岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

フェイク 08

2023年03月14日 14時37分16秒 | フェイク(クレッシェンド4弾没作品)

 

 どこに行く宛てもない俺はただ彷徨い歩き続けた。気付けば自然と新宿に来ていた。欲望と金に塗れた歌舞伎町の匂いが俺は好きなのかもしれない。朝なので通勤するサラリーマンの姿が多い。赤崎もそろそろ新宿に仕事しにくる時間だ。携帯に掛けてみる事にする。電話の緒とは鳴るが、出る気配がない。ひょっとして今日は休みなのか。

「あれ、坂巻じゃねえの?」

 ボーっとしながら一番街通りを歩いていると、濃紺のブレザーを着た奴に声を掛けられる。顔を見るが誰だか思い出せない。どっかで見た事あるような…。

「高見だよ、覚えてんだろ。何やってんだよ、こんなとこで…。」

 よく顔を見ると同じ高校時代、少しばかり粋がっていた同級生の高見だった。同級生といっても、美千代が亡くなってから高校にはまったく行かなくなっていたので、ほとんど俺とは接点がなく関係ない存在だった。こんな朝から歌舞伎町をうろつく暇な不良。

「高見か…、別に俺が何してようと、どうでもいいだろ。」

「あっ?何だテメー。しばらく見ない内に随分態度がでかくなったんじゃねえの?」

 高見は目を剥きだして粋がりだす。この一年、色々な女から金をまき上げていた俺にとって、高校の同級生などクソみたいなもんだった。小さい学校という枠に納まって偉いと思っているただのガキだ。いつもなら笑って済ませるが、今の精神状態は暴れたくて仕方がなく、暴力を欲していた。

「だから何なんだ?別におまえとは友達でも何でも無いから関係ねぇんだ。イライラしてんだから、いちいち話し掛けてくるなよ。それとも喧嘩売ってんのかよ、ボケ。」

「しばらく見ねえ内に生意気になったもんだな。ちょっと面貸せよ。」

 高見と話している内にこいつの仲間が俺の周りを取り囲んでいた。三、四、五…、全部で五人か。もう美千代もお袋もいない。何も考えず、派手に暴れるのも悪くないだろう。俺はカッと目を見開いて高見たちを睨みつける。

「何人いるんだ?数いねぇと何も出来ないクズ連中が粋がってんじゃねぇよ。」

「いいからついて来いよ。今更ビビッたとか言うなよな。学校にいた時からテメーの綺麗な面、ぶっ飛ばしたくて堪んなかったんだよ。」

 高見たちは俺を取り囲むようにして、一番街通りをコマ劇場の方向に向かった。こいつら俺をどこへ連れて行くつもりだろう。大方、大久保病院の裏にある公園辺りだろう。

「もう逃げらんねえぜ。」

「ビビってんじゃねーの?」

「何、粋がってんだろうね、こいつは。」

 雑魚どもが俺に何か言っている。脳味噌の足りないクズはお決まりの台詞しか言えない。よくよく考えてみると哀れな連中だ。自然に笑いが出てくる。

「何、余裕こいて笑ってんだ、この野郎。」

 いきなり背中を蹴飛ばされて前に転ぶ。大人数なのに、不意打ちまでしてどうしょうもねぇ奴らだ。俺は笑みを絶やさず、ゆっくり振り向く。

「この野郎、まだニヤけてやがる。ざけやがってよー。」

「おらっ。」

 背後から怒鳴り声がして、高見一派の一人が倒れる。

「光太郎、大丈夫か?」

「あ、赤崎…。何でここに…。」

「出勤する前におまえがこのガキ共に連れてかれるの見かけて、あとをつけてきたんだよ。一人で無茶してんじゃねーよ。」

「何だ、テメーは?」

「こいつは俺の弟みたいなもんだ。一人に対して何だおまえらは?情けねえ…。」

 本当に奇妙な縁がある奴だ。あまりのタイミングの良さに笑いが止まらない。高見らは赤崎を見て動揺していた。

「よそ見してんじゃねぇよ、オラッ。」

 俺が高見の鼻っ柱をグーで殴ってやると、赤崎は他の奴らを無差別に殴りだした。見ていて気持ちいいぐらいの暴れっぷりだった。高見を含む四人が倒されると、残りの二人は明らかに怯えていた。赤崎とはいいコンビを組めそうだ。

