岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

11 新宿クレッシェンド

2019年07月06日 17時51分00秒 | 新宿クレッシェンド

 

 

10 新宿クレッシェンド - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 時間は午後七時。いつもより早く仕事が終わった。
 これから泉と逢おうかなと考えていると、岩崎が声を掛けてくる。鳴戸に膝蹴りを食らったことは、おくびにも出していない。
「赤崎さん、たまには一杯どうですか?」
 断る理由が見つからないし、こういう機会も初めてなので、付き合うことにする。
「そうですね。たまにはいいですね。水野さん大丈夫ですかねー?」
「あの二人の問題ですよ。どっちに転んでも自分らには、オーナーが一人になるか、今まで通りかだけの話です」
 あくまでもクールに話す岩崎。この人も、相当、場数を踏んできたのだろう。話している最中に、真正面から綺麗な女が歩いてくる。派手な服装と化粧ではあるが、元が良くなければ、ここまで華やかに見えないだろう。
 その女はこっちを見ている様子だった。ひょっとして俺を見ているのだろうか。いや、そんなことはないだろう。
「岩崎くーん……」
「何だ、玉枝か」
 玉枝と呼ばれた女は、岩崎の言い方に対し、不満そうな顔をしている。俺にはあれほど丁寧な口調で話すのに、こんな綺麗な女にはどうでもいいような感じで、吐き捨てるように話せる岩崎は、本当に不思議な男だった。
 一体、この街でどのぐらい顔が広いのだろうか。俺にはまったく想像もつかない。
「最近、会う時間とれないの?」
「今、忙しいんだ。またな」
「もー、冷たいなー」
「おい、俺が大人しく話してる内に行けよ。今、人といるのが分からねーのか?」
 突然、岩崎の眼光が鋭くなる。こんな風に感情を出すのを初めて見たので、ビックリした。この辺は、鳴戸のエキスを吸収しているせいなのだろうか。
「そ、そうだよね。ごめんね…。またね……」
 バツが悪そうに玉枝は、足早に俺たちの前から姿を消した。
「すいませんでしたね、赤崎さん。見苦しいところをお見せしちゃって」
「いえいえ、自分なんか気にしないで、一緒にいてあげれば良かったじゃないですか」
「何、言ってんですか。こちらから誘っておいて、そんなことは出来る訳ないでしょう。赤崎さんが逆の立場だったら、そうしますか?」
「いや、やっぱり最初の約束を優先しますね」
「じゃあ、早いとこ飲みに行きましょうよ」
「そうですね。…で、どこ行きます?」
「新宿プリンスホテルの上にあるラウンジ、シャトレーヌなんてどうです?見える景色は歌舞伎町の下品なネオンですけど、落ち着いていて、なかなかいいですよ」
 場所は岩崎にまかせることにして、そのまま歌舞伎町の町並みを歩き出す。

