岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

フェイク 06

2023年03月14日 14時35分13秒 | フェイク(クレッシェンド4弾没作品)

 

 目を覚ますと四時を過ぎたぐらいだった。結構寝た気がしたが、短い時間でうまい具合に熟睡出来たのだろう。これから人と会うのはだるかった。携帯を手に取り、美紀に電話を掛ける。

「もう起きたの?ちゃんと寝たの?」

「おまえの事、考えてたらよく寝られなかったよ。」

「まーたうまいんだからー。でも嬉しいな、すぐに連絡くれて。」

「うん、悪いけどまた仕事がこれから入っちゃったんだ。」

「えーっ…。じゃあこれから逢えないのー?」

「仕方ないだろ?また連絡するよ。」

「絶対だよ。連絡だけじゃなくてちゃんと逢う時間作ってよね。」

「分かってるよ。この埋め合わせは今度するよ。」

 電話を切りベッドに再び寝転がる。時計を見るとまだチェックインして四時間も経っていなかった。家にはしばらく帰るつもりもないので、しばらくはここに滞在する事にしよう。このホテルは何故か不思議と居心地が良かった。だるいという理由で美紀を呼ぶのを止めたが正解だ。食事は外に出て済ませ、あとはここでしばらく一人でゆっくりしよう。

 クーラーのつけっぱなしで体が冷えていた。熱いシャワーを浴びながら湯船にお湯を溜める。腹が鳴り、朝から何も食べてない事に気付く。何か喰いに出掛けるとするか。湯船にお湯を溜めてからホテルから出る。

セントラル通りを出てコマ劇場の横の道を歩いていると、黒いスーツを着た男が前から歩いてくる。ひと目で朝、コーヒーショップの前であった赤崎だと分かる。赤崎は眠たそうな顔をしていた。あんな朝早くから仕事なんて、こいつは何の仕事をしてるんだろう。俺は赤崎に少しだけ興味が出てきた。

「おい、もう仕事終わりか?」

 俺が声を掛けると、赤崎は不思議そうにこっちを見てくる。ボケッとしてるので誰だか分からなかったらしい。声を掛けたのが俺だと認識するまでに少し時間が掛かった。

「何だ、光太郎か…。」

「何だよ、せっかく俺が声掛けてんのに、その言い方は…。」

「悪いな、朝早いから眠くてボケてんだ。俺に何か用か?」

「用が無きゃ声掛けちゃいけねぇのかよ?」

 俺の中で初めて赤崎の顔を見た時、ムカついたが何か感じるものがあった。その何かとはよく分からないが、今現在でもこいつとは繋がりがあるように思う。男に対してこんな感情を抱くのは自分でもおかしいと思うが、実際にこの赤崎とはバッタリ出くわしている。

「おいおい、すぐにそうやって絡むなよ。こっちは疲れてんだよ。」

「別に用は無いけど、おまえがちょうど歩いていたからよ。」

「何か飯、奢ってやろうか?おまえはいつも野良犬のように腹空かしてるから、妙に怒りっぽいんだ。何が喰いたい?」

「この野郎…。俺を野良犬だとっ!」

「ほら、すぐにそうやって怒る。落ち着けよ。腹減ってんだろ?」

「あ、ああ…。」

「面白いおばあちゃんがいるフライ関係の定食屋があるんだよ。そこ行くか?結構安くておいしいんだぜ、光太郎。」

 こいつといると何か調子が狂う。まあ確かに飯を喰おうと思ってホテルを出た訳だし、こいつの言う通り大人しく喰いに行くとするか。

 

 自分で言い出しといて変な展開になったもんだ。肩がぶつかったといって喧嘩になったのを皮切りに、光太郎とは妙な縁があるのを感じる。普段ならこんなガキにタメ口聞かれた時点でぶっ飛ばしているところだが、出来の悪い生意気な弟が一人出来たような感覚だった。弟の怜二に少し性格が似ているのかもしれない。

