岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

フェイク 04

2023年03月14日 14時33分03秒 | フェイク(クレッシェンド4弾没作品)

 マンションに戻ると明かりが点いている。泉の方が先に帰ってきたようだ。明日から北方の所で仕事を世話になる事をちゃんと話しといた方がいいだろう。

「おかえり、隼人。思ったより早く帰って来れたんだね。」

「ただいま、知り合いからの誘いだったからすぐに仕事決まったんだ。」

「またゲーム屋とか危ないとこの仕事じゃないんでしょうね?」

「…」

「はーやーとっ。」

「はい…。」

「私は質問してんだけど?」

 泉は野菜を刻んでいる手を止めて俺を睨みつけてくる。こうなると俺には手に負えない。

「ちゃんと聞いてるの、隼人。」

「はい…。」

「その言い方はまたゲーム屋で働くつもりなんでしょ?」

「…」

「黙ってちゃ分からないでしょ?」

 この状態じゃ、いくら誤魔化してもおそらく泉には通用しないだろう。

「最初の一ヶ月だけなんだ。向こうの都合で人手足りないみたいで…。だけど、今度の社長かなり手広く商売してるみたいだし…。」

「あのねー…、何言ったってさー、またゲーム屋やる事には変わりないでしょ?」

 ヤバイ…、だんだん泉がキレかかっている。もっと泉に考える暇を与えないぐらいマシンガントークで畳み込まないと俺がまずい。

「だから最初の一ヶ月間だけだって、社長の方も色々都合ってあるでしょ?海外とかでも会社持ってるみたいだし、日本でも他の商売もちゃんとしてるから大丈夫だよ。結構面倒見良さそうだしね。泉が俺を心配してくれるのは分かるし嬉しいけど、問題ないよ。」

「えっ、海外にも会社持ってるの?へー、何だかすごい人の下についたんだね。」

 海外というフレーズが泉に何か引っ掛かったようだ。ここ辺りをうまく攻めれば機嫌も良くなるかもしれないな。

「うん、結構すごい人みたいだよ。まだ俺もそんな接してないけどね。頑張ってやってれば、その内海外に行って仕事とかになるかもよ。そしたら泉も一緒に向こうで住んだりしてさ。青い壮大な海が広がる景色のいい場所で、エンジョイしながら生きていけたらいいなと思わない?」

 チラッと泉の様子を伺うと、まんざらでもないみたいだ。我ながらいい表現が出来たもんだ。俺も想像をしてみる。

「ねーねー、海外って場所はどこら辺になるの?」

 嘘は言ってないが、少し図に乗り過ぎたみたいだ。まー、あとで何とでもなるだろうから、適当に答えとけばいいか…。

「詳しくは分からないけど、アメリカやカナダとかだろ。」

「へー、じゃあ隼人が頑張って早く向こう住めるようになるといいね。」

「まだ今日挨拶しにいっただけなんだから、これからだよ。」

 これ以上ボロが出てもしょうがないので、話題を切り替える事にした。

「そうね、ちょっと気が早いか…。お腹、減ってるでしょ?すぐに作っちゃうから待っててね。」

 鼻歌を歌いながら料理をしている泉の後ろ姿を見て罪悪感に駆られる。本当に今度の北方の所は頑張らないとな。俺のスーツの胸ポケットが微かに震えている。近付いて携帯を取り出すと前の店アリーナでの部下の神威の二つ上の先輩、最上聡史からだった。

「ボーか、久しぶり。」

「おう、神威が言ってたけど店辞めちゃったんだって?」

 電話の話し振りから神威の奴、最上に余計な事は言っていないようだった。

「いやー、他から仕事の誘いが急にあったもんでね。近い内、ボーには連絡入れようと思ってたんだ。」

パソコンいじってる以外は常にボーっとしているから、周りからボーというあだ名を付けられた最上聡史。彼とは自分と同じ歳というのもあって何かと気があった。

「へー、今度は何の仕事をするの?」

「まだ今日行ったばかりだから何とも言えないけど、最初の一ヶ月間はゲーム屋。でも今の社長が色々とやってるから、今後どうなるかは分からないんだ。それよりそっちの方はどうよ?仕事の方。」