 コマ劇場を横目に通り過ぎそのまま真っ直ぐ歩くと、すぐに新宿プリンスホテルは見えてくる。西武新宿駅と同じ敷地内にあるので、俺には馴染み深い。レンガの壁を見ながら横伝いにホテルへ入る。
 中はシンプルな造りにはなっているが、落ち着いた雰囲気だ。こういう感じは嫌いではなかった。上向き三角のボタンを押して、エレベーターが来るのを待つ。壁にはホテル内の案内用パネルがある。
「二十五階 LOUNGE Chatelaine」
 ラウンジ、シャトレーヌとアルファベットで書かれたパネルには、綺麗な色のカクテルや、お洒落に盛り付けてある食べ物の写真が、色々と写っている。パネルを見ている内に、エレベーターが到着する。中に入り、二十五階のボタンを押す。
 二十五階に着くと二手に道が別れていた。
 右側がレストラン、左がラウンジになっている。シックで高級感があって、落ち着いた雰囲気の場所だ。
 俺はこういう場所に来るのは初めてだが、ウキウキするような感覚を覚える。きっと泉を連れてきたら喜んでくれるだろう。今日のところは野郎同士で我慢しておく。
 道を左に曲がり、ラウンジの方へ歩を進める。案内するホテルマンの黒服が、近付いて来た。どこかで見たような顔だった……。
「あれっ?加藤さんじゃないですか」
 ホテルマンは慌てて手で制止する。ダークネスに来る常連客だったのだ。
「勘弁して下さいよー。ここではちゃんと江島という名前でやってんですから……」
「加藤さんって、偽名だったんですか?」
「シー…。お願いしますよ。声、大きいですって」
「いやー、すいません。本当こっちもビックリしたものですから」
 江島の慌てぶりを見ていると、非常に面白い。すごい偶然もあったものだ。しかし本当に困っているようなので、俺たちも客らしく振舞うことにする。
 いつもの逆パターンだと変な気分だが、何が起こるか分からないものである。江島は男二人連れの俺たちに、見通しのいい窓際の席を用意してくれた。
 絶対に泉を今度ここに連れてこよう。そう思うぐらい素敵な夜景が、目の前に広がる。歩いている分には、下品なネオンの街ではあるが、こうしてみると、また、違って見える。
 メニューを見ながら酒を注文する。
「すいません、マティーニとスカイダイビング頂けますか」
 江島はニッコリと笑顔を見せ、席から離れていった。
「岩崎さん、お腹大丈夫ですか?鳴戸さんも、ちょっと乱暴過ぎますよね」
「不意にだったから、息、出来ませんでしたよ。でも、ああいう輩は、絶対に地獄行き、間違いないでしょうね」
「そうですね。でも、俺…。何も出来ずにすいません」
「しょうがないですよ。あの状況じゃ。新堂さんや田中も夜、行ったらビックリするんじゃないですか?」
「ですよね。水野さん、一体、どっち選択するのか気になります」
「うーん…。どっちに転んでも地獄行きでしょう」
 話が盛り上がっていると、江島が左腕に四枚のお皿をうまく持ちながら近付いてくる。
「どーも、こんなもんしか用意出来なかったんですけど、良かったら私の気持ちなので、召し上がって下さい」
 サービスで出してくれた四枚のお皿は、エスカルゴのガーリック風、チーズの盛り合わせ、鴨肉のテリーヌ、フルーツの盛り合わせだった。江島の心遣いに感謝する。
「気を使わせて申し訳ないです」
「いえいえ、では、ごゆっくりとどうぞ」
 新宿の景色を見ると、歌舞伎町の下品なネオンがこうこうと光っている。それでも上から眺めるのは面白いものだ。酒も運ばれてきて、フードを摘みだす。
「おいしーですね」
「江島さんがまさかここの従業員だなんて思いませんでしたけど、本当にここのカクテルうまいですね。食事もうまいです。そういえば岩崎さんって、すごいですね」
「何がですか?」
「いや、ここに来る前、綺麗な女性に会ってもまったく動じずに、今、忙しいんだ。またな…、で、済ませたじゃないですか。中々ああは、出来ないですよ」
「あれはただの飲み屋のねーちゃんですから、そんな自分には関係ないんですよ。どうせまた店に来いって感じの営業で、自分に声を掛けただけだから、適当にあしらっただけですよ。そんなことよりも、ほら、ガンガン飲みましょう。料理も色々あるし」
「そうですね」
 あまりにおいしいので調子に乗り、何度も酒を頼む。
 歌舞伎町のネオンが二重に見え始めた。

