浜松の件で色々駆けずり回った俺は、疲労感いっぱいのまま家に戻った。部屋に着くなりグッタリと横になる。
時計を見ると朝の九時になっていた。待望の秋奈との約束の時間まであと二時間。
鏡を見ると自分でも疲れた顔をしているのが分かるぐらいだ。
こんな疲れきった表情を彼女に見せたくなかった。一時間ほど軽く休んでおこう。横になるだけで、眠るつもりはなかった。
ハッと目を覚ます。いけない。つい眠ってしまったのか…。恐る恐る時計を見る。無情にも針は昼の三時を指していた。
「え、馬鹿な?」
俺は起き上がり、もう一度時計を確認する。壊れていない、正常だ……。
こんな時間まで俺は、寝てしまったというのか?
携帯電話をチェックすると、秋奈から着信履歴が三回あり、二通のメールが残っていた。
《神威さん、どうかしましたか? 今、私は川越市駅を出たところにいます。先ほど電話を鳴らしましたが出なかったので、少し心配しています。改札を出たところで待っていますので、連絡下さい。 秋奈》
「……」
昼の十一時半に届いたメールだった。
《何かあったのですか? 私、ずっと待っていましたが、連絡がないのでこの辺で帰らせてもらいます。 秋奈》
昼の二時半に届いたメール。まだ三十分前……。
すると俺は三時間半も秋奈を待たせた挙句、すっぽかしたという事になる。タイムマシーンがあったら。何度もそう思った。しかし現実はそんな甘くない。
慌てて秋奈へ電話を掛けた。だが十数回鳴らしても、秋奈は電話に出ない。急いでメールを打つ。
《秋奈、本当にゴメン。実は昨日仕事でとんでもない事があって、朝まで色々動き回っていたんだ。それで家に帰って軽く寝ようとして、今まで寝てしまった。こんなに待たせてしまって本当にゴメン。今から逢えないかな? 電話にとりあえず出てほしい。 神威》
メールを送信すると、再度電話を掛けた。しかし電話は無情にもコール音を鳴らすだけだった。
あれだけ彼女と逢う事を心待ちにし、三十歳になってピアノまで始めた。やっとザナルカンドを秋奈へ捧げられる。その最大の機会を俺は寝過ごすという、とんでもない理由でふいにしてしまったのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
昨日、浄化作戦でうちの店が捕まり、部下が警察に捕まったなんて秋奈へ言えやしない。いや、仮に言えたとしたところで言い訳にも何もならない。俺が彼女を三時間半待たせ、すっぽかした事は事実なのだから……。
泣きそうな気分だった。
何でこう俺は馬鹿なんだろう。
今までいい加減に生きてきたからだろうか?
神様がいるというなら、俺と秋奈は永遠に結ばれる事のないよう悪戯をしたのか?
違う。要は自分が悪いだけなのだ。何かのせいにしたところで、何の解決にもならない。それは自分が一番分かっている。
ボーっと座りながら、ただ時間だけが過ぎた。
自分のしでかした不始末。自己嫌悪に陥っていた。
昼は秋奈。夜は百合子と都合よく帳尻を合わせようとした俺に、天罰が下ったのだ。
何で俺はこんなにもついていないのだろう……。
いや、そんな風になってしまうぐらいなら、九時に寝てしまう前、川越市駅まで行ってずっと待っていれば良かったのである。ついているとか、ついていないの問題ではない。自分が駄目なだけなのだ。
夜になり、俺は百合子へ連絡をした。そしてこの日、百合子の誕生日に俺と彼女は結ばれ、正式に付き合う事になった。
もう秋奈は忘れるしかないんだ。
長い期間恋憧れた秋奈への想い。そろそろこの辺で区切りをつけないといけない。秋奈からはもう卒業しなきゃ。必死にそう自分へ言い聞かせた……。
この歌舞伎町をクリーンな街にしよう?
家族連れが歩けるような街に?
