2025/01/16 thu
前回の章
裏稼業に年末年始は関係なく、二千一二年の正月を迎えても、俺たちの生活は変わらない。
谷田川は先日のロールキャベツ、コンソメスープを気に入ったらしく、また作ってくれとねだってきた。
「同じものじゃ芸がないでしょ」
「何かスープ系の料理あるんですか?」
「あるにはあるけど」
猪狩が厨房まで来て声を掛けてくる。
「岩上さん、正月なんで雑煮用の汁を作って下さい」
それだけ言うとキャッシャーへ行き、携帯電話をいじりだす。
「今、普通に雑煮用の汁を作ってくれと言ってましたが、岩上さんの事を何だと思ってんですかね?」
確かに渡辺の言う通りだ。
俺は料理人などでなく、あくまでもインターネットカジノの従業員に過ぎない。
簡単に雑煮の汁作れなんて言うけど、アイツは絶対できないはずだ。
まだあのクリスマスイブ前の俺が喉を痛め体調不良の時、外へテイッシュ配りに行かせた事は忘れてねえぞ。
下手したらあれで倒れ、亡くなる場合だってあった。
喉の腫れ。高熱、気怠さで意識を半分失っていたのだから。
俺が変に頑丈だったから、何事もなく済んだだけ。
この店でこうして働くのも長くないような気がした。
猪狩の下で働くにはストレスが溜まり過ぎる。
出汁と醤油ベースで雑煮用の汁を作りつつ、俺は色々な野菜を細かく刻み、ミネストローネスープも作った。
ミネストローネスープは俺の得意料理の一つ。
ついでに広島風お好み焼きも作る。
全然正月っぽくない料理だが、そもそも俺が小学生の頃、正月のおせち料理が嫌で料理を始めたのだ。
最初は茄子を切って素揚げして、生姜醤油で食べるシンプルなものから。
あの頃台所に立っていると、それを見掛けた親父から「何を女みてえな真似してやがるんだ」と理不尽に殴られたものだ。
それでも泣きながら包丁で野菜を切り、料理を続けた。
これだけ料理を作っているから、何故そっち方面の道へ行かなかったのだろうか?
高校で自衛隊など馬鹿な選択肢をし、そのあと次々と転職して彷徨い歩く。
以前しほさんに言われたように、俺が文学系の大学へ行き、真面目に専攻していたら?
「……」
できてもいないし、これから実現不可能な事を考えても意味が無い。
小説自体、もうそろそろ丸一年書いていないじゃないか。
リングに復帰すると、ぎーたかへ宣言しときながら何ヶ月過ぎた?
佐川急便で身体能力が他の者より抜きん出ていたからと、それだけで自惚れただけだろう。
結局こう歌舞伎町の裏稼業に戻り、愚痴を言いながら日々を暮らしているだけ。
店で料理を作ってはレシピをクックパッドへ載せて、ただの自己満足。
先日作ったコンソメとトマト味のロールキャベツ。
クックパットのトマト味の人気検索でランキング2位の料理になった。
何だかちょびっと嬉しかったが、よくよく考えてみたらそんなものが何だって言うのだ?
まるで成長していない俺。
作った料理を食べてくれる人間が複数名いる事に遣り甲斐を感じ、その他すべてを誤魔化しながら生きている。
そう…、俺はすべてに於いて中途半端なのだ。
だから何をやったところで大成しない。
新年早々自己嫌悪に陥る俺。
流れを大切にしてきたつもりなんだけどな……。
今日五日は競馬初日、金杯である。
仕事中予想をして、意気揚々とJR新宿駅南口にあるJRAへと向かう。
まだ八時台だったので、近くの漫画喫茶に寄り時間を潰す事に。
新聞の出馬表を見た瞬間、ピンと来たのだ。
これ、枠の六六のゾロ目あるんじゃないか?
