2025/01/06 mon
前回の章
二千八年一月十四日。
新宿FACEで開催された総合格闘技DEEP。
この時の体重が約百四キロ。
ヘビー級の試合だったので、死ぬほど食って体重を上げた。
これまでの人生でマックス体重な頃。
それから三年半経った二千十一年六月一日。
ジムでトレーニングを済ませ、ジャグジーへ入る。
恐る恐る体重計に乗る。
あの時同様凄い食べている。
「は、八十三キロ……」
二十一キロも落ちてしまった。
ハードなトレーニングによる日々。
自身の新陳代謝はより良くなっている。
佐川急便でも人より相変わらず動き、あえて辛い仕事をやっていた。
食べる量とトレーニングが比例していないのだ。
運動量のほうが勝り、筋肉はつき神経も研ぎ澄まされていく。
しかしその代償に体重は減るばかり……。
一昨日の会社の健康診断。
視力を計る。
両目とも一・五。
「え、先生! 二・〇あったんですよ? もっと計らせて下さい」
「それだけあれば十分です。それ以上は当病院では計れませんから」
ちゃんと計れば絶対に二・〇あるはずなのに。
診断結果が、視力落ちたみたいで何か嫌だ。
体重八十五キロ。
つまり、たった二日間でまた二キロも落ちた事になる。
十年前の二千年九月に出場した総合格闘技タイタンファイト。
あの時の体重九十六キロ。
あの頃よりも十三キロ落ちた計算になる。
どうすんだよ……。
ぎーたかへ再び復帰するって宣言したのに……。
復帰するなら化け物揃いのヘビー級しかない。
つまり体重百キロまで、あと十七キロの増量が必要になってくるのだ。
散々食べているよな、俺……。
また寝て起きたらゲロ吐いていたくらい詰め込まないと、体重を増やせないのか?
俺は減量よりも、体重を上げる方がキツい。
とりあえずジム出て、目の前にあるマクドナルドでチーズバーガーLLセットを二セット、それにビックマック、テリヤキバーガーを食べる。
今日は面倒臭くなったから料理せず、どこかで外食しよう。
でも、こんな生活していたら、給料ほとんどが食費で消えるだけになるな……。
コンディションの上昇。
研ぎ澄まされる感覚は、通常の生活を送るには向いていない。
身体に疲労を感じ、ゆっくり睡眠を取る。
良く寝たなと自然と目覚める。
時計を見て愕然とするのが、一時間程度しか睡眠時間を取れていないのだ。
結構寝た感じはあった。
しかしどう見ても、時計の針は一時間しか進んでいない。
つまりコンディションの上昇は、一日の睡眠時間が一、二時間程度で済んでしまうのである。
これは二十九歳の時も似たような事があった。
普通の人間ではなくなってきているという妙な怖さ。
こうなると仕事中眠くなる事もない。
たまには小説でも書いてみるか。
しばらく執筆すらしていない。
俺はパソコンを起動した。
実家の二階には俺の部屋、親父の部屋、トレーニング室、風呂場、トイレがある。
親父はとっくに部屋に戻り、寝ている状況の時だった。
さて、久しぶりに書くか……。
「コンコン……」
夜中の二時頃、自分の部屋のドアを二回ノックする音が聞こえた。
「……」
全身に鳥肌が立つ。
何故ならそんな時間帯に、わざわざノックするような者がいるのか?
