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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 159

2020年10月18日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
 痛む頭を両手で押さえながら脂汗を額に浮かべ、まだ赤みが抜けない顔としょぼついた目をし、足取りも安定していないタケルが、リビングに顔を出したのは午後を回っていた。
 タケルがリビングに入って来ると、まだ酒の臭いが残っていたのか、ナナはむっとした顔をして鼻をつまんで見せた。コーイチもタロウも苦笑いをしてみせる。頼りになるチトセはいない。ケーイチの手伝いをしに地下研究室へ行っているのだろう。
「……おはよう…… じゃないか……」タケルは言うとソファに崩れるように座り込んだ。「まだ頭が痛いよ……」
「タケル、あなた、しっかりしてよね!」
 ナナが鼻をつまみながらタケルの前に立って言った。鼻声になっているが、その気迫に誰も笑えない。
「わあ! 大きな声を出さないでくれぇ!」特に大きくもないナナの声にタケルは頭を抱えた。「ナナの声が頭の中をぐわんぐわん駈け回っている……」
「あなたねぇ……」
 ナナが続きの文句を言おうとした時、どたどたと廊下を走る音がした。リビングのドアが開いた。チトセだった。
「おっ、起きたのか」チトセはソファのタケルを見て驚いた顔をした。「思ったより早く起きたな。今日は夕方までダメだと思っていたのに」
 チトセは言うと、キッチンに入って行き、水の入ったグラスと丸薬を二粒乗せた小皿をトレイに乗せて戻って来た。
「タケル、これを飲め」チトセはタケルにトレイごと差し出す。「飲むと気分が良くなる」
「そうしなよ、タケルさん」タロウが言ってうなずく。「その丸薬、凄い効き目だよ」
 タケルは何度か失敗しながらの丸薬を一粒ずつつまんでは口に放り込み、覚束ない手を伸ばしてグラスをつかんで口を付けると、一気に流し込んだ。タケルは最初は苦そうな顔をしていたが、次第に表情が落ち着いて来た。赤みがかっていた顔は元の色に戻り、しょぼついていた目はしっかりして来た。吐く息の酒臭さが無くなり、ナナの手が鼻から離れた。
「ふぃ~っ……」タケルは大きく息を吐く。首を二、三度左右に倒し、こきこきと音を立てる。両手でぱんぱんと顔を叩く。酔いがすっかり抜けた顔になっていた。「……こりゃあ凄い効き目だ! 一体何で出来ているんだい?」
「教えない!」チトセは言って口を真一文字に閉じる。「タロウにも教えなかったんだ。だから、タケルにも教えない!」
「そうか……」タケルは言う。「……じゃあさ、コーイチさんならどうだい?」
「コーイチでも……」チトセはコーイチを見る。「……コーイチなら、教える」
「ははは、正直なチトセちゃんだ」タケルは笑う。それから真顔になる。「昨日は迷惑をかけてしまって、みんな、申し訳ない……」
 タケルはそう言うと頭を下げた。素直なタケルの態度を初めて見た皆は(特にナナは)驚いた。
「まあ。そんなに気にする事はないよ」タロウが言う。「たまにはそんな日もあるさ。ボクにも覚えがあるよ。アツコとちょっともめた日とかね」
「じゃあ、昨日のタケルの酔っぱらいはわたしのせいだって言うの?」ナナがタロウに言う。「確かに、ちょっと辛く当たっていたけど、それが原因だって言うの?」
「そうさ!」チトセが怒った顔で言う。「全部オバさんが悪いのさ!」
「何を言うのよ!」
「自分で言ってんじゃないか! 辛く当たったからってさ! ……確かにタケルはひどい事を言うし、オレも腹を立てたけど、けどさ、そんなの本心じゃないってすぐに分かる。それをねちねち責めるのがオバさんだ。オレでも分かる事が分からないオバさんが悪いんだよ!」