「うーん、開発に入れば問題ないんだけど、いつも打ち合わせの段階で意見が割れるからなー…。俺は一プログラマーというだけでいたいよ。でも神威や店のみんなには連絡したの?神威、心配してたぜ。」

「何も言わずに辞めちゃったからね…。時期がきたら俺からちゃんと連絡するつもりなんだ。もちろん、神威とかにもね。」

 どうやらアリーナでは、ある日俺が突然店に来なくなったという感じになっているらしい。神威はどんな思いで仕事しているのだろうか。俺から悪い方向へ誘おうとしても、まっさらな精神で跳ね返した神威。あいつのせいで店を辞める事になっただなんて、俺の都合のいい解釈でしかない。

「そうだな。じゃー俺、まだミーティングの最中だったから仕事に戻るよ。」

「わざわざ電話ありがとう。頑張ってね。」

 電話を切ると、テーブルに泉が料理を運んでいる途中だった。俺は一緒に手伝い、和気あいあいとしながら食事を済ませた。どっちにしても明日から歌舞伎町での新しい生活が始まるのだ。

 

今日は泊まっていけとしつこい康子を何とかかわして家に戻る。俺は康子からもらった十万の半分、五万を金庫に入れる。ひかるみたいに一気に金をとるよりも、康子のように毎回いくらかづつもらうという方が俺にとって理想だった。薄い壁を伝って血の繋がりの無いお袋と、情けない甲斐性無しの駄目親父の声が聞こえてくる。内容はよく聞き取れないが、大方金の絡んだ醜い言い争いだろう。

「ケッ…、美千代一人救えなかったくせに…。何が金だ…。」

 つい、独り言が出てしまう。あいつら自分たちのしでかした事すら、何も分かっちゃいない。あんな鬼畜のような女と再婚なんかしやがって、あのクソ親父め…。やっぱ世の中、金が無ければ何も出来ないのだ。両親が俺にとっていい反面教師になってくれた。親父に唯一感謝する所があるとすれば、ほとんどの女がなびいてくるこの顔を俺に持たせてくれた事だけだった。俺が望めば大抵の女は親切にしてくれる。この半年間、自分で実際に動いて学んだ事だった。

立ち上がり鏡で自分の顔を見ると、額に擦り傷があるのを発見する。多分、昨日のあの時に出来た傷だろう。俺の綺麗な顔に傷をつけやがって、あの黒スーツ野郎…。鏡に向かって睨みつけると、親の声が聞こえてくる。憎悪が更に募る。

「光太郎。ちょっといいか?」

 親父が俺の部屋をノックしている。

「何だよ。何の用だよ。」

 俺の声と同時に親父とお袋が部屋に入ってくる。

「何、急に入ってきてんだよ。」

「まー、聞きなさい。おまえはもう十八歳になったんだろう。高校も行かず、毎日毎日ブラブラと何を考えてんだ?」

「光太郎、私たちもあんたの事で、ご近所から色々言われて本当に恥ずかしいのよ。」

 静かにお袋を睨みつけてやる。何を今更言ってやがんだ。こいつらが何を言おうが今の俺にとって只の雑音にしか聞こえなかった。

「うるせーよ。」

 俺の台詞に親父とお袋は目を剥いて怒鳴りつけてくる。一生懸命何かを訴えるように、口を動かしているのが見えるだけだった。くだらない…、全てがくだらない。

「どけよ。」

 親父を押しのけて部屋を飛び出すと、お袋が両手を広げて廊下を塞いでいる。通せんぼでもしてるつもりなんだろうか。見ていて非常に滑稽だ。

「どけ…。」

「随分と偉くなったもんだね。親に向かってなんて口の利き方をしてるんだい。」

「おい、お前は親じゃねーだろうが。いつから親のような台詞吐くようになったんだ?血も何も繋がってないのに偉そうな事抜かすな、ボケ。」

 お袋の形相が次第に迫力を増していく。女でこんな奴は中々いないだろう。鬼畜…、いつもこの女の顔を見ると、俺はその言葉を頭の中に思い浮かべてしまう。同じ家に住んでるというだけで、この女とは口を利くのも顔を見るのも嫌だった。