弟の徹也は結婚して実家を出て、近くのマンションに住んでいる。
親父は当然ながら寝ている。
叔母さんのピーちゃんは三階だし、俺など何の用も無いだろう。
おじいちゃんは寝ているだろうし、そもそも隣の家の二階だ。
時間にして一、二分ほどだろうか……。
静観していると、再び二度ノックが鳴る。
一呼吸置いてから俺は「はい」と低い声を出した。
しばらく待つが、返答は何もない。
俺は「誰?」と不機嫌そうに口を開く。
それでも返答は何一つなかった。
ドアを開ければ済む話なのだろうが、本能的に今、ドアを開けないほうがいいと感じていた。
物音一つしないが、開けて誰かいたら凄く嫌だ。
俺はミクシィの記事として、この状況を詳しく書く。
五分ほどしてコメントついているかなと更新すると……。
非常に不気味なコメントがあった。
ミクシィでマイミクになっていた顔も知らない女性からだった。
ひょっとしたら私かも……。
いつも想っていたから……。
ひだまり
上記のような内容で、さらに恐ろしく長いコメントがついていた。
この人たまに俺の記事にコメントくれるけど、何か怖いんだよな……。
長いコメントを読む気にはならなかった。
岩上整体の時、しつこくストーカー行為をしてきた山崎ちえみのような粘着性を彼女から感じたのだ。
いや、九州からやって来たストーカーの文枝に近いものがある。
マイミクになったきっかけは、俺の小説を読んで感銘を受けたという作者と読者の関係。
ひだまりのプロフィールなどを確認すると、現在は身体が悪く入院中らしい。
何度か彼女の日記を読んだ事がある。
車椅子生活で、ハーフでイケメンな彼氏がいるようだ。
その彼氏が車椅子を押す形で病院へ行くと、周りの看護婦たちから「彼に感謝したほうがいい」とか言われ、それがウザいだの、彼氏は結婚願望無いからどうのこうのと、どうでもいい内容が多い。
あまりにも目についたので、あまり人様の目に触れる場所で、彼氏の愚痴などを書かないほうがいいのではと一度忠告した事があった。
するとひだまりは、自分が書く愚痴に近い内容も彼氏は傍で見て知っており、自分に償わないといけない立場だから了承もしているし、静観もしていると言われた。
事情を知らないが、あまりこの人には関わらないほうが賢明だという判断をし、一歩引いた形で今日までいる。
たまに俺の記事に怖いコメントをしてくるので、苦手なタイプの女性だった。
例えば俺がアメ横でマグロを買った記事を写真付きで載せる。
すると、ひだまりは『アメ横へ今行けば、トモさんに会えるんですね』などコメントしてきた。
『ひょっとしたら私かも……。いつも想っていたから……。 ひだまり』
この人、イケメンの彼氏いるんでしょ?
何で俺に来るの?
奇妙な感覚に陥った俺は、同級生でもあるマイミクの飯野君へミクシィのメッセージを打つ。
『ちょっと怖いコメントついたんだけど、俺の記事見てくれない? 岩上智一郎』
ミクシィ内のメールだし、深夜二時過ぎでも問題ないだろう。
時間にして二、三分ほど。
再び自分の記事のところへ戻ると、例のコメントは消えていた。
書き込んだあと少し考えて、自分で削除したのだろう。
何故ここまでコメントした女性について恐れるかと言うと、以前怖い事があったからである。
ひだまりのプロフィール上の住所は、隣の県になっていた。
俺の小説の読者というのもあり、怖いけど邪険にはできない。
一定の距離を保ちつつ、適当にコメントがくれば返事をする。
そんな感じで俺はいた。
とある日、ひだまりからメッセージが突然届く。
トモさん、川越に住んでいるのですよね?
新河岸って近くですか?
できたら私のマイミクの黒龍さんがその辺に住んでいるんですが、様子を見に行ってほしいのです。
ひだまり
「……?」
何だ、このメールの内容は……。
一瞬寒気が身体を貫いた。
ひだまりのマイミクである黒龍という男とは、まるで面識も何もなく、ただ住んでいる場所が同じ川越市というだけだったので……。
だが無視するのも失礼かと思い、俺はとりあえず差し障りないような形のメッセージを返す事にした。
確かにその場所は隣の駅なんで、近くといえば近いですね。
ただ、私とはまったく無関係の人のところへ何故行かないと行けないんですか?
岩上智一郎
上記のようなメッセージを返すとすぐさま返事がくる。
三日間連絡がまるでつかず、私がいくら連絡しても返事がない状態なんです
ひだまり
まだ三日でしょ?
それなら体調崩しているだけかもしれないし。
そう神経質にならなくてもいいんじゃないですかね。
岩上智一郎
彼、持病があって、ひょっとしたら大変な事になっているんじゃないかと思うんです。
ひだまり
「……」
ぶっちゃけるとこの時は、そんな事どうでもいいよという気分だった。
ひだまりの顔だって俺は知らないし、ましてやそのマイミクの黒龍なんて何の関わりもない。
それにひだまりは、自分で彼氏と半同棲みたいな感じで暮らしていると自ら書いているのに、何故離れた場所にいる黒龍の事をそうまで気にするのか?
そして何故、俺まで巻き添えにしようとする?
あまり関わりにならないほうがいいな……。
いや、関わらないほうがいい。
そう判断した俺は再びメッセージを打った。
もし何日も連絡が取れないようなら、彼の家族が捜索願出すなり、直に部屋へ来るだろうから、放っておけばいいんじゃないでしょうか。
岩上智一郎
こんな事今までなかったんです!