「どこにあんだよ、その定食屋は?」

「コマの中だ。」

「へー、そんなとこに飯喰うとこなんかあったんだ。」

 コマの中にある定食屋に行くと、いつもはデーンとカウンターで身構えているはずの、おばあさんの姿は見えなかった。俺がどうしたのか店員に聞くと、駅の階段から落ちてしまい足を折って入院しているらしい。隣にいる光太郎が何故、俺がそんなおばあさんにこだわるのか不思議そうに聞いてくる。

「ここはおかわり自由あんだけど、そのおばあさんはおかわりをするのが当たり前というような感じで、客のご飯が無くなるのをジッと身構えてんだよ。」

「何だそりゃ?」

「おかわりなのに、漫画のようにご飯を沢山よそるのが好きなんだ。」

「そんなばあさんいる訳無いじゃん。」

「実際に実在したんだって。」

 おばあさん話で盛り上がってる内に料理が出てくる。光太郎は現実に見ていないから、どうでもいいと言った感じだった。

「おい、料理冷めるぜ。早く喰っちゃえよ。ここの上おしんこ目茶目茶うまいんだぜ。」

「赤崎の頼んだのうまそうだな。」

 光太郎は俺の頼んだハンバーグとカニクリームコロッケをもの欲しそうに見ている。

「欲しいのか?ちょっとやるよ。」

「い、いらねぇよ。」

「いいから、いいから…、ほら。」

 俺がハンバーグを一切れとカニクリームコロッケを皿に乗せてやると、光太郎は照れ臭そうにしていた。昨日あったばかりだが、親しみを光太郎から感じるのは何でだろうか。俺の場合、弟の怜二と亡くなってしまったけど愛という妹がいる。兄弟のいるいないはハッキリと分からないが、何となくこいつは一人っ子なのかなという気がした。

「うまいな、ここの。おしんこもよく漬かってるし。」

「初めから俺はうまいよって言ってるだろ。」

「いい所を教えてもらったよ。そういやー、赤崎は何の仕事してんだ?」

「うーん、何て説明したらいいのかな…。今日まだ今のところ入ったばかりなんだ。」

「へー、そうなんだ。何関係の仕事?」

「まだよく決まってないけど、社長が手広くやってるから色々な店の仕事内容を覚えなきゃいけないみたいだね。例えばゲーム屋とか…。」

「結構真面目そうに見えたけど、ゲーム屋とかで働いてんだ。」

「俺が働いてちゃ、悪いのかよ?」

「別に責めてないだろ?いちいちつまらない事で反応するなよ。」

「ならいいけどさ。」

「この後、予定あるのか?」

「何だよ、いきなり。」

「ここ出たらコーヒーでも飲みに行くか?何かおまえと話していると面白い。」

「別にいいよ。俺もヤンチャな弟が出来たみたいで楽しいよ。いくつなんだ、年は?」

「十九。前にも年齢は言ったろ。すぐに忘れんなよな。」

「そうだったっけ?随分と若いんだな…。二十歳は越えてるかと思ったよ。」

「物覚えの悪い奴だな。そっちは何歳なんだよ?」

「二十五歳だ。」

「へー、てっきり二十二、三ぐらいかと思ったよ。案外年喰ってんだな。」

「余計なお世話だ。兄弟は?いなそうだな。一人っ子だろ?」

「うーんと…、そうだな…。」

「何だよ、その言い方は?」

 それにしても光太郎は整った顔立ちをしている。男の俺から見ても格好いい顔だと思うぐらいだ。まず大抵の女は放っておかないだろう。

「あんま言いたかないけどよー。一年前まで妹がいたんだ…。」

 さっきまで明るかった光太郎は急に暗くなる。こいつの表情を見ていると、悪い事を聞いてしまったかなと思う。その言い方だと、今はもういないと判断した方がいいのだろうか…。妹の愛の事を思い出してしまう。

「そうか…。」

 そのぐらいしか俺には掛ける言葉が見つからなかった。俺もこいつも似たような悲しい想いをしているのだ。どちらの悲しみが深いかなんて比べようもないし、また本人でないと分からない感情であろう。人の悲しみは同情は出来ても心の奥深くまでは分からない。俺が愛を亡くした悲しい気持ちがあるように、光太郎も俺とは違う悲しみを持っている。お互いの悲しみは似ているようで、でも交わる事は無い。

