2025/01/18 sta
前回の章
二千十二年二月三日。
この数日間、久しぶりにゆっくりと過ごせた。
地元の先輩である神田さんとも食事へ行け、ここ最近の経緯を話せた。
「何て言ったらいいのか…。相変わらず智ちゃん、無茶苦茶するねー」
「ボロは着てても心は錦って言うじゃないですか! もうこの世にはいないけど、俺はジャンボ鶴田師匠と三沢光晴さんの背中を見てあの頃成長できたんです。もうとっくに色々と汚してしまったけど、それでも俺にはあの時の全日本プロレスにいたって自負だけは未だあります」
「全然汚してなんてないよ。智ちゃんは智ちゃんらしく、それでいいと思うよ」
神田さんはいつだって俺に優しい。
昔から色々と救われている。
「あ、ここは俺が出しますからね」
「駄目! 智ちゃんは無職になったばかりでしょ? 僕のほうが年上なんだから、ここは僕が出すよ」
「そんな! 神田さん、待って下さいよ」
「いいからいいから…。智ちゃんはね、もう少し人から奢られるって事に慣れたほうがいい」
本当にこの人には頭が上がらない。
夜になり、新宿歌舞伎町へ向かう。
一月後半になり、定期券を購入したばかり。
まさか一日でクビになるとは思わなかったから、無駄な交通費を使ってしまった訳だ。
まあ今日の分は定期券で切符代も掛からない。
歌舞伎町へ到着。
番頭の根間と会い、日払いのプール分を受け取る。
十四万四千円。
これでインターネットカジノ『牙狼GARO』とは完全に関係が終わった訳だ。
高橋南を紹介したキャッチの田中とバッタリ出くわす。
「あっ、岩上さん! あの店辞められたんですか?」
「うん、辞めちゃった」
本当は事実上のクビ。
さすがにそれは言いたくなかった。
「何でまた?」
「まあまあ、それよりもさ、田中君、どこか飲む店でも案内してよ。キャッチだからそっち方面も大丈夫でしょ?」
「飲み屋…、キャバクラですか? 風俗ですか?」
「うーん、今日はキャバクラのほうがいいかな」
「分かりました。何かご希望とかは?」
「どこでもいいよ」
こうして俺は、キャッチ田中の案内で歌舞伎町のキャバクラへと向かった。
エレガントな店造りの中を通され、ソファーへ座る。
「ご指名のほうはございますか?」
「この店自体初めてなんだ」
「畏まりました。それでは少々お待ち下さいませ」
ボーイが去るとタバコへ火をつける。
「はじめましてー、あかりです」
凄い美人が隣に座る。
「この店って、みんな君みたいにレベルの高い子ばかりなの?」
お世辞でも何でもなく率直に思った事を口にした。
「え、どういう事ですか?」
あかりは不思議そうな表情で俺を見る。
「いや…、この店初めてで、フリーなのに最初に来たのが君のような美人だったから少し驚いていたんだ」
「やだー! お客さん、上手」
「いやいや、お世辞とかじゃなくて、本当に綺麗な子が来たなあと……」
「もう…、何人の女の子にその台詞使ったんですか?」
「いやいや、キャバクラ自体、来るの久しぶりだし」
「またまたー」
「本当だって! うーん…、話をすると、凄い長くなるからなー……」
「え、何の話です?」
「うーん、俺がいかに恵まれずに金も無いかって話」
「だって三十代前半ですよね? それはしょうがなくないんじゃないんですか?」
「はあ? 君こそお世辞なんて言わないで。俺は四十歳だよ」
「えー」
こんな調子で自然と彼女との会話は弾んだ。
「さっきの話すと長くなるって……」
まあ小説の事くらい言ってもいいか。
俺は淡々と『新宿クレッシェンド』を書き、それが本になったまでの話をした。
途中、女の子の交代で別の子が来たので、俺はそのままあかりを指名する。
「何だかありがとうございます。私なんかを指名してもらって」
「会話の波長が合って、話をしてて俺も楽しかったからね」
「嬉しい! 私、岩上さんの本を読んでみたかったなあ」
そういえば『牙狼GARO』に一冊だけ置きっ放しだったっけ……。
ちょうどワンタイムの時間が来たので、俺はそこで一旦精算する事にした。
外へ出て古巣『牙狼GARO』へと向かう。
エレベーターで最上階まで上がり、インターホンを押す。
渡辺が笑顔で出迎えてくれる。
「岩上さん! 戻ってきたんですか!」
「いやいや、違うから…。俺の本を忘れていたから、それだけ取りに来ただけ」
「えー」
俺は奥に置いてあった『新宿クレッシェンド』を手にする。
猪狩は俺と目を合わせようともしない。
谷田川も俺をあえて気付かないふりをしていた。
俺がこの店を辞める事が決定した時、惜しんでくれたのは渡辺と前田のみ。
あれだけ俺にまかない飯をと言ってきた谷田川は、急に態度が変わった男だ。
もう店とは関係無くなったので、俺には用など無い。
そんな対応だった。
人間性というものは土壇場にならないと分からないものもある。
いい勉強をさせてもらった。
ん?