「あんたは誰のおかげで大きくなれたと思ってんだい。」

「ふざけんじゃねぇ。お前の作った飯など一度だって口にした事はねぇんだよ。実の俺のお袋をあんな状態にしやがって…。美千代まで見殺しにしやがって…。」

 本当なら絶対に口も聞きたくない奴だが、つい溜まってた感情が吹き出してしまった。こいつが家に来なければ、少なくてもここまで不幸じゃなかったはずだ。お袋…、いやこんな奴は侵略者って表現が一番適している。侵略者は口の端から血を薄っすらと流している。俺の台詞に反応してヒステリックになり、悔しさのあまり自分の口の中を噛み切ってしまったのだろう。そんな事がまだ俺に通じるとでも思っているのだろうか。小さい時ならいざしらず、俺が五歳の時から見てきたので怖くも何ともなかった。

「いいから、どけよ。」

 俺は侵略者をつき飛ばして階段を駆け下りる。部屋に置いてある一千百五万の金額が入った金庫の事が気になったが、今はそれどこじゃなかった。家を飛び出して行く宛てもなく全力で走った。

 

 目覚ましの音で目を覚ますが、さすがにまだ眠い。横を見ると泉はスースー気持ち良さそうに寝入っていた。そっと俺は起き上がりシャワーを浴びる。まだ朝の四時半だから、眠くて当たり前だ。熱いシャワーの温度が体に沁みてジンジンくる。今日が仕事初日の日だ。絶対に遅刻する訳にはいかない。ペンを取り、広告の裏側に仕事行ってきますと泉宛てに書いてテーブルの上に置いておく。コーヒーを飲んで煙草を吸っていると、時計の針は五時を過ぎていた。ちょっと早いけど職場に向かうとするか。

 電車に乗ると、こんな早い時間でも何人かの乗客がいた。みんな大変なんだよなと勝手に感心して椅子に座る。一ヶ月間とはいえ、これが毎日続くのかと思うとうんざりしてくる。考え事をしながらいつの間にか寝てしまい、目を覚ますともう高田馬場だった。

「次は西武新宿―、次は西武新宿―、終点です。」

 駅に着くと六時三十分。仕事の時間までまだ五十分ほど余裕があったので、二十四時間営業のコーヒーショップに入る。入った店はそこそこの客の入りで、昨日の終電を逃した連中がテーブルに突っ伏して寝ていた。アイスコーヒーとホットドックを注文して空いている席に座る。二本目の煙草を吸い始めたところで店員がホットドックを持ってくる。

「御客様―、大変御待たせ致しました。以上でご注文の品はお揃いでしょうか?」

「ええ。」

「ごゆっくりどうぞ。」

 余裕の持てる朝食というのはゆとりを持てるもんだ。少し早めに新宿に来てコーヒーとパンを食べるだけで幸せを感じるのなら、こういう習慣をつけるのも悪くない。

「うーん…。」

 横の席の奴が寝返りを打つ。俺のゆとりを楽しむ時間を邪魔しやがって…。睨みつけようとして振り向くと、ビックリした。昨日、俺に絡んできたあのガキが隣りで気持ち良さそうに熟睡していたからだ。こんな早い時間にこいつは何故ここにいるんだろうか。

「おい、おまえ何してんだ?」

 俺が声を掛けても、ガキはピクリとも反応せずに寝ていた。放っておいてもいいが、こいつには何か感じるものがあった。ホットドックとアイスコーヒーを交互に食べながら、一服して外の人の流れを眺める。新宿駅に向かって歩く人の群れ。ほとんどがこれから会社に向かう途中なのだろう。突然、携帯のバイブが振動しだす。画面を見るとアリーナからだった。アリーナを黙って辞めて三日目に入る…。みんな、俺を心配してくれているのだろう。罪悪感に悩みながら、かといって出る訳にもいかず、俺は携帯をポケットに入れて知らん振りをした。携帯のバイブは二度ほど振動してから止んだ。以前、同じ店でも特に仲が良かった鈴木勝男と神威龍一の顔を思い出す。