「今は俺、一人だよ。一応いらない両親はいるけどな。」

 家庭環境に複雑な問題でもあったのだろうか。俺もお袋がいらないという点では、同じ気持ちだ。親父と妹の愛は今でも俺の中で大事な存在として残っているけど、お袋だけは今後関わり合いを持ちたくなかった。嫌いという感情よりも、ただ俺を生んだという事実があるだけで今現在、無になった存在なのだ。

「光太郎…。おまえに結構興味が出てきた。失礼な意味にとらないでくれよ。俺も話せば長くなるけど、色々あって境遇が似たようなところがある。」

「なぁ、ここ出てゆっくりした所で話そうよ。」

「そうだな。」

 俺は伝票を持ってカウンターに行き、会計を済ませた。

 

 本当に男同士の奇妙な出会いだった。肩がぶつかってから喧嘩を吹っ掛けて、それからの付き合いだ。まあ、これを付き合いと言うかどうかは知らないが…。コマ劇場の中から外に出て軽く伸びをする。

「ご馳走様。いいのか、出してもらっちゃって。」

「言ったろ、ヤンチャな弟が出来たような気がするって。兄貴の立場からすると食事ぐらい奢ってやって当然だろ。」

「俺の方が金持ってるかもしれないぜ?」

「もしそうだとしても俺の方が年上だし、出すのが当たり前だ。」

「今時珍しいって言うか…、古いって言うか…。」

「うるせー。素直にご馳走になっとけよ。」

「ヘヘヘ…、分かったよ。」

 赤崎と接していると不思議な気分になってくる。何て表現したらいいか分からないけど悪い気分じゃない事は確かだ。むしろ下手な女といるよりも面白い。今までに無かった感覚だった。何故、俺は美千代の事を正直に話そうとしたんだろ…。

「ゆっくりしたとこって、どこ行くんだ?」

「うーんとそうだなー…。」

「そこのコーヒーショップにするか?」

 これから赤崎に話す内容は出来れば誰にも聞かれたくなかった。こんな安っぽい店で話していても、いつ知り合いの女が来るか分からない。誰にも邪魔されない場所…。

「そうだっ!」

「何だよ、いきなりでかい声を上げて…。」

「俺、ビジネスホテルだけど部屋とってあるから、そこでゆっくり話しするか?」

「おいおい…、悪いけど俺、そっちの趣味は無いぞ…。」

 完全に赤崎は誤解している。俺の言い方が紛らわしかったのか…。

「違うって…。俺だってそっちの趣味は無い。ただ誰にも邪魔されずに済む場所はって言うと、そこが一番いいかなって思っただけだ。」

「そうか、でもおまえが変な言い方するから勘違いすんじゃねーか。」

「言葉のボキャブラリーが足りてないだけだろ。」

「まあいいや、何か飲み物買ってくか?」

「うん、あそこの信濃屋で買ってこう。」

 赤崎の顔を見ていると、昔からの知り合いのような気がする。おかしい…、こいつに会ってから明らかに俺はおかしい。少なくても今までのペースじゃない事だけは確かだ。

「なあ…、さっき俺も似たような境遇だって言ってたけどさー。」

「ああ、それがどうしたんだ?」

「いや、兄弟とかいるのかなと思ってね。」

「弟が一人…。妹は…、俺が小学校五年の時…。」

「い、いいよ。言いたくなければ無理には…。」

 辛い思いしてるのは俺だけじゃないんだ。誰だって過去を振り返れば、辛い事の一つや二つはある。俺は一年前の美千代の事を今でも引きずっている。赤崎と共通する点と言ったら、お互い妹を亡くしてしまったというところなのかもしれない。