三日も連絡ないなんて……。
私、心配で心配で……。
ひだまり
そもそも半同棲の彼氏いると堂々と公言しているのに、この女は何を言っているのだろうか?
そんな意味不明の三角関係に、何故俺が巻き込まれなきゃいけない?
俺は総合格闘技復帰戦のあとの古木英大、牧田順子、影原美優の三角関係に巻き込まれたのを思い出す。
他人の色恋沙汰に首を突っ込むと、ロクな目に遭わない。
今回のケースでいえば、ひだまりとハーフの彼氏、それに黒龍の三人。
何で俺がこんな関係に入らなきゃならないんだ。
やり取りをするのもうんざりだなと思い、少し厳し目のメッセージを打つ。
確かに連絡つかず、心配する気持ちは分かります。
ただ、見ず知らずの私が、何故そこへ行かないければならないという理由とは別のはずです。
岩上智一郎
トモさんしか頼れる人いないんです!
住所も書くのでお願いします!
ひだまり
そういって彼女は、黒龍の住む住所を書いたメールを送ってきた。
いや、だから何でそこに頼れるのが俺しかいないとなるわけ?
絶対におかしいでしょ?
確かに車で十分もあれば到着できるような場所ではある。
仮に俺がそこへ行った際、何をどう伝えればいいのか?
黒龍というハンドルネームしか知らず、ひだまりのマイミクというだけの俺が、そんな彼のところへ行ってどうするの?
メリットデメリットを考えるような性格ではないが、この件に関してだけは厄介な事しかない。
あとあと面倒なのはごめんである。
ひだまりさんとはマイミクかもしれませんが、私とはまるで面識もないし、黒龍さんのところへ行く意味合いが見出せないでいます。
私自身そんな暇して過ごしているわけではないですし、日々の生活もあります。
執筆する事が私にとって第一の事なのです。
なので申し訳ありませんが、お力にはなれません。
岩上智一郎
まだ何かしらのメッセージがひだまりから来たものの、俺は返信するのをそれでやめた。
翌日になりミクシィを立ち上げた際、画面を見てドキッとした。
ミクシィというSNSは、マイミクが日記なり画像を更新すると、最初の画面に最新情報が提示されるシステムになっている。
ひだまりの書いた日記が、異様な数でアップされていたのだ。
あまりの多さに、俺は日記の一つを押し、内容を見てしまう。
すぐ理解できたのが、ひだまりのマイミクである黒龍は亡くなってしまった事。
部屋で病死していたらしい。
全身に鳥肌が立った。
もし昨夜、俺がひだまりに言われるまま黒龍宅へ向かっていたら、見ず知らずの男の死体と遭遇した事になるからである。
ひだまりの言う直感のようなものは正しかったわけであるが、それを拒絶した俺の本能も正しかったわけだ。
深く考えず新河岸へ行っていたら、俺が死体の第一発見者……。
以前俺が裏ビデオ屋『メロン』で働いていた頃を思い出す。
泉という少し年上の客に懐かれた事があった。
彼は学生時代噂になった中山美穂の裏ビデオに出演した男優だと言う。
もちろん裏ビデオに出た女優は、中山美穂とは似ても似つかないもので、ダビングにダビングを重ね、あえてビデオテープの画像の質を悪くして市場へ流したらしい。
ある日警察から電話が掛かってきた。
電話に出ると、泉が病気で亡くなったとの報告。
何故俺に警察が電話をと尋ねると、彼の最後の電話した相手が俺だと言われた。
今回のひだまりと黒龍のケースとは違うが、過去の経験から俺の本能が行くなと感じたのだろう。
本当に怖かったのがこのあとである。
ひだまりの日記は、黒龍に対する恋心のようなものを一日何回も渡って書いていた。
黒龍さん、以前あなたには好きと言われましたが、彼のいる私は当初お断りしました。
でも、黒龍さん……。
私はあなたの事が好きでした……。
ひだまり
このような内容で延々と日記に文字がびっしり書かれている。
この女、彼氏いるのにこんな事書いていていいのだろうか?
まず俺が感じた率直な感想である。
人間なんだから様々な事柄により、気持ちが揺れるのは分かる。
俺だって当時教会の神父の妻の望と不倫をした。
それだって誰にも言わず、密会を重ねただけ。
何故ひだまりは、不特定多数の人が読むSNSへわざわざ書いて発表しているのだろうか?