「うーん…、あー、良く寝たな…。」

 いつの間にか隣りのガキが起きていて伸びをしている。声を再び掛けようかと思ったが慌てて思い留まる。これから仕事だし、向こうが俺に気付かない限り放っておけばいい。無理してまでこいつと関わる必要性はどこにもないんだ。時計を見ると、七時十五分前になっていた。少し早めに出勤しとくのも悪くはない。俺は食べ終わった食器やグラスを持って立ち上がった。

 

 美千代が俺を見て微笑んでいる。まるで天使を見ているような美しさだ。

「光太郎兄ちゃん、私…、もう充分に大人だよ…。」

「バ、バカ…。何言ってんだよ。俺たちは兄妹なんだぞ。」

「でも血は繋がってないじゃない。光太郎兄ちゃんは私の事、大好きでしょ?」

「そ、それはな…、きょ、兄妹としてだ…。」

「そんなの嘘…、光太郎兄ちゃんは、本当の気持ちをちゃんと言ってくれないんだね。」

「美千代…。」

 俺は美千代に近付くと、そっと抱き締めた。とても心地良い感触の柔らかい肌。口でうまく表現しようのない爽やかな香り。俺の神経を破裂しそうなぐらい刺激してくる。俺は美千代以外の女に一切興味がなかった。俺と四つ、年の離れた血の繋がっていない大切な妹…。お互いに俺たちは求め合っていた。決して許されない関係。俺はいつも回りの視線を気にしていた。反対に妹の美千代は素直に自分の本能に従って求愛してきた。

「俺たちは兄妹なんだぞ。」

 いつも美千代に決まって言うのが、この台詞だった。まるで自分に言い聞かせるように…。台詞とは裏腹に俺の腕は強く美千代を抱き締めていた。

「光太郎兄ちゃん…、私ね…。病気で長く生きられないんだって…。」

「何、言ってんだ。」

「だってこの間、お医者さんがパパに言ってたの聞いちゃったの。」

「大丈夫だよ。そんなの俺が直してやるから。」

「じゃー、私を抱いてよ…。」

 目を閉じて俺の前に立つ美千代はとても美しかった。誘惑に負けそうになってしまう。

「私たち兄妹でも血が繋がってないから、結婚出来るんだよ。この間、看護婦さんが教えてくれたの。その看護婦さんも光太郎兄ちゃんの事、格好いいって言ってたんだよ。」

「そんな看護婦なんて、どうだっていいよ。」

「もう私、十三歳になったんだよ。光太郎兄ちゃんから見て、まだ私は子供なの?」

「駄目だよ。いけない…。」

「私、もう長くないの…。私の事嫌い?」

「そんな事はない。好きだよ。」

「じゃー、抱いて…。」

「美千代…。」

 徐々に誘惑に負け、美千代の言う通りに体が動いてしまう。駄目だ、いけないと思いながらも、俺はゆっくり美千代の服を一枚一枚脱がしていく。歪んだ愛情なのは百も承知だった。何故、俺は妹の美千代にここまで惹かれるのだろう。

「あんたたち何やってんだい?」

 振り向くと鬼の形相をした侵略者が立っていた。俺がまだ物心つく前、三歳ぐらいの時にこいつは家を侵略しにやってきたのを微かに覚えている。俺は憎しみを込めて侵略者を睨みつけてやった。何度でしゃばれば気が済むんだ。

「うるせー。向こうへ行ってろ。」

「あんた、随分偉くなったもんだね。」

 突然、目の前が真っ暗になっていく。気がつくと美千代の姿も侵略者の姿も誰もいなかった。いいようのない孤独感だけが残り、音も光も一切無い不思議な闇が俺を徐々に包み込んでくる。途方に暮れて意味も無く歩き始めると、遠くに美千代の姿が見えてきた。俺は全力で美千代の所へ駆け寄る。