何か俺、無職のくせに妙に余裕があるな……。
「岩上さん…、戻ってきて下さいよ……」
「もうここは俺のいる居場所じゃ無くなったんだよ。ナベリンと一緒に仕事できたのは楽しかったけどね」
俺は店をあとにした。
先ほどのあかりの店へ戻る。
またあかりを指名。
「えー、本当にもどってきてくれたんだー! 嬉しいー」
「約束したでしょ。嘘はつかないよ」
まあ今日でキャバクラ行くのも最後だろうけど……。
何せ俺は無職だし。
「はい、これ」
「え、この本って……」
「うん、さっき話した俺の本『新宿クレッシェンド』。せっかくだからあかりにと思ってね」
「ありがとうー! 作者から本をもらえるなんて夢みたい! ねね、岩上さんのサインもちょうだい」
「えーと…、名前は?」
「ん? あ、私、源氏名も本名も、平仮名であかりなの」
俺はあかりへとマジックでサインをした。
小説の話になると、避けられないのが総合格闘技復帰戦。
じゃあ何故俺がリングに上がったのかとの話のルーツになると、全日本プロレスまで遡って話さなくてはならなくなる。
酒も入っていたせいか、ジャンボ鶴田師匠や三沢光晴さんとの思い出話になってしまう。
あかりには正直に今の俺は無職だとも伝えた。
こんな店で俺は何をやっているんだろうな……。
自身の不甲斐なさを話す。
本来なら、キャバクラでこんな風に飲める人間じゃないとも伝えた。
あかりは俺の胸に顔をつけてくる。
「岩上さんの心臓の鼓動が聞こえる…。とても落ち着く……」
「……」
浅草ビューホテル時代の頃を思い出す。
川越のスナック『アップル』で働いていた久美子。
彼女を初デートに誘い行きたいと言った場所が、当時俺の働くトップラウンジ『ベルヴェデール』。
あの時抱くつもりは無かったのに、帰り道の車の中、同じように久美子は俺の胸に顔をつけてきた。
そのまま俺は久美子を抱いた。
いい匂いがする。
異性とこうして近距離でくっつくのは、とても久しぶりだ。
気が付けば、あかりの肩を抱いていた。
「岩上さん、色々大変だったんだね……」
あかりは俺の胸に顔を埋め、泣いている。
少し自分の過去を話し過ぎたかな……。
いい雰囲気のまま時間は過ぎていく。
そろそろ始発が動く時間か。
俺はボーイを呼び、会計を頼む。
五、六万は掛かるだろう。
「十二万三千円になります」
え、何その金額……。
あかりが傍にいるので、同様を出さないようポーカーフェイスのまま金を支払う。
いい女の前では最低限の格好つけていたい。
店の外へ出る。
えーと…、昨日根間から十四万ちょい給料もらって……。
十二万も使っちゃったよ……。
あと二万しかないじゃん……。
ああ、今プーなのに~。
あかりと出会ってから二日経つ。
俺は無職で金も無いと伝えているのに、何故か彼女からはしょっちゅう連絡が来る。
あんな美人から連絡来るのは嬉しいが、今の俺にはあかりをもてなす財力などない。
正直に言っているのに、それでもあかりはまだ話を続ける。
不思議な子だ。
