは、父に合せて重々しく返答は致しましたものの、内心では笑い出しそうになっておりました。人を殺めるが生業の青井が殺めかけられている、その事実が、そして、それに振り回されている父の惨めさが、わたくしに喜悦の情を湧き立たせるのでございます。
 青井が終わりになる今この時に、わたくしに流れる鬼の血が目覚めたようでございます。
「……浪々の身となるのだ。代々殿にお仕えしたこの青井であったが、これまでのようじゃ」
「お父様……」わたくしは顔を上げ、改めて惨めな父の顔を見つめました。笑わぬように奥歯を強く噛み締めました。「……それをおっしゃりに来られたのでござりますのか?」
 わたくしの声は自身でも驚くほどに冷たいものでございました。父は思わずわたくしの顔をお見つめになられました。
「きくの……」父はそうおっしゃると、わたくしから目を逸らされました。「如何いたしたのだ。ばあやも母も言っておったが、ずいぶんと雰囲気が以前とは違ってしまっておるようだが……」
「ご心配には及びませぬ」わたくしは申しあげました。「わたくしも青井の者であると言う事でござります」
「そうか…… 良い覚悟である」
 父はそうおっしゃると、幾度も頷かれました。わたくしは父の言葉が気になりました。
「お父様、覚悟とは……?」
「うむ…… 生き恥を晒して他国で朽ちるよりは、先代の亡き殿に殉じようと思うているのだ」
「殉死…… で、ござりまするか?」
「そうじゃ。母もばあやも決心をしてくれた」
「お母様は高頭にはお戻りになられぬのですか?」
「高頭からその話はあったが、自らが断りを入れたのじゃ」
「わたくしは……」
「青井の血が濃く流れておる故、どこも引き取り難しとの事じゃ」
「左様でござりまするか……」
 わたくしの鬼の血がざわざわと致しております。
「近々行のうつもりじゃ。ばあやに準備を申しつけてある。……話とはこの事じゃ」
 父はおっしゃると立ち上がり、部屋を出て行かれました。


つづく


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