「あっ…!」

 赤崎の顔を見て、何故、何か感じるのかピンときた。

「何だよ、何度もでかい声出して…。」

「いや、何でもない…。」

 美千代だ…。男と女の違いはあれども、顔のパーツがどことなくそっくりだ。凄い偶然もあったもんだ。赤崎は男らしい面構えをしているのに、どこかしら美千代と雰囲気が似ていた。何故そんな風に思うのか。おかしい…。俺はおかしいのか…。

「ほら、さっさと買い物済ませようぜ。」

「あ、ああ…。」

 俺たちは適当にドリンク類をカゴに放り込み買い物を済ませ、ビジネスホテルに向かった。

 

 姿形や年齢は違っても、俺と光太郎は似た者同士なのかもしれない。共通する事項は、妹を過去に亡くしている点だ。同じ悲しみを持っているから、何か通じるものがあった。普通なら朝四時半から起きてるから眠くて仕方がないはずなのに、こうして仕事終わっても光太郎と一緒にいる。時計を見ると六時。そろそろ泉が仕事から帰ってくる頃かもしれない。光太郎の泊まっているホテルに着いてから、ひとまず泉に連絡だけは入れておこうと思った。本当に心配性だからな、あいつは…。

「もしもし、泉か?」

「仕事終わったの?」

「ああ、それで今日仕事帰りに知り合いと会っちゃってさー。ちょっと飯喰いながら話してんだけど、帰るの少し遅くなりそうなんだ。」

「ふーん、何だか最近そういうの多くない?今日は泊まるだとか…。」

「何、疑ってんだよ。」

「別に…。仲良く誰かさんとご飯楽しんできたら?」

 泉はプリプリ怒って、ご機嫌斜めだった。こういう時の泉は怖い。俺が他の女といるんじゃないかと、変に勘違いしているようだ。

「おいおい…、男に決まってんだろ。」

「食事ついでに新宿でそのまま泊まってくれば?」

「嫌な言い方するなー。」

「じゃ、私は忙しいから…、ガチャッ!」

 泉の野郎…、いや女だから女郎と言った方がいいのか。何度か繰り返し電話をしても、全然繋がらなかった。あいつ、携帯の電源を切りやがった。一体何に対してそんなに怒っているんだ。俺は何もあいつを裏切るような事してないのに…。

「女の尻にひかれてるんだ?情けねぇなー。」

「うるせー。それよりコーヒー、袋から取ってくれよ。そう、そのブラックの。」

「ほらよ。」

 光太郎の投げた缶コーヒーをうまくキャッチする。光太郎の泊まってる部屋はシンプルな作りだが中々いい感じであった。煙草に火を点けてからコーヒーを飲み、一息つく。

「なあ、光太郎…。」

「どうしたんだ?」

「俺には弟と妹がいたんだ。今でも弟はいるし、もちろん仲良くやってるけど、妹の愛は俺が小学五年生の時に亡くなったんだ。俺のせいでね…。」

「…。」

「一緒に公園で遊んでいて、ブランコに愛が乗りたいって言ったんだ…。もちろん最初は危険だって止めたさ。でも結局、言い負けてしまって、ブランコに乗せてしまったんだ。とても愛は楽しそうだったよ。それがちょっと目を離した隙に…。今でもずっと頭からあの時の光景が離れないんだ。いくら後悔したって何にもならない…。今でもお兄ちゃんって、愛が俺を呼ぶ声が聞こえるぐらいなんだ…。」

 ずっと引きずっている辛い過去だった。妹の愛は幼い頃の姿のままで、俺の心の中に生きている。光太郎は真剣な表情で俺の話を黙って聞いていた。

「うーん、何て言ったらいいのかな…。俺のケースとは違うけど、あんたの悲しみ少しは分かるよ。同じ妹を亡くしたもの同士でね。俺のは後悔とかそういうんじゃないけどさ、でもやっぱさー…、ずっと引きずっているよ。」

「光太郎の話を良かったら聞かせてくれないか?」

「俺の?」

「ああ、でも話すのが辛かったら、無理にとは言わないよ。」

「全然。別に構わないよ。」

 光太郎は眉間にしわを寄せて考えているみたいだったが、ゆっくりと口を開き始めた。

「うーん…、まず俺が五歳の頃ぐらいから話せばいいかな…。」

 