「どうしたんだよ、美千代…。」

「どうせ私はもう長くないの。抱いてくれないんなら死んでやるから。」

「待てよ、美千代。」

「光太郎兄ちゃんなんか、大っ嫌い。」

「おい、美千代…。」

 俺が触ろうとすると美千代は嫌がって背を向けて走り出す。美千代の走り出した先には交通量の多い道路があった。車がビュンビュン走っているのに構わず、無我夢中で美千代は走っている。俺は慌ててあとを追い掛け、もう少しで美千代の体に手が届きそうなところで、トラックが凄まじいクラクションを鳴らしながら突っ込んできた。

「美千代―…。」

 ゴムまりのように宙を舞う美千代の体が地面に叩きつけられるまで、スローモーションのように感じた。俺は血だらけの美千代を抱いたまま救急車を待った。俺の後ろで侵略者がその光景を見て狂ったように笑っていた。自分で産んだ娘なのに…。

突然景色が切り替わり、辺りを見回すと新宿のコーヒーショップの店内だった。夢だったのか…。それにしても嫌な夢だった。過去と夢がゴチャ混ぜに入り混じり、神経がおかしくなりそうだ。昨日家を飛び出して何故か自然と新宿へ来てしまい、結局こんな場所で朝まで寝てしまった。テーブルに突っ伏して寝たので体がギクシャクしている。こんな事なら、美紀やひかるを呼び出してホテルでゆっくり寝ればよかった。

「うーん…、あー、良く寝たな…。」

軽く背伸びをしてみる。喉がカラカラだ。煙草に火を点けながらメニューに目を通す。俺の横にいる出勤前のサラリーマンが立ち上がる。こんな早い時間から仕事なんて御苦労なこった。ボーっとしながら、飲み終わったグラスを片付けて店を出て行こうとするサラリーマン風の男を目で追う。

「んっ、あいつ…。」

 後ろ姿を見てどこかで見た事あるなと思ったら、昨日喧嘩した奴だと気付いた。

「おい、待ちやがれ。」

 

 店を出て少し歩くと、突然背後から声が聞こえてきた。

「おい、待ちやがれ。」

 振り向くと昨日喧嘩したガキがこっちに向かってくる。これから仕事だというのにタイミングの悪いガキだ。

「なんだ、昨日のガキか…。一体、何の用だ。しつこい奴だな。」

「うるせー、あんなんで俺に勝ったつもりかよ。大物ぶりやがって…。」

「これから仕事なんだ。残念ながら、おまえを相手にしてる時間は無いんだ。」

「テメーッ。」

 ガキは大振りのパンチで殴りかかってくる。俺はパンチをよけて、体を押さえつける。

「何なんだ、いきなり殴りかかってきやがって。」

「ぶっ殺してやる。」

「落ち着けよ。落ち着けって。こんな朝っぱらから目立つだろ。」

 昨日のガキは体を抑えつけられているのに、その場でジタバタ暴れている。態度や行動を見ているとムカつくだけだが、こいつの顔を見ていると不思議と怒りが湧いてこない。

「離せよ、チキショー。離しやがれ。」

「生意気なガキだ…。その女みてーな面、グシャグシャにしてやんぞ。」

「やってみやがれ、この野郎。」

 普段なら簡単に殴るはずなのに、何故かこいつの目を見ていると奇妙な親近感が湧いてくる。きっと目に見えない何かが、俺と共通しているのかもしれない。

「何でおまえはそんなに尖がってるんだよ?」

「あっ?何が尖ってるって?」

「昨日だってそんなに怒る事でもないだろう。お互い道端でぶつかったぐらいで、あんな風に突っかかってくるから喧嘩になったまででな。別におまえと喧嘩したっていいが、俺はこれから仕事に行かなきゃいけないんだ。今は時間が無い。」