そんな最中ニュースで、芸人の山田花子が妊娠五カ月、エッチ一回十万円が実ったという見出しのニュースを見た。
山田花子の旦那といえば、KDDI時代の上司である福島。
ニュースには馴れ初めが書いてあるが、当時彼は金の為に山田花子と結婚を決意したと言っていた。
記事を見てみる。
福島さんとはサラリーマン時代一緒の部署だったけど、一風変わったように見えて、じっくり話すと筋道のしっかりした優しい人だったなあ。
トランペットをしていたなんて全然知らなかったけど。
とうとうお子さんが産まれるんだ
おめでとうございます。
タレント・山田花子(三十六)が七月にママになることが五日、分かった。
二千十年五月に結婚したトランペット奏者、福島正紀さん(四十一)との間に第一子を授かり、現在妊娠五カ月。
結婚直後は「子どもは四人は欲しい」と話しており、待望の妊娠となった。
花子は、ごく親しい人にしか妊娠を打ち明けておらず、この日も舞台で身体を張ったズッコケを見せるなどプロ魂全開。
だがプライベートでは母になる喜びに幸せ全開で、赤ちゃんと対面する日を心待ちにしている。
妊娠が分かったのは昨年十一月初旬。
都内の病院を受診し、判明した際には満面の笑みを見せていたという花子。
医師からのアドバイスもあり、安定期に入るまではごく近い身内以外には伝えず、仕事も通常通りに消化。
五日も東京・ルミネtheよしもとで三回興行に出演するなどフル稼働した。
出産予定は七月で、今後は体調を見ながら仕事を調整していくという。
バラエティー番組で福島さんが花子にトランペットを教えたことがきっかけで交際がスタート。
二千十年五月に結婚した。
新婚当初、花子は「何回もおやすみのキスをしてます」などとラブラブぶりを披露していたが、やっと授かった第一子に夫婦共に大喜びだそう。
「フー……」
何はともあれ、幸せになってくれよな、福島さん。
KDDI時代、名前も忘れたが知り合いのバーで訳の分からない男を連れてきた女。
ポートワインをガンガン飲み、金も払わず逃げた翌日、話をまともに聞いてくれたのは福島だけだった。
もう交わる事は無いだろうが、幸運を祈る。
そろそろ動こう。
腐るほど身体を休めたよな。
何故あの街にまた戻り、まだ行くのか?
猪狩による理不尽な解雇。
正直悔しかった。
あれだけおんぶに抱っこだった奴が、手の平を返す。
種類は違えども谷田川みたいな人間もいる。
あいつの手の平返しには、逆にこんな人間がいたのかと驚くばかり。
これは勉強になった。
そして、今日やっと気付けた事。
それは大いなる絶望を知り、自ら体感する事だった。
その後の新たなあかりとの出会い。
それによって俺は腐らずに、感謝すら覚える。
一人の女の為に格好をつけたいと思った。
だからまだ俺は、あの街にこだわり続けたい。
何でだか分からないけど、未だあかりから猛烈にプッシュされている今日この頃。
彼女は飲み屋の女。
以前福田真奈美の件で、飲み屋は懲りたはずじゃなかったのか?
また俺はどこかでうまく利用されるか、騙されるのか?