「おい、俺の後ろにはヤクザがついてんだからな。やれるもんならやってみろよ。」

「今更何言ってんだ、このクズがっ。誰がバックにいるって?」

 俺は構わずにメチャメチャぶん殴ってやった。残り一人を睨みつけると、すごい勢いでその場からダッシュで逃げ出した。赤崎が近付いてくる。

「おまえ、こんな朝っぱらから何やってんだよ、まったく…。」

「ヘヘヘ…。タイミング良く来てくれてありがとうよ。助かったぜ。あいつら高校時代のクズ連中なんだ。いつもつるむしか脳がない馬鹿どもでさ。」

「そういえばおまえ学校は?」

「おいおい、俺はもう十九歳だぜ?ま、高校も途中で中退しちゃったけど。」

「何で?苛めにでも合ってたのか?さっきの連中とかに…。」

「馬鹿言えって、そんなんじゃねぇよ。昔から俺が女にもてるからあいつら悔しかったんだろ。美千代が亡くなってからポッカリと心に穴が開いたみたいで、高校行くのすら嫌になったんだ。そうそう、報告があったんだ。俺のお袋が昨日で亡くなったよ…。」

「光太郎…。」

「そんな人を哀れむような目で見るなよ。」

「あ、悪い…。その…、何て言ったらいいのかよく分からなくてな。」

「お袋は失っちまったけどさー、その代わりに兄貴が出来たみたいだぜ。」

 つい咄嗟に口に出た言葉。まだ会って間もないのに、俺は赤崎を兄のように慕っていたのを初めて自覚する。照れ臭い変な気分だった。だが、妙に気分が良かった。

 

 朝から変な事に巻き込まれる日だ。電車で二回、新宿に来て出勤する前で一回。とりあえず光太郎を助けられて良かった。

「今日は何してんだ?」

「家で喧嘩して飛び出してきたんだ。これからお袋の実家の方で葬儀やら色々やるだろうけど、俺はもう行かないつもりだ。」

「母親のだろ?」

「ああ、俺を生んだ母親のだ。でも俺を捨てて家を出ていった事には変わらない。」

 自分の過去と光太郎の気持ちが重なる。確かに俺も母親のだったら、関わらないようにするだろう。こいつの気持ちが少しだけ分かるような気がした。

「そりゃ、そうだよな…。何となくだけど、おまえの気持ち分からないでもない。どんな理由であれ、光太郎を置いて出て行った事には変わらないもんな。」

「うーん、実際のとこ何で葬式に行かないのか、自分でもよく分かんねーや。」

 力になってやりたかったが、俺の踏み込めない領域だった。見た感じはサバサバしてるように感じるが、実際には複雑な心境なのであろう。

「赤崎はこれから仕事か?」

「おまえ、さっき俺の事を兄貴みたいだとか言っといて、赤崎って呼びつけはないだろ。俺の方が年上なんだからせめて、さんを付けるとかさー。」

「じゃ、じゃーさー…、これから兄貴って呼ぶよ…。」

 はにかみながら光太郎は照れ臭そうに言った。そう呼ばれても全然違和感が無かった。多分、俺はこいつが可愛くて仕方がないのであろう。

「ああ、それでいいんじゃないか。もうそろそろ俺は仕事の時間だし行かなきゃいけないけど、五時頃に終わるから飯でも喰いに行くか?」

「分かった。俺はあんまし寝てないから、この間のビジネスホテルで睡眠をとるよ。これ、俺の電話番号な。仕事終わったら連絡ちょうだい。」

「おう、じゃーな。」

 光太郎と別れて職場へと向かう。時間がギリギリだったので久しぶりに走った。仕事が終わってあいつと会ったら、実は俺に名も知らぬ妹がいた事を話してみよう。一体どんな顔するだろうか楽しみだ。