 俺はもともと酒がそんなに強い方ではないので、すぐに酔いが回ってくる。岩崎も、結構酔いが回り始めている様子だった。
「れ、れも…、岩崎ひゃん、俺にいつも良くひてもらって、ありがとうごらいます」
「なーに、言ってんですか。前にもちゃんと理由は言ったじゃないですか」
「俺、嬉ひいれすよ。ほんと」
 相当、酔いが回ったようだ。完全にロレツが回ってない。
「赤崎さん、グラス、空ですよ。何か頼みます?」
「ん、えーとれすねー……」
「カクテルの王様、マティーニにしましょうか?」
「ふぁい……」
 運ばれてきたマティーニを一気に飲み干す。頭の中がグルグル回っている。
「はい、赤崎さん。今度はXYZです」
「ふぁい……」
 味も何も分からなくなってきている。また一気に飲み干した。頭の中がシェイクされる。それでも喉の渇きは満たされない。
「ここ、暑いれすねー。れも、気分ちゃいこうれすよ」
 一瞬、岩崎の目が怪しく光ったような気がした。酔っている俺の錯覚だろう。
「こんな夜景だけど、綺麗に見えますよね」
「……!」
 ゾクッとした感覚を覚える……。
 瞬間的に左手を見た。
 テーブルの上に乗せていた、俺の左手の甲に、岩崎が右手を重ね合わせている。
 俺は瞬間的に、手を引っ込めた。全身に鳥肌がたち始める。
「何ですか、いきなり……」
 一気に酔いも吹っ飛んだ感じだ。焦点は定まらないでいるが……。
「あれ、赤崎さん、やっぱりノーマルなんですか?うーん、残念だなー」
「あ、あのー……、何かの冗談ですよね……」
 岩崎、こいつはホモだったのか……。
 俺に対し、会った時から必要以上に親切過ぎて、頭のどこかで違和感はあった。抜いた金をもらっていた為、その辺の感覚がすっかり麻痺していたようだ。
 あれだけ飲んで、気持ち良く酔っていたのに、今は冷静になっている。冗談であってほしかった。心臓の鼓動がバクバク音を立てている。
「本気って言ったらどうしますか?」
 岩崎は危ない怪しげな目つきになっている。人の顔を覗き込むようにじっくり見ていた。
「あ、あの……」
「どうしたんですか?」
「やめてください……」
 声を振り絞るように、それだけ言うのが精一杯だった。
「いやー、拒まれちゃしょうがないですよねー。最初見た時から、男らしくていいなって思ったんですけどね。あっ、もちろん自分、女だって好きですよ。ただね、赤崎さん…。男にくわえてもらったことってあります?」
「あ、ある訳ないに決まってんじゃないですか」
「結構というか、かなりいいもんですよ。自分は無理にとは言わないですけど、男のツボは男の方が絶対に分かりますって…。どうですか、試してみませんか?」
「す、すいません。俺、彼女いますし……」
「黙ってれば分かりませんて……」
 岩崎が微笑む。もう俺には、薄気味悪い笑顔にしか見えなかった。ゲロが一気に上昇してくる。ここで吐くわけにはいかない。
「トイレ行ってきます」
 すぐに立ち上がり、口を押さえながらトイレへと向かう。
 ラウンジの静かな空間で俺の走る音だけが響く。他の客は迷惑そうに、非難の視線を俺に浴びせてくるが、こっちはそれどころじゃない。
 トイレの便器に屈みこむと、一気にゲロを吐き出した。指を咽の奥まで強引に入れ、スッキリするまで吐いた。目の前で見た、おぞましい光景をすべて吐き出したかった。
 席にこのまま戻るのが怖い。
 洗面台に行き、手で水を貯めてうがいする。
 岩崎に触られた左手。念入りに石鹸をつけてゴシゴシ洗う。いくら洗っても嫌な感触を拭えなかった。
 ジッと鏡を見てみる。いつもの俺の顔が写っているだけだった。こめかみの傷は不思議と疼かない。ちょっと落ち着いてきたので、席に戻ろうと思うが、これから岩崎に、どう対応すればいいのだろうか……。
 時計を見ると、九時半になっていた。