馬鹿言え。どうやって飲む打つ買うの三拍子そろった繁華街が、そんな風になるというのだ? 世界的にも有名な繁華街を都知事のくだらない作戦一つで台無しにしてしまうだけなのに……。
歌舞伎町は歌舞伎町でいいのだ。繁華街なら繁華街らしく、金を持った人間が己の欲望を吐き出しに来る街。酒を飲み、女を買い、公営の賭博じゃ物足りなさを感じるものは、賭博をし……。
今、俺が統括している組織は裏ビデオであるが、これもある意味必要悪である。何故ならば、男は本能的に女を求める生き物だからだ。しかしすべての男が簡単に女を手に入れられる訳ではない。美人な女が得をするように、男だって顔のいい奴は、それだけで得をしている。では、そうじゃない男はどうなる? まだ金を持っていたり、それなりの地位を築いたりした人間はいい。金もなく、何もない男は誰も相手にしないのだ。性欲を満たそうとしても、風俗へ満足に行ける金のない人間だっている。
日本全国、どこにでもあるレンタルビデオ。二つのおおまかなジャンルに分けろとなると、十八歳禁止か、そうでない一般のものに分かれる。地方の寂れたレンタルビデオに行っても十八禁コーナーはあるのだ。言い方を代えれば、それだけ男たちからニーズがあるからそうなっているし、商売が成り立っているのである。
そもそもモザイクの掛かったAVビデオは日本で勝手に法律を作り、映倫が定めたもの。実際女とセックスする時は、モザイクなど何もないのに……。
いい年になって女の裸をまともに見た事のない男だっている。風俗にさえ行けない奴は、裏ビデオを購入して見るしかないのだ。
確かに我々のやっている事は完全な法律違反である。しかし痴漢や暴漢、レイプなどの減少にはひと役買っているはずだ。裏ビデオを見る事で、性欲を解消できる男は多いからである。
本当にけしからんというものはロリータだ。ロリータについての定義は人によってまばらであるが、俺的に解釈しているのは自分で望んでビデオに出ているかどうかだ。仕事柄ロリータ作品というものを見た事があるが、吐きそうになった。
まだ四、五歳の幼い子のものから、小学生など様々なものがある。本人たちはセックスなど何も分からない年頃なのだ。それをいいように都合よく裸にして撮影しているクソ野郎共。ああいう奴らは地獄へ落ちろと思う。
一度、俺の統括する店の一つ『リング』で名義人の松本と話していた時、営業マン風の男が店内へやってきた。俺の顔を見ると、笑顔で「失礼ですが、ご結婚されていますか?」と聞いてくる。「何で?」と尋ねると、男は「女のお子さんはいらっしゃいますか?」と聞いてきた。どういう事か話を聞くと、「お風呂で裸になっているところを撮ってくれたら、いい金で買い取りますよ」という事だった。
俺自身、独身で関係ない事だが、最後まで話を聞き終わらない内に、男の胸倉をつかみ壁に叩きつけていた。こういう腐った奴がいるから今の日本がおかしくなるのだ。
中学生や高校生が金ほしさに援助交際をし、そのビデオやDVDが出回ろうと知った事ではない。その子たちは金ほしさに体を売ったのだから、自業自得である。
しかしそれ以下の子供たちは何の罪もないのだ。三歳ぐらいの女の子が、裸でニコニコしながら風呂場で戯れている映像を見た事がある。カメラに向かって微笑む女の子。間違いなくそれを撮影しているのは、その子の親なのだ。そうじゃないと出ない笑顔だから。中にはそんな腐った親だっている現実なのである。
中学生の修学旅行の女湯を盗撮しているものもあった。誰にも怪しまれずカメラを設置できる人間。それはその学校の女教師だった。
そういったものと俺たちが売る裏DVDを同じにされ、同じ目で見られるのはいい迷惑である。悪い事をしているという自覚はあったが、シャブを売ったり、ヴィトンの偽物を売ったりしている連中と一緒にされては困る。車で言えば、シャブなどは飲酒でスピード違反や轢き逃げだとすると、停めちゃいけばい場所で駐車禁止をしてしまった程度の認識しか持っていない。
歌舞伎町に多数あったゲーム屋がほとんどなくなりつつある現在、次の標的は裏ビデオ屋になる。長年続いてきた歌舞伎町のバランスが、この浄化作戦で一気に崩れ出した。
今まで捕まった事のない八月。初日に俺の統括する『フィッシュ』を含む三軒が検挙されると、二日、三日と連続で一日三、四軒とやられた。
歌舞伎町の住人たちは大いに震え上がり、様々な噂を立てる。そして様々な怪情報まで流れる始末になった。
八月初旬で警戒した裏稼業の人間たちは、店のオープン時間を遅らせたり、休んだりと工夫する。俺はというと自分の統括する店をパクらせる訳にもいかず、常に歌舞伎町内を見回る。しかし最初の三日間しか警察は動かず、お盆を過ぎても歌舞伎町内は平和だった。