 グランドに行くと、昨日とは打って変わってか客が六人ほどいた。大方の客が夜からやってて、そのまま朝まで熱くなってゲームをやめられないパターンだろう。

「お、新顔だ。」

「何だか真面目そうだぞ。」

 客は俺を見て好き勝手な事を言っている。一応頭を下げながらカウンターの方へ行き、従業員に挨拶を済ませる。早番の山田と目が合ったので話し掛けた。

「朝なのに結構お客さん残ってますね。」

「ええ、そうですね。赤崎さん、少しは慣れましたか?」

「うーん、今日で二日目だし、まだまだですね。」

「頑張って下さい。」

「はい、よろしくお願いします。」

 よほど夜の時間帯が忙しかったのか、遅番の秋本と醍醐もやっと帰れるといった感じの安堵の表情を浮かべている。

「入れてー。」

 客がINを要求しているので俺は素早くホール内を駆け回る。前の店のアリーナの方が仕事的には忙しかったので、俺一人で全然余裕だった。やがて遅番の人間も帰り、俺と山田の二人になる。客はまだ四人ほど残ってゲームをしていた。

「お、新しい人は中々動きがいいね。」

「気が利くなー。」

 客が俺の事を褒めてくれる。人に褒められて嫌な奴はいない。俺は新しい職場というのもあって張り切っていた。忙しい時、時間の進みは早い。チラッと時計を見ると、昼の十二時を過ぎていた。

「赤崎さん、そろそろ腹減ってないですか?自分がやるから飯喰って下さいよ。」

「すいませんね。」

 出前でまる平というそば屋のカツ丼と天婦羅うどんを頼む。朝起きてからサラダを食べたぐらいなので、結構腹が減っていた。

「赤崎さん、まる平で頼んだんですか?」

「ええ。」

「あそこのカレーがうまいんですよ。」

「へー、そうなんですか。」

 山田は突然吹き出すように笑い出した。今の会話で一体何がおかしかったのだろうか。

「赤崎さん、そこの冷蔵庫から缶の烏龍茶と缶コーヒーを二本ずつとって、カウンターの上に並べてもらえますか?」

「はあ…。」

 よく分からないが、山田の言う通りにして並べる。

「これでいいんですか?」

「まる平で出前とったんですよね?これから面白いもの見れますよ。」

「?」

 各二本の烏龍茶とコーヒーが、まる平とどう関係あるのだろうか。山田の言う面白いものというのが、妙に気になる。その時、チャイムがなった。モニターを見ると出前持ちが立っていた。山田が鍵を開けると出前持ちの小柄なおじさんは、毎度と言いながら店内に入ってきた。カウンターの上に注文したカツ丼と天婦羅うどんを置き終わるのを待って、山田は笑顔でおじさんに声を掛ける。

「おじさん、お疲れ様。今、暑くて大変でしょ。烏龍茶かコーヒーよく冷えてるから飲んでけば?」

「おう、悪いねぇ…。お、俺、ここの烏龍茶好きなんだよなー…。」

 おじさんはそう言いながら、右手に烏龍茶、そしてちゃっかり左手にもコーヒーを持っていた。それにしても缶の烏龍茶なのに、ここの烏龍茶もクソもないと思うが、あえて黙っておく事にする。山田の言う面白いって事がようやく分かった。

俺が飯を食べている間に客は全員帰ってしまい、一気に暇になってしまった。そういえば俺がここの仕事に入る前に、一ヶ月ぐらい休みとっているという従業員がいるって言ってたな。山田に聞いてみよう。北方の事といい、分からない事だらけだった。

「山田さん。自分が最初に来た時、早番で誰か長い休みとってると言ってましたけど、その人はどうしてそんな一ヶ月も休みとったんですか?」

「ああ、須田さんの事ですか。須田さんって結婚してて子供が生まれたから、今、実家に帰っているんですよ。」

 子供が生まれた…、泉との事を思い出す。あの時の泉の悲しそうな表情は見ているだけで辛かった。もしもあの時、子供が生まれたたら俺はどうなっていたのだろう。想像すると暗くなってしまう。