「大丈夫ですか?何かすいませんでしたね」
 席に戻ると、岩崎が謝ってくる。俺は無言で椅子に座った。
「そんなにショックでした?でも赤崎さん、うちの店は辞められないですよね」
 出来れば、この場を逃げ出したかった。でもダークネスでの高収入が手に入らなくなるのも嫌だった。
 迷う……。
 そろそろ俺には潮時かもしれない。精神的ショックが大き過ぎる。
「どうしたんですか。ひょっとして辞めちゃうんですか?」
 今まで生きていて、多分、今が一番悩んでいるのだろう。もう、こんなホモ野郎と一緒に仕事するのは嫌だ。でもダークネスを辞めたところで、俺はまた振り出しに戻ってしまうだけなのも自覚していた。
「ほかの店に行ったって、赤崎さんにとって、うちぐらい環境いい店は絶対にないですよ。それでも辞めるんですか?」
 岩崎の言うことはもっともだ。今の俺に何が出来るんだ。自分が情けなかった。結局のところ、へつらうことしか俺には出来ない。岩崎から金をもらうことが当たり前になっていた。こんな状況になっても、まだ俺は店を辞める意識がないのだ。
 俺には金の為、もうちょっとだけ我慢するしか、道は残されてない。
「た、確かに…、おっしゃる通りです。これからもお願いします……」
「いやー、安心して下さいよ。もう変なことはしないですから。今まで通りですって」
 俺は岩崎に分からないように拳を後ろに回し、力一杯握りしめていた。そして岩崎に向けて、精一杯の笑顔を見せてみた。岩崎も笑顔を返してくる。思いっ切り、その面をぶん殴りたかった。
 あくまでも思うだけだ。
 今のおれにはそんなこと、絶対に出来やしない……。
 岩崎が伝票を持って立ち上がる。俺は黙ってあとをついていく。キャッシャーのところでは、江島が笑顔で立っていた。
「今日は本当にありがとうございます。料理とか御口に合いましたか?」
「大変美味しかったです。また機会作って、ぜひ、来させて頂きます」
 岩崎は何事もなかったように応対している。俺は後ろで笑顔を作るので精一杯だった。
「私の方も暇作って、また、お店にお邪魔しますんで……」
「その時は、まかせて下さい」
 岩崎はいやらしい笑みを浮かべる。このホモ野郎なら店の売り上げをくすねて、江島が来店してきた時に、汚い金で機嫌を取ることぐらい難しくないだろう。
 江島はレジを打ち出す。普通にあれだけ頼んで、飲み食いしたのだ。俺の予想では合計の金額が、三万は超えていた。
「お待たせ致しました。合計で六千と三百二十七円になります」
 岩崎のさっきの件でのショックはあったが、江島の心遣いがあまりにも想像以上で、つい、口を開いてしまった。
「ちょっと待って下さいよ。何ですか、それ…。俺、何杯も酒飲んだし、食べ物だって…、そんな安い訳ないですよ」
「いやいや、いいんですよ」
「本当にいいんですか?何か申し訳ないですよー」
「気にしないで下さい。私が勝手にやったことですから」
 俺は財布から一万円札を取り出した。キャッシャーの受け皿にそのまま置く。
「赤崎さん、自分が出しますよ」
「いえ、いつもお世話になってますし、今日ぐらい出させて下さい」
 俺は岩崎を強引に制止して、意地でも金を払った。ここだけは少なくとも岩崎に借りを作りたくなかった。最低限の意地である。俺の熱意に負けたのか、何度か押し問答して、岩崎は仕方なさそうに諦めて引き下がる。江島に心からお礼をいい、ホテルをあとにした。
「じゃー、自分はこの辺で失礼します。明日、また来ますんで」
 簡単に挨拶を済ませ、その場から逃げるように去った。
 まだ全身に鳥肌がたっていた。泉と一緒にここへ来たかったが、多分、さっきの岩崎のことを思い出してしまう。だから、ここへ来ることはもう二度とないだろう。
 泉の声が聞きたい……。
 癒してほしかった。