警察もやはり都知事に対する格好つけで、最初の頃だけ動いてみただけかと安心すると、いつもの歌舞伎町へと戻りつつある。
すると八月のラスト三日間、いきなり警察の裏ビデオ屋検挙が再び始まった。他の公務員同様たくさんの夏季休暇を思う存分取り、俺たちが油断した頃一気に動いたのだ。
今までと決定的に違うのは警察の本気度である。前なら適度に働いていますよとアピールの為、月に数軒摘発していたぐらいだ。
多い時で一日五、六軒の店が捕まった。うちの系列は、基本オープン時間が昼の十二時から夜の十二時営業。こうも物騒では定時の時間に店を開ける訳にはいかない。
各店のオーナーたちと昼前に集まり、歌舞伎町の検挙情報を集める。そして何時頃店を開けるのがベストか、今後どのような対策を練るかを毎日のように話し合う。
警察の様子をチェックするようになり、覆面パトカーは勘でこれだと分かるようになっている自分がいた。
これ以上『フィッシュ』の浜松のような犠牲者を出させたくない。
俺は自分の統括する各店舗へ、何かあるとすぐ閉める号令を出した。
毎日が必死だった。しかし中には文句を言ってくる馬鹿な名義人もいる。歌舞伎町の外れにある裏ビデオ屋の『リング』と『らせん』。ここは二階建ての広々とした大型店舗になっており、一階が『リング』。二階が『らせん』という店だった。一階『リング』の名義人である伊田。四十半ばの冴えない中年オヤジであるが、この男は本当に馬鹿な男だった。
「こんな店を閉めていたら、歩合なんて出ないじゃないですか!」
「だから警戒しとかないと、伊田さん、あんたが捕まってすべて終わるんですよ?」
うちの系列は、名義人たちがやる気を出すよう歩合金というシステムを導入していた。誰でも分かるよう単純に、一日の売り上げが二十万円いったら歩合で五千円、給料とは別にもらえ、そのあとは五万円ずついくごとに五千円がプラスされる。要は二十万円行けば、あとは二十五万、三十万、三十五万…とその金額をクリアする度に歩合金が追加されるのだ。
うちの系列店で最も売り上げをあげていたのは、西武新宿駅前通りの裏道にあり、サラリーマンなど一般人などが比較的安全に歩けるエリアの『らっきょ』だった。名義人の給料は一ヶ月で五十万円。そこにこの歩合金が加わる訳だが、『らっきょ』の名義人である小金井はだいたい一ヶ月で百万円の給料を手にしている。
危ない連中がいる歌舞伎町のど真ん中で買い物するよりも、駅近くの店で安全に裏DVDを購入したい。そんな一般人の感覚がそのまま計算に出ているのだ。言い方を代えれば、裏DVDに興味あるという男に、職業の貴賎などないという訳である。
西武新宿駅とは真逆の位置にある区役所通り。まだこの区役所通りはいいが、その裏側という立地条件で働く『リング』の伊田は、いつもブツブツと不平不満ばかりだ。
「どうせ駅前の『らっきょ』はいいですよね。放っておいたって、客がバンバン店に買いに来るんだから。こっちは最悪ですよ。二階の『らせん』の松本さんもね。何をしたって人の歩く頻度が少ないから必然的に売り上げは少なくなる。俺も『らっきょ』みたいな場所で仕事をしたかったなあ……」
俺とひと回りぐらい年の違う伊田に対し、本当はあまり酷い言い方などしたくはない。目上の者に礼儀を払うのは当然の気遣いである。しかし伊田という人間は甘い顔をすると、どんどんつけ上がるタイプの男だった。
いつも言い訳をしては遅刻を繰り返し、月に二回入る新作が届いても何もしない。自分の好みの裏DVDだけを客に勧めるというやり方をしていたので、当然常連客も少なかった。
逆に二階にある『らせん』の名義人である松本は生真面目な性格で、俺がそこまでしなくてもと言いたくなるぐらい、几帳面に新作の管理をして、作品のチェックや補充などを怠らなかった。
うちの系列はすべての店が店置きだった。郊外のマンションに一つの部屋を借り、倉庫として活用している。倉庫は一箇所のみで、五店舗分のDVDを作らねばならない。
品物、つまり裏DVDはすべて店に置き、新作や欠品が出ると、各店の名義人たちが電話で注文をお願いする。倉庫は頼まれた数を作り、離れた場所にあるコンビニエンスストアから各店へ裏DVDを送る手はずになっていた。
これは各店のオーナーたちによる話し合いの結果決まったもので、警察に捕まる際、犠牲になる者は少しでも少ないほうがいいという考えからである。離れた場所にあるコンビニエンスストアから発送するのも、倉庫の位置を分からせないようにする為、一箇所のコンビニだけでなく、数店舗の店で行う。
DVDを店置きにした場合、警察に捕まるのはその店の売り子である名義人。そして没収されるのは店内にあるDVDのみで済む。弁護士を名義人につけ、裁判の判決が出て、執行猶予が決まれば名義人はめでたく保証金として二百万円をもらえるという仕組み。