「何て事言うのよ、あんたなんてまだ子供じゃない!」
「兄者や仲間は強いヤツらだったけど、ちょっとしたことでがっかりしたり悩んだりしたんだ。そんな時に何でも良いから優しい一言をかけてやるんだ。途端に元気になる。男なんてみんな子供だ。そんな事も分からないのかよ! 何年オバさんをやってんだって話だ!」
「一人前を気取るんじゃないわよ!」
「ふん! 酔っぱらいの介抱も出来ないオバさんに言われたくないね!」
「チトセぇ!」
 ナナは怒鳴るとチトセに突進する。チトセはトレイを持ったままでナナの突進をかわした。闘牛士が猛牛を捌くような感じだなぁと、コーイチは思った。振り返るナナにチトセはべえと舌を出して見せた。ナナは鼻息荒く再びチトセに突進する。と、タケルがチトセとナナの間に割って入った。ナナはタケルにぶつかって尻もちをついた。
「もうっ! 邪魔しないでよ!」ナナは尻もちをついたままの格好でタケルを見上げる。……もうっ! は牛だよ、とコーイチは闘牛士の連想から抜けられない。「チトセ! 悪い子にはお仕置きよ!」
「まあまあ……」タケルは笑っている。「……で、チトセちゃんはボクの面倒を見にわざわざ来てくれたのかい?」
「いや、そうじゃない」チトセは尻もちをついているナナを小馬鹿にしたような顔で見ている。「ケーイチ兄者が、何か甘いものが食べたいって言ったから、取りに来たんだ。たしか冷蔵庫に昨日作ったリンゴパイの残りがあったからさ」
「そんなのまで作れるんだねぇ」タケルは感心したようだ。「凄いなあ、チトセちゃんは……」
「ふん!」ナナが鼻を鳴らしながら立ち上がった。「そうなら、早く持って行きなさいよ!」
「言われなくっても、そうするつもりだったよぉだ!」
 チトセは言うとナナに向かってべえと舌を出して見せ、キッチンへと入って行った。しばらくすると、キッチンから直接廊下に出られるドアが開いた音がして、どたどたと言うチトセの足音が続いた。足音は遠去かって消えた。
「ナナはチトセちゃんには勝てないようだな……」タケルがにやりと笑う。「今度チトセちゃんにナナのやり込め方を教えてもらおうかなぁ」
「馬鹿な事は言わないの!」ナナはぷりぷりしている。「全く、どう言うつもりなのかしらね、あの子!」
「……きっと、お姉さんだと思っているんだよ」コーイチが言う。「チトセちゃん、いつも男の人ばかり周りいたからさ、きっと嬉しいんだと思うよ。でもどう表現して良いか分からなくてさ、ついついケンカっぽくなっちゃうんだよ」
「愛情表現の屈折版って事?」
「うん、そうだと思う」
「そうか……」険しかったナナの表情が和らいだ。「全く、困った妹ね……」
「でも、あれだ」タケルがにやりとして言う。「ちょっと年が離れているけどな」
「またぁ!」ナナがタケルをにらむ。「元々はあなたが原因よ! 今は大事な時期だって言うのに!」
「ごめんごめん…… 今日は休みだし、テルキ先輩からの誘いなんて珍しいしで、ついついね」
「どんな話をしたの?」
「大した話じゃないよ。日頃の愚痴かな? ボクが一方的に話をしていたのは覚えているよ」タケルは言う。「先輩はボクが何を話しても『ほー、そうかね』って感じで答えてさ、あんまり関心なさそうだったなぁ……」
「タケル……」ナナは真剣な表情でタケルに言う。「本当に今は大事な時期なんだから、色々とひかえてよね、お願いだから……」
「ああ、分かっているよ。本当にすまないと思っているんだ……」タケルも真剣な表情をする。「今後はお酒の量を減らすよ」
「また、そんな事を言う!」
 ナナは呆れて怒鳴った。……でも、これがタケルよね。ナナは内心ではそう思い、何となくほっとしていた。 


つづく




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