 前みたいに仲良く戻れるかな、私たち……。
 仕事を辞め、すっかりふて腐れていた隼人。いくら私が言っても動こうとしてくれない。激を飛ばすつもりが、「もうっ、隼人なんか知らないから……」と、あんな言い方になってしまった。勢いで去ってしまったから、また連絡をとるまでに時間が掛かった。
 あのままじゃいけない。そんな焦りがあったのも事実。でもあの時、追い駆けてきてくれたっていいのに。私のことをどう思っているのか、ちゃんと口にしてくれないし。
 でも、思い切って私から動いて良かった。不器用な隼人は、いつも周りから振り回され誤解されるところがある。本当はとても優しいのにな……。
 何で私は彼をこれほど望んでいるのだろう。優しさだけじゃない。以前聞いた隼人の生い立ち。幼い頃、お母さんの虐待に遭い、女性不信な部分もある。同情というより、私が何とかしてあげたいと素直に思った。
 それに妹さんの不慮の事故。私は一人っ子だから、兄妹が亡くなった悲しみを半分も分かってあげられないだろう。隼人はたくさんの悲しみに包まれながら、私と出逢った。
 頑固で真っ直ぐで真面目。それが彼の第一印象。付き合うようになって、心の奥底に見え隠れする優しさにどんどん惹かれていった。
 両親に愛されながら育った私。彼とは間逆だけど、何か支えてあげられないかな。自然とそう思うようになっていた。
 隼人と一緒にいると、私の心はとても和む。お互い譲らずよく口論になるけど……。喧嘩するほど仲がいいって言うしね。
 私の携帯が鳴った。
 ジョーン・コレトレインのマイ・フェイバリット・シングスの着信音。隼人からだ。ほんとこの曲、私は大好き。このまま着信メロディを聞いていたいところだけど、ウキウキしながら急いで携帯をとる。
 隼人の携帯から電車のアナウンスが聞こえてくる。仕事が終わって、駅のホームにいるみたいね。
「お疲れさまー。隼人、仕事終わったんでしょ?」
 私の声はきっと弾んでいるに違いない。
「あ…、ああ……」
 隼人の声に元気がない。
「どうしたの?元気ないよー?」
「う…、うん……」
「隠しごとは、私、嫌…。辛いことでも、何でも話してほしいわ」
 これだけ私は隼人のことを思っている。
「い、いや、仕事でちょっと、とちっちゃってね。特に用があった訳じゃないけど、おまえの声が聞きたかったんだ……」
 嘘だ……。相変わらず嘘をつくのが下手くそな隼人。
「怪しい…。ほかにも何か隠してんじゃないの?」
「馬鹿。そんな言い方するんじゃ、電話切るよ」
「何でそうなるのよ?私は心配だから言ってるんでしょ。都合悪くなると、すぐ切るってさ……」
「悪かったな。俺が言ってることに対して何かあるなんて、本当に無いのに突っ込まれたら、こっちの機嫌だって悪くなるよ。じゃーな」
「まっ、待ってよ……。」
 プツッ…、プー…プー…プー……。
 無常にも無機質な機械音だけが聞こえる……。
 隼人、電話を切っちゃった。何でこうなるのかな……。
 きっと私には話したくないことがあったんだ。隼人、ちょっと機嫌悪いみたいだし、掛け直すにしても、時間、少し置いたほうがいいみたい。
 何の仕事をしているのか、いまだに私には全然分からない。聞きたいけど、隼人の方から言って欲しい。でも、こういうのって寂しいし、嫌だな……。

 ちょっと俺、短気だったかな。
 反省しつつ、家にそのまま真っ直ぐ帰る。
 泉からは電話を切ってから連絡がない。
 今日の出来事を振り返る。
 まずはダークネスで、岩崎が鳴戸に蹴りを入れられ、鳴戸の本性を垣間見た気がする。
 そして水野の今後に関わる究極な二つの選択。
 早めに仕事が上がって岩崎と新宿プリンスへ……。
 江島さんとの偶然な接触。
 岩崎がホモだったという事実。ホモセクシャルという人種に対して深く考えたことはなかった。しかし、自分に被害が及んでくるならば話は別である。もちろん差別はいけない事だ。頭では分かっている。でも、俺にはどうしたってそれを理解などできない。
 たった一日でこれだけのことがあり、俺は明らかに参っていた。
 辛かったから、つい、泉に連絡してしまったが、今日の出来事で泉に何の話ができると言うのだろうか。
 プリンスの江島のことぐらいなら…、いや、そのあとに起きた衝撃的な岩崎の奇行。
 やっぱり何も話せない……。
 確かに俺はあの街に、いや、金の魔力にとりつかれていると言った方が正しい。だから泉に連絡はしたが、何も話せないことに気付き、ワザと怒って誤魔化した。
 またこれで、泉とは気まずくなるだろう。相変わらず俺は大馬鹿野郎だ。
 出来れば、すべて泉に話したい。話してスッキリしたい。もちろん泉は「そんな仕事は辞めて」と言うに決まっている。
 それで俺は辞められるのか?
 簡単に金を稼げる今の環境を手放せやしない。
 明日も仕事なのだ。時間になれば、俺は新宿へ向かうだけである。
 水野がどうなったかも気になるが、そんなことよりも、岩崎と顔を合わせて一緒に仕事をすることに、果たして俺は耐えられるのだろうか?
 考えても憂鬱になることばかりだった……。