「昨日、北方さんは金に関して悪魔ですって言ったじゃないですか?」

「ええ。」

「今、休みとっている須田さんの件なんですけど、帰る時に北方さんから金を借りたんですよ。二十万円。そしたらずっと自分に、愚痴を言ってくるんですよね。」

「何でですか?」

「利子をキッチリとられたって。」

 別にそんなにおかしくないように思えた。これから子供が生まれるっていうのに、金が無いという方が悪いような気がしたが、黙って話を聞く事にした。

「いくらぐらいですか?」

「最初に二十貸してくれって言ったら、北方さんが次の日に用意するって言われて、次の日、下の事務所に行ったんですよ。渡された金を数えたら十八万しかなかったんです。」

「え、変じゃないですか?それとも数え間違いとか…。」

「違うんですよ。須田さんが言われたのは、月一の利息だからって最初に利子分の二万を引いて渡したらしいんです。」

「月一って何の事ですか?」

「月に一割利子がつくって意味です。例えば須田さんは二十万を借りたから、その一割の二万が利子として引かれた訳です。従業員から利子をとるなんて酷いと思いませんか?自分で面倒を見てる従業員ですよ。」

「でも、あと二十万返せばいいんですよね?」

「違いますよ。利子は毎月の事だから、来月は元金を入れなければ利子で二万。須田さんが今月四万返したとしたら、利子二万の元金二万減るから、来月の利子は一万八千になります。他人ならともかく、よくテレビでCMやってる金融屋よりも利子が高いんですよ。鬼ですよね。」

 山田の言う台詞はもっともだと思う。仮に利子をとるとしても、もうちょっとやり方ってもんがあるはずだ。

「昨日、下で働いてた浦安さんっているじゃないですか?」

「はい。」

「浦安さんも北方さんに借金があって、働いた金のほとんどを回収にまわされてるみたいですよ。いつも金が無いってぼやいてますよ。」

「給料からどのくらい、借金返済に当ててるんですか?」

「どのくらいもらってるか分からないですけど、いつも引かれて五万しか残らないって、泣きそうな顔して愚痴ってますよ。」

 少しだけ北方ワールドの片鱗が見えたような気がした。とても嫌な気分だ。出来れば、聞きたくない内容だった…。それでも北方だけが一方的に悪い訳ではない。ちゃんと働いているのに、金を借りる方もだらしない。そう思うと、北方もあえて心を鬼にして利子をとっているのかもしれないと感じる。それは俺の思い過しだろうか…。

 

 この間のビジネスホテルでチェックインして部屋に入る。もう家には戻るつもりは無いので、一週間分の会計を済ませた。これでしばらくは何も考えずにゆっくり出来る。お袋の入院費や手術代として金を貯めていたが、もう何も意味が無くなってしまった。今まで俺に騙されて金を貢いだ女たちは、バレたらきっと発狂すんだろうな。

 携帯が鳴る。しつこい女連中の誰かだろう。もうくだらない女連中を相手にする必要は何も無かった。金の為に数々の女を騙してきた。でもそんな思いで貯めた金などいらない。俺には生きる目標というものが無いのだ。相変わらず携帯はしつこく鳴っている。非常に耳障りだ。もうこんなもんいらねえか…。

「うるせぇーな。」

 俺は独り言を呟きながら、携帯を掴み壁に叩きつけようとするが、慌てて思い留まる。今日、赤崎が仕事終わったら電話掛かってくるんだったっけ。朝、会った時は出勤前だったから急いでいたもんな。飯でも喰いに行こうって事は、何か俺に言いたい事でもあるんだろう。あいつとは奇妙な縁を感じる。本当に人間ってどうなるか分からない…。初めの時は肩がぶつかっただけで喧嘩になったのに…、不思議なもんだ。

お袋が亡くなったというのに、不思議とそんなに悲しくなかった。お袋の入院費の為に悪い事でも何でもやって金を沢山溜めたのに…。まだ俺がガキの頃、美千代をお袋の実家に初めて連れて行った時。あの時、お袋が美千代に対して拒絶した事がいまだに心の片隅に残っているのだろうか。今更何を考えても、もう二人ともこの世にいない人間なんだ。今後、俺はどうやって生きていくのだろう。何の目的も見出せず、望むものもない。色々考えている内に眠くなってきた。まぶたが徐々に重くなっていくのを感じる。

 