自身の中で留めておけば、自己中心的な美談で済む。
だが、モラルの伴わないものを大勢の目の中へ晒すという行為が、まるで理解できない。
まあいい。
所詮インターネット上の中の出来事。
俺が関わらなければ、何の問題もない。
できるだけひだまりとは接触しないよう心掛け、しばらくの時間が経った。
俺が相手にしなくても、彼女は俺の書く記事やら画像には、ちょっぴり怖めのコメントをしてくる。
基本コメントには返信する性格であるが、三回に一回はコメントを返さない。
その内頻度を二回に一回にし、ほとんどコメントには返さないという事までした。
ただどうしても、くれるコメントの語尾が質問形式になってしまった場合のみ、仕方なく返す。
すると『やっと返事あった。 ひだまり』と、そんな事で喜んでいるようなコメントをしてくる。
小説の読者だというだけでマイミクにしてしまった俺自身、迂闊だった。
そんな後悔の念が強くなっていた。
現在でも彼氏とは普通に続いているのに、何故かこちらに対し好意を寄せるようなコメントの数々。
リアルな知り合いの女性マイミク数名からも「ひだまりってヤバそうね。大丈夫?」と会う度心配の声を掛けられる。
俺自身よく料理をして、作った料理写真などは載せていたが、ある日近所のコロボックル真紀美と飲んでいると、彼女が意地悪そうな顔をしながら「ちょっとあなたの料理記事にコメントしていい?」と言った。
「別に構わないけど」
するとコロボックル真紀美は俺の料理記事のコメント欄に『料理とっても美味しかったです(ハート) エルモ』などと、ワザとひだまりが絶対に気にするようなコメントを書いた。
当然の事ながら、それからしばらくコロボックル真紀美の足跡に、ひだまりの痕跡がついていたようだ。
本能的に危険性を感じた俺は、コロボックル真紀美にあまりからかうようなコメントはやめたほうがいいと忠告した。
「でも、私が危険な目に遭ったら、智君守ってくれるでしょ?」と言われたので、すかさず俺は
「いや、暴漢とかならいくらでも守るけど、ひだまりだけは嫌だ」と答えた。
過去、俺の特殊な経歴のせいか、恐ろしいストーカー行為に何度かあった事がある。
そのせいか、俺は危険察知能力のようなものが自然と備わっていた。
これまでの経緯から、ひだまりは自分にとって危険人物という判断になっていた。
怖い女に対し、一番いい方法は相手にしないというもの。
無駄に相手を刺激したり、問いに答えたり…、そういった対応が向こうの妄想を掻き立てるのである。
過去で思い出すのが初のブログ『新宿の部屋』時代のらぴゅた。
あの女も、ぶっ飛んで怖かった。
深夜の三時。
俺は無言のままドアを見つめる。
確かにドアをノックする音が二度鳴ったのだ。
ひだまりの思念?
つまり生霊みたいなものが、ドアをノックしたとでも言うのだろうか?
ひょっとしたら私かも……。
いつも想っていたから……。
ひだまり
ブルっと鳥肌が立つ。
家での叔母さんのピーちゃんと貴彦への憎悪。
間髪入れず福田真奈美との亀裂。
次はひだまりのホラーかよ……。
絶対にいずれ小説のネタにしてやるからな。
部屋のドアを開ける。
薄暗い廊下。
そして先にはトレーニング室。
「……」
もちろん誰もいない。
右の部屋で親父が寝ているだけだ。
再び部屋へ戻る。
ひと眠りしよう。
起きたらジムへ行き、身体を鍛えればいい。
ミクシィでマイミクのひだまりは、本能的に危険だという匂い。
あの部屋の二回に渡るノックの音。
すぐ削除したにせよ、それは自分だとコメントしたひだまり。
あの時もし、ドアを開けていたら、扉の向こうに何がいたのだろうか?
生霊というものがある。
あれは強烈な思念の一種だと俺は思っている。
あのノックも病床に伏せるひだまりの想いのようなものが、具現化したものなのではないだろうか。
そもそもコロボックル真紀美が面白がって、ひだまりを刺激するからこんな目に遭うのだ。
「うひひ」と意地悪そうに笑うコロボックル真紀美の顔を思い出す。
ひだまりがもし川越に上陸する事があれば、コロボックル真紀美を防波堤にするしかないようだ。
さて、寝るか……。