2025/01/07 tue
前回の章
まずは履歴書を書かなきゃならない。
コンビニエンスストアで履歴書を購入。
過去を振り返り、淡々とこれまでの職歴などを書いていく作業は本当に面倒臭い。
待てよ…、裏稼業とはいえ俺は三十九歳。
明日の面接を年齢で弾かれる場合だってあるのだ。
手書きの履歴書ではなく、パソコンのエクセルを使った履歴書のほうがいいだろう。
こっちならいくらでも印刷できるしね。
日時はと……。
平成二十二年の今日は七月十四日と。
判子を押すのも面倒臭いから、フォトショップを使って判子を押したように薄っすらと……。
写真も撮りに行くの面倒だし、俺の画像から切り抜いて貼り付けとけばいいか。
佐川急便とか古物商とかは面倒なので、却下。
KDDI以降は執筆に専念していた事にしよう。
免許と資格……。
ここは面白い事になる。
射撃検定一級に、砲手検定特級。
ピアノ発表会も書いちゃえ。
二千三年は、えーと…、平成十五年。
『新宿クレッシェンド』の賞が二千七年だから四年後なので平成十九年。
翌年の総合格闘技の試合も書いておくか。
どうせ俺の事をインターネットで調べられたら、出てくるんだし。
だいたい俺の事をウィキペディアで、現在消息不明なんて書きやがったの、誰だよ?
見つけたら打突をお見舞いしてやるから覚悟しとけよな。
KDDIのおあやの先生から習ったボイスコミュニケーショントレーニングも書いておくか。
あ、浅草ビューホテルの時のバーテンダーの免許を書き忘れた。
もう面倒臭いからこれはいいか。
とりあえず履歴書完成っと。
印刷して明日へ備えよう。
布団へ寝転がる。
一か月前の六月十九日。
福田真奈美との一連の騒動をミクシィで女性限定記事として発表した際、コメントしてきた熊田瑞樹。
彼女の娘の合唱コンクールへ行った時の事を思い出していた。
皮肉にも場所は、俺がピアノ発表会をした川越市民会館。
品川春美が来てくれなくて、ピアノを捨てた日でもある。
一度は抱いた熊田瑞樹。
岩上整体に娘と息子を連れてよく来てくれた。
俺の試合にも来てくれた。
中学生になった熊田の娘が、何故未だ俺に懐いているのかまでは分からない。
整体に来た時、アイスをあげたのが効いているのかな?
ただこんな俺でも好いてくれるのだ。
彼女と一緒に合唱祭を観て拍手をする。
途中、音大の教授の演奏が入った。
何か淡谷のり子みたいのが出てきたぞ……。
曲名はベートーベンの月光。
俺はドビュッシーの月の光。
色々と皮肉な組み合わせだ。
ターンタターンで始まる月光。
一度ピアノで習ったから分かるが、この出だしの音は左手の小指だけで弾く。
俺にピアノを教えてくれた『くっきぃず』の斎藤弥生先生は、この弾き方を格好いいと言っていた。
むしろ逆で、俺はベートーベンて捻くれた性格の持ち主だなと感じたので、当時ドビュッシーを選んだ訳である。
月光は第三楽章まである。
二章までは退屈だなと思いながら、静かに聴いていた。
第三楽章に入ると、突然テンポは急激に早くなる。
衝撃が全身を走り抜けた。
どこかで聴いたクラシックだと思ったが、月光の第三楽章だったのか……。
鍵盤を奏でる指。
思わず見とれて聴き入っている自分がいた。
この曲を弾きたくなってしまう自分がいる……。
いや…、もちろん俺がこんな早くて難しい曲なんてまず無理。
それはもちろん自覚はしているんだ……。
でも…、またピアノにすべてを捧げられたら、どうだろうか?
ん~…、でもじゃあ、今また鍛えだしているのは?
ちょっと考えてみよう……。
ピアノをまた弾くって、俺にとっては多分かなりの労力だし、かなりの時間を犠牲にしなきゃならなくなる。
過去、自身がピアノへ挑戦した時の体験を元に書いた作品『新宿セレナーデ』。
あの頃は品川春美の為に弾きたくて始めたピアノだけど、今度やるなら自分自身の為に弾いてみたいなあ……。
そんな事を考える自分がいた。
いや、本当の意味で俺が大成してからだ。
俺は格闘技もピアノも小説も、すべてが中途半端なのだから。
明日は歌舞伎町で面接。
採用されれば俺の裏稼業セカンドステージが始まる。
今はまず新宿へ。
西武新宿線本川越駅から西武新宿駅まで。
一番端から一番端までの距離を約一時間。
久しぶりの歌舞伎町へ行く。
待ち合わせ場所は、歌舞伎町交番の近くにある喫茶店『クール』。
俺がゲーム屋『ワールドワン』時代は『トゥモロウ』という名の喫茶店だった。
オーナーでも変わったのかな?