 気がつけばもう三時五分前。グランドでの仕事が終わり、下に降りてビデオ屋の仕事の時間だ。今日で仕事二日目だったが、早くも少しうんざりしていた。多分、ビデオ屋の仕事内容が俺にとって恥ずかしい仕事だと感じているのだろう。

「赤崎さん、もうそろそろ下に行く時間じゃないですか?」

「ええ、そうですね。」

「もう行ってもこっちは大丈夫ですよ、客もいないですしね。」

「山田さん、ギリギリまでここにいちゃ、駄目ですか?」

「え、べ、別に構わないですけど…。どうかしたんですか?」

「さっき北方さんのあんな話聞いたじゃないですか。従業員に金貸して利子とったとか、金に関して悪魔だとか…。さすがに下に行くの、ちょっと気が重いですよ。」

「でも北方さん、赤崎さんの事すごい期待してましたよ。いつも夜になるとグランドに寄ってゲームするんですけど、その時に今度入った赤崎はいいだろって言ってましたよ。あいつは俺が入れたんだって、自慢げにしてました。ちょっと何かあるとすぐに自分の手柄というか、自分のおかげだろって、えばるのが好きなんですよね。実際、ここの客にも嫌われてますしね。」

 何て答えたらいいのか…。何故、山田が北方をこうまで悪く言うか、理由が分からなかった。相当ストレスが溜まってるようにも見える。あくまでも北方は社長でありオーナーでもある。一介の従業員がそこまで言うのは、ちょっと筋違いのような気がした。どんなに嫌なオーナーだとしても、自分たちはそこで給料をもらい稼がせてもらってるのだから…。社長が多少の無茶言うのは当たり前といえば当たり前の話だ。

「でも北方さん、面倒見は良さそうじゃないですか?」

 まだ山田は何か言いたそうだったが、俺の台詞に一瞬呆れた表情を見せた。

「まー、その内、赤崎さんも分かりますよ。」

 気分が悪くなるような言い方だ。落ち着け、今は仕事中だぞ…。感情に身を任せてもいい事は何もない。俺はまだここで働いて二日目の新人なんだ。一生懸命、心の中で冷静にいるように、自分に言い聞かせる。

「そろそろ時間だし、下に降りますね。」

「あ、もうそんな時間か…。お疲れ様です。」

「明日もよろしくお願いします。それでは失礼します。」

 グランドを出てから、ゆっくり深呼吸する。まだ苛立ちを覚えていたが、冷静になるように心掛けた。最近の俺って怒りっぽくなっているのかな。ピリピリした状態で仕事するのは何にもプラスにならない。時計を見ると三時を回っていた。早いとこ下に行かないと…。俺は急いで階段を駆け下りた。地下に降りると事務所のドアは開きっ放しになっていて、北方は椅子に座りながら居眠りをしていた。

「お疲れ様です、赤崎です。上の仕事終わりましたけど…。」

 俺が声を掛けると北方は目を開いてこっちを見る。寝ぼけているのか、焦点が定まっていない。

「お、おう。マロン行って五時までやってくれ。」

「はい。」

 それだけ言うと、北方はそのままの体勢で再び眠りに落ちた。誰か入ってきたらどうするんだろ。歌舞伎町のこんな場所で無用心過ぎる。まあ、俺がとやかくいう事でもないので、隣りのビデオ屋のマロンに向かう事にした。中に入ると、従業員の浦安もよだれを垂らしながら眠っていた。夏のこの時期でだらけるのも分からないでもないが、少し緊張感が無さ過ぎる。この状態でいても仕方ないので声を掛ける事にした。

「お疲れ様です。」

「ん、うぁ…?」

「赤崎です。おはようございます。」

「はい…、御注文の品はDVDですか?ビデオですか?」

 どうしようもない奴だ。まだ寝惚けている。北方がここに来たら、また頭を引っ叩かれるだろう。いくら叩かれたところで、懲りないような気もするが…。正にクズ野郎だ。

「俺ですよ、赤崎です。ちゃんと起きてますか?もうすぐ北方さんが来ますよ。」

 浦安は北方という言葉に反応したのか、バネ仕掛けのように飛び起きる。こんなクズでも叩かれるのは、やっぱり嫌みたいだ。しきりにキョロキョロして辺りを見回し、北方がいないのを確認すると俺を睨んでくる。

