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コーイチ物語 3 「秘密の物差し」 42

2020年04月08日 | コーイチ物語 3(全222話完結)
「ここが『さざなみ』よ」逸子が笑顔で言う。「はじめてコーイチさんに連れ来てもらってからのファンなのよ」
「そうなんですか……」
 ナナは言って店を見る。両開きのガラス製の自動ドアの、こじんまりした店だった。ナナが見ている間にも、女子学生や子連れの主婦などがひっきりなしに出入りしている。ドアが開くたびに、ほんわりと甘い香りが流れてくる。ナナには初めての香りだった。大きく吸い込んでみる。Tシャツの胸元が大きく膨らむ。自然と笑顔になる。
「どう? 女の娘の本能がうずうずして来ない?」逸子がいたずらっぽい目でナナを見る。「入ってみましょう」
「はい!」
 ナナは即答する。そして、逸子よりも先に店に入った。
 ガラス製のショウケースの中には、幾種類ものケーキが並んでいる。ナナはその色や形に目を丸くしている。その間にもケーキは売れて行く。
「ナナさん、どれにする?」逸子は言う。声が弾んでいる。「どれでも良いから選んで」
「……わたし、ケーキって初めてなので、お任せします」
「そう? じゃあ、わたしが選ぶわね!」
 逸子はカウンターへ向かい、幾種類か注文した。注文したケーキを皿に乗せてもらっている。逸子は両手で皿を持つと、顎でナナに店の奥の方を指し示した。そこには小さなテーブと、それを挟むように向かい合った二脚の椅子があった。店内で食べようと言う事のようだ。ナナは椅子に座る。逸子が向かい側の椅子に座り、六個のケーキを乗せた皿をテーブルに置いた。傍から見れば、美人姉妹が座っているように見えた。買いに来る人たちが、ちらちらと二人を見る。
「……この時代の人は、男性ばかりではなく、女性もちらちらと見て来るのですか?」ナナは不思議そうだ。「面白い時代ですね」
「さっきも言ったけど、ナナさんが美人だから、男女関わりなく見惚れてしまうのよ」
「そんな事ありませんよ。みんな逸子さんを見ているんですよ」
「じゃあ、間を取って、二人を見ているって事にしましょう」
「……それにしても、良い香りですね」ナナは照れくさそうにして話題を変えた。「なんだか、食べるのがもったいないみたい……」
「そんな事言ってないで、食べて」
「はい、頂きます」
 ナナはケーキを手に取ると端から齧りついた。行儀が悪い食べ方だが、ナナがすると、おしゃれで可愛らしい感じに見える。逸子はほうっと感心した表情になる。ナナはあっという間に手にしていた分を平らげてしまった。
「美味しいんですね、ケーキって!」ナナは笑む。「これが無くなってしまったなんて、わたしの時代の悲劇の一つですね」
「大げさねぇ」逸子はくすくすと笑う。「でも、気に入ってくれて嬉しいわ。他のも食べてみて」
「ありがとうございます」ナナは二個目を手に取った。「コーイチさんも、ケーキが好きなんですか?」
「どちらかと言うと、このお店のメロンパンが好きかな。ホイップクリームとカスタードクリームの入った二種類ね」
「そう言うのもあるんですね」
「食べてみる?」
「はい!」
 逸子は素直にうなずくナナに微笑みかけながら売り場へ向かった。そして、メロンパンを二個持って来た。ナナは嬉しそうな声を上げて、それらも平らげた。
「ナナさん、ちょっと食べ過ぎかもね」
 空になった皿を見て逸子が言う。逸子自身は二個食べただけだった(作者註:二個でも多いと思う)。
「そうですか? でも美味しいです」
 食べ終わると二人は店を出た。
「さて、次は腹ごなしに買い物でもしましょうか」逸子は言う。「この辺は、ショッピングの出来る店が、結構並んでいるのよ」
「そうなんですか。……わたし、こんなに楽しいのは初めてです」
「未来って、ずいぶんと娯楽が少ないのねぇ」
「そうかもしれません。でも、わたしの時代は過去を省みた結果な所もあるので、この時代の問題点が改められた部分もあるのでしょうね。あまりに楽しすぎて、現実に目を向けなくなっちゃったとか……」
「なるほどね、嬉し楽しは節度が必要って事かしらね」
 逸子は納得したようにうなずいた。


つづく




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