階段を上がり、ドアを開ける。
中へ入り、店内をキョロキョロしていると、奥の席から帽子を被った巨漢の男が近付いてきた。
「岩上さんですか?」
「はい、岩上です」
「高島です、今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします」
高島は俺の渡した履歴書をしばらく眺めている。
これまでの特殊な経歴。
多少削ってはみたが、それでもかなり特異なものに見えるだろう。
「何て言ったらいいんですかね…、岩上さんて何か凄くないですか?」
「中途半端なだけなんです。だからこうして職を求めて、再び歌舞伎町へ来ました」
「本だって出されているんですよね?」
「一応ですね…。未だ印税はもらえていないですが……」
「え、何でまた?」
「えー…、話すとかなり長い話になりますが……」
「分かりました。今度酒でも飲む時に、それは聞きますね」
遠回しに採用と言われたのが分かる。
「全日本プロレスに総合格闘技ってありますが、これは事務的なもので行かれたんですか?」
「いえ、選手としてです」
「えっ? 試合に出たという事ですか?」
「はい」
「……。このピアノっていうのは?」
「それは自分の趣味でですね」
「自衛隊にもいて、探偵にも……。ホテル……」
高島は状況を把握するのに時間が掛かっているようだ。
まあ端折ってはいるが、嘘は何も書いていない。
すべて本当の事だ。
「うちはですね。求人でカフェとは書きましたが、インターネットカジノをしているんですね。岩上さん、それは知っていましたか?」
「いえ、ゲーム屋時代にここへいたので、カジノはまったくの未経験です」
「そうなんですね。分かりました。採用です。是非うちへいらして下さい」
「ありがとうございます」
「それで岩上さん、いつ頃から来れますか?」
「いつからでも問題ありません。明日と言えば明日からでも、一週間後と言われれば、それでも構いません」
「分かりました。ではですね…、今日が十五なんで…、明後日十七日の遅番…、夜の七時からでも大丈夫ですか?」
「了解しました。それでは十七日に出勤しますね。その日にどうしたらいいでしょうか?」
「今いる喫茶店の通り…、花道通りって言うんですが、このまま真っ直ぐ区役所通り方向へ進むと、右手にゴリラのぶらさがっているビル分かりますか?」
「ええ」
「そこの三階にある『ボヤッキー』というインカジです」
インターネットカジノ…、略してインカジ。
またリングの上に戻るつもりで、日々トレーニングを励んでいた。
しかし佐川急便での急な退職。
また俺は金の無い生活に追われるのは嫌だった。
京子叔母さんに不義理をしたまま亡くなってしまい、この停滞楽ぶりは生涯消える事はない。
また金を俺は稼がなきゃいけない。
帰り道、川越市駅のスポーツクラブへ行き、退会の手続きを済ませる。
舞台は地元川越から、新宿歌舞伎町へ。
俺の歌舞伎町第二章は、明後日からスタートする。
地元川越へ戻り、夜になって同級生の飯野君を食事へ誘う。
彼は土日休みのサラリーマンなので、快く仕事帰り承諾してくれた。
車で駅まで迎えに行き、川越市霞ヶ関にあるレストラン、エトワールへ。
岩上整体時代、中学卒業以来再会し、ここまで俺を陰から支えてくれた彼に対し、新宿歌舞伎町へまた復活する事を伝えておきたかったのだ。
「岩ヤンがそう決めたのなら、僕は応援しますよ」
「ありがとう。でもさ、色々応援してくれたのに、何だかまた歌舞伎町へ戻るって格好悪いなあと」
「ミクシィで一連のやり取り見ていましたけど、今小説を書く事が苦しいのなら、しばらくやりたいように動くのもいいと思いますよ」
「ありがとう……」
第七弾の『新宿コンチェルト』を書いていると、どうしても吐いてしまう自分がいた。
二千四年から始めた小説であるが、二千十一年初期で完全に執筆しなくなっている。
おそらくコンチェルトの内容を思い出しながら書くと、テーマが重過ぎて、今の俺ではまだ無理なのだろう。