「何でこんな早い時間から馬鹿みたいに働いてんだよ。」

「これでも女と一緒に暮しているからな。少しでも楽にしてやりたいだけだ。」

 あれだけ暴れていたガキは、俺の台詞を聞いてポカーンとしだした。不思議な生き物でも見つけたような目で俺を見ている。

「おいおい…。何だよ、その反応は?」

「おめでたい奴だな。女の為にか…。分かってねーなー、大体女なんてよー…。」

「黙れ、ガキが偉そうな口叩くな。おまえの接している女と俺のは違うんだ。分かったような台詞吐いてんじゃねーよ。」

 泉の事をけなされたような気がして、少し感情的になる。まだ二十歳ぐらいのガキが偉そうな事を言ってるとムカついてくる。

「さっきからガキガキって呼ぶなよ。まだ十九だけど、俺は坂巻光太郎って名前があるんだよ。ガキ扱いすんな。」

「まだ十九か。本当にガキだ。一応ガキって言い方じゃ失礼だから光太郎って呼ぶよ。いいか、光太郎。俺の女を見た事もないくせに、勝手に批評してんじゃねーぞ。」

「何でそこまで女を信じられるんだ?結局傷つくのは自分なんだぜ?」

 こいつは何でここまで歪んでいるんだろう。過去によほどトラウマになるような、酷い何かがあったんだろうか。

「おまえ…、昔、彼女に酷いふられ方でもされた事あるのか?」

「馬っ鹿じゃねーの。俺がふる事はあってもふられる事なんて一度もねぇよ。」

 時間が気になり、時計を見ると七時五分前だった。

「そうか、まーいいや。俺はもう仕事の時間だから今日はもう行くからな。俺は赤崎隼人。光太郎とは何か縁があればまた会うだろう。じゃーな。」

 

 赤崎隼人か…、変な奴だ。今度機会あったら、奴の女がどんなもんか見てやるか。俺は赤崎の後ろ姿を消えるまで見ていた。俺にとって信じられる女と言ったら、妹の美千代ぐらいだ。でも、その美千代はもうこの世にはいない…。

小さい時から美千代は生まれつき心臓が弱く、入退院を何度も繰り返していた。日々、痩せ細っていく美千代は常に影のある雰囲気を漂わせていたが、それでも誰にも負けないぐらい美しかった。毎日のように俺は懸命に励ました。それでも心臓は弱いままだった。俺が中学を卒業する頃、親父の稼ぎじゃ入院費用を工面出来なくなり、家で寝たきりの生活が始まる。ある日、美千代は両親のくだらない喧嘩がきっかけで、俺と血の繋がりがない事実を知ってしまった。

「ねぇ、光太郎兄ちゃん。私たちって本当の兄妹じゃないんだって。」

俺に向けてとても嬉しそうに話す美千代の表情は、今でも脳裏に焼きついている。やがて美千代は俺を一人の男として見るようになるまでそんなに時間はいらなかった。俺も密かに美千代を妹としてではなく、一人の女として意識していた。俺が高校から帰ってきて美千代の部屋に行った時、いきなりキスをされた事があった。全身に電撃が流れたような痺れるキスだった。いくら血が繋がっていないとはいえ、兄として間違った行為を犯してしまった。禁じられた恋だと分かっているのに、美千代の魅力が常識という世間の鎖を断ち切ってしまった。それからというものの毎日のように俺と美千代は、当たり前のようにキスをするようになった。

「あんたたち何やってんの?」

 ある日、俺たち兄妹の秘密をお袋…、いや侵略者に見られてしまう。それから俺と美千代は同じ家にいながら、顔を合わせる時は親父か侵略者が一緒でという条件付きになってしまった。俺にとって苦しい日々の始まりで、兄妹なのにすでに美千代を妹としてじゃなく、一人の女として見るようになってしまった。

「あら、光ちゃん。どうしたの、こんな朝早く。」

 回想シーンに浸っているところを誰なんだ。邪魔をするのは…。

「どうせ、どっかで他の女と会った帰りでしょ?」

「なんだ、千絵か…。」

「酷いなー、その言い方。最近ちょっと冷たいんじゃないの、光ちゃん。」

 千絵…、二十歳。新宿のヘルスで働く風俗嬢だ。この時間にここを歩いているって事は、早番の時間でこれから出勤するところなんだろう。

「忙しいんだよ、色々とな。」

「もう、いつもそんな言い方ばっかり…。あ、いっけなーい。遅刻になっちゃう。ねー、光ちゃん。これでさー…。」

 千絵はそう言いながら俺の手に金を握らせてくる。ハッキリとは分からないが、感触でいうと五万ぐらいはありそうだ。目的は分かっているが一応聞いてみる。

「何だよ、この金は…?」

「今、時間無いからさー。これで私の店に来て指名してよ。時間少しは余裕あるでしょ?せっかく会えたんだから、たまにはゆっくり話したいよう。」

 内心面倒臭かったが実際他の女に時間をとっていて、千絵の相手を最近全然してなかったような気がする。まだこいつからはうまい具合に金を引っ張れる。ここはこいつのご機嫌をとっておいてもよさそうだ。