 温度調節のつまみをひねってシャワーの温度を上げる。冷えていた体が徐々に温まっていく。形のいいバストが揺れる。朝のシャワーって最高。昨日の隼人とのやり取りを思い出す。
「隼人のバーカ……」
 私は声に出して、ワザと呟いてみた。
 結局あいつ、あれから電話くれなかった。隼人を受け止めたい気持ちはいつも持っているつもりだけど、あいつはすぐ私から一線を引こうとする。
 このまま隼人と一緒にうまくやっていけるのかな……。
 正直不安はあった。
 シャワーを止めて、風呂場から出る。昨日、弘美におのろけたのが馬鹿みたい。
 鏡を見る。隼人に義理立てして、みんなからの誘いをいつも断ってばかり……。
 もし今日、誰かが私を誘ってくれたら、誘いに乗っちゃおうかな。あいつ、こんないい女ほっといて、ほんとどうしようもない奴だ。もう一度口に出して言ってみる。
「隼人のバーカ。今日は一段と綺麗になってやるからね」
 髪の毛を乾かして、鏡台の前に座る。
 お気に入りの化粧水を取り出し、顔にぬって 軽く叩く。
 乳液を塗り、パフを手に持ってファンデーションを伸ばす。
 ティッシュを一枚、顔に当てて、優しくちょっとずつ指で押していく。
 きつめのアイラインをひき、マスカラも多くつけてみる。
 仕上げに、鮮やかな色の口紅を慎重にぬる。
 鏡を見ると、いつもよりちょっとだけ自分が綺麗に見えた。これで今日、誰かに誘われても知らないからね。
 胸の奥がキューンと痛くなる。
 もうじき仕事の時間だ。行かなくちゃ。玄関に行き、靴を履いてドアを開ける。
「じゃー、お母さん、仕事行ってきまーす」
 仕事に行くと、スタッフが私を見ているような気がする。念入りに頑張った化粧のせいだろうか。ちょっとだけ自分を誇らしく感じた。
「あれっ、星野さん?いつもとちょっと雰囲気違ってて、何だかとても綺麗だね」
 同じ職場の斉藤さん。ストレートに綺麗と言われると、照れちゃうな……。
「良かったら、今日、仕事終わったあとさ、食事どうだい?一度でいいから君みたいな綺麗な子と食事するのが、僕の三つある夢の中の一つなんだ」
 爽やかな笑顔を私に向けてくる。
 胸がドキドキしている……。
「そんな…。斉藤さんの残り二つの夢って、何なんですか?」
「今日、仕事終わったら、食事付き合ってよ。そしたら話しちゃうかもね」
 隼人のこと、忘れちゃおーかな……。
 心が揺れていた。