それほど百合子との子供をおろしてしまった二千五年の出来事が、未だこうして尾を引いている。
整体を開業して、小説で賞を取り本を全国出版し、総合格闘技で復帰戦。
これを約一年間で成し遂げた俺は、いささか有頂天になっていたのだろう。
だから坂道を転がるように転げ落ちた。
二千八年から今までの三年半は、自己嫌悪に陥るだけの日々。
あれだけ小説へ没頭したが、芽の出ない現実。
俺はまだまだ足りないものが多過ぎる。
もっと精進しなければならない。
新宿歌舞伎町への復帰は、俺にとって本当の意味で再出発だった。
また楽しく輝いていたあの頃へ戻りたい。
勢いだけでやってきた初期の歌舞伎町時代。
様々な経験だけは積んできた。
これから何が待ち受けているのだろう。
二千十一年七月十七日。
俺は歌舞伎町へ向かう。
ゴリラビルの三階にあるインターネットカジノ『ボヤッキー』。
エレベーターで三階へ行き、入口のインターホンを押す。
「はい、いらっしゃいませ」
「今日からこちらで働く事になりました、岩上と申します」
ドアが開く。
昔のゲーム屋と違う点。
入口には鍵が掛かり、客が自由に出入りできなくなった。
賭博法で捕まる事もあるのだ。
裏稼業も形式を変えながら、徐々に進化していく。
中へ入る。
薄暗く長細い形の店内。
入ってすぐ中央に大きな黒いテーブルが置かれ、上には様々な雑誌が並べられている。
本棚は三つあり、中には全巻揃っている漫画本がズラリと入っていた。
入口右手に四つのテーブルと椅子。
テーブルを挟んだ向かい側には八席のテーブルと椅子が並べられていた。
全部で十二席。
太った若い女性客がチャイムを鳴らし、店員が駆け寄る。
「おにぎりと蕎麦下さい」
「はい、畏まりました」
入口の向かい側にあるカウンターの上にはパソコンとモニタが置かれているので、どうやらここがキャッシャーのようだ。
「岩上君ね、店長の吉田です」
黒短髪のメガネを掛けた目つきの鋭い男が寄ってくる。
漫画の『闇金ウシジマくん』
「はじめまして、岩上と申します」
パッと見、店内には客が三名。
先ほどの太った若い女性に、連れらしき若い女性。
少し離れた席に中年サラリーマンが、黙々とモニタを見ながらマウスを動かしている。
随分従業員の多い店だな……。
店長の吉田、キャッシャーのところに二名、入口入った左手には従業員の休憩場所だろうか、そこに三名。
俺を含めると、全部で七名の従業員がいる事になる。
休憩所からは大型モニターが見えるよう設置してあり、画面にはタレ目の女のガムみたいなCMが流れていた。
「じゃあ、岩上君、遅番全員揃ったら説明するから、そこの奥の休憩所で椅子に座って一服してて」
「分かりました」
時刻は夕方六時三十分。
俺が早く来過ぎたから、まだ早番の人間と混ざっているだけか。
奥の休憩所は異様に狭い。
折り畳み椅子が三つギリギリで置け、通路には冷蔵庫、その奥にキッチンがあるので一人くらいしか通れる幅がない。
キッチンから右手に、先ほどのカウンターへ繋がっている。
ゲーム屋『ワールドワン』を十としたら、二くらいの狭さ。
ここが俺の再出発点となるのだ。
ゲーム屋は、テーブル筐体にポーカーゲームが一種類しかない。
店によってレートが一円、十円、百円とあり、賭ける金額がそれぞれ違ってくる。
インターネットカジノで驚いたのが、様々な種類のゲームがある事に驚く。
まずインターネットと謳うくらいなので、ネットを使ったギャンブルになるが、サイトが三つあった。
マイクロゲーミング、クルーズ、ブルーフラミンゴの三種類。
その中から一つ選び、さらにそこから様々なギャンブルの種類がある。
メインはバカラ。
さらにブラックジャック、ルーレット、ポーカー、スロットなど一度じゃ覚えきれないほどの量があった。
INとOUTは前と同じ。
客が「入れて」と金を出せばIN。
金と引き換えにクレジットを入れる。
ゲーム屋と違うのが、キャッシャーにあるパソコンからクレジットを入れる点だ。