逆に倉庫からDVDを運ぶ場合、倉庫の内偵が済んだ状態で警察も捕まえに来るので、店の名義人と倉庫の人間が捕まる。次々とDVDを生み出す元データのある倉庫がやられると、その系列は命綱となってしまう。人数分の弁護料に下手したら組織犯罪としての余剰まで加わる可能性が出てくる。もちろん裁判が済み、執行猶予の判決が決まれば人数分の保証金を払わねばならない。
どちらにしても警察に捕まると、一番痛い思いをするのは各店のオーナーという事だ。名義人は前科者になるのを覚悟で、仕事をしているからまだいい。
捕まった時のデメリットを考えると、すべて店置きにすればいいじゃないかって思う人はたくさんいるだろう。しかし、裏ビデオ屋は基本的に現行犯逮捕なのである。それに現行犯で捕まえやすいほうといえば、店置きなのだ。従ってどちらが一概にいいとは言えない。それぞれ金を出すオーナーの自由だろう。
そういった順序で見ると、一番捕まりやすいのが現場で働く売り子である。次に配達をする運び人。内偵が入っていれば倉庫の人間も危ない。
比較的安全なのが、中には外で絶えず店の見張りをする『式典』という役目の人間。そして組織全体を統括する俺。最もセーフティーゾーンにいるのが、現場には一切顔を出さないオーナーという訳である。
俺が統括する各店舗の『らっきょ』、『リング』、『らせん』、『フィッシュ』、そして地下一階にある『ビビット』の五軒の店。その内の一つが浄化作戦によっていきなり捕まったものだから、オーナーたちの不安度はさらに増し、俺の仕事に余計な事をしなきゃいけない部分が増えてくる。
今までなら各店の名義人たちが真面目に仕事をしているか、そして夜になれば売り上げを徴収しに行くぐらいであったが、状況が変わってきた。
まず、常に歌舞伎町の街全体に目を光らせないといけなくなり、覆面パトカーなどを見つけたらすぐに店を閉めさせないといけない。他のビデオ屋の人間たちともコミュニケーションを図り、危険だという情報をお互い交換し合う。
浄化作戦が始まって一ヶ月が過ぎた。八月の暑い真夏から、ようやく過ごしやすい秋の季節に移り変わろうとしている時期だった。絶えず外にいなければならない俺にとってはありがたい季節に変わろうとしているが、まだまだ猛暑が続いていた。
洒落にならなかったのが携帯電話代である。この一ヶ月間の電話代は、六万円の請求が来ていた。常に情報のやり取りで電話をしていたが、ここまで高額な請求が来るなんて思いもよらなかった。あくまでも仕事の為で連絡をしているのだから、俺はオーナーの一人である村川へ少し経費として金を出してほしいと伝える事にした。しかしケチな村川は、面倒臭そうな表情をしながら「プリペイドの携帯を渡しているだろうが」と一円も金をくれなかった。
俺は連絡用としてプリペイド携帯を渡されていたが、月に三千円分しか電話代をもらえなかった。プリペイドの通話料は非常に高い。すぐにそんなものはなくなってしまうので、結局自分の携帯電話を使うハメになる。
何度か食い下がったが、余計な金など一円も出したくない村川は取り合ってくれない。だからといって警察が他の店を検挙している情報を流さない訳にもいかず、俺はしょうがなしに自分の携帯を使っていた。
百合子という彼女のできた俺にとって、こんな形の電話代で金を使うのは非常にもったいなく無駄な出費にしか過ぎない。
仕事が終わると百合子と会い、そのままホテルへ直行という日々を過ごす。事情があって夜の仕事をしていただけの百合子。普段は真面目なOLである。俺の現状を聞く度に心配そうな表情で警察に捕まる事はないのかと聞いてきた。
「大丈夫。俺が捕まる事は、まずないから」
自信を持って笑顔で答える俺に、百合子はホッとした顔になる。しかし内心は不安で仕方がないのだろう。
そろそろこんな裏稼業から足を洗うか……。
頭の片隅にそんな思いがよぎり出した。
地元のホテルから歌舞伎町へ直行した俺。昨夜は朝方まで百合子を抱いていたせいか、少し寝不足だった。
区役所通りを歩き、歌舞伎町交番のある花道通りへ差し掛かる。ハンカチで額を拭いながら交番前を通ると、警官が暇そうにボーっと天井を眺めていた。呑気なものだ。他の所轄から大勢の生活安全課の刑事がやってきているので、歌舞伎町自体はある意味平和である。特にこれといった事件も何もないので暇なのだろう。
西武新宿駅前の通りに辿り着くと、一台の車が目の前を通り過ぎる。本能的に嫌な感じがした。中に乗っている人数は五名。各警察署の生活安全課が大挙してこの街に来る今、気はいつだって抜けない。