 泉にフォローの電話ぐらい、しとけば良かったかな。
 新宿に着くまで、ホモ野郎の件で、頭がいっぱいだった。
 店に近付くと、隣のピンサロのいつもの店員が今日はいないようだ。毎日、挨拶するのが当たり前になっていたから、ちょっとした違和感を覚える。
 階段を上がり、ダークネスのドアの前に立つ。
 途端に気が重くなった。帰ってしまおうか……。
 そんな考えが頭をよぎる。
 俺は一体、何を考えているのだ。今、帰ったところで明日からどうなる?
 どうせ今、自分が立っている場所は、中のモニターに写っている。なるようになれだ。自問自答を繰り返した挙句、ドアをノックした。ドアが開くと、新堂が立っていたので、少しホッとした。
「おはようございます」
「おはよう。昨日、俺たちが帰ってから、大変だったみたいだな」
「ええ」
「誰も詳しく教えてくれないから落ち着かないんだ」
「あれ、岩崎さんから話を聞いてないんですか?」
「まだ、あいつ今日、来てないんだよ。いつもは三十分前には、出勤してるんだけどな。ひょっとしたら、まずいなー…。ま、ここに立って話しててもあれだし、とりあえず中に入れよ」
 岩崎がまだ来てない。それを聞いてまた少しホッとした。新堂にうながされるまま中に入ると、田中が挨拶してくる。
「おはよーございます」
「あ、おはようご…、ざい……」
田中の顔を見てビックリして、挨拶が途中で止まってしまった。右目が半分腫れて塞がっており、左の鼻の穴には、鼻血が出たのかティッシュが詰めてある。
「酷いだろ?こいつの顔…。昨日の夜、出勤した時、水野の野郎に殴られたんだよ」
 彼の怪我というより、水野がいたという事実に驚いた。
「夜来たら、客はゼロで水野さん一人だけいて、妙に目が血走っていたんです」
 水野がいたということは、どこかから金策をしてきて、かろうじて首の皮一枚残ったのだろうか。
 鳴戸の言っていたトザン。十日で元金の三割の利息が追加される闇の金融業者。例えば、十万円を借りたとしたら、十日後には利子だけで三万円がつくという恐ろしい計算になる。
 もしそういうところで借りてきたら、水野はただでさえ精神的余裕がないのに、まったくなくなるだろう。
 田中は続けて話す。
「機嫌悪そうだったんですけど、一昨日のIN三百八十。上がりは六十万だったんです。客だって馬鹿じゃないから、僕や新堂さんに、散々、客が文句言ってくるじゃないですか。それで水野さんに客のことや、現場で働く人間のことをもうちょっと考えて下さいよって言ったんです」
「そしたら殴られたんですか?」
「…と、いうより、いきなり灰皿投げつけられ、右目に当たり、おまけに鼻まで殴られたんです……」
 田中はそこまで言うと、今にも泣きそうに口を閉ざした。新堂が会話に入ってくる。
「俺より田中が先に出勤したから、こいつが犠牲になっただけで、俺が先に来てたら俺がそうなってたかもしれないな。そのあと、水野は田中に誰がおまえらの飯食わせてやってると思うんだ。文句、言うなら辞めろってね…。俺が来た時は、すぐに、あと頼むぞって逃げるように帰りやがったけどな。本当、酷いオーナーだよ」
 最低のクズ野郎。このダークネスには、色々な種類のクズ野郎がいる。俺は何て言葉を掛けたらいいか、思いつかない。
「そうですよね。大丈夫ですか、田中さん。そういえば新堂さん。さっきまずいなと言ってましたが、何がまずいのですか?」
「赤崎君、岩崎にいつももらってるだろ?」
「もらってるって、何をですか?」
 抜いた金のことを指しているのは分かったが、とりあえず新堂の出方を見てみることにする。用心するに越したことはない。
「なーに、とぼけてんだって。俺たちも、遅番は遅番でやってるから隠すなよ」
 ある程度の予想はついていたが……。
 今このダークネスに関わる人間では、新堂と田中の遅番メンバーが一番信用出来る。もう、誤魔化すのはやめよう。
「うーん、一定ではないですけど五千から一万ぐらいは頂いてます。まさか…、ひょっとして、それがバレたとか言うんじゃないですか?」
「何とも言えない…。岩崎が遅刻するって、今までないことだし、昨日の水野の荒れ方も気になるしね……」
 俺は昨日、店で起きたことを話した。岩崎がホモだったということは除いて……。
「……てことは、水野の野郎、どっかで金借りてやけになって俺を殴ったんですかねー?」
 田中は憎しみを込めた目で語る。
 ちょっと整理してみよう。水野は間違いなくどこかで金を借り、鳴戸に借金を返したはず。それによって水野は生き残り、二人のバランス関係は平等になる。ただ、水野は金を借りたことにより、ケツに火がついた。従業員の分際でオーナーに何だと、八つ当たりで殴るのは充分考えられる。
 以前から岩崎、新堂は金を抜いているんじゃないかと疑われていた。ただ、現時点じゃ証拠不十分で、判断の材料が少な過ぎる。
 ピンポーン……。
 ドアのチャイムが鳴る……。
 俺達三人は一斉にモニターを凝視した。
 岩崎だった。顔に傷やアザがついていないのを確認すると、全員に安堵の表情が浮かぶ。
 俺は順番を考える。ここで起きることで、一番嫌なこと。それは抜きがバレることだ。次に鳴戸と二人きりになる。同じくらいに岩崎と一緒の時間を働くこと……。
「いやー、すいません。ちょっと寝坊してしまいまして……」
 岩崎の笑顔を見て、昨日のことがプレイバックされる。ゾッとした。
 しかし抜きがバレるよりはマシだ。新堂と田中が帰っても岩崎は以前と変わらない様子で俺に接し、その日は何事もなく、無事仕事は終わった。
 ホモ男は、俺に二万くれた。俺は当たり前のように金を受け取り、店を出てすぐ、泉の携帯に電話を入れる。

 

 

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