「何だよ、ビックリさせんなよなー。」

 人がせっかく起こしてやったのに何て言い草だ。このクズ野郎が…。俺は心の中でそっと呟いてみた。

「だって横に北方さんいるんですよ。いつ来てもおかしくないのに、寝てたらヤバいじゃないですか?また怒られますよ。」

「う、うう…。」

 俺が正論を言うと、浦安は途端に口籠もってしまう。この負け犬が…、何も反論出来ねえならハナッから黙ってろよ、ボケッと…、ハッキリ口に出して、面と向かって言えたらどんなに気持ちいい事だろう。

「浦安さん、それよりもビデオ屋の仕事内容を早く教えて下さいよ。俺、まだ分からない事だらけなんですから。」

「ああ、分かったよ。一体、何が分からないんだい?」

「この仕事は自分、初めてなんで何も分かりません。まず、DVDやビデオの値段さえ分からないです。あと種類というか、ジャンルって言うんですか?そういうのも全然分かりません。」

「壁とかに書いてあるでしょ。DVDは四枚で一万円。一枚だと四千、二枚で六千だよ。ビデオは八本で一万円。あと細かいのは書いてあるでしょ。」

 言われた通り見てみると、壁に紙切れが貼ってあり、手書きで値段表示がしてあった。浦安がこれを書いたのだろうか。酷く汚い字で書いてあり、非常に読み辛い。それにしてもDVDが一枚で四千円に対し、四枚で一万なんて少しどんぶり勘定過ぎないだろうか。一万で四枚買うのと、一枚ずつ四回に分けて買うのじゃ六千円も誤差がある。

「簡単な仕事だよ。上のゲーム屋とは違って、客に負けただ何だって言われることは無いしね。ゲーム屋って客ウザいし、ストレス溜まるでしょ?」

 初めてゲーム屋で働いた時、負けて帰る客にありがとうございましたと言って、睨まれた事を思い出す。確かに客はみんなエロビデオを望んで買いにくるのだから、ポーカーゲームのような賭博場よりは働きやすい環境なのかもしれない。

「まあ、気分的にはこっちの方が確かにいいですよね。」

 とりあえず俺はどんな仕事内容であれ、頑張ってやるだけだ。それが自分の評価へと繋がるのだから…。それにしても本当に客の来ない店だ。

 

 携帯が鳴っている音で目が覚める。時間をチェックすると夕方の五時を回っていた。もうこんな時間か。俺は起き上がり、軽く伸びをしてから携帯を取る。

「もしもし…。」

「光太郎か?仕事、終わったぞ。腹減ってないか?」

「うーん今、起きたとこ…。シャワーとかも浴びたいし、俺の部屋とりあえず来れば。この間来たあのビジネスホテルだから。鍵開けとくから勝手に入ってきてよ。」

「何だ、まだ寝惚けてんだろ?しょうがねーなー。じゃ、今からそっちに向かうよ。」

 俺は赤崎に部屋の番号を教えてから電話を切る。ドアのカギを開けてからシャワーを浴びにいく。眠たい…、まぶたが重い。でも起きたての気だるさを熱いシャワーが吹き飛ばしてくれる。徐々に活発に機能しだす俺の各細胞。ゆっくり丁寧に時間を掛けて熱いシャワーを当てる。風呂場を出て鏡を見ると、俺の目にいつもの鋭さが戻ったのが分かる。ドライヤーで髪の毛を乾かしていると、チャイムが鳴る。きっと赤崎だろう。

「カギ開いてるから、入って来なよ。」

赤崎が疲れた顔で入ってくる。仕事で何かあったのだろうか。俺の方を見て缶コーヒーを放ってくる。タイミングがいい。ちょうど喉が渇いていたところだった。

「風呂上りだったのか。お腹は?」

「あれから何も喰ってないから、目茶苦茶腹減ってるよ。それより随分疲れた顔してるな。何かあったの?」

「そうか?多分、今の仕事の環境にまだ馴染んでないから、神経的に疲れてるだけだろ。ちょっと一服させてくれ。」

 赤崎はベッドに腰掛けて煙草に火を点ける。俺は一気にコーヒーを飲み干して着替え出す。外に出たら湿気を含んだ嫌な暑さに見舞われるだろうから、ジャケットは置いてポロシャツ一枚だけにしておこう。

