思い付きブログ

アクエリオン、緋色の欠片、ZETMANの感想

 春アニメ感想の続きです。

●「アクエリオンEVOL」

 異次元からの敵と戦う合体ロボットアニメ。人気だったようですね。
 冬期から続いていますが、これって、全体をギャグとして見れるよう話ではなかったですけれども、もう少しギャグだと割り切って見た方が良かったのでしょうか。


 裸になると敵の攻撃を避けられるようになるからって、男女ともどんどん服を自分で破いていって、順に、「敏感になって」「体中の全部が」、そして、「シゲキテキー!」「オレもいく!」と叫んだり(8話)。

 コックピットがバナナが浮かぶお風呂になっていて、お湯が張られながら敵と戦う中で、順に、「あ~、いい気持ち」「体の心からぽっかぽか」、そして、「あたたま~~る」と叫び、ロボットが脱皮したのを見て不動(cv.藤原啓治)が「一皮むけた」とキザにつぶやいたり(17話)。
 不動の言動の多くはギャグのよう。


 EVOLがLOVEになって戦いに勝利し、最後に、不動が大袈裟な言い回しのどや顔で、
 「以後、恋愛解禁」
 と言うなんて、思わず吹いてしまった。

 その直後のブルーレイとかのCMで、不動が、どや顔の大袈裟な言い回しで、
 「御免なさい。頑張り過ぎちゃってごめんなさいよ~。」(粉骨砕身)
 「大好評発売中で御免なさいよ~」(前代未聞)
 だなんて、笑ってしまった。




●「緋色の欠片」

 女子向けアニメなので、きちんとした評価は女子に聞いてください(笑)。

 ただ、二重まぶたを表すらしき線が太いのと、瞳から少し離れているのと、眼のほりが深いことを示すためか二重のあたりに影が入っていて、その一方、本物の眉毛がとても細いことから、眉毛が2つあるように見えるのは、少し気になりました。
 何か、変な顔に見えるので。
 
 絵はあまり気にしないでアニメを見る方なので、まあ、構いませんが。


 「ねぇ、君は今、誰を思っているの。私は、君を思っているよ。」
で始まる、オープニングの「ねぇ」(詩・曲・歌:藤田麻衣子)が結構良かったです。
 詩や曲や歌唱力が優れているという意味ではなく、その辺は普通かと。
 ピアノが好みのメロディで弾かれていたということと、ファルセット(裏声)だか女性の高音だかが基本的に好きだからでしょう。


 さて、最後、勝利しましたが、まだ敵を完全に倒す力が残っていたのに、敵を殺すなり、捕まえるなりしないとまた攻められるじゃないか、と思っていたら、秋に2期があるそうなので、今ここで敵を倒してはいけないということですね。



 ところで、焼きそばパンは日本三大発明の一つだそうで。
 三大発明はたい焼きだと反論する者も。
 珠紀(cv.三宅麻理恵)の護衛役の男子2人で言い合っていましたけど、あと2つあるいは1つは何なんだろう?
 てか、たい焼きは入るか?

 尤も、その系統で三大発明と言うのなら、カレーパンは是非加えるべきだと思いますけれどね。
 パンにカレーを入れて、その上、揚げてしまうなんて、そのハーモニー、すばらしいです。


 なお、特別賞はメロンパンにあげたいなあ。

 メロンが入っていないのにメロンパンとは、これいかに?。
 国民の声を代弁していないのに、衆議院議員のことを「代議士」というが如し。
 (笑、、、えない。。。まあ、国民の声が常に正しいとは限らないですけど。)




●「ZETMAN」

 高雅(cv.宮野真守)は正義のヒーローに憧れ、実は単に他人から褒められたいだけなのに、自分ではそれに気付いていないので、妹の小葉(cv.花澤香菜)などから指摘されてショックを受けたり。
 正義の味方に相応しいかを試されたり。しかし、根本的な考えが間違っているので、間違った選択をし、より多くの者を助けるつもりが裏目裏目に出てしまい、より多くの者を死なせたり。

 (「黄昏乙女×アムネジア」のところでもう少し詳しく書きましたが、似たようなことは、例えば善意のボランティアにも言えることです。「他人のため」にボランティアをしているとしか思っていない人(自分のために自己愛でしているのに、それに気付いていない人)は押し付けがましくなりかねず、本当に他人のためになっているのかを深くは考えないことから、少しズレたときに気付かず、却って迷惑なボランティアになりかねないことがあります。)

 正義とは何かを問う、高雅の成長物語でもありました。多大な犠牲を払っての。


 高雅の正義とは少し異なる正義を目指す、高雅の幼馴染で、ZETMANに変身するように改造された怪物でもある人(ジン。cv.浪川大輔)。

 プレイヤーという怪物は人間に迷惑をかけないことをルールとして人間の形でバレないように暮らしているものの、人間より強い力を持っているのに人間の上に立てないことに不満を持つ者もいて、人間を殺そうとしてくるわけで。

 ジンはZETMANに変身することにより、それに対抗できる力を持っているわけで。

 ジンも人間や仲間を守るためにプレイヤーと戦いますが、ジンには高雅よりも力があるから全員救うと言えるわけで、高雅にはそこまでの力がないから誰を救うかの優先順位を付けざるを得ず、その結果としてもう一方の誰かを見殺しにせざるを得ないわけで。
 高雅は、そこは現実的に変わったわけで。


 ジンのようにすることは、現実においては、力の不足するほとんど全ての者には到底不可能なわけで、優先順位を付けて誰を助けて誰を見捨てるかを判断せざるを得ないわけです。

 比較的現実的な絵柄と話の展開(話自体はSFであり得ないものですが)の割に、最終話で、ジンがそんな非現実的なことを言ったのは、このアニメでそう言われると、何か、違和感を感じました。

 普通のアニメや映画なら、ジンみたいに全員助ける、というのは一般的で気にならないのですけれど。


 ところで、正義とは何かばかりが描かれ、人間と怪物との共存については描かれていなかったような気が。
 人間と怪物、つまり、国内の異文化、国外の異文化、日本人同士での異文化、外国人といったものに置き換えられる話も描いたら良いアニメに、、、、、やっぱり、両方を1期10数回で描くと、話が散漫になるか、分かりにくくなりますね。

コメント一覧

shin
http://yaplog.jp/shin99shin/
>ざっくさん
 良く覚えていますよ。ざっくさんのLOVEの話(笑)。
 本文に書こうか迷いましたよ(笑)。

 ZETMAN、結構深そうな作品なんですね。であれば、2期があることに期待します。
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