『リング』と『らせん』オーナーである高山からミラノビルにある喫茶店で待っている連絡があり、至急向かう。今でこそ堅気ではあるが、高山は昔ヤクザ者をしていたそうだ。そのせいか村川とは違い、人情味があったので俺は嫌いじゃなかった。
喫茶店へ入ると冷房がガンガンに効いているせいか気持ちいい。俺に気付いた高山は、「おう、神威君、こっちや」と手を振っている。
「何かあったんですか?」
「うん、いや…。特に何もないけどな。まあ店閉めているのにこの炎天下の中を見回りじゃ大変やろと思ってな。冷たいもんでも飲んでいけや」
「お気遣いありがとうございます」
金を出しているんだからとふんぞり返っている村川と違い、高山は下の人間への気遣いを忘れない。
「アイスコーヒーでええんか?」
「はい、ありがとうございます」
早速アイスコーヒーが運ばれてくる。喉がカラカラに渇いていた俺は一気に飲み干した。熱を帯びた体が一気にクールダウンする。こんな時に飲むアイスコーヒーのうまさは別格だった。
「どうや、今日は?」
「警察ですか?」
「ああ、前に『フィッシュ』がやられたけど、うちまでやられたら敵わんからな」
確かにこれ以上仲間が捕まる姿は見たくない。性格的に合わない名義人はいるが、それでも警察に捕まってほしくないものだ。
今まで検挙に来た覆面パトカーであるナンバープレートなど控えてもあまり意味がない。その警察署にしたら、店を一軒挙げればお役ごめんなのだから。それよりも早いところ店をパクろうとしている連中を見極めなければいけないのだ。覆面パトカーっぽいなと思ったら、俺は携帯電話のメモに、そのナンバーを控えるようにしていた。
これまでの情報を整理すると、捕まえに来る時はだいたい十名から十五名ぐらいの刑事が一斉に大挙するパターン多い。最初に客のふりをした刑事が私服で店内に入り、しばらく中を物色。タイミングを見計らって警察手帳を名義人に見せ、その後十名以上の刑事が押し寄せる。
まあ実際にこの状況に遭った名義人は現在牢屋の中にいる訳だから、どこまで正しい情報かは分からない。名義人がパトカーに乗せられ連行されたあと中へ入ると、メチャクチャになった店があるだけだった。無残にボロボロとなった店内。一枚だって無事なものがない割れたCDケース。引っくり返った机。脚が折れ曲がった椅子。二つに折れた棚。ヤクザが殴りこんでもここまでしないと言いたいぐらい酷い有様だった。『フィッシュ』の名義人浜松がいなくなった店内を片付けながら、俺はここまでした警察を恨んだ。
「大丈夫です。俺が警察の動きを察知しますから」
テーブルの下で右の拳をギュッと握り締めながら力強く言った。
「神威君がそう言うと頼もしいのう」
高山は頷きながら笑顔を絶やさなかった。
喫茶店を出て、歌舞伎町を歩き回る。今のところどの店も無事なのか誰からも連絡はない。時計を見ると昼の一時を回っていた。普段なら朝十時から開ける裏ビデオ屋。今は警戒してどこもシャッターを閉めたままだ。
さくら通りを歩いていると、他の店の名義人が暇そうに道端でタバコを吸っていた。
「どうも、こんな暑くちゃ嫌になっちゃいますよね」
「おお、神威さん。ほんと参りますわ」
「まだ店は開けないんですか?」
「他所と色々話をしているんですけど、何だか西武新宿の通りに覆面が一台いるらしいんですよ。ありゃ、きっとどこかの店が開けた途端、ズドンですわ」
「あらら…、そりゃ困りましたね」
問題はその覆面パトカーがどの店を挙げる為にいるかが大事だが、そんな事まで分かる奴は誰もいない。
「でもそろそろ『クール』系列は開けるんじゃないでしょうかね。このままじゃ高い家賃を払っているだけだって、あそこのオーナーはイライラしているみたいですから」
本音を言えば、どこでもいいからイケイケで店を開けて、早く警察に持っていってほしかった。そうすれば少なくてもうちの系列の店だけは守る事ができる。
裏稼業は継続する事が第一だ。捕まってしまったら何もなくなる。この浄化作戦が治まるまで、俺は慎重に行きたい。
「あ、『パトリオット』が店を開けるみたいですよ」
とうとう痺れを切らしたのか他の裏ビデオ屋が徐々に店を開け出した。願ってもない展開だ。昼の二時になる頃には歌舞伎町にある半分以上の店がオープンをした。
オーナーの村川から電話が入り、「そろそろうちも開けないか?」と焦っていたが、はやる心を落ち着かせるようにした。目先の数万の売り上げを狙ってパクられたら元も子もない。
「村川さん、もうちょっとだけうちは待ちましょう」
「もう大丈夫だろ?」
「いえ、西武新宿のところに覆面が一台いるらしいんです。それが動いてからのほうがいいですよ」
どこかに異変はないか? 常に街の中を歩いていると、知り合いから連絡が入った。一番街通りのビデオ屋に警察が入ったらしい。