OUTも同様キャッシャーのパソコンから行い、クレジットを金に換える。
遅番の人間は想像以上に多かった。
まず店長の吉田。
そして二番手の島浜。
小倉、須藤、宮、西浦。
さらに猪狩、鈴木。
そして俺の総勢九名。
よくもまあこんな狭い店舗にそれだけの従業員をおくものである。
ただこれには事情があり、一か月後新たな店舗を立ち上げるので、その為の確保要員らしい。
もう一人山本という『天才バカボン』のパパそっくりな男がいた。
夜中の二時になっても店にいるので、てっきり遅番の人間かと思っていたら違った。
「山本! 邪魔だからさっさと帰れよ」
吉田の怒鳴り声が飛ぶ。
どうやら山本は早番の責任者らしく、仕事が終わってもいつも店に滞在して若い女性客と会話を楽しんでいる変な奴だ。
普通仕事が終わったら、とっとと帰りたいものだが彼は深夜の二時や三時になっても帰ろうとしない。
驚いたのが客の質の良し悪し。
一度に八十万円をINして勝負する客もいれば、たった千円しか持ってこないでギャンブルをする奴もいる。
バカラでいうと、一度の張りがマックス二十万円まで張れる。
プレイヤーかバンカーかを選ぶ、ニコイチ博打。
最低ベットは千円。
ポーカーになると、もっと凄かった。
ゲームも様々な種類があり、一回のゲームで一万円がマックスの張りで、最低は二十五円でもできる。
『ボヤッキー』の特色として、各テーブルに食事メニューが貼ってあり、フリードリンク、フリーフードと書かれていた。
これは飲み放題食べ放題という意味で、さらにビックリしたのが食事は店の従業員が奥のキッチンで手作りする部分だ。
遅番十二時間勤務の中、従業員の宮などはずっとキッチンでフライパンを振っている感じだった。
「今日は岩上君の歓迎会やるからさ、仕事終わったら飲みに行くよ」
吉田が声を掛けてくる。
「あ、吉田さん…、自分ちょっと用事があって……」
「嘘ついてんじゃねえよ、西浦! おまえ、前回も前々回もいつもそう言って参加しねえじゃねえかよ。今日は参加しろ。強制だ」
一癖も二癖もありそうな従業員たち。
俺は一から出直しのつもりで、心機一転頑張るだけである。
朝七時に仕事が終了し、日払いの七千円を手渡される。
十二時間で日当一万二千円。
金をもらってすぐ飛ぶ人間が多いので、毎日七千円を日払いで残りの五千円はプール金として一か月後まとめてもらえる。
随分と裏稼業なのに給料の相場が下がったものだ。
しかしこれでも佐川急便よりはマシだった。
歌舞伎町が二十四時間明かりの消えない街。
朝でも普通に営業している居酒屋などたくさんあった。
「では、岩上君が入ってきた事を祝って、カンパーイ!」
吉田の音頭で一斉に乾杯をする。
外見と口は悪いが、中々面倒見がいいのだろう。
飲んでいると、外からサイレンの音が聞こえてくる。
「ちょっと自分、見てきますね」
俺は居酒屋から出ると、辺りは凄い煙に包まれていた。
何だ、こりゃ?
火事か?
一番街通りの四十四人亡くなった火事を思い出した。
これ…、あの時より凄くないか?
辺りはずっとサイレンの音が鳴り響く。
人が侵入できないよう道路は封鎖され、何台もの消防車がやって来る。
俺は歌舞伎町初日というのもあり、ポケットへデジタルカメラを入れていたので、写真を数枚撮った。
映像も撮っておくか。
マスコミとかまだ来る前の貴重映像を。
俺が歌舞伎町復帰した初日にこれだもんな……。
まあ、この火事は俺と関係は無いが、あまり気分のいいものではない。
ほんとこの街とオレって、何か変な縁でもあるのかな。
続々と消防車が来て、水を撒いている。
一軒だけじゃなく、火が燃え広がっているのだろうか?
俺たち呑気に飲んでいたが、避難しなくていいのか?
封鎖された道路には警察官と消防士の姿しか見えない。
それでも無理に道へ入ろうとする通行人は、警官によって出されている。
さくら通りでは煙と人の騒音でハチャメチャになっていた。
俺たちが飲んでいる店よりは、先の店が燃えているようだ。
空を見上げるとマスコミのヘリコプターだろうか?