俺は五歳の頃の記憶を思いだしながら、赤崎にゆっくりと説明しだした。赤崎にというより自分に言い聞かせるといった表現が一番適切なのかもしれない。

その頃までは親父とお袋の三人で、そこそこうまくやっていたと思う。俺の誕生日は必ず祝ってくれたし、クリスマスも朝起きるとベッドの角にプレゼントが置いてあった。両新は喜ぶ俺の顔を見て、いつも優しそうに微笑んでくれた。

 肌寒い冬になり、親父に対してお袋が泣きながら罵倒してる姿をよく見るようになった。幼かった俺は何故両親が喧嘩するのか全然分からなかったが、それからお袋は家を留守にする事が多くなった。

雨が激しく降る日に当時一歳の美千代を連れて、突然侵略者は家にやってきた。親父はおまえの新しい母さんだと、一言だけ簡単に告げた。

「ねー、お母さんは?お母さんは?」

 幼かった俺は、親父よりお袋になついていたので何回も不思議に思い聞いた。親父は嫌そうな顔をして、母さんはもう二度と家には帰って来ないんだと言うだけだった。お袋と入れ替わりに入ってきた侵略者は、時間が経つにつれ、どんどん我が物顔で態度がでかくなっていった。どんなに笑顔で機嫌をとるように接しられても、ずっと俺は侵略者に心を許さなかった。意地でも侵略者の作った飯は食べなかった。夜中に起きてこっそり簡単な料理を作って空腹を満たしていた。

「光太郎は何か食べたいのある?何が大好物?」

「何もいらない…。」

「お腹減ってんでしょ。」

「減ってない…。」

「あんたねー、私が家に居ない時にいつもこそこそ台所で、何か作ってるから聞いてんでしょ。」

 侵略者に話し掛けられると、決まって俺は黙って自分の部屋に逃げて鍵を掛けた。ガンガンとドアを乱暴に叩かれ、怒鳴られても、布団に包まり聞こえないようにしてやり過ごした。毎日、地獄にいるように感じた。

「あとで覚えてらっしゃい。」

 決まって侵略者はそう捨て台詞を残して、部屋の前から去って行った。親父は仕事が忙しいみたいで、帰ってくるのはほとんど夜遅くだった。誰も幼い俺を守ってくれなかった。逆恨みかもしれないが、親父までをいつの間にか憎むようになっている自分がいた。

 やがて小学生になっても俺のスタンスは変わらなかった。学校から帰るといつも一人で外に行って遊んでいた。近所の公園で遊んでいる時、背後から声を掛けられた。振り向くと家を出てったお袋だった。

「光太郎…。」

「か、かあちゃん…。」

 お袋との一年ぶりの再会だった。ずっと孤独を背負っていた俺は涙が溢れ出た。家に帰るのが嫌で堪らなかった俺にとって、お袋との再会は最高の喜びだったような気がした。

「大きくなったね…。」

「もう家に戻ってこないの?」

「うん、ごめんね。もう母さんは家には行かないんだ。」

 お袋はそう言って寂しそうな笑みを浮かべる。

「何で…。」

「母さんの家に遊びに来るかい、光太郎。」

「うん、行きたい。」

 そうしてよくお袋の実家に出入りするようになった。親父や侵略者にはバレないように学校帰りに寄って、夜遅くならない夕方ぐらいには家に戻るようにした。家の中で俺の孤独を癒してくれたのは美千代の無垢な笑顔だけだった。

俺が小学三年生になると、侵略者は夕方になると食事の支度をして俺に美千代の世話を勝手にまかせてどこかへ出て行く事が多くなった。最初は仕方なく放っておけないといった感じで面倒を見ていたが、日々俺になついている美千代に対して可愛くて仕方がなくなってしまった。俺が八歳で美千代が四歳。可愛い妹を俺は毎日のように可愛がった。学校が終わってお袋の実家でご飯を食べ、夕方には家に戻り美千代の世話という生活習慣がパターン化しつつあった。