早速現場へ行くと、中にある押収物を運ぶ為のホロ車が停まっている。もう名義人は持っていかれたのだろうか。
遠くからたくさんのビデオ屋が野次馬を作っている。
「おう、神威さん。暑いねえ」
「どうも、ほんと嫌になりますよね。もう持ってかれたんですか?」
「いや、まだ入って十五分ぐらいだから、これから出てくるでしょ。しかし、あそこの滝沢さんも可哀相に……」
「可哀相って?」
「あの店の人、もう五十二歳なんだけどさ、前にもビデオでやられているんだ。だから今回は執行猶予じゃなく、完全に刑務所行きだからなあ」
猥褻図画で捕まるビデオ屋は、初犯ならほぼ確実に執行猶予になるが、前歴があると問答無用で実刑になる。何でそんな危険な状態で、ビデオの名義人なんか……。
おそらく他に稼げる仕事がなかったのだろう。きっと本人も覚悟の上で、毎日を送っていたはず。
少ししてその店の名義人の姿が店から出てくるのが見えた。
「ほら、滝沢さん、こっち見て笑っているよ。うちらを心配させないよう、こんな状況でも明るく……」
俺の横にいたオヤジの一人が寂しそうに呟く。確かに滝沢と呼ばれた名義人は、妙にニコニコ笑っている。
社会的に見れば最下層の部類に入る歌舞伎町の住民たち。だけどこの滝沢からは、裏稼業でやってきた意地を見たような気がした。
すぐに滝沢はパトカーへ乗せられ、俺たちの視界から消えていく。
明日は我が身だ。俺は再度気を引き締め直した。
嫌な話を聞いた。今、俺と三人のオーナーたちは弁護士に呼ばれ、喫茶店にいる。
村川の店『フィッシュ』の名義人である浜松。彼が捕まったその日の調書の際、すぐに内情を暴露してしまったらしい。実際に弁護士が警察に掛け合っての情報なので間違いはないようだ。
「どうすんですか、村川さん」
「どうするも何も、喋ったんならこっちは何もできねえよ。あとは弁護士の先生に状況を見てもらうだけで」
この中で一番焦っているのはオーナーの立場である村川だろう。俺には何故浜松がこうも簡単に謳ってしまったのか不思議でしょうがなかった。あれだけシュミレーションして、謳ったら何もないぞと伝えたのに……。
警察内部でどんな尋問を受けたのかは分からない。でも、頑として自分でところで止めなければ名義人は意味がない。これで彼は二百万という金を得る機会を潰してしまったのだ。
「出てきたら、もうこの辺にはいれんのう。もしいたら、消すようやな……」
高山が呟いた。この言葉にゾッとする自分がいる。彼は二百万だけでなく、組織を裏切ったのだ。どこまでかは分からないが、組織の内情を謳った事に変わりはない。
浜松が捕まる前、年も近かったせいかよく俺たちは色々な話をした。とにかくエロが好きなんですと言った彼は、趣味の延長でこの仕事を始める。
名義人の給料は最低でも五十万。しかしこの業界に詳しくない浜松は、オーナーの村川から「最初は見習い期間だ」と称し、三十五万の給料にさせられていた。裏ビデオの商売に見習いも何もないだろうと思ったが、何も知らない浜松は従うしかない。
他の系列店の名義人たちは無条件で月に五十万円をもらえる現実。何故自分だけと不安にも思っただろう。この事は愚痴っぽく俺にこぼしていた。そんな状況の中で捕まってしまったのだ。
この場に村川がいなければ、そういった内情も高山やもう一人のオーナーである金子にも伝えておきたかった。
これ以上この系列で犠牲者を出してはいけない。さらに俺は自分に言い聞かせた。
一番街通りにあったゲーム屋『ワールド』。今となっては昔の話になるが、当時クビにした従業員の大山とはよく道端で偶然会った。俺と揉めて辞めた大山は、気まずそうに頭を下げていたので、特に相手にする事はなかった。
俺が統括する『リング』と『らせん』。その通り沿いにあった十円レートのゲーム屋で大山は働いているらしく、俺の仕事の都合上バッタリという事は頻繁だ。
仕事を終え、地元に戻ろうとすると、その大山から着信があった。
「あの時はすみません、神威さん。よそで働いていかに大事にされていたのか分かりました」
素直に『ワールド』の事を謝ってくる大山。すでにあの店はないのだ。俺は笑って許してやった。それからというもの、道端で会っても普通に話をするようになる。
この街では顔が広ければ広いほど、何かあった時の情報が早い。もし、何か異常があるなら即座に連絡をし合い、被害を最小限に食い止める事だってできる。
大山から今日飲みに行かないかと電話があった。ほぼ毎日のように百合子と会っていた俺は、たまにはいいかと思ったが、彼女へ連絡を入れてみる。
「あ、百合子。あのさ、昔の部下が一緒に飲みたいって言うんだけどさ……」
「たまにはいいんじゃない。いってらっしゃいよ」