正直に自分を話しているのに、それでもあかりは寄ってくるのだ。
こんな四十歳の何も無い男の何がいいのか……。
十八歳も年が違う二十二歳……。
でも、無性に可愛くて仕方がない。
あかりの存在がどんどん大きくなっていく。
まあいい…、今の俺には金も力も無いのだから。
二千十二年二月十四日。
世間一般ではこの日をバレンタインと呼ぶ。
俺の知識の中では、中学時代の同級生のゴリの誕生日でもある。
先日あかりから連絡があった。
「火曜日、十分だけでもいいから時間作ってほしいな」
今まで出会った女性の中で、最も綺麗だなと思った子からそう言われるのは悪い気はしない。
俺は時間を当然こじ開けるように作った。
「はい、岩上さん。チョコレート! 義理じゃないからね!」
また再会して、やっぱり可愛いなあってつくづく思う
「あかり、ごめんよ。これから仕事の件で話をするようだから、少ししか時間を作れなくて」
「ううん、いいの。こうしてちょっとでも時間を作ってくれて嬉しい。どうしてもチョコだけでも渡したかったの」と彼女は笑顔で口を開く。
新宿にあるイタリアンのお店で軽く食事を取り、そのまま俺は別件へ。
「あ、岩上さん、忘れ物」
「忘れ物?」
「うん。あ、ちょっと目を閉じて」
「え…、うん」
唇に触れる小気味いい感触。
「あかり……」
「だって岩上さん、全然手を出そうともしないんだもん」
「本当にこんな金も何も無い中年男なんて、相手にするのはやめなって」
「嫌だよー。岩上さん、これから仕事で用事あるんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、もっと一緒に居たかったけど、我慢する」
あかりと別れる。
とても名残惜しい。
こんな事なら丸一日時間作っておけば良かったなあ。
しかし仕方がない。
俺は別方向へ歩いていく。
ふと足を止め、後ろを振り返る。
あかりは立ったまま、俺を見送っていた。
笑顔で大きく手を振る。
俺は再び歌舞伎町へまた戻ってきた。
何故か……。
前の俺が作り上げた店、しかし店長は今まで見た事がないような『AKB48』オタクの猪狩。
変なプライドだけは一丁前に持っていた。
あまりの仕事の出来なさと、部下に対する仕打ちに対し、俺は一月の末に激情し財布の中の金を取り出してぶん投げた。
「そんな従業員から金を毟り取りてえなら、俺のを取れ」と……。
その後猪狩は仕事を体調不良でズル休み。
しかも早番の責任者を代わりに遅番へ出させ、そのまま続けて二十四時間勤務など無茶をやらせる愚直ぶり。
例を挙げたらきりがないけど、とにかく店のシステム系関連全般、印刷物の型、料理のレシピ等すべて作り終えた俺が、使い辛く邪魔でしょうがなかったのだろう。
彼の選択は、たった一日で俺をクビにしたというもの。
もちろんすぐ辞めるつもりは無く、定期券買ったばかりなんだけどなあ……。
人が大人しくしてりゃあ、つけ上がりやがって。
考えてみたら、よくもまあ歌舞伎町でここまで舐めた真似しくさってくれたのは、このヘタレが初めてだ。
群馬の先生のところへ初めて行った時、名前の出た因縁のある三人。
吉田、北中、當間……。
過去ゲーム屋『ワールドワン』時代の吉田はクビにした。
過去裏ビデオ屋『メロン』時代の北中は潰した。
過去風俗『ガールズコレクション』時代の當間はぶっ飛ばした。
猪狩はこいつらに匹敵する屑っぷり。
根底にあった怒り。
それに火がついた。
岩上智一郎としての怖さを思う存分見せつける事にしよう。
それには俺も動かなきゃいけない。
まず近隣の他店舗のオーナーもしくは社長クラス二人と密談し、俺を雇えと話をする。
すぐ思いついたのが『ポン』の番頭桜田。
以前『餓狼GARO』で暴れ、猪狩を平手打ちした男。
彼に話をしようとすると、目を反らし完全に俺を避ける態勢だった。
やはりあの時の失態により、あの店の人間とは、二度と関わりたくないのだろう。
一つ目は、ぽしゃった。
ならば近隣でもう一つのインターネットカジノ『8エイト』くらいしかない。
いきなり店へ飛び込みで俺を雇えなんて言っても相手にされないだろう。
コネが無ければ、人を使えばいい。
暇な時間と定期券はある。
俺はとりあえず歌舞伎町へ行き、インターネットカジノ『餓狼GARO』がある通りに立つようにした。