美千代が小学生に上がる頃には、生まれつき心臓が弱いせいか医者によくかかるようになった。それと同時に女としての美しさの片鱗が見えた時期でもあった。心臓に負担をかけないように体育はいつも見学で、羨ましそうにクラスのみんなを見ていた。学校を休みがちだったが、みんな美千代を気遣ってくれた。持ち前の美貌のおかげかもしれないが、美千代はみんなの人気者だった。しかし美千代は小学校の友達はあくまでも学校内でと割り切っていたみたいで、常に俺と一緒にいようとした。

「光太郎。あんたねー、いつも家でご飯食べないでどこで食べてんだい。」

 俺が小学六年生になる頃、侵略者はそう言って怒鳴ってきた。俺がお袋の所に顔を出して、毎日ご飯を食べてるのを薄々感づいていたのだろう。そんな時、俺は決まって睨みつけ無言で自分の部屋に閉じ籠もるだけだった。俺の部屋に入れるのは妹の美千代だけで、親父も侵略者も一切立入禁止にした。ある日、小二の美千代は校門の所で心細そうな表情で俺を待っていた。

「どうしたんだ、美千代?」

「光太郎兄ちゃん…、く、苦しいの…。」

「家に帰ってればいいのに、何でこんなとこで俺を待ってんだよ。」

「一緒に痛かったの…。」

 青ざめた表情で苦しそうに話す美千代…。この日を境に入院生活が始まった。俺はお袋の実家にも行かずに毎日毎日美千代のお見舞いにいった。俺の孤独感を唯一癒してくれる存在だった。

 退院して通常の生活を送っている時は、いつも俺のあとをついて一時も傍を離れようとしなかった。一度、お袋の実家に美千代を連れて行った事がある。俺の妹だからお袋も優しくしてくれるだろうと思った。

「光太郎…、何でこんな子連れて来たの…。」

 俺にはいつも優しいお袋が、美千代を見る時だけは酷く冷たい目で見ていたのが印象的だった。それ以来、お袋の実家に美千代を連れて遊びに行く事は永遠に無くなり、俺自身も行く回数を意識的に減らすようになった。

 美千代が中学に上がる頃、俺は高校二年になっていた。高校に内緒でケンタッキーフライドチキンのアルバイトをやり、自分で小遣いも稼げるようになった。中学生になった美千代は、誰もが認める完成された美しさと、女としての魅力を兼ね備えていた。自分で意識してではなく、あくまでも自然体でそうなっていたという表現がピッタリだった。当たり前のようにみんなが美千代に対して好意を抱くようになり、俺も自分の妹だと頭で分かっていながらも自然と惹かれていった。それぐらい美千代は美しかった。よく俺のバイト先にも来るようになり店のみんなからも可愛がられた。給料日にはいつも一緒にレストランに行き、兄弟で仲良く食事をして、つかの間の時間を楽しんだ。出来る限り俺と美千代は一緒にいる時間を楽しんだ。

ある日、自分の部屋で寝ていた俺を美千代が起こしに来た時の事だった。唇に柔らかいものが触れる感触に気付き、俺は目を覚ました。これが美千代との初めてのキスだった。美千代は俺を兄としてというよりも、一人の男として見ていた。心の奥底に溜めていた俺の感情は一気にそれで溢れ出てしまった。俺と美千代はいけない恋だと分かりながらも、お互いを求めてしまった。俺よりも美千代の方がその想いは強かったと思う。俺は最後の一線だけは越えてはいけないと思っていたが、美千代は常に求めてきた。何度も俺は美千代の誘いを拒んだ。正直に言うと怖かったのだ。

「ねぇ、光太郎兄ちゃん。私たちって本当の兄妹じゃないんだって。」

自分で一線を越えないという決まり作って、常に欲望と闘いながら守ってきた。そんな俺に対して美千代の放った言葉は、すべてを簡単に崩してしまった。入退院を繰り返す内に、仲良くなった看護婦から聞いたらしい。