中山金杯は十二番と十一番。
こんな予想をしながらJRAへ着くと、何と去年の震災のせいで建物が一部崩壊し営業していないようだ……。
「えー、じゃあ馬券ってどこで買えば?」
「ん-、そうですねー。この辺だと渋谷か後楽園になりますよね」
川越に電車一本で帰れなくなるじゃん……。
中山金杯は枠連の六ゾロ目に二万円賭けたかったんだけどな。
流れを大切に……。
うん、これは買っても外れるから、素直に帰れという事だろう。
馬券を買うのを諦め、地元川越へ。
パチンコでもやろうとやってみるが、まったく出ず。
去年一年間で唯一出たのは誕生日の日のみ。
しかも四万使って七ラウンドだけで終わった。
それ以外、一度もパチンコは出ていない。
ギャンブル運の無さ過ぎにほとほと嫌気をさす。
こんな日は、どうせ予想が当たったりするんだろうな……。
自分自身にヘドが出るぐらい嫌気がさす。
もうギャンブルはやめよう。
家に帰って眠り、起きてから中山金杯の結果を見てみる。
「あーっ! 枠の六ゾロ目来てんじゃんかーっ!」
渋谷か後楽園まで横着しないで行って馬券を買っていれば、五十万円以上になっていたのに……。
何が流れを大事にだよ。
全然何も分かっていないじゃん、俺。
四十歳になって裏稼業で働き、何の目標も見いだせないまま時間だけが過ぎていく。
このまま無駄に年だけ取って、ただ老いていくのかな。
気が付けば若さという勢いなんて、どこにも無くなっていた。
まだ若いなんて強がったところで、世間一般で見れば四十歳のどこが若いのだろうか。
多分裏稼業へ落ちてくる人間は、俺も含め何かしらの失敗をしたからここにいるのだ。
順風満帆なら、この世界に足を踏み入れる事はない。
俺は中でも少し特殊だった経歴があるだけ。
格闘技の世界で戦い、小説を書いて本を出した。
そこだけが違う。
そうプライドを持って生きてきたつもりが、気付けば逆にそれらは自身の首を絞めていた。
俺は他と違う。
ずっとそう思いながら頑張ってきたはずの、現状を見直してみろ。
あんなボンクラの猪狩の下で働き、一日一万三千円の給料で使われているだけの日々。
本当に凄いなら、俺はもっと大成しているはず。
人に邪魔されたとか、たかられたとか、そんなものはただの言い訳に過ぎない。
俺に何かしらの力が足りていないから、いつまで経ってもこうなのだ。
群馬の先生が言っていた試練。
俺は神に選ばれたから試練が多いと言っていた。
こんな事までが試練だと言うのか?
ネガティブな思考になると、決まって生きて行くのが嫌になってくる。
でも俺が自分の命を絶つなんて覚悟を持てない。
楽に死ねるのなら、今すぐにでも選択したいほどだ。
「岩上さん、パンが結構余っているんで、パンを使ったまかないってできます?」
渡辺が声を掛けてくる。
「ああ、いいよ」
仕事中何を考えていたのだろうな、俺は……。
馬鹿なんだから、深く考えるなよ。
いい加減自覚しろ、俺は馬鹿だと。
目の前のできる事をただやっていけばいい。
まだハンバーグ作ったの、冷凍で残っていたよな。
ハンバーグを解凍し、パンを軽く焼く。
卵焼きを作る。
デラックスなチーズハンバーグエッグサンドを作ってみた。
前田はこのハンバーグサンドをかなり気に入ったようで、お代わりを要求してくる。
ああ、いくらでも食いな。
今はこうやって求められるくらいしか、俺には価値が無いのだから。
帰り道ボンヤリと考える。
俺には何が足りないのだろう?
自分で思うのも変ではあるが、基本的なスペックは平均以上あるはず。
ここぞという時の判断基準が悪いのかな。
だから品川春美にはフラれたし、望も去っていった。
影原美優だって、あれだけ俺に甘えていたかったと寄り添っていたのだ。
タイミングとやり方さえ間違えていなかったら、今頃俺は幸せになれていたかもしれない。
結局女次第かよ……。
百合子と別れてから、本当に異性との縁が無くなった。
あとは食い気だけか。
一番好きなものは…、茄子しかありえない。
二番目にハンバーグ。
これは最近よく作っているので、問題ない。
三番目はミートソース。
これも作ったばかり。
四番目はステーキ?
いや、甲乙つけがたいな。
マグロも好きだし、鰻も好きだ。
分かった!