「えーと、モーニングぬきっ子だったっけ?」

「うん、ひょっとしてもう忘れちゃったの?ちなみに店だと私はユイだからね。」

「ちゃんと覚えてるよ。忘れる訳ないだろ。」

「うん、OK。じゃ、私は先に店行ってるからちゃんと来てね。」

「あいよ。」

 千絵の後ろ姿を見送ってから、受け取った金を数える。キッチリ五万円あった。たったこれだけの事で千絵はルンルン気分になっている。相変わらず単純で馬鹿な女だ。俺と話したいからといって五万払うなんて、あいつの頭をカチ割って調べてみたいもんだ。

 俺は五分ぐらいしてから、ヘルスのモーニングぬきっ子へと向かう。これでここに来るのは何度目だろう。毎度の事ながら店内に入ると、線の細いメガネを掛けた店員が挨拶してくる。とりあえず写真を見るふりをしてユイを指名する。

「毎度の御指名ありがとうございます。すぐ準備出来ますので少々お待ち下さい。」

 今頃必死で準備している千絵の様子を想像するとおかしくなってくる。どんなに急いでもまだ時間は掛かるだろう。退屈しのぎに店の女の写真を眺める。ユイ…、千絵は精一杯の作り笑顔をして写真に納まっていた。一人だけ目が止まった女がいた。明らかに他の女とは違う輝きを発している。誰が見ても間違いないだろう。名前はモモ…。千絵と比べると段違いの差だった。こういう女を落とせば、すげー金稼いでんだろうから面白いかもしれない。俺はモモという名と写真の顔を頭にインプットしとく事にした。

「大変御待たせ致しました。御案内させていただきます。」

 店員に促がされ、カーテンを開けるとニコニコ顔の千絵が待っていた。

「ごめんね、時間掛かっちゃって…。六番の部屋ね。」

 

 北方の事務所のある通りに差し掛かる。歌舞伎町の中でも怖い雰囲気の漂う場所だった。相変わらず一階のゲーム屋グランドは、看板も出さずにひっそりと営業している。俺は入り口の所にあるカメラ付きのインターホンを押す。

「おはようございます。今日からお世話になる赤崎です。」

 ドアがカチリと音を立てて開く。客は二人しかいなかった。昨日会った早番の山田が近寄ってくる。入り口から正面にあるカウンターの奥に、見た事のない従業員らしき人が二人、椅子に座って話しをしていた。

「よく起きられましたね。狭山からだと五時半くらいの電車に、乗ってくるようなんじゃないですか?大変ですよね。」

「そうでもないですよ。」

「あ、紹介しときますね。カウンターの奥にいるのが店長の醍醐さん。今、ホールに出てきたのが秋本さんです。」

 パッと見、秋本さんの方が年上で風格があるのを感じる。醍醐さんは奥で難しい顔をしながら電卓を叩いて、何やら計算しているようだった。秋本さんが近寄ってくる。

「あ、はじめまして…。今日からお世話になる赤崎です。よろしくお願いします。」

「はじめまして。うちはのんびりした店なんで仕事は徐々に覚えていけば構わないんで、頑張って下さい。」

 感じのいい人だった。店の中にいる二人の客はダブルアップで一、二回叩いて当たるとすぐテイクしながら、ちんたらと遊んでいた。前にいたアリーナとはえらい違いだった。最初に働いた店ダークネスの岩崎がこういう遊び方をする客をテケテケで、更に少ししか金を使わないで帰ればケンチャンなんだと言ってたのを思い出す。