「俺たちは兄妹なんだぞ。」

 いつも心にも無い口先だけの台詞を吐き、ただ俺は逃げているだけだった。結局、残り僅かな命を削りながら必死に生きていく美千代に対し、俺は何も答えてやる事が出来なかった。

 

 光太郎は真剣にゆっくりと自分の過去を語りだした。俺に向かって話してはいるが、自分に言い聞かせるように話している感じがした。歪んだ愛情関係。世間一般で言えば光太郎と妹の美千代は間違っていると言えるだろう。しかし、二人の間に血の繋がりはない。だけど俺にはその事に関して、間違っているようには何故か思えなかった。

「美千代ちゃんの望み通り彼女を抱いてやったのか、光太郎…。」

 俺の質問に光太郎は何とも言い難い表情をしている。

「よく…、分からないんだ…。」

「は?何で分からないんだよ。」

 そんな変な質問はしてないはずだ。光太郎の分からないという言い方が不思議だった。俺にここまで話しておいて、わざわざその事を隠す事でもない。話の流れから言っても、別に言いたくない訳じゃないだろう。今までといっても、まだ三回ぐらいしか会ってないが、こんな光太郎の弱気な顔は初めて見た。ハッキリ言って似合わない表情だ。

「抱いたのか、もしくは抱いてないのか…。美千代がどのようにして亡くなったのか…。俺の中の記憶がゴチャゴチャになって、何が本当なのか分からないんだ…。もう…、俺はとっくに壊れているのかもしれないな。」

「光太郎…。」

 何となく言ってる事が分かるような気がした。こいつにとって妹の死は、生きてるのが辛いぐらい大きな傷になっているはずだ。この俺も愛を失った事でいまだに足掻いている部分がある。人間、割り切ろうと思っていても中々出来ないものである。

「嘘じゃないんだ。本当に色々なパターンで美千代との事、色々思い出しちまってどれが正しい記憶なのかまったく判断がつかないんだ。」

 光太郎は自分の中に大きな迷宮を作り出した。自己防衛の為の一つの手段だったのであろうか。そうでもしないと生きていけなかったのかもしれない。こいつも俺と同じで見えない出口を探しながら、いつも彷徨っているのだろう。

「もういいよ、光太郎。よく分かった。いや、おまえの気持ちは良く分かってるよ。」

「何だよ、訳分からねぇ日本語使いやがって。」

 今でもちょっとした拍子に、すぐ泣き出しそうな表情をした光太郎。無理して精一杯の強がりを言っているのが手に取るように分かる。

「ごめんな、変な事聞いて…。」

「うるせーよ…。」

 光太郎は俺と反対方向を向きながら言った。今、俺がここにいても野暮なだけだ。

「おい、光太郎。俺はそろそろ行くぞ。また今度機会あったら飯でも喰おうな。」

 一言も返事は帰ってこなかった。負けん気の強いこいつの事だから、尚更泣き顔は見られたくないのだろう。俺は声を掛けて部屋をあとにした。

 

 あの野郎、勝手に俺の返事を待たずに部屋を出て行きやがった。あいつなりの気遣いなのだろう。初めて他人に自分の胸の内を話せたような気がする。何故か、美千代と重なって見える赤崎…。あいつの顔を見ている内に、不思議と正直に話さなくてはいけないような気がした。

「美千代…。」

 いくらその名を呼んでも、二度と目の前に現れてくれる事は無い。無性に寂しかった。ベッドに寝転がって目を閉じる。美千代が亡くなって、もう一年以上経つ。本当に時間が経つのは早いもんだ。幽霊でもいいから俺の前に出てきて欲しかった。

 果たして俺は美千代を抱いたのだろうか…。抱いたような気もするし、ずっと拒み続けたような気もする。美千代がこの世にいない今、そんな事はどうでもいいような気がした。俺たちは確かにお互い愛し合っていたのは事実なのだから…。 