こちらの都合を察してくれる百合子。よくできた彼女だ。俺の住む川越は新宿から電車で一時間ぐらいの場所にある。いつも使う西武新宿線は終電が早く十一時半ぐらいにはなくなってしまうので、こうして飲みに行く場合は必然的にこっちで泊まりになってしまう。
大山はこの日休みだったらしく、俺の仕事の終わりに合わせ歌舞伎町まで来ると約束した。いつものように仕事を済ませ、夜の十一時になる。ようやく開放され、新宿駅東口のアルタ前まで向かった。
しかしいくら待っていても大山が来ない。三十分が経ったので電話を入れてみる。
「あ、神威さんですか。すみません、電車が止まっているらしく……」
確かあいつは経堂に住んでいると言っていたから電車で十五分ぐらいの距離だろう。タバコを吸いながら待っていると、一時間が過ぎた。いくら何でもこんなに電車が止まっている訳がない。再度連絡をする。
「すみません。地元の後輩の友達がちょっと相談に乗ってほしいって言われて……」
「じゃあさ、連絡ぐらいしろよ。俺、終電だって逃すし、意味ねえじゃねえかよ。おまえから誘ってきたんだろ?」
「すみません、すみません。あと十五分で行きます。だから待ってて下さい」
「早く来いよな」
さすがに不機嫌になる俺。大山のだらしない行動に苛立ちが募る。ようやく大山の姿が見えると俺はいきなり怒鳴りつけた。
「いえ、あのですね…。ちょっと聞いて下さい」
「さっさと言えよ」
「自分の後輩の彼女なんですけど、後輩の件でどうしても相談あるって、その子の店に呼ばれていたんですよ」
俺は強めに大山の頭を引っぱたいた。
「テメー、この野郎! ただ単にキャバクラへ行ったってだけじゃねえかよ。そんなんで人を待たせんじゃねえよ、ボケ!」
こうして酒を飲みに行く事になったが、ゲーム屋で働く大山は酔うと愚痴が多くなった。内容は主に人間関係らしく俺にはどうでもいい話題ばかりだが、大人しく聞いてやる。
三軒ほどはしごをして酒を飲み、ゴールデン街へ向かう。ゲーム屋時代系列店だった『チャンピョン』の責任者の有賀に以前紹介してもらったバーがあった。有賀は俺より八つ年上だったが、プロレス好きというのもありよく飲みに行った。
ベロンベロンの大山は、ゴールデン街の店に着くなり、「神威さん、風俗行きたくないすか?」と聞いてくる。
「悪いけど、彼女がいるから行かない」
「えー! 俺、ムチャクチャ抜きたいんすよ」
「おまえさ、今日は飲むって誘ったんだろ?」
「もう俺、我慢できないんすよ。神威さん、ちょっとだけ風俗行ってきます」
そう言って飛び出したまま大山がバーに戻ってくる事はなかった。
翌日連絡があり、気付いたらサウナで裸のまま寝てたと言うので、仕事中の俺は阿呆らしくなり、電話を切った。
俺専用の自転車に乗りながら、歌舞伎町の街を徘徊する日々。
パクられる可能性のある危険な時間帯は、朝から昼の三時頃までだった。警察側からすれば、店をパクって終わりではない。今度は名義人を署で尋問し、調書を取らねばならないのだ。五時頃が定時だろうからおまわりも時間内で済ませたいというのが本音の部分だ。
暑い日差しを浴びながら巡回するので、こんな時自転車はありがたい。心地よい風を感じながらいられるからだ。
西武新宿駅前の通りを走っていると、新宿署の交通課が駐車禁止の取締りをしていた。車のサイドミラーに駐車禁止の札を括りつけるのではなく、新宿では移動できないようタイヤをロックする。こうなると運転手は逃げようもない。
本当に暇な連中だな。俺は軽蔑した視線で見ながら通り過ぎる。憎々しい警官の後頭部に向かって唾を吐き掛けたいぐらいだ。そんな事したら捕まってしまうから、あくまでも想像だけに留めておく。
待てよ…、こっちは自転車だし、後頭部に蹴りを入れてすぐに逃げれば大丈夫か? いや、無理だ。
馬鹿な都知事が大金を使って歌舞伎町にはあらゆる監視カメラが設置された。全部七十以上あるって誰かが言ってたっけ。監視カメラの年間に掛かる維持費は七千万円ほど。このご時勢に無駄遣いをするもんである。犯罪防止というが、本当に酷い犯罪なんて歌舞伎町の連中はしない。切羽詰った奴が、余裕ない状態で突発的にするから大きな事件になるのである。事件が起きたあとなら証拠等になる場合もあるだろうが、抑制にはほとんどならない。
歌舞伎町を一周して、歌舞伎町交番のある花道通りに入る。虚ろな視点でボーっとしている歌舞伎町交番の警官。自然と警官を睨みながら通ると、交番の奥から怒鳴り声が聞こえてきた。興味を覚え、中の様子を伺うと、うなぎ屋のオヤジの姿が見えた。
「この野郎は食い逃げしやがったんだ!」
「ねえもんはねえんだよ。払いようがねえだろ」
横で五十代後半のくたびれたオヤジが開き直っている。
「キサマ!」
つかみ掛かろうとするうなぎ屋のオヤジを数人の警官が必死に取り押さえていた。この辺だけだと平和なもんだ。俺は笑いながらあとにした。