誰かしら知り合いが絶対に通る道。
俺に気付き、声を掛けてくれた太客がいたら頼んでみよう。
道路にただ立って太客を待つ行為。
一日目は空振りに終わる。
声を掛けてくるのは双子のゆかや、ゆのゆの、池田由香といった細かい客のみ。
二日目も俺が懲りずに新宿へ向かう。
「あれ、岩上さん。どうしたの?」
ようやくそこで望んでいた展開が来た。
毎回百万円以上の勝負をする太客の高橋南。
彼女が道路に立つ俺を見て、不思議そうな表情で声を掛けてきたのだ。
何故俺が『餓狼GARO』を辞めたのか、しつように聞いてくる高橋南。
立ち話で話す内容でもないので、俺は昔から行きつけの店『叙楽苑』に彼女を案内した。
持ち金二万円ちょいしかないが、まあこの店なら全然余裕で足りるだろう。
「おー、岩上さん。お久しぶりね」
台湾人のママが笑顔で俺を出迎える。
「凄い辺鄙なところだけど、美味しそうな食事が出てきそう」
南は感心しながら店内を眺めている。
「とりあえずママ、台湾風骨付き豚ロースの唐揚げ。あとは豆苗炒め。それと春巻きに、五目焼きそば。あとね、麻婆茄子にマーボーチークワァイ(唐揚げの麻婆炒め)」
「はい、岩上さん、いつも同じもの好きね」
乾杯を済ませ、南にあの店を辞めた経緯を話す。
かなり長い時間が掛かる。
終電など、とっくに無くなっていた。
「あの店、ほんとにヤバいのね……」
一部始終を聞いた南は驚いた表情で呟く。
「それで私に話ってどうしたの?」
「あの店の斜め向かいにインカジの『8エイト』ってあるじゃないですか」
「うん、あそこもよく行くよ。社長も知り合いだし」
「そこでですね…、俺を『8エイト』に紹介してほしいんです」
「え、岩上さんを? どうして?」
「とりあえず『餓狼GARO』の太客すべて『8エイト』に引っ張りたいです。そしてゆくゆくは、日本で一番のインカジを作ってみたいんですよ」
「それ、面白いねー。私、色々な店打ちに行くけど、負けて感動させられた接客されたのって、岩上さんだけだもん。岩上さんならできそうな気がするよ。『8エイト』なら任せて!」
こうして二月十四日のバレンタインデーに『8エイト』の新井社長と、会う段取りがついたのであった。
そのあとであかりから、どうしても会いたいと連絡が来たのである。
南がご馳走してくれるかなと思ったが、何軒が店を梯子して俺の持ち金は見事底をついた。
案外ギャンブル以外の事では、財布の紐が固いのかもしれない。
まあどっちにしろ賽は投げた。
あとはそれがどう転がるか。
あかりと別れ、ホストクラブ『愛本店』の横にあるインターネットカジノ『8エイト』へ向かう。
せめてバレンタインの日じゃなく、別の日にすればよかった。
そうすれば今頃あかりと……。
階段を上がり二階へ。
インターホンを押すと、黒髪おかっぱ頭の従業員がドアを開ける。
「あ、本日面接に来ました、岩上と申します。新井社長はいらっしゃいますか」
「あ、どうぞ。話は伺ってます」
中へ通されると、あまりの広さに圧倒させられる。
入ってすぐ左手に曲がる。
右側はキャッシャー用の部屋。
目の前は客が寛げる二名掛けのソファーが四つもある。
かなり大きな薄型のテレビも置いてあった。
左方向には、席数が大きく二つに分かれ、六席毎に四列。
全部で二十四席もある。
『牙狼GARO』と比べ、約二倍の席数。
広さだけで言えば、四倍は大きい。
こんな大箱のインターネットカジノの店もあるのかと、まず広さに圧倒された。
店の内装に掛けている金が『ボヤッキー』や『牙狼GARO』と全然違う。
「岩上さん、どうぞこちらへ」
右手にあるキャッシャーのある部屋へ通される。
キャッシャー室と表現すればいいのだろうか。
左方向にパソコンや店内の様子を映している各モニター。
右側は従業員が待機できるよう椅子が四つほど置かれ、この部屋だけで八畳ほどの広さがある。
さらに奥へまだスペースがあり、パッと見、調理室のようだ。
五十代後半の割腹のいい男が笑顔で近付いてくる。
「岩上さんですね」
「はい、岩上です。本日はよろしくお願いします」
俺は履歴書を手渡す。
「社長の新井です」
新井社長は履歴書へ目を通している。
「なんね、岩ちゃん、凄かー」
「え?」
「全日本プロレスおったっと?」
九州の方言だろうか?