最近の俺に足りていないもの。
マグロや鰻である。
仕方ない。
マグロでも食うか。
今の俺にはマグロが足りていない。
俺は進路方向を変えて、上野アメ横へと向かった。
以前秋葉原で裏ビデオ屋を出した時に、長谷川昭夫から教えてもらった新しい行き方。
それは東新宿駅から広末町駅まで行ったほうが、アメ横は近いという点。
随分前に挑戦したら、何故か月島のほうへ行き迷子になった。
今回は違う。
駅員にちゃんと聞いて電車に乗れば、アメ横なんてちょちょいのちょいだ。
マグロへの渇望。
鰻も当然ある。
しかし順位で言えば、マグロのほうがやや上なのかもしれない。
上野御徒町駅に着く。
ここからなら徒歩ですぐアメ横だ。
入ってすぐ右手にあるマグロ屋でまずマグロの補給をしよう。
仕事明けの俺にとっていい栄養補給になるはず。
アメ横みなとや。
何回か来て食べ歩いたが、ここがおそらくマグロが一番いい。
俺は早速胃袋へマグロを入れる。
川越にもマグロを持って帰ろう。
食事を終えると、アメ横を練り歩く。
「おじさん、たくさん買うからまけてよ」
「あー、駄目駄目。うちは十分安いんだから」
「えー、これとこれ。こっちも買うからさ。全部千円にしてよ」
「ん-、じゃあこのいくら五百円でいいよ」
「えー、いくら嫌いだしなー。あ、でもこれも買うからもうちょっとまけて」
「うーん、しゃーないわ、お兄さんには負けたわ」
「あとね、このしらすをさ、ちょろっとオマケしてよ。ちょっとだけ食べたいの」
売場の店員と交渉してバンバン安く値切らせる。
結局マグロ三柵に鰻一匹、いくらも買い、しらすをちょろっとつけてくれた。
そういえば結構前に先輩の須賀栄治さんから弁当を四つ貰ったよな。
このいらないイクラをお土産に持っていこう。
地元川越に帰り、大正浪漫通りを歩く。
真っ直ぐ行くと左手にあるスガ人形店。
自動ドアを開けて中へ入る。
「おお智ちゃん、久しぶり。どうしたの?」
「栄治さんにお土産。アメ横行ってきたんですよ。はい、いくら」
「いやいや、悪いよー」
「俺、いくら好きじゃないんで、このままだと捨てるようなんですよ。なので貰って下さい」
「何だか悪いねー」
スガ人形店をあとにし、隣の加賀谷化粧品店へ入る。
【資生堂】【Beauty Key】【ワタシプラス】加賀屋商店 | 資生堂の化粧品・コスメ店舗
小学時代の同級生の滝川兼一のお袋さんが営む化粧品店。
自動扉を開けて中に入る。
「あら、智ちゃん! 元気だった」
「ぶりぶり元気ですよ」
俺が安らぐ場所は、実家ではなくこの辺り一帯だった。
栄治さんにいくらをあげたのだ。
おばさんにもマグロを渡す。
「いいよ。せっかく買ってきたんだからさ。智ちゃんが食べなよ」
「俺はアメ横で食べてきましたからね。三つも柵あるし大丈夫です」
「何だか悪いわねー」
喜んで貰ってくれる人にどうせなら渡したい。
俺はおばさんに、口じゃ言えないくらい恩義がある。
俺が腐らず生きてこれた要因の一つだろう。
帰り道、家で働いていた元パートの伊藤久子のマンションへ寄る。
二つ目のマグロをあげた。
残りのマグロと鰻は俺のもの。
気が付けば、あれだけやぐされていたはずの俺が、マグロによって正常の穏やかな自分に戻っていた。
やはりさっきまでの俺に足りなかったのはマグロだったのである。
二千十二年一月十三日。
部屋で寝ていたら、変な夢を見た。
家の斜め向かいの幼馴染の家が、大火事で燃えてしまう。
その家には自分より年上の男兄弟が二人いた。
弟とは一つしか年の離れていないので、幼い頃よく一緒に遊んだ。
大火事により、弟のほうが亡くなってしまった。
彼の両親もその火事で共に亡くなってしまう。
兄は海外へ旅行へ行っていたせいで、無事だったらしい。
ここまでが一度目の夢……。
この時はまだ夢の話なので、正直起きてもよく覚えていなかった。
また夢を見た。
先日見た夢の続きだった。
海外から帰ってきた何も知らない兄。
俺は彼の姿を見つけると、一目散に駆け寄り、辛い事実を語った。
だが兄の表情は驚くほど無表情である。
俺は「何故身内が亡くなったのに、そんな平然としているんだ?」と何度も責め立てたが、彼の表情に変化は何一つなかった。
そこで携帯電話の着信音がけたたましく鳴る。
俺はそれで初めて目を覚まし、現実の世界へと戻った。
「岩上さん…、八時過ぎていますが……」
「え~? ゲッ!」
時計を確認すると、八時をちょうど過ぎたところ。
どうやら珍しく寝過ごしてしまい、遅刻をしてしまったようだ。
急いで新宿へ向かいながら、ふととある事実に気付く。
斜め向かいの家は十数年以上も前に、土地を売り払ってどこかへ行ってしまったんだっけ……。
それに彼らのお母さんは病気で数年前に亡くなったと人づてに聞いた事がある。
それなのに何故俺は、あんな不吉な夢を見たのだろう……?