隣には大久保病院とハイジアという大きな建物がある。ハイジアは上にスポーツクラブ、下にマクドナルドや漫画喫茶、釣りの上州屋などが入った集合体の建物である。
以前そば屋『まる平』の出前オヤジが言っていた台詞を思い出す。
「ハイジアの二階にはよう。警察らの集合場所になってんだ。あそこで待機して裏稼業の店を取り締まるんだよな」
出前の際に缶ジュースを二本せしめようとするセコいオヤジの話だ。信憑性などまるでない。そうはいっても得体の知れない浄化作戦を考えると、ついハイジアの二階を見てしまう自分がいた。
他のビデオ屋の店員から電話が入る。何でも西武新宿駅方面の店舗に警察が入ったらしい。近くだったのですぐに駆けつけると、駅前通りの裏手にあるビデオ屋がやられていた。もう箱車も到着し、店内からダンボールに入れたDVDをせっせと運んでいる。
どこの警察署か興味あったので、俺は遠くからその様子を伺った。私服姿の刑事たちが数名駅前通りに向かう。あとをつけると、交通課の警官たちと話し合っている。どうやら覆面パトカーだと知らず、新宿署の交通課が駐車禁止で取り締まってしまったようだ。非常に面白い展開である。俺は携帯電話を使い、その様子をカメラに収めた。
覆面パトカーのタイヤについたワッパ。交通課は気まずそうに外していた。いつかこの写真が役に立つ時が来るかもしれない。
それにしても警察って本当に汚い組織だなと再認識した。覆面とはいえ、警察が駐車禁止というルール違反をしているのである。店を捕まる為という代名義分はあるにせよ、交通の妨げやその近辺の営業店に対して妨害したという事実には変わらない。それが警察だと駐車禁止を取り消してしまうという事実。
「汚ねえ連中だ」
ボソッと呟くと俺はまた自転車を漕ぎ出した。
もうじき三十三歳になる。彼女の百合子から記念に旅行へ行かないかと言われた。二人で旅行なんてした事がない俺は、想像しただけで楽しくなってくる。
しかし、歌舞伎町浄化作戦が始まった今、連休などとてもじゃないが取れる状態ではない。行くとしても、休みの日に近場へ行き、朝そのまま新宿へという感じになってしまうだろう。
「それでもいいから行きたい。だってあなたの誕生日なのよ」
百合子はとても優しい性格の持ち主で、気遣いもできるいい女だった。俺ら三兄弟の子供の頃を話を聞くと泣いてくれ、育ての親であるおばさんのユーちゃんにはケーキをプレゼントした事もある。よく俺の部屋に来ていたが、玄関で親父と会った時挨拶すると、あの親父も笑顔になったぐらいだ。そんな百合子の希望は叶えてあげたかった。
ここまで荒んだ街の現状を考えると、たまにはこういった休息も必要かもしれない。捕まった浜松の現状を思うと、あまり浮かれていられないという思いもある。だけど俺が何をしたらかといって、彼の現状は変わる訳でもない。
「分かった。行こうか」
旅行中、組織に何かある可能性もある。すぐ駆けつけられる距離でないといけないだろう。そう思った俺は、昔旅行へ行った事のある秩父の温泉を提案した。久しぶりに酢の大好きだった女を思い出すが、未だに身震いする。
川越から秩父なんて西武線で一時間半ぐらいで着く場所だ。所沢駅で一度乗り換える必要があるが、そんな近場でも百合子は大喜びした。もちろん酢女と過去この場所へ行った事は内緒にしておく。百合子はとてもヤキモチ焼きなのだ。
前沢牛を始めとする様々な料理。舌鼓を打ちながら、俺たちはつかの間の休息を楽しんだ。たまにはこういった旅行なども人生の中で必要な事なのかもしれない。
浄化作戦という慌しい日々。いつも集中し、長時間あの街の外にいるという行為はストレスが溜まる。今まで裏稼業というものに対し、楽をできる仕事と思っていた。仲間が捕まっていくのを目の当たりにし、初めてその大変さに気付く。情報を謳ってしまったという浜松。彼は出てきたらどうなってしまうのだろう……。
酒を飲みながら歌舞伎町の事を考えていると、百合子が俺にのしかかってくる。
「今ぐらい仕事忘れようよ、ね?」
俺は無言で百合子を抱き、性欲に溺れた。
そして北方の『マロン』時代に出会った姓名鑑定士の言葉を思い出していた。
「三十三になったら一つの事に集中し、一気に突き抜けると感じます。そして何かしらの結果が生まれるでしょう」
今日で三十三歳になった俺。しかし何がどう変わったのか分からない。一つの事に集中する? 今は統括する店を束ね、犠牲者を出さぬよう動くしかないのだ。そして夜になれば百合子を求める。それだけの毎日。何がこれから変わると言うのだ……。
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