「よし、準備出来たぞ。どこ喰いに行く?」

「うーん…、たまにはピザとか喰いたくないか?」

「ピザねー…。いいけど、外出ると暑いから、デリバリーでもとらないか?」

「ここまで持ってきてくれんの?」

「ラブホテルなら食事のメニューでピザが置いてあるぐらいだから、フロントを通せば問題ないでしょ。一応内線で聞いてみるよ。」

「俺、グラタンピザがいいな。一枚全部グラタンピザだと飽きるから、ハーフアンドハーフで、もう一つはうーんと…。」

 赤崎が何か言っているが、気にせず部屋の電話を取る。フロントへピザの宅配出来るか確認すると、大丈夫らしかったので早速頼む事にした。

「もしもしー、はい…。はい、ああー…、そうですね。はい。それでお願いします。」

  俺がピザの注文を済ませると、赤崎は何故かムキになって聞いてくる。

「おい、勝手に注文してたけど、グラタンピザはちゃんと頼んだのか?」

「知らねぇよ、そんなの…。適当に向こうのお勧めを頼んだだけだから。」

「何だよ、まったくー。」

「うるせぇなー。ガキが駄々こねるみたいにギャーギャーとよー…。いい年して何がグラタンピザだよ。」

「おまえは今朝、俺の事を兄貴って呼んでいいかなんて言ってて何だよ、その言い草は…。ピザって言ったら定番はグラタンピザだろ?」

「ハー…。」

「何だよ、そのため息は?」

 赤崎にもこんなガキっぽい一面があったとは…。いつもクールにしているので少し意外な感じがした。

「それより何か話したい事が、あったんじゃないのか?」

「あ、ああ…。」

「ここなら誰の目も気にせずにゆっくり話せるだろ?」

「そうだな。」

 こう見えて結構単純な奴なのかもしれない。簡単にピザの話を逸らす事が出来た。

 

 仕事を終えて、マロンやグランドのあるビルからここまで、少し歩いただけなのに一気に汗が吹き出してきた。光太郎の泊まっている部屋に来た時、冷房がガンガンにきいていたので天国に来た気分だ。暑さは人を堕落させる。

 涼しい所に来て一服していると、何だかピザが無性に食べたくなった。光太郎に言うとここまで配達してくれるらしい。俺がグラタンピザを頼もうかなと思っている内に、光太郎は勝手に注文して電話を切ってしまった。俺が怒ると光太郎はうまい具合に話をはぐらかしてくる。まったく掴み所の無いガキだ。

「それより何か話したい事が、あったんじゃないのか?」

「あ、ああ…。」

「ここなら誰の目も気にせずにゆっくり話せるだろ?」

「そうだな。」

 昨日、弟の怜二が言ってた妹の件…、光太郎に会ったら言おうと思っていた。あまり人に話したくない話題だったが、こいつには何故か話しておきたかった。吸っていた煙草の火を消して、ゆっくり光太郎の方を見る。

「実はな…。」

「ピンポーン。」

 話を遮るようにドアのチャイムが鳴る。ピザの宅配が来たみたいだ。光太郎が受け取りに行って、ピザを持ってくる。

「結構届くの早かったな。」

「何のピザ頼んだんだよ?」

「ヘヘ、開けてからのお楽しみ。」

 グラタンピザじゃなかったら、こいつの頭を引っ叩いてやる。光太郎はもったいぶって中々ピザの入った箱を開けようとしない。俺の方を見てニヤニヤしていた。

「早く開けろよ、冷めちゃうだろ。」

「そんな慌てんなって…。」

 箱を開くと普通のミックスピザが入っていた。光太郎は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、俺を見ていた。この野郎…。