「赤崎さん、ゲーム屋の経験はあるんですよね?」

「ええ、あります。INとかなら分かりますよ。」

「じゃー、とりあえずINキーを渡しておきますね。」

 二卓に座っている客のクレジットがゼロになっていたが、千円札を見ながら一歩入れるか、二本入れるか迷っていた。非常にじれったい客だ。千円や二千円なんてどうせ、すぐ溶けるのだからさっさとINすればいいのに…。

「うぃ、入れてっ。」

 二卓の客は千円札をヒラヒラさせながら偉そうにしている。俺はダッシュで駆け寄り、金を受け取ってINを入れる。山田が俺を呼んでいるのでカウンターの方へ向かう。

「赤崎さん、うちはこんな店なんで客もあんな感じなんです。そんなビシッてやらなくても大丈夫ですよ。気楽にやって下さい。それで三時になれば仕事、終わりですから。」

 何とも拍子抜けする店だ。客層も従業員もだらけている。

「客に呼ばれるまで、空いている卓に座ってても問題ないですよ。」

 ここは仕事中に空いている卓に座ってもいいのか…。今までのゲーム屋とのギャップがあまりにもあり過ぎて戸惑いを隠せない。いい加減な店というイメージが俺の中で早くも定着しつつある。

 三十分もしない内、テケテケの客は二人とも帰ってしまい、グランドの店内は従業員の山田と俺だけになってしまった。俺はとりあえずテーブルの上を雑巾で拭き、掃除を始める。灰皿に吸殻が溜まっている卓もあるし、細かい所の汚れが目立つ。本来あまり綺麗好きとは言えないが、そんな俺でもこの店はだらしないと感じる。昼頃になって、入り口のチャイムが鳴り出す。カメラで確認すると、社長の北方だった。

「おはようございます。今日から早速お世話になってます。」

「おう、少しは慣れたか?」

「ええ、山田さんも親切に接して頂いているので問題ないです。」

「おう、山田。いつもの。」

「はい。」

 山田はキッチンに行き、コーヒーを淹れだす。遠目で見ていると、山田は砂糖を七杯入れて、更にポーションクリームも四つ入れていた。明らかに入れ過ぎだ。俺はさり気なく山田に近付き小声で話す。

「山田さん…、少し砂糖とか入れ過ぎなんじゃないですか?」

「これでいいんですよ。北方さんのは…。これでいつも通りなんです。」

 毎回こんな大甘なコーヒーを飲んでいるのか…。年齢も五十歳ぐらいだし、いつ糖尿病になってもおかしくはないだろう。北方はコーヒーをうまそうに飲みながら、山田と店の件で色々話をしている。

「赤崎―。おまえは今日ここ三時に終わったら、下に降りて来いよ。」

「え?あ、はい…。何かあるんですか?」

「おまえはここ一ヶ月だけの専属だから、下のビデオ屋とかも仕事を色々覚えてもらわなきゃ、困るだよ。」

「はい、頑張ります。」

 昨日、泉と話した海外に住みながら働くという理想の生活が、現実味を帯びてきそうだ。想像するだけでワクワクしてくる。北方が店を出ると、時間は二時になっていた。あと一時間でゲーム屋の仕事が終わる。

「赤崎さんって北方さんと前から知り合いだったみたいですね。」

「たまたま前に自分が働いてたゲーム屋に客で来てたってだけですよ。」

「へー、そうなんですか。北方さんって赤崎さんの店ではどうでした?」

「どうでしたって、何がですか?」

「客として見てですよ。」

 アリーナ時代を思い返すと、いつも二、三万の金が入ると台を蹴ったりして、あまりいいイメージがない。しかし山田に正直に言っても、今、俺が雇われている社長の悪口になるので適当に言っておく事にした。

「でも赤崎さん…、これだけは言っておきますよ。」

「はい…。」

「北方さんは金に関しては悪魔ですから気を付けて下さい。」

「悪魔ですか…?」

 俺には山田が何を言っているのかよく理解出来なかった。金に関して悪魔…。金に対してすごいという事だろうか。仕事初日から変な事を聞いてしまった。三時になり、中番の従業員と交代でグランドを出て、地下にある北方のいる事務所に降りて行った。

 

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