火災の様子を撮影でもしているのだろう。
一通り撮影を済ますと、俺は店へ戻った。
吉田はカメラを持ち歩いていた俺に対し、妙に感心していた。
たまたま近くにいたから撮れた映像と写真。
前回一番街通りで起きた四十四名の命を奪った大惨事の時も現場に居合わせたが、今回のほうが煙の出方はかなり酷い状況。
ただ朝方という時間もあり、前回ほどの犠牲者は出ていないと思うのだが……。
俺も歓迎会も終わり、川越へ帰る。
寝て起きたら、また俺は歌舞伎町へ向かうようだ。
俺は少しずつインタネットカジノの仕事を覚えていき、季節は完全な夏になる。
もう半月も経ったのか。
二千十一年八月三日。
仕事帰り、地元の商店街を歩いていると、俺をこの世へ生み出した人間と偶然遭遇した。
いや、回りくどい表現をしてもしょうがないか……。
簡単に言うと、自分の母親と数年ぶり…、十数年ぶりにバッタリ会った。
もうどれぐらい会っていないかなど、分からないほど年月が経っていた現実。
過去を思い起こせばトラウマになるような嫌なものしかない。
力無き幼少時代、受けた不条理な暴力、虐待。
未だ残る左目付近の傷。
小学校二年の冬、母親は何も言わず、黙って家を出て行った。
いくら勉強ができても、強くならないと殺されちゃう……。
幼少期、ずっとそんな事を考えていた。
現実に迫る暴力に対し、誰も守ってくれる人間がいなかったからだ。
大学への進学は一切考えず、高校を卒業し、俺はまず両親の離婚をさせようと動く。
俺は離婚させるという目的だけの為に、あれだけ恐れた母親の元へ行った。
久しぶりに会った母親は、妙に優しく、昔のような気性の激しい部分はまったく見せないでいた。
だが、時間の経過と共にそれは我慢して隠していただけだったという事実に気付く。
「もう…、お願いだから俺に二度と関わらないで下さい。あれから今まで自分の好きなように生きてきたんでしょ? これからも好きなように生きて下さい。そして俺の前に、もう顔を出さないで下さい。頼むからそっとしておいて下さい。お願いします……」
俺が十九歳の時、母親に向かって言った言葉……。
決別の意味。
まるで罪悪感などなかった。
気づけば強さを追求するようになり、自身の人生は大きく変化していく。
強さとは何か?
おそらくこれまで生きてきた中で、一番多くその事について考え、日々葛藤をしながら未だ明確な答えは出せていない。
二千四年に初めて小説『新宿クレッシェンド』を書いた。
もちろん内容はフィクションであるが、主人公に一つだけプレゼントしたものがある。
それは、自身が幼少期に受けた虐待の痛みだった。
つまり、俺はずっと母親というものに対し、憎悪を心の中で育みながら生きてきた訳である。
何故、格闘技の世界へいきなり行こうとしたのか?
何故、新宿歌舞伎町へ何も考えず行ったのか?
地元で整体を開業し、小説を執筆している途中自覚できた。
自身の身体に流れる血…、その血をすべて吐き出したかったのだと。
いくら血を流したところで、何一つ変われる事など何もないというのに……。
何度自身の運命を…、人生を呪った事だろうか。
過去、俺は間違いなく自身の根底にあった憎悪を文字に投影し、執筆をしていた。
今、それがすべて浄化できたかどうかはまだ分からない。
ただ、処女作である『新宿クレッシェンド』が賞を獲り、全国出版という形になった時一つだけ芽生えた感情があった。
主人公赤崎隼人へプレゼントした虐待シーン。
それを本という形に変えてしまった現実。
おそらく母親はクレッシェンドを読んでいるはずだろう。
少しやり過ぎたのではないか……。
憎悪以外に、そんな不思議な感情が生まれた瞬間でもあった。
久しぶりに見た母親は、ずいぶん老けて見えた。
一瞬だけ目が合ったが、すぐに俺は視線を逸らした。
昔だったら、不必要に心を掻き乱し、不機嫌になり、不安定な状況に陥っていた俺。
でも今はどうだろうか。
ずいぶんと老けてしまったんだな……。
それが始めに思った事だった。
ずっと捕われていた憎悪。
いつの間にか浄化されていたのだろう。
本当に久しぶりなのに、何一つ会話すらない。
この先親子の繋がりがという訳でもない。
外見がずいぶん変わってしまっていたお袋……。
よく一瞬で俺も気付いたものだ。
多分…、それが同じ血を共有する者同士なのかもしれない。
今の自身の生き方について、俺は何一つ満足していない。
不満だらけだ。
色々な出来事があり、様々な妨害や邪魔があった。
でも、本当の真の強さを俺が持っていたら…、ここ数年ただイジケて無駄に時間を過ごす事などなかったはず。
いい加減自覚しようじゃないか、自身の力不足を……。
自覚して初めて、また頑張って生きればいい。
そして……。
いつの日か、自分の人生に満足がいけた時……。
「お袋…、産んでくれてありがとう……」…と、思えるのではないだろうか。
まだまだ力不足な俺。
もっと頑張らなくちゃ。