「おい、あれだけグラタンピザって言ったじゃねえかよ。」

「いいじゃねぇかよ、別にさー。何でそんなグラタンピザにこだわるんだよ。」

「好きな食べ物だからだ。」

「何が好きな食べ物だだよ。二十五歳にもなって、そんな事言ってると笑われるぜ。」

「うるせーよ、このガキが。」

「文句ばっか言ってるなら、俺が全部喰っちまうぞ。いいのか?」

 何故かこいつのペースにいつもズルズルとハマっていくような気がする。一人で怒ってるのが馬鹿らしくなってくる。俺は無言でピザを手に取り、口に放り込んだ。

「おっ、うめー。」

「今更、何言ってんだか。呆れてものが言えねぇぜ。」

「このピザ、かなりいけるな。」

「喰いながら喋るなよ。汚ねぇなー。どっちかにしろよ。」

「喰わないなら、俺が喰っちまうぞ。」

 俺と光太郎は奪い合うようにして、あっという間にピザを平らげてしまった。コーラを一気に胃袋に流し込む。炭酸が喉を刺激して心地良い。

「あー、喰った、喰った…。」

 

 本当にその辺にいるガキと変わりゃーしねぇ。口の周りにピザのソースを付けて赤崎は子供のように満足そうな笑みを浮かべている。

「ピザって俺の中で十七番目に好きな食べ物でさー…。」

「誰もそんな事、聞いてねぇよ。」

「俺が一番目に好きなのって何だか知ってるか?」

「そんなもん知る訳ねぇだろ。」

  ピザ喰ったぐらいでご機嫌になっている。おめでたい野郎だ。

「一番はねー。実は…」

「おい、何か話があったんだろ?」

  キリが無いので強引に話の流れを変える事にした。世話の焼ける奴だ。

「あ、ああ…。昨日聞いた事なんだけどさー。実は俺に妹がいるらしいんだ。」

「いきなり何言ってんだよ?」

「いや、あくまでも俺の弟から聞いた話なんだけどね。」

「何でまた?」

「そんなの知る訳ないじゃん。ただ、本当にいるなら一度でいいから見てみたいなって思ってね。名前も年も何も分からないんだ。」

「だって赤崎が…」

「おい、今朝自分で兄貴って呼んでいいかって言ったのに、何でまた赤崎って呼びつけにするんだよ。」

「いちいち絡むなよ。分かったよ、兄貴。これでいいんだろ?」

「あ、ああ…。」

 一時的に会話が途切れた。赤崎は下を向いて何か考えているようだった。妹か…、もし本当にその妹がこの世に存在するなら、一体どんな感じの子なんだろうか。以前、赤崎を見てて美千代と被った事があった。何でかは分からないが、何気なくそう感じたのだ。

「まあどっちにしても信憑性に欠ける話だよな。」

「まーね。」

 そう言いながらも赤崎は、絶対にいると思い込んでいる表情をしていた。幼い頃に妹を亡くした赤崎…。それから十何年も経っているのにまだその存在を常に引きずっている。そんな状態で新たな妹がいるとい噂を聞いたら、信じたいのも無理はないような気がした。

「何か確かめる方法はないのか?」

「うーん…、一番手っ取り早いのは俺を生んで出ていった人間に聞いてみるのが、一番早いような感じがする。」

「生んだ人間って、赤崎…、いや、兄貴のお袋さんの事だろ?」

「世間一般ではそうとも言うらしいな。ただ出来る限り、その代名詞は使いたくないんだ。単なる俺のエゴだけどね。俺の中ではとっくに無になった存在だ。」

 幼い頃につけられた心の傷が今でも深く心に根付いている。俺の言う侵略者と赤崎の言う生んだ人間とはほとんど意味合いは変わらないはずだ。根底にあるもの、それは憎しみという暗い感情…。

「でも俺はもうそれには本心で関わりたくないんだ。だから妹を知る術は何も残されてない。惨めだろ?」

 話が急展開過ぎて、俺は何て答えたらいいかよく分からなかった。赤崎の顔を見ると、とても悲しそうな顔をしていた。どこかで見た事のある表情…。

「あっ!」

「何だよ、いきなりでかい声を上げて?」

今まであった色々な事が一つにまとまりかけようと、俺の中で繋がりつつあった。何故この推測をもっと早く気がつかなかったのだろう。

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