結局のところ、今の俺には何にもない。俺に出来ることといったらせいぜい女を惚れさせて、その女から金を引っ張ることしか脳がない。本当にどうしようもないクズ野郎だ。でも俺はクズ野郎でもいいから金が必要なのだ。赤崎も帰ってしまったし、暇で何もやることがない。街へ繰り出して適当にいい獲物を発掘でもするか…。

ホテルを出て歌舞伎町の街をふらつく。見回すと腐るほど女はいる。まあ、この時間に一人で歩いている女は大抵水商売系の奴だろう。街を歩いていて女と擦れ違う度に、みんな俺の顔をチラッと見ていくのが分かる。さてと、どの女をコマしてやるか。どの女が金の匂いをプンプンさせてるんだ。

 「おにーさん、一人なの?」

 「あ?」

声を掛けられ振り返れば、今風のコギャルがニコニコしながら俺を見ていた。

 「格好いいー。やっぱ、新宿に遊びに来た甲斐があったー。」

 「いきなり何だ、おまえは?」

 「私?私は理恵子。千葉からはるばる遊びに来たの。」

 「…で?」

 「格好いい人と知り合いになりたいなあと思っててね。」

 「ほか当たれ、俺は忙しいんだ。」

  ただの田舎から出てきたクソガキか…。どう見ても金を持ってそうにない。

 「えー、そんなー。」

 「いっぱいいるだろ、その辺に男なんて。」

「おにーさんぐらい格好いいのって中々いないんだよ。こう見えても私、面食いなんだよね。だから一緒に遊ぼうよー。」

「うるさい。あっち行け。」

「冷たいなー、じゃあホストでも行っちゃおうかな?」

「一万も払えば、ハウスボトルぐらいは飲ましてくれんだろ。」

「ふん、あんまり馬鹿にしないでよ。私は結構金持ちなんだからね。もういいよ、あんたなんか…。じゃーね、バイバイ。」

 千葉から一人で歌舞伎町に出てきた変な女。どう見ても未成年だ。こんな時間に来て男を引っ掛ける為だけに、わざわざここまで来るか…。何だか金の匂いがしそうだ。

 理恵子と名乗ったガキのあとをつけると、花道通りを越えて、ホストクラブが密集する方向へと歩いている。このままじゃ、あの女は金を本当に持っていたとしても、ホストのカモになっておしまいだ。ちょっとぐらい付き合ってやってもいいか…。

「おい、待ちなよ。」

「あ、やっぱり私のことが心配で追い駆けてきてくれたのね?」

「危なっかしいから、放っておけなかっただけだ。ホストに行くのなんてやめとけ。」

「じゃー、おにーさんが私と時間一緒に過ごしてくれるの?」

「ああ、ちょっとぐらいならいいよ。」

「ほんとー?超嬉しー。」

「腹は減ってるか?」

「ううん、お酒が飲みたーい。」

「おまえ、どう見てもまだ高校生だろ?」

「え、そう見えちゃう?」

 一瞬たじろぐ理恵子の表情を見ると、もっと若いのかもと思った。下手したら中学生かもしれない。

「まあ、いいや。じゃ行くか。」

「うん。」

 理恵子は嬉しそうに俺の腕に絡み付いてきた。俺は澄ましながらそのまま歌舞伎町の街を歩いた。どっちみち、この女が何歳だろうと俺には関係ないことだ。金を持ってるならいただく、ただそれだけだ。

「いらっしゃいませ。」

 一番街通りにあるショットバーに入り、奥のボックス席に腰掛ける。まだここは初めて入る店だ。俺の顔が割れてない。

「ご注文は何に致しますか?」

 理恵子はメニューを見ていたが、中々決められないようだ。

「俺はドライマティーニ。おまえは?」

「うーんと…、ねえ、何がおいしいの?」

「甘いのがいいだろ?」

「うん。」

「じゃあ、ルシアン。あとチーズの盛り合わせとジャイアントコーン。」

「かしこまりました。」

 俺が注文してるのを理恵子はジッと見ていた。まだガキだ。うまい具合にルシアンを三杯も飲ませればあっという間に酔い潰れるだろう。

 

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