機会あれば、昔共に遊んだあの兄弟と連絡を取り、安否を確認したいなあと思う自分がいる。
元気でいるのかな、みっちゃん……。
二千十二年一月十八日。
仕事前風呂で湯船に浸かっていると、当然「ゴンッ」というもの凄い音と共に家が揺れた。
地震にしては妙に短い。
ほんの一瞬の揺れだったから。
出ていたお湯がいきなり水に変わる。
こんな真冬の時期に水浴びなんて、冗談じゃない。
慌てて風呂から出た。
着替えを済ませ、何故急に水になったのか原因を調べにいく。
一階へ降りると何やら騒がしい。
外に出てみる。
弟の徹也の会社『コレクト』の従業員のカズの姿が見えた。
家の壁を座って眺めている。
「おーい、何をやってんだ?」
「あ、智一郎さん。お疲れ様です」
家の壁に大きな穴が空いていた。
「何だ、こりゃ?」
「目の前のコインパーキングあるじゃないですか。そこから車が家に突っ込んできたんです」
「え、また?」
今カズたちがいる場所のところには、俺が生まれた頃より前から塀があった。
そこへ一ヶ月ほど前に、目の前のコインパーキングに停車してあった車が突っ込んできて、塀をこわされたばかり。
こんな短期間で、また別の車が一台家に突っ込んできた?
しかも運転手は全然違う人間が……。
家の向かいは細い道を隔てて駐車場。
なのでほんの数メートルの幅なのに、壁がこんな風に壊れるまで、何故車が勢いよく突っ込んで来るのだろうか?
車は家の側面にあるガスの管までご丁寧に切断するよう突っ込んでいた為、風呂のガスまで使えなくなり、あの時水になったのだ。
これでこの場所に突っ込まれたのは二度目。
何で駐車場から数メートルしかないのに突っ込んでくるかな。
何だか呪われているような気がする……。
気を取り直して、新宿歌舞伎町へ向かう。
店に着き、家に車が突っ込んできた件を話すと、誰一人信じてくれなかった。
「岩上さん、いきなり何の冗談ですか」
谷田川は笑っている。
まあ確かに家へ車が突っ込んだと言って、誰がそれを信じるものか。
俺は証拠写真を撮っていたので、画像を見せる。
それでようやく信じてもらえた。
「本当に参っちゃうよ。これで同じ場所に二度目だよ、車突っ込んできたの」
「車通りが激しいとかですか?」
「いやいや、家の目の前のほうが県道だから混み合うときは渋滞凄いけど、横道のほうが一方通行だしね。そもそも突っ込んできた場所って、目の前コインパーキングだよ? たかが数メートルの距離を停めている場所から家まであんな風に突っ込んでくるって異常でしょ」
「確かにそうですね。呪われているんじゃないですか?」
渡辺の台詞に身震いする。
「やめろよ、俺の家だぞ……」
「岩上さん……」
「何だよ、谷田川」
「お腹減りました……」
「自分で勝手に作って食えよ」
「そう言わずに頼みますよ」
「……」
俺は仕方なく料理を作る。
ご飯の残りが人数分無さそうなので、パンにした。
厚切りトーストの野菜サンドを作る。
そして簡単なナポリタン。
冷蔵庫に余っていた叉焼を使い、味噌チーズチャーシューカツフライを作ってみる。
大喜びの従業員たち。
双子のゆかがそれを見て「パパ、私も食べたい!」と近寄ってくる。
みんなが喜んでいるのを見ながら、タバコへ火をつけた。
どういう訳かいまいち食欲が湧かない。
少し前に見たみっちゃんの家の火事の夢。
そして家に突っ込んできた車。
何か最近嫌な気配がするなあ……。