「随分昔になりますが……」
「本も出しちょると?」
「ええ、一冊だけですが」
「ピアノも弾けるっちゃ?」
この新井社長、結構面白い人かもしれない。
「高橋南さんからの紹介よね。あん人は、ほんといい客っちゃねー」
「ええ、色々と気に掛けてもらっています」
「それで岩ちゃん、いつから出れると?」
「え、新井社長、自分、採用という事でよろしいのでしょうか?」
「もちろんちゃ。岩ちゃん、経験者なんで、時間給千五百円出すっちゃねー」
千五百円の時給……。
十二時間働けば、一万八千円にもなるのか。
俺は深々と頭を下げ『8エイト』をあとにした。
明後日からここで、俺の新しい生活が始まる。
インターネットカジノ『牙狼GARO』。
あの店の太客…、すべて引っ張ってやるという意識。
俺を雇ってくれた新井社長の店に全部連れていってやる。
この行為は、あの店が潰れるか猪狩がクビになるまでやめてやらない。
生涯消えないトラウマを大人のやり方で思い知らせてやる。
ここ十年の俺は、おそらくギラギラが消え、死んでいたような状態だった。
でもまだ牙が残っていた。
渡辺から電話が掛かってくる。
「岩上さんが太い客をうまく接客してたから、一月はオープンしてから初めて一千五百万の利益が出て、昨日給料とは別に俺たち従業員たちにも金一封が出ました」
「良かったじゃない。元々安月給なんだから、そのくらいしなきゃね」
「何言ってんですか! そこまで持ってきた岩上さんをあんな形で辞めさせ、手柄は猪狩…。本当あの店は色々とおかし過ぎます」
「ありがとう……」
「俺は何か悔しいです。岩上さんは悔しくないんですか?」
「ナベリン…、もうあの店とは終わった事なんだよ…。おまえはまだあそこでこれからも働いていくようなんだから、あまり感情的になるなよ」
こんな俺の為にそこまで怒ってくれて、本当に嬉しい。
先月一月の純利益は、約一千五百万のあがりか……。
ようやく『牙狼GARO』は売上の立つ店として認知され、猪狩を始め、従業員たちに金一封が出た。
そこへ持っていくまで、俺自身どれだけ身銭を切りつつ客の接客を勤めたか。
それで俺はクビで、残った従業員には金一封か……。
俺は渡辺に一つ嘘をついた。
悔しいに決まっているじゃないか。
オーナーの判断なのか、もしくは番頭の根間の判断かまでは知らないが、本当に俺を馬鹿にしている。
分からないなら、分かるようにしてやろうじゃないか。
ここじゃ届かないけど、昨日で禁断のサイコロは投げた。
多数の常連客もみんな、俺がいなくなった事実に腹を立ててくれている。
クビにしたから終わりと思っているのだろうな。
うん、クビ洗って待ってろや、ヘタレの猪狩め。
歌舞伎町で岩上ありという事実を嫌ってほど思い知らせてやるからな。
Revolution(革命)か、Rebellion(反乱)になるのか。
新しい店『8エイト』ではたらけるようになったのも、前の常連客である高橋南が俺をプッシュしてくれたおかげ。
ここまで来るのに随分時間が掛かったが、まあこれもそういう流れだったのかもしれない
俺の計画が途中で頓挫するようならリベリオン(反乱)になる。
思い描いた絵図通りに事が運べば、レボリューション(革命)になる。
できれば今回の一連の騒動をテーマにした作品の名前は、『新宿レボリューション』にしたいものだ。
まだ作品は何も書いていない。
俺は『新宿レボリューション』の扉絵をデザインして描いてみた。